第五十九話 帰還
新章です。
トモ視点に戻ります。
あれから三年が経った。
俺はどうにか宗主様達の合格をもらい、この『異界』を出ることになった。
正直、よくがんばったと自分でも思う。
そのくらい宗主様達は俺をオモチャにしてくれた。
俺には研究畑の知り合いがいる。
両親からして研究者だし、じーさんばーさんの関係で知り合った人達にも研究者は多い。
だから研究者という人種がどういう種類の人間かはわかっているつもりだった。
だが、宗主様達は俺の予想以上だった。
生まれ育った世界も時代も違うから仕方ないのかもしれない。
人権? なんだそれ? というひと達ばかりだった。
「強く強くなりたいんだろう?」「竹様にふさわしい男になりたいんだろう?」と、さも『俺のためにわざわざ修行つけてやっています』という顔をして、その実『高間原から五千年経った世界』の人間のデータを取りまくっていた。
霊力量の変化。食事によって変化があるか。どの修行が効率よく霊力を上げられるか。霊力を一気に入れた場合の耐性や変化。骨格や筋肉について。血液中の成分について。
研究者と研究者を混ぜると危険だとは聞いていた。だがあいにく俺はそこまでツッコんで研究について研究者達と話すことがなかった。
学都白蓮の宗主様達のところに医学薬学に特化した青藍の人間を置くのは自然といえば自然な流れだったのかもしれない。
だが、被験者にとっては「勘弁してくれ!」の一言だよ!
毎日採血された。毎日筋肉量ならなんやらを計られた。毎食アヤシイものを食わされ飲まされ反応を検証された。
「もうちょっと数値が伸びないかな?」なんて楽しそうにしやがってくそう!
内臓がぐちゃぐちゃにかき混ぜられてるんじゃないかってくらいの腹痛に苦しんだときもあった。
骨砕けてんじゃないかというくらいの激痛に襲われたときもあった。
他にも思い出したくもない経緯を経て、俺の身体は文字通り『作り変えられた』。
「元の高間原で動けるくらいにはなったかな」
この『異界』に来て一年半が過ぎたある日。
宗主様はのんびりと言った。
「じゃあ」と竹さんのもとに帰ろうとした俺だったが、師範連中にガッと腕を取られた。
それはそれはイイ笑顔だった。
「宗主様。それでは竹様のそばにいるには足りないでしょう」
「そうそう。やっと身体ができただけです。ここからが修行本番です!」
そこからさらに地獄の修行に打ち込んだ。
ハルはまだやさしく修行をつけてくれてたんだなぁ。それとも上には上がいるってことか?
ともかく俺は「ようやく我らの修行の相手が勤まるようになった」と師範達の相手をさせられた。
基本的には一対一の戦闘訓練だが、向こうは交代制、俺は交代なしでひたすら師範達をかわるがわる相手にする。
青藍の研究者が「回復薬の治験ができる!」と喜んでいた。くそう。
毎日毎日ボッコボコにされ、毎日毎日ナゾの薬を飲まされ、毎日毎日採血やらなんやら調べられ。
そうして複数の師範達を相手にしてもなんとか倒れなくなった頃、蒼真様が顔を出した。
「どんな状態ー?」とのんきにたずねる蒼真様に宗主様が「そろそろいいだろう」と帰還の許可を出し、ようやく帰れることになった。
蒼真様が来てくれなかったら未だに延々とあの連中のオモチャにされていたに違いない。
それはそれで実力がつくのは間違いないのだが、いい加減俺は竹さんに会いたい。
蒼真様が俺がいない間のことを教えてくれた。
『むこう』は俺が『こちら』に来てから十日経ったところだという。
その間特に動きはなかったらしい。
竹さんも黒陽とふたりであちこちの結界をチェックしたり霊玉作ったりして過ごしていたようだ。
特別な変化がなかったことにホッとする。
宗主様の『世界』からもとの『世界』に戻り、ふたり並んで話をしながら歩いていると、ようやくあの安倍家の離れが見えた。
俺にとっては三年ぶりだが、こちらの世界ではほんの十日しか経っていない。だから当然あの頃のままなのはわかっている。
それでも、変わりのない様子に懐かしさが込み上げてくる。
玄関前にヒロが立っていた。
「いらっしゃい」
昔と変わらない、いつもの出迎えに喉の奥がツンとする。
それをごまかすように「おう」と答えた。
「なんか背高くなってない?」
「そうか?」
自分ではわからない。
だが、あの連中にいいようにされた過程で背が伸びることもあるかもしれない。
そのくらい『なんでもアリ』な連中だった。
ああ。思い出すだけでゾッとする。
「とりあえず、上がって上がって。ハルも待ってる」
うながされ二階へ移動する。
久しぶりのリビングにはハルとアキさんが待っていた。
「おかえりなさいトモくん。まあ! すっかり大人になって!」
アキさんがすぐに寄ってきて声をあげる。
「もうハグできないわね」なんて言うということは、相当顔つきも変わったのか?
確認するためにハルに顔を向けると、こちらはニヤリと笑っただけだった。
「『むこう』でどのくらい経ったの?」
ヒロの質問に「三年とちょっと」と答える。
「三年!」
「てことはトモ、十九歳!? ほぼ二十歳!?」
「てことになる」
同じ顔で目をまんまるにして叫ぶアキさんとヒロに答えると、ふたりとも「道理で」と納得した。
「そんなに変わってるか?」
ちょっと心配になって聞いてみると、ふたりは苦笑を浮かべた。
「かろうじて残ってた子供っぽさが完全に消えた」
「精悍な男の人になったわね」
……それ、竹さんはどう思うかな。
俺だとわかってくれるかな。
あのひとぼんやりだから、ちょっと会わないだけですぐ忘れるとかやらかしそうなんだが。どうだろう。
俺が黙っていてもハルには思考がダダ漏れだったらしい。
苦笑を浮かべたハルが答えた。
「霊力量も質も変わってるからな。パッと見『お前』だとはわからないモノも出るかもな。
ただまあ、姫宮と黒陽様にはわかると思うぞ」
「……そうか」
それならいいや。
ホッとする俺にヒロとアキさんがきゃっきゃと声をかける。
「トモ、前より背も伸びて男らしくなったじゃないか! 竹さん、惚れ直すんじゃないのー!?」
「!」
「そうね!『大人の魅力』にメロメロになっちゃうかも!」
「!!」
そうか!? そうなのか!?
それならうれしいけど! がんばった甲斐があるというものだけど!!
急に落ち着かなくなってきた。なんかソワソワする。意味もなくキョロキョロしてしまう。
「ポンコツは変わらずか」
ボソリとハルがつぶやいた。
そのまま転移陣を通って御池のマンションに連れて行かれた。
ハルに呼び出されたオミさんも俺を一目見るなりびっくりしていた。
「もうすっかり一人前の大人だな」なんて肩を叩いてくれるから、照れくさくて気恥ずかしくなった。
どうにか笑顔で応えると、オミさんはうれしそうに笑った。
ハルとオミさんと相談して、休校手続きはそのままにしておくことにした。
ひとまず夏休みいっぱいまで。必要であればその時点で延長する。
最悪退学してもいい。
とにかく今は竹さんのために動きたい。
『長くてあと五年』ならば尚更。
『災禍』を追うのはあれから進展がないという。
『バーチャルキョート』を展開するデジタルプラネットの社長が最有力で怪しいが、やはり確証が持てない。
「どうにか社長に会えないか、いろいろ仕掛けてるんだけど」
思わしくないらしい。
「こちらの調査にも協力してもらえると助かる」とハルに依頼され、了承する。
竹さんのためになることならばなんでもやってやる。
ある程度話が済んだところで昼食に誘われた。
アキさんがステーキを焼いてくれた。
蒼真様は相変わらずアキさんにべったり。
料理中も首に巻きついて料理を見ているし、食事もアキさんの隣で食べている。
「『むこう』ではどんなお食事だったの?」と問われ『むこう』の話をする。
「すっかり馴染んじゃったんだね」とヒロが笑う。
まあな。三年もいたからな。
ステーキはさすがに『むこう』にはなかった。うまい。
副菜もたっぷり用意してくれているところがアキさんらしい。
蒼真様もステーキやサラダをもりもり食べている。
「明子は何作らせても天才だよね!」なんてごきげんだ。
そういえば緋炎様は?
「今日は晃のところに行っておられるよ」
守り役達がときどき年少組に修行をつけてくれていると教えてくれる。
「蒼真様、爆発しなくなったんですか?」
うまいもの食っては霊力暴走させていた蒼真様を抑えるために緋炎様がついていたのに。
「一度食べたものは大丈夫!」と謎の自信をみせていた。
つまりこのメニューは全部食ったことがあるんだな。
そして未知のメニューのときには緋炎様がまだ必要だと。
蒼真様は相変わらずのようだ。
相変わらずといえば、ハルもヒロも、アキさんもオミさんも、記憶のまま変わらない。
変わらない様子になんだかホッとする。
『こっち』では十日しか経っていないのだから当然といえば当然なんだろうが、俺の中では三年ぶりだからどうしても懐かしさが先に立つ。
相変わらず美味いアキさんのメシをたらふくいただいた。
さて今後の話を続けようと片付けを手伝いハルと向き合った。
そのとき。
ヒラリと小鳥が舞い降りた。
小鳥はハルの伸ばした指に止まった。
「晴明さん。竹です」
―――!!
ドクン。
心臓がわしづかみにされた!
竹さん。
竹さんの声だ。
懐かしい。変わらない。愛おしい。
今どこにいるんだ? 会いたい。会いたい!
「結界の調査が一段落つきました。これからご報告にあがってもいいですか?」
「もちろんです。御池にいますので、来ていただけますか?」
「!!」
了承した竹さんの式神が消えた。
竹さんが来る!? 会える!? 今から!?
「は、ハル」
「落ち着け阿呆」
「だが」
オタオタしていたら転移陣のある扉ががチャリと開いた。
竹さんの気配にハッと気持ちが浮き立つ。つられるようにガタッと椅子から立ち上がった。
ひょこっと竹さんがその姿を現した。
「――トモ、さん、?」
ああ。竹さんだ。
変わってない。こっちでは十日しか経ってないのだから当然か。それでも変わらない様子になんだか胸がいっぱいになる。
会いたかった。
ずっと会いたかった。
やっと会えた。
会えてうれしい。
そんなことばかりが頭の中に浮かぶ。
身体の中を颯々とした風が吹く。
うれしくて、愛おしくて、しあわせで、何故か涙がにじんだ。
すぐにでも駆け寄って抱きしめたいのに、指一本動かない。
彼女がいる。
それだけで満たされて、胸がいっぱいで、じっと彼女を見つめることしかできない。
立ちすくむ俺に、竹さんも何も言わない。
ただじっと俺を見つめてくれる。
その視線を受け止めているだけでしあわせ。
彼女がいてくれるだけでしあわせ。
好き。
好きだ。
会えなかった三年の間、ずっと彼女を想っていた。
今なにしてるんだろう。
無茶してないかな。
ちゃんとメシ食ってるかな。
会いたいな。
そんなことばかり考えてた。
ずっと会いたいと願っていた。
会えなかった三年の間、彼女にふさわしい男になれるように必死だった。
そばにいられるように。
彼女が俺を背負わなくてもいいように。
彼女を支えられるように。
好き。
好きだ。
俺の『半身』。俺の唯一。
愛しくて。愛おしくて。
気持ちはあふれそうなのに胸がいっぱいで、なにひとつ言葉になってくれなかった。