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第八話 『恋』

 「おーい。大丈夫かー」

 呼びかけにハッと意識が覚醒し、あわてて辺りを見回す。


 自分の家の、自分の部屋の、いつものパソコンの前。


「トモー? おーい」

「ログインだけしてどっか行ってるんじゃないか?」

 スピーカーから聞こえる声はフジとツヅキのもの。

 画面を見ると、いつの間にかログインしていた。



 どうやって家に帰ったのか覚えていない。

 気がついたらパソコンの前に座っていた。

 ついさっきまで安倍家の離れにいたのに。



 さっき。

「俺達の霊玉を使って南の結界の補強を計る」

「そのために霊玉を渡すことに同意してほしい」

 そう説明され、納得して術に臨んだ。


 その術を執り行うと現れた結界師。

 彼女だった。


 やっと会えた喜びに震えた。

 彼女の役に立つならと同意しようとした。

 でも。


 霊玉を渡すことは、彼女に負担を負わせることになる。

 霊玉を渡すことで、彼女はひとりで死地に向かう。


 そんな思いが突然沸き起こり、同意を拒否した。


 結果、術は破綻。

 いや、一時停止といっていたか。


 どちらにしても、結果的に俺は仲間を、彼女を危険にさらした。


 ヒロにボコボコに殴られた。

 殴られて当然のことをしでかした。

 それでも、彼女に霊玉は渡せない。

 彼女をひとりで危険に向かわせることにつながるのだから。


 ――どうしたらいいのだろう。

 俺は、どうしたいのだろう。

 ああもう、自分でわけがわからない。

 こんなことは初めてで対処法がわからない。

 なんだこれ。『呪い』か。そうか。納得だ!


「おーい。トモー?」

 再度の呼びかけにハッとする。

「ああ、悪い」

 返事をすると明らかにホッとした口調のフジの声がした。


「なんだよー。何してんだよー。すぐに返事しろよー」

「悪い」


 ああ、ここでも俺はダメだ。使えない。

 いつから俺はこんな使えないヤツになったんだっけ。

 昨日? 一昨日?

 昨日も一昨日も使えなかった。

 先週はまだマシだった気がする。

 ということは? 先週から今日までに何があった?


 ――彼女か。


 彼女に会ってから俺はずっとポンコツだ。

『静原の呪い』にとらわれて、彼女にとらわれて、今までの俺でなくなった。


 頭の中は彼女のことばかり。

 胸の中も彼女のことばかり。

 彼女のことでいっぱいで、他のことを考えられない。


 今何してるんだろう。普段何をしているんだろう。どんなものが好きなんだろう。

 気がついたらそんなことを考えている。


 あの船岡山でのわずかな時間を何度も何度も思い返す。

「トモさん」と呼んでくれた。

「ありがとうございます」と微笑んでくれた。

 気がついたらあの笑顔が浮かんでいる。

 それだけでしあわせで、それだけで胸がぎゅっと締め付けられる。

 しあわせで、苦しくて、うれしくて。

 そうして他のことが考えられなくなる。


 これは、マズい。

 こんな状態では、冷静な判断ができない。


 じーさんにいつも言われていた。

「冷静に判断しろ」

「一瞬の判断ミスが生命にかかわる」


 視界を広く、空から眺めるように、客観的に。

 ずっとそうしてきたのに。

 こんな。とらわれるなんて。

 何も考えられないなんて。



「聞いてるかー? トモー?」


 フジの声にハッとする。

 マズい。本気でマズい。

 どうしたらいいんだ。

 どうすればいいんだ!?


「……ゴメン」


 自分でも情けないと思う声になった。

 そんな俺にフジもツヅキも何も言わなかった。


「……何があった?」


『なに「か」あった?』ではなく『なに「が」あった?』と聞かれたことにグッと詰まった。


 詰まった俺に気付いたのだろう。

 無言のあと、ツヅキが問いかけてきた。


「……彼女に会えたのか?」


 ――なんでわかるんだ!?


 画面には俺は映っていないはずなのに、俺は何も言っていないのに、フジもツヅキも「そうなのか!?」「それで?」と、会えたことを確信している。


「……なんでわかるんだよ……」

 ボソリとしたつぶやきに、二人は「ハハッ」と軽く笑った。


「人生経験じゃね?」

「若造がナニ言ってんだか」


 フジにツッコむツヅキが続けて言う。


「こんなトモ、今まで見たことないから。

 イレギュラーになる原因として考えられるのは、この前言ってた『一目惚れした彼女』しかないだろうと推測しただけだよ」


 説明されれば納得しかない。

 そのことになんだか脱力して、大きなため息が出た。


「……はああぁぁぁ……」

「なんだなんだ? どした?」

「うれしい感じではないな」


「……ちょっと……大失敗して……」


 吐き出すと行き詰まった思考が少しほぐれる気がした。

 悩みは事情を知らない第三者に吐き出すのもいいと聞いたことを思い出した。

 この二人に話を聞いてもらうのもいいかもしれないと、ふと思いついた。


「……二人は、時間、あるか?

 迷惑でなかったら、ちょっと、話聞いてもらいたいんだが……」


 二人はしばしの無言のあと「いいぞ」「聞くよ」と快諾してくれた。




「友達に仕事の依頼で呼び出されて」

「俺が相続してたものが必要だから譲ってほしいって話で」

「俺と仲間に説明があって、俺も納得して譲ることに同意したんだけど」

「その担当者として現れたのが彼女で」

「『彼女の役に立つなら』って渡そうとしたんだけど」

「いざ渡そうとしたら、なんでか急に『彼女に渡せない』って思って」


「なんだそりゃ」

「納得してたのに?」


「……そうなんだ……」

 自分で言ってて『バカだろ?』と思う。


「どういうわけかわからないんだが、急に『渡せない』って思ったんだ。

『渡したら彼女の負担になる』

『渡したら彼女はまたひとりで危ないことをする』

 そんな思いにとらわれて」


 ああ。俺は『とらわれて』ばかりだ。

 こんな身動きがとれなくなるなんて。

 じーさんに知られたら雷落とされるだけじゃ済まない。再教育間違いなしだ。


「で? 何か知らないけど、そのナンカを渡さなかったってことか?」

「そう」


「はああぁぁぁ……」また大きなため息が出た。


「もう、最低最悪だよ。

 仲間を危険にさらすし、彼女には迷惑かけるし。

 なんでこんなことしでかしたのか、自分でもわからない」


「じゃあ今からでも渡せばいいじゃないか」


 フジが簡単そうに言う。

 確かにそのとおりだ。アタマでは理解している。


「……それが、」


 でも。

 アタマでは理解していても、ココロが納得していない。


「それだけは、したくないって、今でも思うんだ……」


 俺の情けない言葉に、フジもツヅキも黙ってしまった。

 ああ、情けない。

 こんな理知的でも論理的でもない考えにとらわれるなんて。

 自分で自分がわからない。


 頭を抱えてうなだれる俺が見えているわけでもないだろうに、フジがポツリと言った。


「……ならそれでいいんじゃないか?」


 一瞬意味がわからなくて、のろりと頭を起こす。

 ログが流れていく画面に、フジの声が重なる。


「オレらでも時々あるじゃないか。

 なんか『虫の知らせ』っていうか『勘』っていうか、『あ、これ、マズいな』とかいうのがあるだろ?」


 言われれば『そういえば』と思い当たることがあった。

 理屈で説明できない感覚。

 確かにこんなデジタルの最前線のような場面でもそういうことがあった。


「トモは特にそういうの敏感だからさ。

 何か理屈では説明できないナニカを感じているのかもしれない」


 そうなのだろうか?

 でも、フジの言葉には『そんなことあるか!』と突っぱねることのできないナニカがある。

 これもそうなんだろうか?

 それでいいんだろうか?


 迷う俺にフジはさらに言葉を重ねる。


「そういうときは、その『勘』に従ったほうがいいと、オレは思うぞ?」


 そうだろうか?

 でも、そう言われると『そうかもしれない』と思ってしまう。


 迷いから何も言えないでいると、ツヅキの声がした。


「……ちょっと確認なんだが」

 おずおずという感じの声に「何?」と返事をする。


「その彼女、反社会的勢力の関係者だったりする?」

「いや? 関係ないけど」


 なんでそんなこと考えたんだ?

 よくわからないが「ならいいんだ」とツヅキは何か気が済んだように息をついた。


「とりあえず、トモが納得しない原因は、彼女に起因するんだろ?」


 ツヅキの言葉に「……そう、かも……」と答える。


 そう。

『納得しない』。

 ココロが納得しない。


 霊玉を渡すくらい大したことじゃない。俺には必要のないものだ。彼女の役に立つならいくらでも渡す。

 そう考えていた。

 それが急に『渡せない』と思ったのは、ココロが納得しなかったから。

 突然『彼女を苦しめることになる』とココロがざわめいたから。


「それなら」


 俺の顔が見えているわけでもないだろうに、ツヅキも冷静に提案してきた。


「まずはその彼女と話をすべきじゃないか?」


『彼女と話をする』。


 ――そうだ!

 なんで思いつかなかったんだ!?

 まずは彼女と話をしなきゃだ!

 俺ひとりが悶々(もんもん)と考えても進まない!

 なんでこんな簡単なことを思いつかなかった!


 あ然とする俺に、さらにツヅキが言葉を続ける。


「『失敗した』とトモが思っているならば、まずはそのことを謝罪して、なんでそんなことをしたのか、どう考えているのかを話して、その上で、これからどうすべきか、相談するのがいいんじゃないのか?」


 謝罪。話。相談。

 言われてみれば当たり前のことばかりだ。


「……そうか……。そうだよな……」


 そんな当たり前のことがまったく頭に浮かばなかった。


「はああぁぁぁ……」

 情けなさにまたため息が出た。


「そうだよな。そうすべきだよな」


 目からウロコがボロボロ落ちるようだ。情けなくてまた頭を抱えてうなだれた。


「言われれば当然の対応なのに。なんでそんなことも思いつかないんだ俺は……」


「あー」という呆れたような二人の声に、思わず弱音がこぼれる。


「彼女に出会ってから、俺はポンコツだ。

 頭の中彼女のことばかりで他に何も考えられなくて。

 彼女にとらわれて、よくわからない感情にとらわれて、がんじがらめで動けなくなっている。

 こんなんじゃ、とても彼女の前に立てない……」


 言ってて自分で情けない。

「はああぁぁぁ……」と深いため息を吐き出すと同時にべしょりと机につぶれた。


 ため息しか出ない情けない俺なのに、フジとツヅキは「いいなぁ」なんて言う。

 ムッとして突っかかった。


「なにがいいんだよ」

「だってお前」

 サラッとフジが一言。


「『恋』してるじゃないか」


「……………」


 こい? コイ? 来い? 鯉? こい……?


「……………『恋』……………?」


 恋?

 俺が?


『恋』?


「そうだろ?」


 あっけらかんとしたフジの声に「『恋』?」と言葉がこぼれる。

 そんな俺にフジが楽しそうな声で説明してくれる。


「その人のことしか考えられなくて。

 普段の自分と違う自分になったようで。

 どうにもならなくて。なんて。

『恋』してるヤツの定番のセリフじゃないか」


 説明されれば聞いたことがある気がする。

 え?

『恋』?

 俺、『恋』してるのか!? 俺が!?


「いいなぁ。オレもそんな『恋』してみたいなぁ」

「フジは『恋』に『恋』してるからなぁ」


 フジの声にツヅキがツッコミを入れているが耳を通過するだけで頭に止まらない。


「……『恋』……」


 そうなのか?

 これが『そう』なのか?


 こんな、不安定で、迷いだらけで、わけのわからないことばかりしでかす状態が?


「『恋』?」


「――そうだよ」


 ツヅキの声が穏やかに流れる。


「それが『恋』だよ」


『恋』


 呆然とすることしかできず声も出せない俺に、ツヅキがやさしい口調で語りかけてきた。


「……ぼくも覚えがあるよ」


 懐かしむような、愛おしむような声。


「『その人がいれば他には何もいらない』って、本気で思ってた。

『その人さえ手に入るならば世界を捨てても構わない』って本気で願ってた。

 未熟で、愚かで、青臭くて。

 だけど、どこまでも真剣で、真摯で、一途だった」


 その言葉はここ数日のモヤモヤふわふわした俺の気持ちを言語化してくれたようだった。


「思う通りにならないことばかりで悔しいこともあった。

 自分の情けないところばかりがさらされるようで落ち込むこともあった。

 それでも、その人を諦められなかった。

 その人との『未来』を夢見て、戦ったんだ。

 ――自分と」


 ツヅキの言葉はまさに俺の症状そのままのように感じた。


 そうか。

 俺が特別おかしくなったのではないのか。

 ツヅキも『そう』だったのか。


 そう思ったら、情けないのが少し軽くなる気がした。


「トモはさ」

 笑いを含む声でツヅキが続ける。


「今まで優秀すぎるくらい優秀だったから。

 振り回されたりとらわれたりする自分が許せないし情けなく感じているのかもしれない」


 無言でうなずく。

 そうだ。そのとおりだ。

 なんでわかるんだツヅキ。経験者だからか?


「でもそれ、誰もが通る道だから」


 あっさりと、簡単そうにツヅキが断言する。


「『恋』した人間は、誰しもそんなふうになるから」


 言外に『自分もそうだった』と言われたようで、また少し気が軽くなった気がした。


「だから、あんまり気に病むな」


 軽ーい言葉に、なんだか気が抜けた。


「……………そう、なの、か………」


 ポツリともれた言葉に「そうだよ」とツヅキが笑う。


「まずはその彼女と話をすること。

 もしかしたら、照れくさくて恥ずかしくて話すらできないかもしれない。

 そういう心配があるなら、上司とか同僚とか、第三者に立ち会ってもらったらどうだ?」


「……なるほど……」


 ツヅキの言葉に納得しかない。

 呆然としたままうなずいていると、拍手が聞こえてきた。

 どうやらフジが手を叩いているようだ。


「いやー。さすがツヅキ! いいこと言うなぁ!」

「それほどでもないよ」

「で? 諦められなかったのが、今のパートナーか?」

「そうだよ。いいだろー」

「ぐわあぁぁぁ! 堂々と言いやがった!

 くそー! ちくしょー! うらやましいぃぃぃ!!」

「フジもなー。がっつかなければなー」

「あああああ!! くそぉぉぉ! うらやましい!!

 オレも『恋』したい! 好きな子が欲しい!

 どっかに落ちてないのかよぉぉぉ!」

「こればっかりはなー」



『恋』している。

 この状態に名前がついたことで、何故かストンと気持ちがおさまった。

 ぐちゃぐちゃに散らかっていたものを棚の一角におさめたような感覚。


 そうか。

 これが『恋』か。


 俺、彼女に『恋』してるのか。



 今までとは別の意味で鼓動が早く打っているようだった。

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