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閑話 竹 2 黒陽の昔話

長いですが切れなかったので……

 夢を見た。

『あのひと』は来てくれなかった。

 代わりのように来てくれたのは、黒枝だった。



『姫』とやさしく呼んでくれた。

『よくできましたね』と褒めてくれた。

 熱に苦しんでいるときは看病してくれた。

 甘くておいしい飲み物をくれた。


 あの甘い飲み物、なんだったんだろう。




「はちみつじゃないですか?」


 目が覚めてすぐに黒陽に聞いてみた。

「昔熱が出たとき黒枝が飲ませてくれたの、なんだったかわかる?」って。


 ベッドに入ったまま、上半身だけ起こして黒陽と話す。

 黒陽はベッドサイドのテーブルの上。

 ずっと私についていてくれたみたい。


 はちみつ。

 はちみつ? にしては、さらっとしてたような……?


「紅茶にりんごの皮やら柑橘やらその時々にあるものを入れて、仕上げにはちみつをたっぷりと入れていましたよ」


 ――それかも。


「明子に作ってみてもらいましょう。

 それで合っているか試してみてください」

「ううん。そこまでしなくても大丈夫。

 ちょっと思い出しただけだから」


 あわてて止めたけど、黒陽はにっこり笑うだけで「わかった」と言わなかった。




「――それにしても、懐かしいですね。

 黒枝は色々作っては姫に出していましたよね」


 楽しそうに、懐かしそうに黒陽が話す。

 そうね。私も昔のことなんて久しぶりに思い出したかも。


「蒸しパンみたいなの、作ってくれてたよね」

「ああ。作ってましたね。りんごを入れたり、木苺を入れたり」

「私、りんごのが好きだった」

「それにもはちみつをたっぷりとつけてましたね」


 ふたりでクスクス笑う。

 懐かしい話を思い出しているからか、なんだかあの紫黒(しこく)のベッドにいるみたい。

 今にもあの扉から黒枝が入ってきそう。

『姫。具合はどうですか』って。



 私、どうしたんだろう。

『落ちて』からはこんなこと思い出すことなかったのに。


「五千年も前のことなのに、覚えてるなんて、びっくり」

 そうつぶやくと黒陽も「本当ですね」と笑っていた。



 なんでか今日はいろんなことを思い出す。

 黒枝が教えてくれたこと。黒枝がしてくれたこと。


 懐かしくて。覚えてたことがうれしくて。

 なんだかふわふわする。




 紫黒(しこく)のあの館が私の世界のすべてだった。


 黒陽と、妻の黒枝(くろえ)。双子の姉妹の(もみじ)(かえで)。その弟の(かしわ)(えのき)

『家族』に囲まれていた。守られていた。大事にしてもらっていた。きっと愛情も注がれていた。


 私が気付かなかっただけ。

 いつも寝込んで、周りを見ることができなかったから。


『娘』じゃないけど。

『家族』じゃないけど。


 黒枝やみんなに大事にされてたって思い出せただけでも、ここ最近ココロに広がるこの穴がちょっぴりちいさくなる気がする。


 懐かしい。紫黒(しこく)の、私の『家』。

 私の『家族』。



 ポスリと倒れて横になった。

 ベッドに沈んで目を閉じるとホントに黒枝が来てくれそう。


「――黒枝は――」

 目を閉じたまま思い出す。

 黒枝はいろんなことを教えてくれた。

 なんでも知っていた。


「――なんでも知ってたよね」

「そうですね」

「舞も神事も、術も勉強も、お裁縫も機織りも、お料理もお掃除も、なんでもできた」


「……………」


 ……………あれ?

 なんで返事がないの?

 寝転んだまま目を開けて黒陽を見ると、なんだかへんな顔をしていた。


「……………黒陽?」


 なんでそっと視線をそらせるの?

 なんで『そうですね』って言ってくれないの?

 心配になってまた身体を起こした。


「……………五千年も経っているし、本人はいないわけだし、もう、言っても……?」


 なにかブツブツ言っていた黒陽は、思い切ったように私に顔を向けた。


「実はですね」

 一体なにを言われるのかと覚悟を決めてうなずいた。


「黒枝は料理がヘタでした」

「―――」


 ―――え?

 あの黒枝が?

 なんでも作ってくれて、なんでもおいしくしてくれた、あの黒枝が!?


「―――うそ」

「ウソではありません」


 キッパリと真顔で言う黒陽の言葉はウソじゃないって思わせる。


「結婚した当初は、それはそれは愉快な物体を創造していました……」


 そっと視線をそらして苦笑する黒陽。

『愉快な物体』って。『創造』って。


「黒枝は神官職の一族の『神の巫女(みこ)』でしたから。料理なんてしたことなかったんですよ。

 それなのに結婚して共に暮らしはじめたら『妻だから』と料理に挑戦して。

 聞きかじった情報だけで挑戦したものだから、まあそれは愉快なモノを……」


「……………」


 まさか黒枝にそんなときがあったなんて。


「周りに教えを請うようになってからは次第にまともになりました」

「……………そうなんだ……………」


「黒枝はなんでもできる、完璧な女性だと思ってた……」


 ぽそりと落ちたつぶやきに、黒陽は苦笑を浮かべて答えてくれた。


「完璧に『見せていた』んですよ」


 意味がわからなくてじっと黒陽を見つめていると、黒陽はナイショ話をするように顔を少し寄せてきた。


「黒枝は姫の『母親』にふさわしく在ろうとがんばっていましたから」


「―――え―――?」


『母親』? 黒枝が? 私の?

 だって黒枝が言ったのに。

『私達の「娘」ではありません』って。


 どういうことかわからずおろおろしている私に、黒陽は思い出すようにどこかちがうところを見つめたまま話をはじめた。


「姫は食が細かったですから。『どうにか少しでも食べさせたい』と娘達と料理を工夫していました。

 あちこちで美味い料理を聞いて、子供の好きそうなものを聞いて、何度も何度も練習して、上手くできたものを姫に出していましたよ」


「息子達とさんざん失敗作を食べさせられたものです」

 ウンウンとうなずく黒陽はウソを言っているように見えない。


「裁縫なんかは実家にいるときからやってたのでまあまあできていたみたいですが、『姫の手本となるには足りない』と教師を招いて娘達と一緒に教わっていました」


 そんなことしてたの!? 全然知らないんだけど!


「そ、その先生に私が教わればよかったのでは?」

 そしたら黒枝が無理して勉強することはなかったんじゃないのかと思ってそう言ったら、ようやく黒陽はこちらに顔を向けた。


「あのころの姫は体調が不安定でしたからね。

 おまけに人見知りだった。

 両親である王と王妃にでさえ、会った翌日は必ず熱を出していたでしょう?」


 ………そうだったっけ?


「身内でも体調を崩すのだから、外部から教師を呼ぶのは無理だとなって。

 でも『姫になにか楽しいことをさせてやりたい』『興味を持ったことはなんでもやらせてやりたい』と娘達と三人で色々考えて、自分達にない部分はあちこちから教わっていましたよ」


『楽しいことをさせてやりたい』

『興味を持ったことはなんでもやらせてやりたい』

 そんなふうに思ってくれてたなんて。

 

 黒陽の話に記憶が蘇る。

『姫。これは椛が作ったんですよ。ええ。姫にもきっとできますよ』

『一緒に舞ってみますか? ええ。練習すれば姫にもできますよ』


 そうだ。

 いろんなことをやらせてくれた。

 きっと少しでも興味を持つものが増えるようにしてくれていた。

 寝台の上でもできることを考えてくれた。

 身体の負担がちいさいものを考えてくれた。


 きっとたくさん手間をかけた。

 面倒だったにちがいない。

 それでも、いろんなことしてくれた。いろんなことを教えてくれた。一緒にやってくれた。


 ――なんだろう。

 胸の奥がじんわりする。

 あたたかいナニカが広がっていく。




「……そういえば姫に話したことがありましたかね……」

 ぽつりと黒陽がこぼした。

 なんのことかと首をかしげたら「姫の両親――王と王妃の話ですよ」と言われた。


「父様と母様の?」

「ええ」


「黒枝も話してませんでしたか?」と聞かれてもわからない。

 なんの話かとまた首をかしげたら、黒陽は話をはじめくれた。


「姫を授かる前、王と王妃は長く子供ができなかったんですよ」


 そうなんだ。そんなことも知らなかった。

 私の表情で『知らなかった』とわかったんだろう。黒陽が困ったようにちょっと笑った。


「それで、『青』の薬師や『白』の学者に来てもらったり、あちこちに祈願にうかがったりしていたのです」


 子供がなかなか授からないのにはいくつか理由が考えられていて、そのひとつに『霊力の整合度が足りない』というのがあったと黒陽が教えてくれる。

 属性が違ったり、霊力量に差がありすぎたりするとなかなか子供が母体に定着しないらしい。

 それで神様に祈りと霊力を捧げることで、一時的にその差を少なくしてもらうっていうことがあったらしい。


 父様も母様も、他にもたくさんのひとが祈願をしたと黒陽が話す。


「望んで望んで、ようやく授かったのが、姫です」

「―――」


 黒陽はやさしい笑顔を浮かべていた。

 ときどき向けてくれる、あったかい笑顔。


「王夫妻だけではありません。我らも、民も、皆が姫が生まれることを待ち望んでいたのです」


「姫は、皆から望まれて生まれた子供なのですよ」


 ―――なんだろう。胸の奥が苦しい。

 ぎゅうってなる。

 あたたかい、きれいな水がそそがれているよう。

 このまえからある穴を埋めるよう。


 私がなんにも知らなかったと黒陽はわかったみたい。

「もっと早く言えばよかったですね」と困ったように笑った。

 なんでか喉がつまって何も言えなくて、ただ首を振った。


「――五千年も経ってしまいましたが」


 黒陽はきちんとこちらにまっすぐに向いて、にっこりと笑った。


「生まれてきてくれてありがとうございます」


 ―――そんなこと、はじめて言われた。

『ありがとう』なんて。

 私は『災厄を招く娘』なのに。

 私のせいで『災禍(さいか)』の封印が解けて、黒陽は亀の姿になったのに。

 私のせいで五千年死ねない身体になったのに。


「――そんな、私、だって」

 ようやく声が出たのはいいんだけど、涙までぽろりと落ちた。


「だって、私、なんの役にも立たなくて。『名ばかり姫』で。迷惑ばっかりかけて」


 ぐじぐじとらちのあかないことを言ってしまう。

 もっと言うべきことがあるはずなのに。情けない。

 こんなだから『王族にふさわしくない』とか思われちゃうんだ。

 わかってるのに。わかってても、どうにもならない。


 そんな情けない私に、黒陽はいつものように微笑んで静かに言った。


「『役に立ってほしいから子供がほしい』のではありませんよ。

 ただ『子供がほしい』と願ったのです」


 意味がわからなくて黙って黒陽を見つめていたら、黒陽はやっぱりにっこりと微笑んだ。


「――姫にはまだわからないでしょうが」

 そうしてちょっとためらいがちに視線をそらせて、それでもまた私をまっすぐに見つめてきた。


「『唯一』と定めたものと結ばれたら、次の欲が出てくるのです。

『唯一』との『子供がほしい』と」


 ………そうなの?


「王と王妃は愛し合っていました。

『後継者がほしい』というのもあったかもしれませんが、それ以上に『己の唯一との子供がほしい』と思ったのだと思いますよ」


 ………そうなの?


「私もそうでした」

 黒陽はどこか自慢げにえっへんと首をそらした。

 そうして、またあのやさしい笑顔を向けてくれた。


「貴女は、愛されて、望まれて生まれてきたのですよ」


 ―――そうなの?

 私、『望まれてた』の?『愛されてた』の?


「後継者なら黒樹(くろき)殿がいました。なんなら私の子供達でもよかった。

 姫はなにも背負わず、好きにしてもよかったのです」


「だって」

 黒陽はそういうけど。


「だって黒枝が言ってたもの。

『王族らしくしなさい』って。

『私は王と王妃の娘だから』『自分の娘じゃないから』って」


 そう。黒枝はいつもそう言ってた。


「『甘えちゃいけない』『常に公平に』『毅然と』『誰からも敬意を集めるように』って」


 そう言って、私のことも『娘じゃない』って言ってた。


「『私は王族だから』って」


 そう言ってた。

 だから私、がんばろうと思った。

 黒枝に自慢してもらえるように。みんなに誇ってもらえるように。

 でも全然うまくできなくて、すぐに寝込んでた。


 ………思い出しただけでも落ち込んじゃう。

 やっぱり私は『役立たず』の『ダメな姫』だ。



「………誤解がありますね」

 いつの間にかうつむいていた私に、黒陽の声が届いた。


「良いですか姫」

 改まった黒陽の声にピッと背筋が伸びる。

 顔も黒陽に向けると、さっきのやさしい顔はどこかにいっていた。


「ひとつずつ誤解を解いていきましょう。

 まずはその『甘えちゃいけない』云々について」


 厳しい顔で黒陽が言うのにうなずく。


「黒枝がそれを言ったのは、姫ひとりだけにですか?」


 ……………え?


「……………ちがうの?」


 おそるおそる聞いてみたら、黒陽はそれはそれは渋い顔をした。

「はあぁぁぁ……」って深ぁくため息をつく様子に『ちがうんだ』と理解した。


「姫もご存知とは思いますが」

 顔を上げた黒陽は、また厳しい顔で話をはじめた。


「私は姫の父君たる王の従兄です。

 私の父が先代の王、つまり姫の祖父の弟です」

 知っていることを示すのにうなずく。


「つまり、私も、私の子供達も、一応王族です」


 ぱかりと口が開く。

 王族。黒陽が!? 子供達。子供達? ――椛達が!? 王族!?


「――そうなの!?」


 思わず出た叫びに「ご存知なかったとは……」と黒陽が頭を抱えてしまった。ごめんなさい。

 だ、だって。そんなこと一言も誰も……。


「『自分は王族だ』なんてえらそうにふんぞり返るなんてこと、黒枝が許すと思いますか?」


 ……思いません。


「ウチの娘達を育てる頃はまだ王に子がなくて、『直系でなくてもいいから後継者を』なんて話が出ていた頃なのですよ。

 黒樹殿と黒翔(こくしょう)殿、それとウチの双子の娘が有力候補でした」


「――そうなの!?」

 そんな話、今初めて聞いたんだけど!!


「椛と楓が王候補だったなんて……」

「だから黒枝は、子供達に万が一王になったときのための教育をしていたんですよ」


 知らなかった。そんなこと誰も言ってなかったよね?

 あれ? 言ってなかった、よね? 話されたけど私が聞いてなかっただけとか、ない、よ、ね? あ、あれ?


「姫が生まれたときには黒樹殿が最有力でしたが、いかんせん紫黒(しこく)は厳しい土地でしたから。いつ何時(なんどき)誰になにがあるかわからない。

 だから王候補は王が確定するそのときまで王教育をされていたんです」


「私も姫の父たる王が王に確定するまでは王教育を受けていました」と黒陽は淡々と説明する。


「娘達だけでなく、あとから生まれた息子達も王候補でした。

 ですから子供達全員に言っていたはずですよ。『王とはかくあるべき』みたいなのを」


「……………」


『甘えちゃいけない』『常に公平に』『毅然と』『誰からも敬意を集めるように』

 あれは、私が王の娘だから言われていたんじゃなかった?

 王候補である子供達全員が言われていた――?


 王候補?

 そういえば、と記憶がよみがえる。

 一歳(ひとつ)上の榎はいつも「勉強が大変」って言ってた。

 三歳(みっつ)上の柏に「仕方ないだろう」って「がんばれ」ってはげまされてた。

 あれって、そういうこと?『王教育』だったの?

 私が言われていたようなこと、柏も榎も言われてた――?



「次に」

 呆然としてたら黒陽が話をはじめた。

 あわてて背筋をぴってのばして黒陽に向き直る。


「『王と王妃の娘だから』『自分の娘じゃないから』という件ですが」

 うなずく。


「あれは、黒枝が自分に言い聞かせていたのです」


 ……意味がわかりません。


 私がわかっていないことがわかったのだろう。黒陽は苦笑を浮かべ、話を続けた。


「黒枝は、それはそれは姫をかわいがっていました。

『末の子』は、それも娘は、ことさらかわいいものなのですよ」


「そ、そんな」

 そんなこと、黒枝は一言も言わなかった。

 私は『王と王妃の娘だ』っていつも言ってた。


 黒陽は少しかなしそうに微笑んだ。


「――王も、王妃も、生まれてすぐに手放さなくてはならなかった自分の娘をかわいく思っていましたよ」


 そんな。だって、ほとんど会えなくて。会っても、そんなに話をすることもなくて。


「毎日責務を終わらせた夜に姫の様子を見に館に来ていました。

 姫は寝ていたので、起こさないように寝顔を見て、黒枝や私から姫の様子を聞いて帰って行っていました」


「―――」

 ――知らなかった。


「私がダメな子だから近寄らなかったんじゃなかったの――?」

「誰がそんなことを?」


 ムッとする黒陽に思わず『ごめんなさい』と言いそうになってあわてて口をつぐむ。

 黒陽はそんな私をジロリとにらんで、ひとつため息を落とした。


「王も王妃も、貴女のことを慈しんでおられました。愛おしんでおられました。

 毎晩数分顔をみるためだけに忙しい責務の時間をやりくりしていました。

 ――それを知っていて『この子は自分が育てているんだから自分の子だ』などと、言えるわけがないでしょう?」


「―――」


 ――そう言われたら――そのとおりかも。

 少なくとも黒枝にそんなことが言えるとは思えない。


「だから黒枝は貴女にも自分にも何度も言わなければならなかったのです。

 姫は『王と王妃の娘だ』と。『自分の娘じゃない』と」


「そうすることで、いつか王と王妃に貴女をお返しする覚悟を固めていたのです」


「―――」


 そんなこと、知らなかった。

 私は誰からも愛されていない子供なんだと思ってた。

 実の両親からは見放されて。育ててくれるひとたちは『娘じゃない』と言って。


 私がダメな子だから仕方ないって思ってた。

 せめて役に立ちたいってがんばった。

 でもがんばったらがんばっただけ寝込んで。結局なにもできなくて。


 そんなとき、誰かに言われた。

「『名ばかり姫』だ」と。


 王と王妃の娘というだけの、役にも立たない、名ばかりの姫。

 ああ。そのとおりだと思った。

 うまいこと言うなあなんて感心もした。

 その『名付け』はスコンと私におさまった。


 誰からも愛されない、役にも立たない、『名ばかり姫』。

 いつか誰かの役に立ちたいと思っていたけれど、結局は『災禍(さいか)』の封印を解くような『災厄を招く娘』でしかなかった。


 何度生まれ変わっても誰の役にも立たない。

 何度死んでも罪は消えない。


 苦しかった。つらかった。でも自分が役立たずなんだから仕方ないと受け入れてもいた。


 あのひとだけが私を受け入れてくれた。

「大丈夫」と抱きしめてくれた。

 私の唯一。私の――。


 ――あれ? 私の――なんだっけ?



 ぐるぐるといろんなものがアタマの中を渦巻いている。

 なんだっけ? 大事なひと。

 私を大事にしてくれた。

 黒枝も? 父様も母様も? 私を大事にしてくれてた? ほんとに?



「……黒枝は……」

 わからなくて、信じられなくて、黒陽に聞いてみた。


「黒枝は、私のこと、どう、思ってたの――?」


 黒陽はにっこりと笑みを浮かべて、言った。


「表向きは『敬愛する(あるじ)』。でも心の底では『可愛い娘』だと思っていました」


「なんで言い切れるの?」

「『半身』ですから」


 黒陽は自信満々に言い切った。

『半身』。『半身』って、なんだっけ。ええと――。


 思い出す前に黒陽が言った。

「子供達も、姫のことを『妹だ』と思っていましたよ。

 自分達が守らなければならない『家族』だと」


『家族』


「――ホントに――?」

「ええ」


 自信満々に言い切る黒陽に迷いはない。


『家族』

 私、『家族』がいたんだ。


 胸の穴に水がたまっていく。満ちていく。

 満ちて、穴は池になっていく。

 欠けた部分が埋まっていく。

 なんだろうこれ。あったかくて、でも、なんでだろう。鼻の奥がツンとする。喉の奥もなんかつまってる。


 

「姫は、皆から愛されていましたよ」

 黒陽はあのやさしい笑顔を浮かべていた。

 なんだろう。ポカポカする。

 胸がぎゅうってなる。



 ふと気が付いて聞いてみた。


「黒陽は――?」


 私のせいで亀の姿になった黒陽。

 私のせいで死ねない身体になった黒陽。

 今までこわくて聞けなかったけど、私のこと、どう思ってる?

 きっと迷惑に思ってる。私なんかに巻き込まれて憎んでる。見捨てたいって思ってる。

 そう思って、これまで聞けなかった。

 でも、もしかしたら。


 もしかしたら。


「黒陽は、私のこと――」

「愛していますよ」


 さらっと、私の言葉が全部出るよりも早く黒陽は言い切った。

「当然でしょう?」って言うけど、そうなの!?


「……まさか、私が責務から嫌々お側についていると思っていたのですか……?」

 図星を刺されて「みゃっ」ってへんな声が出た。ついでに背筋もぴって伸びた。

 そんな私に黒陽はショックを受けたような顔をして、息を止めた。

 けど、すぐにげんなりとした顔になって「はあぁぁぁぁ……」と深い深いため息をついた。


「………ごめんなさい………」

「………イエ………。口にしていなかった私も悪いのです……」


 下げた首をふるふると振る黒陽になんだか申し訳なくなった。

 そんな黒陽を見ていたら、もうひとつ聞いてみたいことが浮かんだ。


「……黒陽は……私の……なに……?」


 思い切って口にしたら、黒陽も顔を上げた。

 きょとんとしていたけれど、すぐににっこりと、自信満々に微笑んだ。


「私は姫の『守り役』です」


『守り役』

 その答えに、がっかりした。

 そっか。黒陽は『父親』じゃないんだ。『家族』じゃないんだ。

 そう思って、かなしくなった。

『かなしい』とおもっていることに気が付いてびっくりして、またかなしくなった。


 そんな私に気付いていないのか、黒陽はいつもと変わらない調子で話し始めた。


「『家族』ならば、『父親』ならば、いつか娘を手放さなくてはなりません。

 いつか娘を嫁にやらなくてはなりません。でも」


 いつの間にかうつむいていた顔を上げると、黒陽はあのやさしい微笑みを浮かべて私のことを見つめていた。


「『守り役』ならば、ずっとお側にいられます」


「私達の大事な姫を、ずっとお守りできます」


『大事な姫』

 その言葉が、その微笑みが、胸にできた池にしみこんだ。

 胸に広がっていく。


「ずっと、お側におりますよ」


 黒いちいさな亀が断言する。

 まるで誓約するように。


「私は『守り役』ですから」


 そうやって五千年側にいてくれた。

 そうやって五千年守ってくれた。

 私の『守り役』。

 大切な。かけがえのない。



「――ありがとう――」


 言いたいことは他にもあるはずなのに、もっとたくさん言いたいはずなのに、それだけしか言葉が出なかった。

 いつの間にか涙がこぼれていた。


「ほら。姫。横になって」

 黒陽に言われるままに横になると、無限収納から取り出したハンカチで目元を拭いてくれた。

 ちいさな身体でせっせと世話をやいてくれるのがおかしくてありがたくて、なんでか笑みが浮かんだ。


「さ。もう少し寝てください。

 寝たら寝ただけ回復します」

「はい」


 ハンカチを目元にかけてくれたから黒陽の姿が見えない。

 見えなくてもそばにいてくれるってわかって、黒陽はずっとそばにいてくれるってわかって、なんだか安心した。

 安心したら身体がベッドに沈み込んだ。


「――きっとまた紫黒(しこく)にいたころの夢が見れますよ」

「そうかなあ」

「次は是非私の活躍を夢に見てください」

 わざとそんなことを言う守り役がおかしくてクスクス笑った。


「――おやすみなさい姫。良い夢を」

「うん。おやすみ。黒陽」


 黒陽が眠りの術をかけてくれたのがわかった。

 沈んでいく感覚は、なんだかあたたかいものにくるまれているようだった。

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