第七十一話 帰還二日目 挨拶に行こう
朝食を終えた俺達は離れに戻り、リビングで話をすることにした。
この離れに置かれているものは自由に使っていいと言われている。
なので、勝手にコーヒーを淹れてそれぞれに出す。
俺と黒陽はブラック。竹さんは砂糖とミルクを一緒に渡したら両方ダバダバ入れていた。
あ、甘そうだね。
「今日はなにをする予定だったんだ?」
黒陽にたずねると、器用に猪口を口に運んでいた亀はそれを置いた。
「ちょうど昨日、京都の結界の確認が一通り終わったところなんだ」
その報告に戻ったら俺がいたと。
竹さんがアイテムボックスから書類を取り出し見せてくれた。
地図に番号が振ってあり、別紙の一覧表に内容が書いてある。
どんな状態だったか。どのように対処したか。
「わかりやすくまとめてありますね」そう褒めると、彼女はうれしそうに、照れくさそうに微笑んだ。
「晴臣さんとヒロさんが紙を用意してくれました。
だから私は言われたとおりに書き込んだだけです」
そうは言うが、一箇所一箇所丁寧にちみちみと書いてある。
生真面目な性質が見えて愛おしい。
それによると、かなりの場所で結界がゆるんでいたり機能していなかったりしたようだ。
蒼真様が言っていた、この『世界』の霊力量が減っていること、それに伴い高霊力保持者が減っていることが原因だろう。
今回竹さんが調べて対処すべきところは対処したので、しばらくは大丈夫そうだ。
今後どうするかはハルが考えることだろう。報告は済んでいるというし、放っとこう。
「そういえば例の話どうなった?」
「どれだ?」
「俺がデジタルプラネットの依頼で走ってたルートがなにかの陣になってるんじゃないかって話」
そこまで言うと黒陽も「ああ」と思い出した。
「あのあとタカが調べてくれたんだがな。
結論から言うと、まだわからない」
「『わからない』?」
「なんでも『そのデータの場所まで潜れない』らしい」
「あー」
そりゃそうか。
開発中のマップデータなんて、極秘中の極秘だ。
そう簡単にハッキングできるもんじゃないだろう。
向こうもかなりの迎撃システム用意してたしな。
「だが、現行の『バーチャルキョート』で使われている陣については集まりつつある」
そう言って黒陽が資料を出してくれた。
ネットにあがっているサイトや画像から陣だけを抜き出し、どんな場面で使われていたか、何のための陣かの注釈が入っている。
そのうえで『転移系』『攻撃系』『守護系』などと体系付けてまとめてくれている。
「………こーゆーの、言語学者とかなら理解するのかもしれないが……」
ちょっと俺には無理だな。
陰明師で札に慣れてるハルと、学都白蓮出身の西の姫が色々考えていると教えてくれる。
「お前が協力してくれたら『潜れる』かもとタカが言っていた」
黒陽の言葉に「どうかな」と曖昧に笑っておく。
離れていたのは『こちら』の時間にして十日ほどだが、一週間も離れていたら全然対応できなくなっているのがデジタルの世界だ。
なんといっても俺自身に三年のブランクがある。
期待に答えられるような働きができるかは疑問だ。
まあ徐々に慣らしていくか。
タカさんにくっついて仕事をこなしていくうちに勘も戻るだろう。
『バーチャルキョート』やデジタルプラネットについての調査の報告書はハルが持っているという。またあとで見せてもらおう。
「で、今日はなにをする?」
「そうだなぁ」とつぶやいて黒陽は少し考えていたが、ポンとその短い手を打った。よく届いたな。
「挨拶に行こう」
「「は?」」
竹さんまでキョトンとしている。
挨拶?
「どこに?」
「あちこちの神や『主』に」
「は!?」
なに言い出したこの亀!
「姫の『半身』を紹介しておかなくては。
今後護衛としてつくこともな」
竹さんが寝ている間に黒陽には話をした。
竹さんに『俺は貴女の「半身」だ』と話したことを。
万が一問題が起きる可能性もある。
守り役である黒陽には伝えておく必要があった。
黒陽は怒ることも咎めることもなかった。
ただ「そうか」と言っただけだった。
あまりにもあっさりとしすぎて拍子抜けしたほどだ。
「結界の調査結果の報告も行かねばならなかったから。丁度いい。いいですね姫」
テキパキ決める黒陽に対して竹さんは「えと、あの」と動揺している。
動揺しながらもちらりと俺に目を向けた。
ああ。俺の心配してくれてるのか。やさしいなぁ。かわいいなぁ。
――仕方ないな。彼女を困らせるわけにはいかない。
「――わかった。どこから行く?」
俺の返答に竹さんは目をまるくし、黒陽はニヤリと笑った。
「あそこと、ここと」と黒陽が挙げるのを頭の中の地図に落としていく。
「手土産は?」
そう聞くと黒陽も竹さんも愕然とした。
……持って行ったことないんだな。
「……今まではどうしてたんだよ」
聞くと、霊力を献上したり竹さんが笛を演奏したりしていたらしい。
「それなら必要ないか」
そう納得するとうっかり主従は目に見えてホッとした。
「竹さんと黒陽はそれでいいけど、俺はそういうわけにはいかないからなぁ……。
ちょっと酒でも買ってからにさせてもらえるか?」
そう言うと「いいぞ」と黒陽。
「そんな、トモさんが用意しなくても、私が霊玉作ります!
それか聖水作ります!
それでいいじゃないですか!」
あわてて竹さんが言うのがかわいい。
「そうはいきません。
『貴女の』『半身』として紹介してもらうのですから。
俺にもメンツというものがあります」
にっこり微笑んで彼女に告げる。
「カッコつけさせてください。
『貴女にふさわしい男だ』と思ってもらいたいんです」
彼女はきゅっと口を閉じ、眉を寄せてブスッとした顔で頬を染めた。
なんだ? 怒ってるのか? 拗ねてるのか? かわいいだけだよ?
「なに着て行こう? 竹さんはいつもの巫女装束だろ? 俺も着物のほうがいいか?」
「そうだな――あ。待て」
そう言うと黒陽はパッと服を取り出した。
「高間原で私が着ていた正装だ。
霊力を込めた特別な布や金属だから、勝手に丁度いい寸法になる。
これでどうだ?」
テーブルの上に広げられたその衣装は、パッと見、仏像の着ている鎧のようだと思った。
四天王とか帝釈天とかの天部の衣装。
立襟の上着はゆったりした袖。ズボンもゆったりデザイン。着心地もよさそう。これ素材なんだ? 絹みたいだな。
それにぴったり身体に合わせた鎧。
胸当てと肩当て、手甲と脛当て。
マントもついている。
黒ベースだが鎧には金の装飾が上品に施されている。
服も黒ベース。光に当てると地紋が見える。
これ、かなりいいものじゃないか?
「言っただろう。正装だと。
このくらいはまあ、当然だ」
「神や『主』に会うなら正装だろう」と言う黒陽。まあそれはそうなんだけどな。
「俺はありがたいけど……あんたはいいのか?」
「なにが?」
「俺があんたの正装を着てもいいのか?」
そう言うと、黒陽はあっさりとうなずいた。
「今は着れないんだから関係ない。
どうせ無限収納の中でかさばっていただけのものだ。
お前が活用してくれるならばうれしい」
そこまで言ってくれるなら、お言葉に甘えよう。
アイテムボックスに入れておいて、サイズぴったりに身にまとう術があるという。
それを教えてもらい、身につけてみた。
なるほど。サイズぴったりだ。
頭には額当て。鎧も思ったよりも重くない。
軽く身体を動かしてみたが動きに支障もない。
「ほう。似合うではないか」
「そうか?」
鎧に似合うも似合わないもないと思うけどな。
竹さんはどう感じてるか気になってちらりと目を向けると、なんだか顔を赤くして固まっていた。
「……竹さん?」
「ひゃ、ひゃい!?」
椅子に座った状態から器用に飛び上がる愛しいひと。
……どうした? 様子がおかしくないか?
「どうしました? まだ調子悪いですか?」
「い、いえ、あの、」
ぷるぷる震えてるよ?
発熱したのは昨夜のことだ。まだ病み上がりなのに無理して起きたから具合が悪くなったか?
「大丈夫ですか? また熱が出た?」
額に手を当てて熱を診ようとそっと手を伸ばしたら、彼女はバッと立ち上がった!
そのままバババッと後ずさる。
が、壁にぶつかり、そのまま壁に貼り付いた。
「………竹さん?」
「なんでもないです! 元気です!」
ぷるぷると必死に首を振る様子にムッとした。
ツカツカと距離を縮め、彼女を正面から見据えた。
「ひっ」とちいさな悲鳴を飲み込む彼女にまたもムッとする。
「竹さん?」
「は、はひ」
顔をそらすから両手で頬を挟み込み、俺に向ける。
「目をそらさないで」
お願いするとおずおずと目を合わせる彼女。くそう。かわいい。
「どうしました? 具合悪いならちゃんと言ってください」
「あ、あの、その、」
……埒が明かない。
そっと額に手を当てる。
手袋してるからわからない。
「黒陽。これ、どうやったら外せるんだ?」
見ると黒陽はげんなりとしか言いようのない様子でこちらを見ていた。
「……黒陽?」
「……姫は大丈夫だ。熱もない」
「だが」
こんなに顔赤いんだぞ? 具合も悪そうだし。
「お前に見惚れただけだ」
……………は?
見惚れた? って、なんだ?
……………惚れた?
惚れた!?
バッと彼女を見ると、さっきよりさらに赤い顔で黒陽をにらみつけていた。
目に涙が浮かんでいる。
俺の視線に気付いた彼女はハッとしてうろたえた。
「あ、あの、その、」
「……具合は、悪くない、ですか?」
コクコクとうなずく彼女。
え? じゃあ、本当に?
「……似合います、か?」
試しに聞いてみたら彼女はコクコクとうなずいた。
信じられなくてじっと彼女を見つめていると、彼女はそっと視線をそらし、ちいさくつぶやいた。
「……………すごく、カッコいい、です」
「―――!!」
竹さんが!
竹さんが俺のこと『カッコいい』って!!
夢か!? 幻聴か!? 妄想か!?
その可能性に思い至り、自分の頬を拳で殴ってみた。いたい。
「と! トモさ! なにして」
アワアワと慌てる彼女が愛おしい。
てことは?
夢じゃない?
「……ホントに?」
問いかけるとコクコクうなずく彼女。
「―――!!」
めっ………ちゃ、うれしい!!
ブワッと立ち上がった霊力を咄嗟に収める。落ち着け。落ち着け。でも、ああ! うれしい!!
「――うれしい、です」
「………それ、は、その、よかった、です」
赤い顔で恥ずかしそうに視線そらせるの反則! かわいすぎる!!
思わず顔を両手でおおってしゃがみ込んでしまった。
「あ、あの……?」
「姫。しばらく待ってやりなさい。
貴女に褒められて喜んでいるだけですから」
呆れたような黒陽の声が聞こえたけど、文句も言えなかった。
だってそのとおりだから!
もう! もう!! 俺の『半身』、かわいすぎる!!
叫び出さなかっただけ褒めてほしい。
どうにか精神を落ち着けて立ち上がったときには彼女はまだ顔を赤くしていた。
ブスッとしてそっぼ向いてるのかわいい。
かわいいが止まらないんだが。
どうしたらいいんだこれ。
かわいいひとに赤くなるのを抑えられず、またしてもうずくまってしまった。
黒陽のため息が聞こえたけど、文句ひとつ言うこともできなかった。
どうにか体勢を立て直しもとの服に戻し、冷たい麦茶を一気に飲んだ。
ちょっと落ち着いた。
同じように麦茶を飲んだ彼女も落ち着いたらしい。顔色がもとに戻った。
そうしてようやく挨拶行脚にでかけた。
一応ハルに連絡をした。
なんか用事や言付けがあればついでにしようと思ってのことだ。
ハルからは「よろしくお伝えしておいてくれ」とだけ返事が来た。
持っていく手土産として酒と、有名店のアイスを勧められた。
「暑くなってきたからな。状態保存かけてお渡しすれば大丈夫だろう」
この前の蒼真様の『チョコレート爆発』のあと事情説明におもむいた先々で「献上を許す」と言われたらしい。
言われるままにチョコを献上して、喜ばれたと。
だから「めずらしい菓子のほうが喜ばれるかもしれない」とのハルの見解だった。
なるほどな。氷菓はお供えできないもんな。溶けるから。
じゃあ、とまずはデパートに行く。
アキさんと蒼真様が同行してくれて、あれもこれもと手配してくれた。
洋菓子売場で竹さんは目をキラキラさせてショーケースに釘付けになっていた。かわいいしかない。
特に注視していたものをこっそりとアキさんに追加注文してもらう。
「夕ごはんのあとに食べましょうね」と、他の家族の分も買っていた。
「蒼真ちゃんとコンちゃんがいるから大丈夫」というアキさんを「一旦離れに戻りたいから」と説得して一緒にタクシーで御池のマンションに戻る。
これでもこのひとは安倍家の嫁だ。
どこでどんな輩に狙われるかわからない。
「お茶していったら?」と誘ってくれるアキさんに「遅くなるから」と断って離れに移動する。
そこからあちらの神域、こちらの『要』と黒陽に引っ張られるまま挨拶してまわる。
神様も神使も『主』も、『俺』をご存知の方は多かった。
なんでも『智明』のときも『青羽』のときも竹さんのために聖水を作っていたらしく、そのときに知り合いになったという。
竹さんを喪ってからもせっせと献上していたと。
「先触れをしてくる」と先に黒陽だけが神様や『主』に会い、俺と竹さんの事情説明をしてくれた。
俺は前世の記憶がないこと。
竹さんは『半身』の記憶を封じていること。
だからどなたも俺と竹さんが神域にお邪魔すると、初対面の挨拶を鷹揚に受けてくださった。
献上した酒もアイスも喜ばれた。
アイスは「次もまた持ってくるように!」と強めに言われた。
お気に召したらしい。よかった。
竹さんが霊力献上して、笛を演奏した。舞も献上した。
巫女装束で行われる舞や笛はまさに絵巻物の世界で、その見事さもあって見惚れた。
面倒に思われた挨拶行脚だったが、思いのほか楽しい時間を過ごした。