第六十七話 買い出しへ
抱きしめて竹さんを満喫していたら、ふ、とその身体から力が抜けた。
どうしたのかと心配になりそっと顔をうかがうと、目を閉じていた。
………寝てる?
鬼ごっこの疲れが出たのか?
泣いたからか?
……………かわいい……………。
かわいい。かわいすぎる。
なんだこの安心しきった顔。
俺になにもかも預けるようにもたれかかって、油断しまくって眠ってるなんて。
しあわせだ。しあわせすぎる。がんばってよかった。
ぎゅっと抱きしめじんわりとしあわせに浸っていたら、ひょっこりとヒロが顔をのぞかせてきた。
『寝た?』
起こさないようにだろう。口の動きだけでそう聞いてきたのでうなずく。
『ベッドに寝させよう』
ちょいちょいと指差す方向が竹さんの部屋なのだろう。
お姫様抱っこに抱き上げてヒロのところに行くと、そこにはハルもアキさんもいた。
当然黒陽も蒼真様も。
「とりあえずお部屋へ」とアキさんにうながされ、竹さんを部屋に運ぶ。
ベッドに横にさせると「まわれ右」を命令された。
「黒陽様」とアキさんが声をかけ、ゴソゴソなにかする気配のあと「戻ってよし」と声をかけられた。
まわれ右で竹さんに向き直ると、布団をかけられ眠っていた。
ああ、パジャマに着替えさせたのか。
黒陽と蒼真様が竹さんの様子を診る。
「この調子だとしばらくしたら熱が出るよ」と蒼真様が言い、解熱剤だと黒陽にちいさな瓶を渡した。
俺の様子をずっと視ていた蒼真様と黒陽によると。
竹さんのあの戦闘モードは、術で底上げした状態らしい。
身体強化をかけまくり、動きを補正する術や反応速度を上げる術やらもかけていたと。
そのうえで動きを早送りする術をかけていた。
だからこそあれだけの剣戟の応酬ができたと説明される。
「本来のあの剣舞は、もっとゆっくりとゆったりと舞うものなんだ」
なんでも高間原で黒陽の妻から教わった舞のひとつらしい。
そのスピードを上げ、反応速度を上げ、戦闘に対応させたのだという。
「術や霊力だけで対抗できないときもあったからな」
なにがあったのか気にはなったが、とにかく戦闘力も必要だとなったときに工夫したものだと黒陽が説明する。
「普段貧弱なひとが急にそんな動きしたら、いくら術の補助があったって身体がついていかないからね?」
蒼真様によると、竹さんは元の身体が貧弱すぎるので、身体強化をかけていてもあとから筋肉痛などの副反応が出るのだという。
発熱もそのひとつだと。
「薬飲んで大人しくしといたら大丈夫だから」と特に処置することなく診察は終わった。
この『離れ』と呼んでいる建物は、ハルが姫達を迎えるために建てたものらしい。初めて聞いたぞそんな話。
これまでに何度も姫達の活動の本拠地を提供してきているハルは、生まれ変わってすぐに姫達の状況を確認した。同時に安倍家の状況も。
当時の安倍家に姫達を迎えるにふさわしい建物がないとわかると、新しく建物を建てることを決めた。
それにあたり、姫達の部屋と、側仕えの部屋を想定して設計させた。
それで個室や四人部屋やらあるのか。
合宿所とか研修施設とかの想定かと思ってたよ。
個室が四部屋。二人部屋が二部屋。四人部屋が二部屋あるこの離れは、説明されれば四人の姫とその世話をする人間のための建物だとわかる。
現在はその個室のひとつを竹さんが使い、もうひとつに竹さんの姿をした式神を寝させている。
竹さんの今生の両親には、竹さんは霊力過多症のためずっと眠り続けていると説明しているとヒロが教えてくれる。
昨年末、たまたまヒロが倒れた竹さんを見つけ、自宅に連れ帰ってからずっと眠っていることになっていると。
竹さんのご両親は娘を心配して、二日に一度はこの離れに来ているらしい。
アキさんが対応してこの式神に会わせ「まだ目覚めません」と神妙な顔をしてご両親を励ましていると教えてくれる。
ご両親がこの離れに来る時間はたいてい竹さんは出かけているので会うことはないらしい。
その『竹さんの姿をした式神』を見せてもらった。
ベッドに横たわる姿は竹さんそのままで、それなのに『抜け殻だ』とわかるものだった。
呼吸はしている。
触れたらぬくもりもある。
それでも、これは『ちがう』。
竹さんじゃない。
竹さんの姿をした『抜け殻』だ。
――不意に、ばーさんを、じーさんを思い出した。
死んで、魂の抜けた身体。
そこにあるのに、それはもうばーさんじゃなかった。じーさんじゃなかった。
――死
竹さんも、いつか、こうなる――?
「トモ!」
激しく肩をつかまれハッとした。
ハルがしかめっ面でそこにいた。
「間違えるな。それは姫宮じゃない」
言葉が脳に留まらない。どうにかのろりとうなずく。
いつの間にかベッド横にしゃがみこみ、竹さんの姿をした式神にすがりついていた。
なんとか身体を引き離す。手がブルブルと震えて止まらない。寒気もする。
あれ? 俺、風邪でもひいたのか?
声も出ない俺にハルはひとつため息を落とし、腕をつかんで竹さんの部屋に引っ張って行った。
眠る竹さんの姿を目にした途端、膝から崩れた。
ああ。生きてる。生きてる!
涙が出そうになるのを必死にこらえ、どうにか枕元にたどり着き、そっとその頬に触れた。
竹さんだ。ちゃんといる。抜け殻じゃない。
「ほぉー……っ」
大袈裟なくらいのため息が出た。
よかった。生きてる。生きてる。
そのまま布団の上からぎゅっと抱きしめた。
「生きてる」
ぽろりとこぼれた言葉に誰も返事をしない。
「生きてる」
ぎゅっと抱きしめ、布団に顔を埋めた。
安心したら涙が出てきた。
しばらく竹さんにすがりついて泣いた。
安心しても泣けるなんて初めて知った。
ようやく竹さんからから身体を起こすと、周囲には誰もいなかった。
ゴシゴシと顔をぬぐい、改めて竹さんを見つめる。
生きてる。大丈夫。生きてる。
そっと布団に隠れている手を探し、ぎゅっと握る。
まるでそうするのが当然のように、彼女の右手を握って霊力を注いだ。
早く目を開けて。元気になって。
いつものやさしい声で俺のこと呼んで。
好きになってくれなくていいから。
ただそばにいさせて。
一番近くで、貴女の笑顔を見させて。
祈りを込めて、願いを込めて、眠る彼女に霊力を注いだ。
しばらくするとその手が熱くなってきた。
息も苦しそう。そっと額に手を当てると、発熱していた。
蒼真様の言ったとおりになったな。
解熱剤をもらった黒陽を探しにリビングに行くと、思ったとおりリビングにいた。アキさんと蒼真様、ハルも一緒だった。
ヒロは御池に戻ったという。
竹さんが発熱してきたことを伝えると、解熱剤を飲ませに行った。
戻ってきたアキさんと黒陽と蒼真様、そしてハルと五人でミーティングをする。
テーマはもちろん竹さんの生活管理について。
現在の竹さんは、朝食と夕食だけを御池のマンションに食べに行っている。
朝食のときにアキさんがその日の昼食を持たせていた。
簡単に食べられるようにと、サンドイッチやおにぎりにして、ラップに包んで渡していた。
弁当箱でないから、毎食食べているかどうかわからなかった。が、今日のかまかけで食べていなかったことが判明した。
おそらくアイテムボックスに死蔵させているんだろう。困ったひとだ。
「朝と夜は今までどおり御池で一緒に食べてくれるとうれしいわ。もちろんトモくんもね」
「朝くらい俺、作るよ」そう言ったのだが「会えないとさみしいじゃない」と言われたら文句も言えなかった。
「日中は京都の結界を確認しているんだ。
それこそ『バーチャルキョート』に使われそうなところがないか、とかな」
なんでも『世界』の霊力が徐々に減っている関係か、結界も弱くなっているところが多いという。
単に清浄を保つための結界ならばそこまで問題にならないが、たまにとんでもないモノを封じた結界がある。
その結界がゆるんだり弱くなったりで、封じていたモノが出てくることがある。
俺達も安倍家から依頼を受けてそんなモノの討伐をすることがある。
「京都を囲む結界を強くしたことで中の結界も強くはなった。
霊力の流れも循環するようになった。
ほかにも気付いたことを調査しているんだ」
黒陽の説明に「なるほど」とうなずく。
「あとは『神』や『主』に挨拶に行ったり、霊玉を作ったりしている。
『災禍』に関する調査をしたいのはやまやまなんだが、あまり頻繁にデジタルプラネット周辺をウロウロしていると気付かれる可能性がある。
今のところ晴明の手のものに依頼するのが一番確実だな」
『災禍』の調査の進捗状況も聞いた。
未だに決定打となるものはみつかっていないらしい。
タカさんの調査に協力することを約束した。
竹さんの健康管理上で最も問題なのが『夜寝られない』こと。
これは俺がずっと竹さんと同行し、同じ建物に寝起きすることで落ち着くのではないかと黒陽もハルも期待していると言う。
少し前――俺にとっては三年前だが――雨の仁和寺で会った夜はぐっすりと寝たらしい。
その前に三日ほど毎日会っていたときもよく寝たと。
だから、俺を竹さんのそばに置いておけば、竹さんはよく寝て食事もキチンと摂るのではないか。
そうすれば元気になるのではないか。
保護者達も黒陽もそう期待している。
日中の行動はその日その日で違うようなので、昼飯はその場で決めることにした。
俺が離れの台所で作ってもいいし、竹さんのアイテムボックスに死蔵しているであろうアキさんの弁当を食べてもいい。もちろん外食してもいい。
どんな形でもいいから、一口でもいいから食べさせてくれと懇願される。
どんだけ食わないんだあのひと。仕方のないひとだなぁ。
とりあえずいつでも自炊できるように俺のアイテムボックスに材料を保管しておくことにしようと、買い出しに行くことになった。
「食材の買い物に行くなら、ついでに姫宮が眠っている間に色々整えよう」となり、タカさんが離れに来た。
久しぶりに会ったタカさんは俺を見てちょっと目を見はっただけで、いつものようにニッと笑った。
「元気そうだなトモ。よかったよかった」
そう言っていつものように肩を組んで頭をワシワシとなでてきた。
なんだか懐かしくて、されるがままになっておいた。
俺が竹さん付きになること、『バーチャルキョート』の調査も他の調査も協力することを伝えるとタカさんは喜んだ。
「トモが使えるなら色々進展するぞ!」と、早速機材を用意することになった。
買い物に来たのは車で少し走ったショッピングモール。
パソコン関係の機材と食品のついでに俺の日用品も買う。
前はタカさんと同じか少し低かった俺だが、今日会ったらタカさんよりも数センチデカくなっていた。
アイテムボックスに入れていた服は全部短くなっていた。
『宗主様の世界』からずっと着ていた服を、そこまで見た目のおかしくない服に着替えて買い物に行った。
同行してくれたタカさんが「お父さんが背が高いから息子さんも背が高いんですねぇ!」なんて店員に言われてデレデレしていた。
俺達、全然似てないのにな?
まあ四歳からずっと付き合いがあるひとだし、一応パソコン関係の師匠だし。
親子に見られてもおかしくない、のか?
あれもこれもと必要なものを買い揃え、パソコン関係は配達してもらうよう手続きをして、ようやく御池のマンションに戻った。