第七十六話 帰還二日目 説得 2
「そばにいて」
「俺のそばにいて」
「それだけでいいから。他になにもいらないから」
「貴女のそばにいるだけで、俺は『しあわせ』だから」
彼女を抱きしめて訴える。何度も。何度も。
伝わって。伝わって。
俺の『願い』、受け止めて!
やがて、彼女がぽつりと言葉を落とした。
「……………『大丈夫』って、言って」
「大丈夫」
ぎゅ。
俺の背中で彼女が俺のシャツを握りしめたのがわかった。
「大丈夫。大丈夫だよ」
愛おしくて愛おしくて、俺も彼女をぎゅうっと抱き込んだ。
「貴女が俺に寄りかかっても、誰も怒らないよ」
「貴女が俺を巻き込んでも誰も貴女を責めないし、怒らないよ」
「大丈夫。大丈夫」
「貴女が俺を好きでなくてもいいよ。
俺が勝手に貴女のことを好きでいるから」
「だから、大丈夫」
「大丈夫。大丈夫」
彼女はなにも言わない。
ただ俺の背中のシャツを握りしめ、俺の胸に顔を埋め、じっとしている。
「西の姫に命令されたでしょ?
黒陽も嫌がらなかったでしょ?」
「俺をそばに置いても、誰も怒らないよ」
「寄りかかっても、巻き込んでも、いいんだよ」
そう言っても彼女はなにも言わない。
ただ俺に抱かれてじっとしている。
愛おしい。俺の『半身』。
「大丈夫。大丈夫」
馬鹿のように同じ言葉を繰り返す。
「俺、修行してきたから。
それなりに強くなって帰ってきたから」
「貴女の苦しみを全部退けることはできないかもしれないけれど、貴女の隣に立つことはできるようになったと思うよ」
それでも彼女はなにも言わない。
ただ、俺の背中にまわした腕に力が入った。
すがってくれているようで、愛しくて、丁度いい位置にある彼女の頭頂部にそっとキスをした。
「貴女の隣に、いたい」
「貴女のそばに、いたい」
嫌がられないことをいいことに、ちゅ、ちゅ、とキスを落とす。
「好き」
「好きだ」
馬鹿みたいに言葉を落とす。
「俺の『半身』。俺の唯一。
俺の、俺だけの愛しいひと」
抱きしめているだけで多幸感に包まれる。
ひとつに溶ける。
ピタリとはまるパズルのピースのように、ふたりはひとつだったと感じる。
愛おしい。好き。愛してる。
そんな言葉が陳腐に感じるくらい、彼女と俺はひとつだったと『わかる』。
「貴女はまだそんなこと考えられないって、わかってる。
それでもいいんだ。
俺が勝手に貴女を好きなだけだから。
俺は貴女といられるだけで『しあわせ』だから」
時々暴走しちゃうけど。
独占欲むき出しになったり愛されたいと願ったりもするけど。
でも、そばにいるだけで『しあわせ』だから。
それは間違いないから。
我慢しろと言われたら、する。
彼女がそばにいてくれるなら、どんなことでもする。
「だから、大丈夫。
貴女が俺をそばに置いても、誰も貴女を責めないよ」
「そばにいて。どこにもいかないで。一緒にいて」
「俺の、いちばんそばにいて」
「それだけでいいから。
ほかになにもいらないから」
「好きになってくれなくても、いいから」
「俺が勝手に、好きだから。
ずっと、なにがあっても、好きだから」
抱きしめて、何度も何度も「好き」を告げる。
この生真面目な頑固者に刻み込むように。
俺の気持ちをわかってもらえるように。
「好きだよ」
「好きだ」
伝わって。伝わって!
俺がどれだけ貴女が好きか。
俺がどれだけ貴女を求めているか。
大好きなんだ。そばにいたいんだ。
ずっと一緒にいたいんだ!
「………なまえを、呼んで」
ぽつり。
彼女の落とした言葉が、最初理解できなかった。
なまえ。名前。
なんでここで名前?
なんでもいい。彼女が望んでいるなら叶えなければ。
「竹さん」
求められるままに名を呼ぶ。
「竹さん」
愛しい名。俺の宝物。
「好きだよ。竹さん」
求められていないことまでぽろりと口にしてしまう。
彼女は怒ることもダメ出しすることもなくただ「うん」とつぶやき、ぎゅっと俺にしがみついた。
「……『大丈夫』って、言って」
甘えた声でそんなことをねだるからすぐに応じる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
言いながら背をなでる。
支えるように。なぐさめるように。
「俺が貴女を好きなだけだから。大丈夫だよ」
「俺がそばにいるよ。だから、大丈夫」
余計なことを口にしても怒られないことに調子に乗って、さらに言葉を重ねる。
「大丈夫。大丈夫だよ」
「大好きだよ」
「大丈夫。大丈夫だよ」
「そばにいるよ。大丈夫」
何度も何度も「大丈夫」「大好き」と伝えていると、ようやく彼女がちいさく身じろぎした。
そろりと上げたその顔は、俺にすがるようだった。
「……私がそばにいても、いいの……?」
「もちろん」
「迷惑じゃない?」
「ないよ」
だから即答した。少しは自信満々に見えているといいんだが。
「そばにいさせて」
そんな俺に彼女は痛そうに眉を寄せ、うつむいた。
「……貴方に、苦しんでほしくない。痛い思いもしてほしくない」
「それは聞けないよ」
きっぱりとそう言ったら、彼女は驚いたように顔を上げ、俺から身を離した。
まじまじと見つめてくるのがかわいくて、つい笑みこぼれた。
「俺だってそう思ってるのに、貴女だって聞かないじゃないか」
そう言ってやったらグッとつまる彼女。
「だから、お互い様」
やわらかな頬を両手ではさみ、額を合わせてその目をのぞき込む。
「あきらめて?」
俺の言葉に彼女はポカンとした。
が、なにかを思い出したらしく、くしゃりと泣きそうな顔で笑った。
「……あきらめるの?」
「そう。
俺が貴女に構うのも、そばにいるのも、あきらめて受け入れて?」
ニヤリと笑う俺に、彼女はまた笑った。
今度は俺の好きな、やさしい笑顔だった。
かわいくてまたぎゅうっと抱きしめた。
「貴女のためならば、苦しむことも痛みを伴うことも構わない。
貴女のためならばいくらでも受けてやる」
俺の腕の中で彼女がハッとしたのがわかった。
また離れようとするのをグッと抱き込み、続けた。
「俺だって、貴女に苦しんでほしくない。痛い思いもしてほしくない。
安全で、平和な場所で、穏やかに居てほしい」
彼女はなにかを言おうとしたのか、頭が少し動いた。
が、諦めたのか、俺にその頭をもたれさせた。
「でも、貴女にそれは無理だと理解している」
大人しくなった彼女をそっとなで、ぎゅっと抱きしめる。
「だから、少しでも貴女の助けになることならなんでもする。
責務を果たす、そのために協力する」
「少しでも貴女のココロが楽になるようにする」
彼女はなにか葛藤していたようだが、そろりと腕を上げた。
そうして俺の身体に腕をまわし、きゅっと抱きしめてくれた。
甘えてくれる様子にまたも愛しさがあふれ、ぎゅうぅっ! と抱きしめた。
愛おしい。俺の『半身』。俺の唯一。
「――本当は」
愛おしさに、言うつもりのなかった本音がぽろりと落ちた。
「本当はずっと一緒にいたい。
ずっとそばにいて、一緒に暮らして、飯食って、他愛もない話して、一緒に歳を重ねたい」
『むこう』でもずっと夢見ていた。
朝起きたら彼女がいて。一緒に飯食って。『行ってきます』『いってらっしゃい』なんてやりとりして。『ただいま』って帰ったら『おかえり』って出迎えてくれて。一緒に飯食いながら『今日こんなことがあってね』なんて他愛もない話をして。『おやすみ』って手をつないで眠りについて。
そんな『しあわせ』な日々を、夢見ていた。
でも、彼女には無理だ。
「ずっと、ずっとずっとそばにいたい」
彼女には無理だと理解している。
理解しているのに、ぽろりと本音が落ちた。
こんなこと言っても困らせるだけだとわかっている。
わかっていても、こぼれた本音は次々に願いを吐き出させる。
「貴女にそれは無理だと理解している。
だから、そばにいられる間はそばにいさせて。
一緒に暮らして、飯食って、他愛もない話して、一緒に笑って」
「こうして、抱きしめさせて」
抱きしめるだけでひとつに溶ける感覚。
満たされる幸福。
間違いなく『彼女がいる』という事実に胸が震える。
「許される間だけでいいから。
好きになってくれなくていいから」
「そばにいさせて」
「『俺』の貴女でいて」
「王族でもなんでもない、ただの『俺の竹さん』でいて?」
ポロポロこぼれる願いに、彼女の重みが増した。
俺に身をあずけてくれる様子に愛おしさがさらに増す。
「………それ、いいなぁ………」
ぽつりとつぶやくから、わざと不敵に笑った。
「いいでしょ」と言う俺に、彼女はようやく顔を上げた。
ニヤリと笑う俺になにを感じたのか、楽しそうに微笑んだ。
そうしてぽすりと再び俺の胸にもたれる。
「そう在れたら、いいなぁ………」
甘えたように、あきらめたようにそうつぶやく。
この生真面目なひとには難しいか……。
諦めかけたそのとき、ふと名案が浮かんだ。
「ふたりきりのときは、そうしたら?」
頭を上げようとしたのがわかったから腕の力をゆるめる。
彼女は身を起こし、俺の顔をじっと見つめてきた。
かわいさにへらりとゆるむ顔のまま、もう少し説明を加える。
「俺と竹さんのふたりだけのときは、貴女は『王族』おやすみして『俺だけの竹さん』になるの」
そう説明すると、彼女はキョトンとした。
「『おやすみ』するの?」
「そう」
「責務も?」
「そう。責務も『おやすみ』」
軽くそう言う俺に、彼女はただ黙って考えていた。
「『やめる』のでも『捨てる』のでもなければ、いいでしょ?」
「……………」
「それ以外のときは俺、協力するから。
貴女の責務のために働く。
ふたりでひとり分の仕事するのなら、ちょっとくらい『おやすみ』してもいいと思わない?」
我ながら名案だ。
『やめろ』『捨てろ』なんて言ってもこの頑固者が聞くわけがない。むしろ態度を硬化させるに違いない。
だが『おやすみ』なら。
ちょっとだけ『おやすみ』するくらいなら、生真面目な頑固者も受け入れやすいと思う。
普通の仕事にだって、学校にだって『おやすみ』があるのだから。
仕事量だって、ふたりでひとり分の仕事をするなら『おやすみ』したって手を抜くことにはならない。
どうだ?
彼女は俺をじっとみつめている。
その目が迷いにゆらいでいる。
「……………いいの、かなぁ……………」
「俺はいいと思うんだけど」
「……………そう?」
「うん」
「……………」
生真面目な愛しいひとは黙ってしまった。
視線がどんどん下がっていく。
きっと生真面目に考えているんだろう。仕方のないひとだなぁ。
とはいえ、彼女は落ち着いたようにみえる。
これならもう寝られるんじゃないか?
ずいぶん話し込んでいたから時間も遅くなっている。
昨夜の熱がぶり返してもいけないし、寝させよう。うん。そうしよう。
「とりあえず」
ひょい、とお姫様抱っこをして椅子に座る。
「ひゃ」とちいさな悲鳴をあげた彼女を膝に乗せ、ぎゅうっと抱き込んだ。
「今日はもう遅いから、寝よ?
貴女が寝るまでこうしてるから」
ポンポンと背中を叩いてやる。
ポン。ポン。
心臓の鼓動のように。
落ち着かせるように。
「好きだよ」
ポン。ポン。
俺の気持ちを刻むように。
信じてもらえるように。
「大好きだよ」
ポン。ポン。
俺を受け入れてもらえるように。
愛おしいかわいいひとは次第に俺の肩に頭を預け、力を抜いた。
なにもかもゆだねてくれる様子にますます愛おしさが増す。
調子に乗ってそっと額にキスをする。
「おやすみ」
抱きしめて頬に頬ずりする。やわらかい。あたたかい。かわいい。大好き。
口にキスはまだ早いかな。
びっくりして起きたらまずいもんな。
それはまた今度しよう。うん。絶対しよう。
とろんとしてきた目を見つめているだけで、かわいさのあまり頬がゆるむ。
愛おしすぎる。なんだこの生きもの。かわいすぎないか?
ポン。ポン。と一定リズムを刻みながら彼女の額に、頬に、キスを贈る。
「好きだよ」
「そばにいさせて」
「大丈夫だよ」
そんなことをささやいているうちに、彼女はすうっと眠りに落ちていった。
トモの前前世である智明のおはなし『助けた亀がくれた妻』をお読みいただいて今回のおはなしを読んでいただくと、よりお楽しみいただけると思われます。
生まれ変わっても変わりません。