第六十六話 『半身』
全員が部屋を出ていき、ふたりきりになった。
かわいいひとは壁に貼り付いたままふくれてぷるぷるしている。
……かわいい。
駄目だ。彼女がなにをしても『かわいい』しか出てこない。我ながら重症だ。
「……竹さん」
声をかけるとぷいっとそっぽを向く。
かわいすぎか?
「とりあえず、話をしてもいいですか?」
努めて冷静に声をかけると、ようやく彼女はこちらを向いた。
むくれてるのかわいい!
「このまま話します? 座ります?」
へらへらとこぼれる笑顔をそのままに聞いてみる。
彼女は少し考えて「……どちらでも」と答えた。
「じゃあ、こちらで」とうながして椅子に座ってもらう。
向かい合わせにした椅子の片方に彼女に座ってもらい、その向かいに座る。
うつむいて顔も上げない彼女。膝の上の拳をぎゅっと握って、怒っているように見える。
「竹さんは」
まずはひとつずつ確認していこう。
「なにを怒ってるんですか?」
なにも答えない彼女に、俺が勝手にしゃべる。
「俺がウザいから?」
ふるふると首を振る。ウザがられてはいないようだ。よかった。
「みんなが言うこと聞いてくれないから?」
これには悩んだ末にうなずいた。
「俺を『貴女の世話係』にしたくない?」
これにはすぐにうなずいた。
「『災厄が降りかかる』から?」
うなずく。
……かわいい。
いや、今はそれは置いとけ俺。
「……俺のこと、心配してくれてる?」
うなずく。
「俺のこと、『弱っちい』『頼りにならない』男だと思って?」
この質問にようやく彼女は顔を上げた。
泣きそうな、痛そうな顔をしていた。
「……俺、頼りにならないですか?」
「貴女の負担になりますか?」
彼女は困ったように眉を寄せ、そうしてまたうつむいてしまった。
「………貴方が、負担とか、そういうんじゃ、ないんです」
ぽそり。ようやく彼女が口を開いてくれた。
「私が、ダメなんです。
私は『災厄を招く娘』なんです。
私のそばにいたら、不幸になる。
貴方がどれだけ強くても」
ああ。頑固だなあ。思い込み激しいなあ。
面倒くさい、困ったひとだなあ。
それなのに、そんなところも愛おしいと思うんだから俺も重症だよなあ。
さて。この困ったひとをどう論破してやろうか。
このひとのそばにいることがどれだけしあわせか、どうわからせてやろうか。
悩んで悩んで考えて、ひとつの答えを出した。
「――竹さんは『半身』て知ってますか?」
これは『賭け』だ。
これまで敢えて『半身』のことは口にしなかった。
俺が口にすることで彼女の記憶の封印が解ける可能性があった。
『智明』のことを、『青羽』のことを思い出した彼女がどうなるかわからなかった。
だから今まで言えなかった。
「俺と貴女は『半身』です」と。
だけど。
もうこれしかない。
彼女を納得させる材料はこれしかない。
彼女は頑固で生真面目で自己評価が低い。
だから『災厄を招く娘』なんてものを信じている。
彼女はやさしくて思いやりがあって奉仕精神にあふれている。
だから自分の重荷をひとに見せることはできない。
そんな彼女を納得させる、おそらく唯一の方法。
彼女のそばにいられるだけの理由。
のろりと顔を上げた彼女ににっこりと微笑む。
彼女は迷うような、考えるような顔をしていた。
だから昔ハルに聞いた説明をする。
「夫婦は元々ひとつの塊だった」
「ひとつの塊に陽と陰――つまり、男と女、二つの魂が宿ったけど、半分に分かれた。
だから、失った半分を求める。
そして再び出会えた二人は、お互いを『半身』と呼ぶ」
黙ったままの彼女の目を、まっすぐに見つめ、言った。
「俺は、その『半身』です」
「貴女の『半身』です」
彼女はキョトンとしていたけれど、見る見る目をまるくした。
ぱかりと口も開いた。
自覚なかったのか? 仕方ないな。このひとぼんやりだしな。
「貴女に初めて会ったときに、とらわれました。
そのときにわかりました。『半身』だと」
目も口もまんまるにした彼女にさらに説明する。
「貴女を抱きしめたとき『ひとつに戻った』と強く感じました。
俺は貴女の『半身』です。
だから、そばにいても大丈夫です」
「だって、もともとひとつだったんですから」
にっこりと微笑む。
どうかな。少しは自信満々に見えてるかな。
彼女は開いたままだった口をどうにか閉じて、じっと俺を見つめてきた。
真正面から見つめられてる! うれしい!!
三年間、ずっと彼女を想ってきた。
何度夢に見ただろう。
こうして目の前にいられるのが信じられない。
もしかしてまだ夢なんだろうかと心配になってきた頃、ようやく彼女が口を開いた。
「………『半身』………?」
「はい」
「………なんで、わかるの……?」
「貴女はわかりませんでしたか?」
呆然とつぶやく彼女に答えていく。
「抱きしめたときに、感じませんでしたか?
『ひとつに戻った』と。
『このひとだ』と。」
そう言うと、彼女はまたも見る見る目をまるくした。
心当たり、あるんだな。
よかった。『そんなの知らない』とか言われたらどうしようかと思った。
「それが『半身』です」
呆然とする彼女に「ちなみに」とさらに言う。
「晃とひなさんも『半身』です」
驚く彼女。かわいい。
「タカさんと千明さんも『半身』です」
驚きすぎて目が落っこちそうだよ。かわいいなぁ。
「で、俺と貴女も『半身』です。
『半身』だから貴女は俺をそばに置いても大丈夫です」
にっこりとそう言ったのに、彼女はきゅっと口を引き結んだ。
「ダメです」
……しぶとい。
「『半身』だろうとなんだろうと、貴方を巻き込むことはできません。
迷惑をかけることはできません」
「かけてください。
迷惑でもなんでも。
貴女のそばにいられるならなんでも受け入れます」
「ダメです!」
いつもの彼女からは考えられないくらいの強い拒絶に身がすくむ。
そんなに俺のこと嫌なの?
俺のこと、拒絶するの?
目の前が暗くなる中、彼女の声が届いた。
「――貴方には、しあわせになってもらいたい」
―――。
―――!
泣きそうな顔で、苦しそうな顔で、俺のしあわせを願ってくれるのか――!
キュウゥゥゥン!!
胸がぎゅうっと締めつけられた!
なんだこのひと。無自覚か!?
どれだけ俺のこと大切に想ってくれてんだ!
俺のこと巻き込みたくないのか。
俺のしあわせを一番に考えてくれてんのか。
ああもう! かわいすぎる! 好きすぎる!!
「――俺の『しあわせ』を願ってくれるんですか?」
信じられなくて、でも信じたくて、彼女にそう聞いてみた。
うつむいた彼女はコクリとうなずいた。
ズキュゥゥゥン!!
――くっっっそおぉぉぉぉ! かわいいぃぃぃ!!
なんだこのひと! かわいすぎるだろう!
そんな俺の心配ばかりして! 自分のほうが大変だろうに! ああ、もう! 好きが過ぎる!
どうしてくれようか。
このかわいいひとに、どうしたら俺の心配をさせずにそばにいることを認めてもらえるだろうか。
『半身』のこと言っても駄目だったしな。
あとはどう説得すべきか。
「―――竹さん」
そっと左手を伸ばし、彼女の右手に重ねた。
嫌がられなかったのをいいことに、その手をきゅっと握った。
「俺の『しあわせ』を願ってくれるなら」
彼女の手のぬくもりに、考えるより先に言葉が口からこぼれた。
「貴女が俺を『しあわせ』にしてください」
言ったあとでハッと正気に戻った。
『普通逆だろ!』『俺が彼女をしあわせにしたいのにナニ言ってんだ!?』と怒涛のセルフツッコミを脳内展開してしまった。
が、口に出したものはもう戻らない。
同時にふと気付いた。
自己犠牲精神にあふれ責任感が強い彼女にはこういう言い方をしたほうが受け入れやすいかもしれない。
……我ながらこれはいい発言だったかもしれない。このまま攻めてみるのもアリか……?
意を決して、さらにねだった。
「俺は貴女のそばにいたいんです。
貴女のそばにいられたら『しあわせ』なんです。
だから、そばにいさせてください。
俺を『しあわせ』にしてください」
彼女はうつむいたまま、俺に手を握られたまま、ただじっとしていた。
それでも葛藤しているのがわかる。
なにかをこらえるように、握った手に力が入った。
「……だって」
ようやく彼女が口を開いた。
「そばにいたら、不幸になる」
「ならないです」
即座にぶった切る。
「そばにいられないほうが不幸になります」
俺の言葉に、ようやく彼女は顔を上げた。
泣きそうな、情けない顔だった。
かわいくて愛しくて、抱きしめたいのをグッと我慢した。
「だって、災厄が」
「来てもいいです」
「でも」
握った彼女の手に力が入る。
「でも」
こらえるために拳になるはずたった手。
まるで俺にすがってくれているよう。
かわいい。愛おしい。守りたい。そばにいたい。
「そこまで言うなら」
そっと右手を握った手に重ねる。
彼女の右手を包むようにして、まっすぐにその目を見つめた。
「貴女が俺を守ってください」
彼女は驚いたのだろう。目をまんまるにして固まった。
「貴女の言う災厄が俺に降りかかると言うなら。
一番そばにいて、俺のこと守ってください」
ぱちぱちとまばたきをする彼女。
それが落ち着くと、今度はじっと俺を見つめてきた。かわいい。
「それなら、安心?」
あまりのかわいさにニマニマと笑み崩れる俺に、彼女は呆然としていた。
が、ハッとなにかに気付き、またうなだれた。
「―――だって――私――」
きゅ。手に力が入る。
「――もう、長く生きられない――」
――そうだね。
『長くて五年』。
あと少ししかそばにいられない。
だから。
「――それならなおさら。
そばにいさせて。
一分でも一秒でも、貴女のそばにいさせて」
のろりと顔を上げた彼女の目をのぞきこみ、訴えた。
「そばにいたいんだ」
ぎゅっと手を握る。俺の想いが届くように。
願いを込めて。祈りを込めて。
「なんで――」
「好きだから」
間髪入れずに宣言する。
彼女がひるんだ隙にたたみこむ。
「ずっと好きだった。
船岡山で出会ったあの日からずっと。
諦められなかった。忘れることなんてできなかった。
ただ、貴女のそばにいたい。
それだけ。それだけなんだ」
もう一度想いを込めて彼女に告白する。
伝わって。伝わって!
どうか、どうか!
祈りを込めてじっと彼女を見つめていたら、彼女は泣きそうな顔で口を引き結んだ。
なにかに葛藤して、そうして、ようやく口を開いた。
「――私には責務があります」
「知ってる」
「貴方を好きになるわけには、いきません」
「いいよ」
「それでいいよ」
俺の言葉に彼女は驚いたようだった。
なにかを言おうとして口を開き、なにも言葉にならずまた閉じた。
その口が震えていた。
俺の手の中の彼女の手も震えていた。
「好きになってくれなくていいよ。
そばにいられるだけでいいよ。
俺が勝手に好きなだけだから。
だから、貴女は俺のことを、好きにならなくて、いいよ」
潤む目をまっすぐに見つめ、願った。
「そばにいさせて」
「貴女がうれしいとき。楽しいとき。苦しいとき。かなしいとき。
いつでも一番そばにいさせて」
『長くて五年』しかそばにいられない。
それなら、少しでもそばにいたい。
このひとの痛みも、苦しみも、全部やわらげたい。
「俺が勝手に好きなだけだから。
貴女は好きにならなくていいから」
にっこりと微笑む俺に、彼女は顔をゆがめた。
懸命にこらえていた涙が一粒落ちた。
「ただ貴女のそばにいさせて」
そっと手を伸ばし、落ちた涙をぬぐう。
やわらかい頬に、さらに涙が落ちた。
ポロポロ涙をこぼす彼女が愛おしい。
ぬぐってもぬぐっても涙が落ちてくる。
あまりのかわいさに握っていた手を離し、彼女の脇に手を入れて椅子から立たせた。
そのまま俺も立ち上がり、ぎゅうっと抱きしめる。
ああ。愛おしい。
俺の『半身』。俺の唯一。
彼女は怒ることも嫌がることもなく、大人しく俺の胸に抱かれている。
抱きしめた彼女の頭が以前よりも低いところにあるのに気づいた。
あ。俺、背伸びたんだな。
ようやくそれを実感した。
抱き合っていると湧き起こる『ひとつに戻った』という感覚。
このひとだと。唯一だと。
魂が震える。理屈でなく、わかる。
「――わかる?」
そっと彼女に問いかけると、しばらくしてちいさなうなずきがあった。
よかった。
『わからない』とか言われたらどうしようかと思った。
このひとぼんやりだからわからない可能性もあったんだよな。
「――俺は貴女の『半身』だよ」
ぎゅうっと抱きしめる。ああ。溶ける。
「貴女の背負っているものを、一緒に背負わせて」
「貴女のことを教えて」
「俺達は『半身』だから」
「俺は大丈夫だから」
「貴女のそばに、いさせて」
「好きだよ」
「大好き」
ぽろりぽろりと言葉があふれて落ちる。
愛おしくて、ただ愛おしくて、腕の中のぬくもりを抱きしめた。
彼女はなにも言わなかった。
なにも言わず、ただ涙を落としていた。
俺にすがることもなく、俺を拒絶することもなく、ただ大人しく抱かれていた。
それに気をよくして彼女を抱きしめた。
少し低くなった彼女の耳元にずっと言葉を投げかけた。