第七十話 帰還二日目 新生活のスタート
『こっち』に帰って二日目。
朝早くからヒロが来た。
「朝の修行するんでしょ? 一緒にやらせてよ」
あの鬼の一件以来、ヒロも黒陽達に鍛えてもらっているという。
あの鬼は『バーチャルキョート』では『中ボス』扱いだったらしい。
つまり、これから出現が予想されている『ボス鬼』は、とんでもなく強いということ。
対峙したときに生き残れるように修行をつけてもらっているとヒロが教えてくれた。
ちなみに年少組のところにも守り役達が行っては修行をつけているという。
ナツは仕事があるだろうに。
え? 時間停止の結界張ってその中で修行してる? そこまでするか?
「『世界』の霊力量が少ないから、爆発的に伸びるとかできないんだって。
だから地道に、少しずつ鍛えてもらってる」
なるほどな。
走りながら俺が『白楽様の高間原』でどんな修行をしてきたか話をした。
『向こう』の連中にいいようにオモチャにされていた話に、ヒロもドン引きだった。
「……でも、そのアヤシイ薬のおかげでそれだけ霊力増えてるんだよね……」
「『器』も大きくなってるよね」と問われ「まあな」と答える。
ヒロは深刻な顔つきで黙ってしまった。
蒼真様に頼んで行く気かもしれない。
「ホントに大変だったんだよ。内蔵グチャグチャにされてんじゃないかってときもあったし、骨くだけてんじゃないかって激痛に襲われたときもあった」
だから一応黙っておくつもりだったこともバラしてみた。
それでもヒロは『やめる』と言わなかった。
軽く山を駆け、ふたりで打ち合った。
ヒロは本気で来ていたが、あの無茶苦茶な師範達数人がかりの修行に慣れた俺には十分あしらえるものだった。
汗だくになったヒロが悔しそうにしていた。
これでも三年修行してきてんだよ。ごめんな。
竹さんのために「聖水作りを教えてくれ」とヒロに頼み、少し離れた滝に行く。
中二の春の地獄の修行で打たれた滝だ。
「ここの水はそのままでも清浄で霊力たっぷり含まれてる」
ペットボトルに水を汲み、浄化をかけてから霊力を圧縮する。
こうしていつもヒロがくれる回復用の聖水が出来上がる。
水属性の竹さんにはなによりの薬になるだろうと言われ、せっせと作る。
水属性でもない俺がこんなことできるのは、錬成能力に長けた金属性だから。
まだガキの頃から同じ金属性のばーさんから錬成を教わっていたから、ヒロの説明と実演ですぐに聖水作りを習得した。
汗を流して竹さんの部屋に行く。
ノックに「はい」と返事があった。
起きてる?
許可を得て扉を開けると、制服風の服を着た竹さんが立っていた。
「おはようございます。具合はどうですか?」
かわいいひとは恥ずかしそうにうつむいた。
「あの、もう、大丈夫です。――ご心配をおかけして、すみません……」
「ホントに?」
そばに寄って、額に手を当ててみる。
確かに熱はなさそうだ。
だが、その顔をのぞくと赤くなっている。
「……竹さん?」
「ひゃ、ひゃい」
「……やっぱりまだ具合が良くないんじゃないですか? 顔、赤いですよ?」
「そ、そ、それは、その、あの」
うつむいたままもにょもにょと埒のあかないことを言っている。
……なにか隠してる? やっぱり具合が悪いのか?
「竹さん?」
逃げないように頬を両手ではさみ、上を向かせる。
目を合わせて話がしたいのに、彼女は右を見て左を見て、ぎゅっと目を閉じてしまった。
「竹さん?」
口もぎゅっと閉じた『話をしません』の態度にムッとした。
「なんで目を合わせてくれないんです?」
反応なし。くそう。なんだよ。
「……なにか怒ってます?」
ぷるぷると首を振ったのがわかった。怒っているわけではないらしい。
「じゃあ何? やっぱり具合悪いんですか?」
これにもぷるぷる首を振る。じゃあなんだ?
「……俺、なにか、嫌がられること、しましたか?」
俺が嫌なのか? 顔も合わせたくないのか?
その可能性に泣きそうになり、情けない声が出た。
竹さんも俺の声色が変わったことに気付いたのだろう。おそるおそるというように瞼を開けた。
――ぐっはあぁぁぁ!
上目遣い! しかも目が潤んでる!
かわいい! かわいい! かわいい!!
そしてハッと気付いた。
なんてことだ。勢いとはいえ、俺、こんなかわいいひとの頬に触れている!
肌、すべすべだな! なんだこの手に吸い付くような感触は!
おまけにふんわりしててふにふにしてやわらかい!
ああ! もう! こんなの、キスするしかないだろう!
そのまま顔を近づけようとしたそのとき。
「……その……、」と、彼女が細い声を出した。
イカン。そうだ。話の途中だ。
ハッと意識を切り替える。
じっと彼女の目を見つめると、耐えかねたのかそっと目をそらされた。
「『その』、何です?」
追い打ちをかけるとまた目を閉じる彼女。
「俺の目を見てください」とお願いするとビクリとちいさく跳ね、おずおずとまた瞼を開けた。
――くっそぉぉぉぉ!! だからかわいすぎんだよ!!
ぎゅうぎゅうに抱きしめて『ごめん! 俺が悪かった!』って意味もなく謝りたくなる!
ああもう! なんだよ! なんでそんなにかわいいんだよ!! かわいすぎて泣きそうだよ!
泣きたいのも叫びたいのもグッとこらえてなんでもない顔を作っていたが、彼女にはなにか気付くことがあったらしい。
俺の顔を見て、ちょっと眉を寄せた。
「その、ごめんなさい」
「なにが?」
「あの、その」
「なに?」
彼女は困ったようにまた視線をさまよわせ、うつむいてしまった。
顔が赤い。やっぱり具合が悪いのか?
「竹さん」
呼びかけるとまたちいさくビクリとする彼女。
「お願いだから、俺には正直に言ってください。
『俺がウザい』でも『俺がムカつく』でも、なんでも言ってください」
言われたら泣いてしまうかもしれないけど。
「言ってくれないとわからない。
俺は晃みたいに『触れているだけで相手の考えていることがわかる』なんて能力ないから。言ってくれないと俺、わからない」
俺が真剣だとわかってくれたのか。
彼女はそっと俺と目を合わせてくれた。
「俺にはなんでも言って?
嫌なことも、つらいことも、言いにくいこともなんでも言って。
直すところは直すから。
だから、そばにいさせて?
我慢なんかしないで」
そばにいたい。ただ、そばにいたいんだ。
そう願いを込めて彼女に伝える。
俺の気持ちが伝わったのか、彼女はへにょりと眉を下げ、困ったように視線を下げた。
「……………あの……………」
「うん」
「……………手、を……………」
「『て』?」
て? 手? 手がどうした?
「……………その、急に、触れられたので、あの、びっくりしたと言うか、その、」
「……………恥ずかしい、です……………」
「……………」
「!」
バッと両手を離した!
『降参』みたいなお手上げポーズになったのは狙ってのことではない。
赤くなってうつむく彼女につられるように俺まで赤くなっていく。
己の行動を振り返る。そうだ。許可もなく額に触れた。おまけにふにふにの頬を堪能した。
え? 俺、ヤバい奴?
そこでハッと気付いた。
このことか!
晃が言ってたのはこのことに違いない!
『半身』が『受け入れて』くれたら『始終くっついていたくなる』
晃はそう言っていた。
まさにそのとおり。
考えることもなく、自然に、なんの迷いもなく、彼女に触れていた。
そうするのが当然であるかのように。
三年前はあんなになにもできなかったのに。
てことは。
やっぱり竹さんは『俺』を『受け入れて』くれてる――?
そう理解した途端、ブワワワーッ! と喜びが吹き上がった!
身体中をあたたかな風が舞い踊っている!うれしい! うれしい! しあわせだ!!
浮かれている俺に気付くことのない彼女が顔を上げた。
「なんでトモさんは私に触れられるんですか?」
「は?」
意味がわからない俺に竹さんはさらに問いかけてくる。
「私、常に結界をまとってます。
意識があるときでもないときでも、私が『触れよう』『触れてもいい』と思わない限り、弾くはずなんです」
そうなのか。
「すごいですね」と感心したら彼女はちょっと眉を寄せた。
お望みの答えではなかったらしい。
「なのになんでトモさんは私に触れられるんですか? 昨日も、今も」
「……………それは……………」
『半身』だからじゃないですか? と答えようとして、思い出した。
そういえば昔ハルが言っていた。
『白楽様の世界』に迷い込んで一度帰ってきたとき。
黒陽の『承認』を受けた人間ならば竹さんに触れられると。
俺の前前世――『智明』のときに受けた『承認』が生まれ変わっても生きていると。
それか?
それだろうな。
だが、そのことを説明するわけにはいかないな。
彼女は『半身』の記憶を封じてある。
昨日の話では問題なかったようだが、なにがきっかけで封印が解けるかわからない。
うーん。なんと説明しよう。
「……以前ウチに来られたとき、眠った貴女をお世話するのに黒陽が『承認』してくれました。
だから触れられるんじゃないですか?」
その説明に彼女は納得したらしい。同時に「もう! 黒陽は!」とぷりぷり怒り出した。
「そういえば黒陽は?」
いつもそばにいる守り役がいないことにようやく気がついた。
「着替えの間は出ていってもらっていました。
リビングにいませんか?」
シャワー浴びてから直接竹さんのところに来たからリビングはのぞいていない。
ふたりでリビングに行くと、黒陽はヒロと話をしていた。
「ああ。姫。支度はできましたか」
黒陽は竹さんを確認し、俺にも挨拶してきた。
そのまま四人で御池に移動して朝食をいただく。
今日はハルとヒロは学校、保護者達は仕事。
つまり竹さんとふたりきり。
そう考えただけでうれしくてニヤけてしまう。
「黒陽様もおられるだろうが」
そうでした。
イカンイカン。すぐに竹さんでいっぱいになってしまう。
修行しても治らないなコレ。どうしたもんかな。
そんな俺にハルは呆れながらも笑っていた。
「……これは、考え直さないといけないわね……」
並んで食事をする俺と竹さんをにらみつけて千明さんが不穏な発言をした。
何事かと首をひねる俺達をよそに、千明さんは保護者とヒロを招集した。
「トモくんが一緒に動くとなると、『はぐれた修学旅行生』の設定がおかしくない?」
「確かに」
竹さんはひとりで(正確には黒陽とふたりで)あちこちウロウロしていた。
そのときに怪しまれないように『はぐれた修学旅行生です』という体で、制服に見える服装で活動していた。
だが、俺が一緒となると『おかしい』という。
まあ俺、三年修行してきてほぼ二十歳だしな。
再会した全員が「大人になった」というくらい顔つきも変わったしな。
「トモくんが一緒なら『大学生カップル』のほうがよくない?」
「『社会人の休日デート』でもイケそうよね」
――カップル!? デート!?
そんな! 俺達、そんなふうに見えるのか!?
こ、ここ、恋人同士! に、見えるのか!!
「落ち着け阿呆。あくまで『設定』の話だ」
ハルの冷静なツッコミに浮かれた気持ちがしぼむ。
「どっちにしても、この制服風の服よりも、もっとカジュアルで、ちょっと大人っぽくて、それでいてかわいいデート服のほうが怪しまれないんじゃないかしら」
「そうね。
それならトモくんの服もそれっぽいほうがいいかしら? これでも悪くはないけど」
「あ。トモの服は一応こんな感じで三着ずつ買った」
「ならそれに合わせて竹ちゃんの服も考えたいわね」
「ちょうどそろそろ衣替えしようって話してたところだから。
『デート』とか『おそろい』みたいに選んでいきましょう」
「そうね。じゃあ早速今日行きましょう」
竹さんがポカンとしている間に話がどんどん進んでいく。
竹さんがハッと気付いたときにはもう服を買うことが決まっていた。
「ま、待ってください! 服はもうたくさんいただいてます! これ以上は――」
「今あるのは冬物と春物でしょ? もうそろそろ季節外れよ」
「季節外れの服着てたらおかしいわよ?」
『そうだ!』と竹さんにも納得できたらしい。
そして竹さんはわかりやすく落ち込んだ。
「だって、もう今までだってたくさんいただいてるのに……」
「対価はちゃんと払ってくれてるじゃない。気にしないの!」
それでもグズグズ言っていた竹さんだったが、「季節外れの場違いな服着て目立つのと、目立たない服着るのと、どっちがいい?」と迫られて諦めた。
そうか。こうやっていつも丸め込まれているのか。俺も参考にしてみよう。
そうして楽しそうな母親達の前で竹さんはひとりガックリと落ち込んでいた。