第一話 出会う前ーハルの話
新連載です。
これまでのお話の集大成になります。
よろしくおねがいします!
――とらわれた。
その人の姿が目に入った途端、『わかった』。
この人だ。
この人が、俺の求めていた人だ。
俺の『半身』。俺の唯一。
また会えた。やっと会えた。
胸の中を風が吹き荒れる。
でも、暴風雨ではない。
暖かくやさしい春風。
冷たい冬を吹き飛ばす、春一番。
その風が、颯々と吹いている。
この人だ。この人だ!
やっと会えた。また会えた!
後ろ姿しか目に入っていないというのに、何故か『わかった』。
身体中が震える。喜びが満ち溢れる。
すぐに駆け寄って抱きしめたいのに、身体が動かない。
この人だ。やっと会えた。
会ったこともない後ろ姿を、じっと見つめて立ちすくんでいた。
西村 智。
それが俺の名前。
京都市の北西部に位置する鳴滝に住む、高校二年生。
高校一年生の夏。
祖父が死んだ。
祖母の一周忌法要を無事勤め上げた翌日だった。
悲しいというよりも、その見事さにあきれた。
祖母に言いつけられた用事を全て終わらせて即刻、祖母の後を追った。
「じーさんらしい」「やっぱりな」
誰も彼もが納得の死だった。
じーさんの魂を送り、俺は一人暮らしになった。
両親も叔父夫婦も「一緒に暮らそう」と誘ってくれたが、今更他の人間と暮らすなど億劫でしかない。
幸い家事はばーさんが仕込んでくれていた。
今住んでいる家の相続などの手続きも弁護士のオミさんがやってくれた。
気楽な一人暮らしを満喫している。
中学二年になる前の春休み、俺の運命が動いた。
『禍』と呼ばれる悪しき存在の封印が解けたのだ。
俺は生まれつき高霊力を持っている。
しかも属性特化。
物心つく前から退魔師の祖父に鍛えられ、十歳で退魔師として現場に出た。
その俺が持っている『霊玉』。
属性特化の中でもチカラの強い者が持つと伝えられていた霊玉。
それを、俺は生まれたときから持っていた。
霊玉の持ち主は『霊玉守護者』と呼ばれていた。
その霊玉は、元はひとりの男の霊力だった。
男の大きすぎる霊力を五つに分けたものが『霊玉守護者』の持つ霊玉だった。
その元々の『ひとりの男』こそが、封印されていた『禍』だった。
俺達『霊玉守護者』にしか再封印はできないと、五人の『霊玉守護者』が集まり地獄の修行をし、討伐に向かった。
その結果、『禍』は浄化された。
めでたしめでたし。
『禍』の退魔は終わったが、気のいい仲間達とその後も集まっては修行したり遊んだりした。
修行修行の毎日だった俺達にとって、普通の中学生みたいに遊ぶのは新鮮で、とても楽しかった。
仲の良くなった仲間は、より強い絆で結ばれたかけがえのない仲間になった。
その仲間のひとりのハルが、高校に入ってすぐに見合いをした。
ハルは京都では知らぬ者のない名家、安倍家の次期当主。
平安時代の大陰明師・安倍晴明その人だ。
何度も転生して、今は十回目の人生だという。
京都の『能力者』を束ね、経済的にも他の意味でも京都を牛耳っているといっても過言ではない安倍家の跡取りだ。
今まで婚約者がいなかったほうが不思議と言えなくもない。
なんでも、家が家だけに生半可な家では釣り合いが取れないのに加え、次期当主が決まっているハルの妻になる女性となるとそれなりの資質を求められる。
そのために選定していたという。
このたび、お眼鏡に叶う女性が見つかり見合いをし、お付き合いをしている。
三歳年下の彼女は、なんでも前世もハルの妻だったらしい。
ハルの使役する式神達が見つけ出し、見合いになったという。
「僕なんかに付き合わせるのはいい加減申し訳ないんだがなぁ」
ぼやくハルの言葉には、その女性――元妻への愛情がこもっていた。
十回の人生の、これまで九回、その女性と結ばれていたと式神達が教えてくれた。
彼女は前世の記憶がない。
それでもハルを一目見て好きになったらしい。
まあ、ハル、見た目はいいからな。
おまけに『元妻』と認識している女性だ。
普段から女性には礼儀正しいハルだが「態度が甘い」とヒロが目をキラキラさせていた。
高校二年になった現在も仲睦まじく、時折りデートしたりしているらしい。
別の仲間の晃も、高校に入ってすぐ、ずっと好意を持っていた幼馴染と正式に付き合うことになった。
晃はずっとアピールしてはあしらわれていたから「よかったな」とみんなで祝福した。
舞妓のストーカー対策を依頼されたヒロが彼氏のフリをしたら、ストーカー撃破はできたがその舞妓に惚れられて大変だったと聞いた。
なのに他の舞妓芸妓からも同じ依頼をされ、断れずに受けたらやっぱりことごとく惚れられて大変なことになっているらしい。
話を持ってきて策を提案した父親に当たり散らしている。
佑輝は高校の剣道部で入学直後から頭角を現し、剣道関係者だけでなくあちこちの女子生徒からモテているという。
ナツはナツで就職先の料亭の仲居さん達から可愛がられている。
つまり、仲間内で女っ気がないのは俺だけ。
たまに会うハルとヒロの母親達が「トモくんはいい女性いないの?」「トモくんはどんな娘が好み?」など、会う度にニヤニヤと嫌な顔で迫ってくる。
ウザくて腹立たしくて仕方がない。
「アレなんとかしろ」
「そう言われてもなぁ」
高校一年の秋のある日、あまりにもしつこく構われ、我慢の限界がきた。
ハルひとりを御池のマンションから転移陣を通って北山の離れに連れ出し、文句をぶつけた。
ここは京都市北西部の奥の奥。北山杉で有名なエリア。
この山奥一帯が現在の安倍家の本拠地。
強い霊力のある『場』に、何世帯もが住んでいる。
その一角に建つ『離れ』と呼んでいる建物が、俺達が『禍』討伐のために集まった場所であり、それ以降もなんだかんだと集まる場所になっている。
ハルは普段は街中の御池のマンションに暮らしている。
が、この離れとマンションは転移陣で繋がっており、扉一枚開けるだけで行き来ができる。
この日もそれを使って御池にお邪魔し、みんなでヒロの双子の弟妹と遊んでいた。
そのときに母親達からやいのやいのとからかわれ――キレた。
「もう丸一年はああやってからかってくる。
いい加減腹立つんだよ!
お前の母親だろう!? なんとかしろ!
でなければ、もう御池には行かない!」
「無理言うな。あの二人が僕の言うことを聞くわけがないだろう」
呆れたように、諦めたように肩をすくめるハルに腹が立つ。
「お前『主座様』じゃないか」
「安倍家の理屈はあの二人には通用しない」
役立たずめ。くそう。
「――わかった」
はああ、とため息をついて宣言する。
「俺、しばらく来ないから。みんなにはうまく言っとけ。じゃあな」
「まあ待て待て」
ザッと駆け出そうとした俺の腕を掴みハルが止める。
「そう短気になるな。
アキとちーは面白がっているだけだ。
若い男をからかいたくて仕方ないんだ。
諦めて許してやってくれ」
「それが嫌だって言ってんだよ!!」
ガアッとかみつくも、ハルは涼しい顔だ。
「まあ、お前には無理だって僕はわかってるよ。
だから、まあ、うん。あの二人には、僕から説明――」
俺に話しながら、ハルは珍しく困惑した。
「――説明すると、今よりも厄介なことになりそうなんだが………説明、するか?」
自分でもうんざりした顔をしているとわかる。
そんな俺にハルは苦笑した。
「わかったわかった。
まあ、御池には来なくていいよ。
でも北山で『霊玉守護者』が集まる時には来い。
お前もヒロ達なら会いたいだろ?」
黙って睨みつける俺に、ハルは「アキ達にはうまく言っておく」と請け負ってくれた。
『これで話は終わり』という態度のハルにちょっとムカついた。
このまま大人しく丸め込まれるのは面白くない。
「――お前の言う『説明』というのは――」
それならと、以前から聞きたかったことを口にした。
「――俺の『半身』のことか?」
「知っていたのか?」と驚くハルに「ばーさんが死んだときにちょっと話してくれた」とバラす。
ばーさんは『視る』ことに長けた『能力者』だった。
『先見』と呼ばれる未来予知だけでなく、その人間の過去や抱えているものなど、あらゆることを『視透す』ことができた。
そのばーさんが死んだ時。
霊魂の状態のばーさんとふたりきりで話す機会があった。
「俺に聞かせられない話だ」とばーさんが俺に耳をふさがせて、語った。
ばーさんは俺が読唇術ができるのを忘れていたのだろう。
聞こえなくても、その語った内容は理解できた。
それによると、俺は叔父さんの守る寺の開祖の生まれ変わり。
四百年前『禍』の封印が解けたときの『霊玉守護者』であり、唯一の生き残りだった男の生まれ変わり。
その開祖には『半身』がいたらしい。
『開祖様をお迎えし、お育てできて光栄でした』
『貴方が「半身」に出会えるよう、お祈り申し上げます』
ばーさんは、そう言った。
俺に聞かせられないと耳をふさがせて。
俺には『半身』がいた。
その言葉は、すんなりと俺の中におさまった。
「やっぱりな」というのが一番正直な気持ち。
ずっと『誰か』を探していた。
ずっと『誰か』を求めていた。
それが『誰か』はわからない。
そもそもそんなひとがいるかどうかもわからない。
でも。
ハルがぽろりともらした『半身』の話を初めて聞いたとき。
それだ!
魂が、叫んだ。
「夫婦は元々ひとつの塊だった」
「ひとつの塊に陽と陰――つまり、男と女、二つの魂が宿ったけど、半分に分かれた。
だから、失った半分を求める。
そして再び出会えた二人は、お互いを『半身』と呼ぶ」
そうだ。俺にもいた。
俺の『半身』。愛おしい『唯一』。
わかる。俺は、ずっと『その人』を探していた。
俺はずっと、その人を求めていた。
理解しても、気持ちが焦っても、どうにもならない。
どうすれば会えるのか、そもそもその人が今のこの世にいるのかどうかもわからない。
焦る気持ちも乱れる霊力も抑えて帰宅した。
数日はモヤモヤしていたが、やがて吹っ切った。
「なるようにしかならないだろう」と。
もしも『その人』が今のこの世にいるのならば、会ったらわかるだろう。
なぜかそれが『わかった』。
ならば今の俺がやるべきことは、再び『その人』に出会ったときに恥ずかしくないように、己を磨くこと。
チカラをつけること。
そうひとりで納得して、日々過ごしてきた。
だからばーさんの『告白』も「やっぱりな」と受け入れた。
ハルは前世の俺と友達だったらしい。
『禍』の件で修行をしていたときに本人が話していた。
「四百年前の『霊玉守護者』の、帰ってきた一人と元々友達だった」と。
『帰ってきた一人』――つまり、前世の俺と友達だったと。
中学二年のゴールデンウィークに、叔父さんの寺の蔵を補修することになり、中身を全て出すことになった。
俺もナツも手伝いに駆り出され、ばーさんに仕込まれて古文書の読める俺は山と積み上がったそれらの分類をやらされた。
その中に、開祖の手記があった。
おそらくは捨てるつもりだったもの。
後書きに弟子の注釈が入っていた。
「開祖様が燃やそうとしていたのを拾った」と。
おそらくは自分の中に納めておくには苦しくて吐き出したもの。
その中には『禍』と戦ったときの経緯や自分がどんな状態になったのかも書いてあった。
だが、大半は『半身』への愛の言葉と文句だった。
ずっと会いたかった。
会えてうれしかった。
ずっと一緒にいたかった。
なんで置いていったのか。
苦しい。悲しい。さみしい。会いたい。
そんなことが、ずっと綴られていた。
そのときはまだ『半身』の話は知らなかった。
秋に『半身』の話を聞いて、翌年の夏にばーさんから俺が『開祖の生まれ変わり』と聞いて「あのことだ」とすぐに思い当たった。
昔のハルのことも書いてあった。
確かに二人は友達だったようだ。
それならば、前世の記憶があるハルならば、俺の『半身』のことを知っているに違いない。
そう、思っていた。
でも何と聞けばいいのかわからなくて、機会もなくて、そのままにしていた。
いい機会だ。
母親達を黙らせることができないなら、俺の疑問に答えてもらおう。
「どんな女性なんだ?」
直球で聞いてみると、ハルは珍しく困った様子を見せた。
「……聞きたいか?」
「聞きたい」
ズバリと答えたら、ハルは「んー」と迷う素振りを見せ、腕を組んだ。
「……どうせ、お前なら多分、会えば『わかる』ぞ?」
「会えるのか!?」
どこかに生まれ変わっているのかと、それをハルが知っているのかと期待したが、ハルは「そうだなぁ」と言葉を濁した。
「生まれ変わっているとは聞いてはいるんだが。
黒陽様から連絡がないから、僕は確認していない。
そもそもあの人は奥ゆかしいというか、遠慮するというか、なかなか連絡してこないから……」
なるほど。奥ゆかしくて控えめな女性なのか。
というか、以前に聞いた名が出てきたぞ?
「『黒陽様』というのは、以前話してくれた『禍』を封じたお姫様の守り役じゃなかったか?」
「………覚えていたのか………」
これだから頭のいいヤツは、とブツブツ言うハルに、自分の記憶が正しかったと理解する。
つまり、俺の『半身』は、『禍』を封じたお姫様!?
「――そうだよ」
開いた口が塞がらない。
そんな女性とどうやって知り合うんだ!?
そんな俺にハルはひとつため息をついた。
「――まあ、いろいろあったらしいぞ?」
そりゃいろいろあったからあんな手記が残っているんだろうが。
ハァとため息をつき、ハルは組んでいた腕をとき腰に当て、軽く首を振った。
「――正直、僕もわからないんだよ」
「なにが?」
「――お前と姫宮を会わせていいものかどうか」
『姫宮』。
それが、彼女。
いや、開祖の手記には違う名が書いてあったぞ。
「――『竹』じゃないのか?」
『その人』の名を告げると、ハルは目を大きくして驚いた。
「開祖の手記に書いてあった」とバラすと「青羽め……」と眉間に皺をよせた。
「その『青羽』が、俺の前世か?」
「――そうだよ」
「ふーん」
前世の記憶なんてないから「ふーん」としか言いようがない。
「――で? 会わせる云々というのは?」
憎たらしげに俺を一睨みして、ハルはまたため息を落とした。
「――姫宮には『責務』がある。
それを果たさない限り、姫宮は他に目をむけることはない」
『責務』の内容も手記に書いてあった。
『災禍』と呼ばれる存在を滅すること。
『竹』が異世界からの落人なことも、何千年も転生を繰り返していることも書いてあった。
「――『災禍』は封じたんじゃなかったのか?」
そう言ってやると「そんなことも書いてたのか」とハルは頭を抱えた。
「――そうだよ。あのとき『災禍』は封じた。
でも、姫宮が封印してすぐに、どこに行ったかわからなくなったんだ」
「――どういうことだよ」
ハルの説明によると。
今から約五千年前、異世界から四人の姫とそれぞれの守り役がこの世界に『落ちて』きた。
自分達のいた世界で『災禍』の封印を解いてしまい、その身に『呪い』を刻まれて。
それからずっと姫達と守り役達は『災禍』を追っているという。
四百年前、姫達は『災禍』を見つけ出し追い詰め封印した。
封印したのは間違いない。
が、水晶玉の状態に封じた『災禍』を手に取ろうとした直前、転移で逃げられたという。
正確には、転移で逃げようと術を展開していたところを封じたということらしい。
それからずっと探しているが、未だにみつからないという。
「封印も完璧じゃない。
どんなきっかけで、いつ破れるか、誰にもわからない。
だから姫達は封じられた『災禍』を探している。
封じられている状態ならば斬れるのではと――滅することができるのではないかとな」
「だから姫宮の『責務』はまだ果たされていない」とハルが言う。
何と答えればいいのかわからない俺に、ハルは深くため息をついた。
そして、意外なほどやさしく、悲しそうに微笑んだ。
「――姫宮は、ずっと青羽を想っていたよ」
その言葉に、胸が締め付けられた。
「『しあわせだった』と。『出会えてよかった』と、何度生まれ変わっても、いつも言っていた」
会ったこともない女性が、俺でない男を想っていたというだけの話だ。
俺には関係ない話のはずだ。
それなのに、胸がいっぱいになる。
魂が震えるのを感じる。
「でも姫宮は、『半身』のいない世界を繰り返すことに、疲れてしまったんだ」
目を伏せ、ぽつりぽつりととハルは続けた。
何度も転生を重ねた。
生まれ変わる度に「会えるかも」と期待し、会えないことに落胆した。
『責務』があるから会うわけにはいかない。
会えば『責務』を忘れたくなってしまう。
でも会いたい。
そんな相反する想いを抱え、彼女はゆっくりとこわれていったという。
「二、三百年くらい前かな……?
やっぱりゆっくりとこわれていった南の姫の記憶を封じようという話になったんだ。
辛い記憶がなければ、こわれる前に戻るんじゃないかと思って、色々試行錯誤してみた」
そしてその術は完成した。
実験として志願してきた東の姫で試し、問題なさそうだったので本命の南の姫に術をかけた。
術は成功し、南の姫は元気になった。
「ただその弊害か、前世の記憶まで封じてしまったんだ」
ある一定期間がくれば『覚醒』する。
記憶を思い出す。
姫にかけられている『呪い』は強力で、ある程度成長した時点で記憶を封じている術が破れてしまうらしい。
それでも元々封じたかった記憶は封じられたままだから、術としては成功と言えなくもない。
記憶がないほうが姫もしあわせな幼少期を過ごせる。
差し当たり『災禍』は封じられている。
差し迫って対処しなければならない状況でない現状ならばそれで問題ないだろうと、そのままになっているという。
ただ『覚醒』するときに、一気に記憶を取り戻すために相当な負担がある。
それでも、記憶を封じている間は普通の娘として普通に暮らせている。
百五十年ほど前に俺の『半身』の守り役が一計を案じ、彼女にも術をかけた。
西の姫に彼女がかけようとした術を、西の姫の鏡で彼女に跳ね返してかけたとハルが説明する。
「だから姫宮は仮に『覚醒』しても、青羽のことは覚えていない」
それは良かったような、残念なような。
「お前も姫宮もお互いのことを覚えていないのならば、出会わなければ、お互い穏やかに過ごせるんじゃないかと思うんだ。
そのほうがしあわせなんじゃないかと、思うときも、あるんだ」
目を伏せたまま、苦しそうにハルは言う。
「ただ、僕は、覚えているから」
ぎゅ、と拳を握るハル。
「姫宮といるときの青羽がどれだけしあわせそうだったかを。
青羽といるときの姫宮が、それまで一度も見たことのない顔でしあわせそうに笑っていたのを」
少し口角を上げるハルにはその時のことが思い出されているのだろう。
だがすぐに眉を寄せ、悲しそうに続けた。
「ただ僕は、姫宮を失った青羽がどれだけ苦しんだかも覚えている。
だから、僕は、なにも言えない。なにもできない」
ハルも「なるようにしかならないと思っている」と話す。
出会ったとしてもお互い記憶がない以上『半身』とわかるかどうかもわからない。
そもそも出会わないかもしれない。
それでも、もしも出会い、お互いを求めるようならば「協力はするつもりだよ」とハルはまとめた。
「あの人の性格上、お前がいくら有能でも協力するといっても『駄目だ』と言うだろうから」
「それは、どんな女性だ?」
訊ねる俺に、ハルは顔をしかめて吐き出した。
「とにかく頑固なんだよ。
優柔不断で甘っちょろいくせに、他人を巻き込むことだけはしたがらない。
他人に迷惑をかけることを嫌がる。
そこだけは頑固なんだ。
僕が関わるのだって、最初の百年くらいは何度も怒られたし逃げられた。
二百年くらい経った頃、他の姫に怒られてやっと諦めてくれて側にいられるようになった」
「ふーん」
頑固。優柔不断。甘っちょろい。
でも、しっかりと自分を持った、やさしい女性のようだ。
「まあ、会えるかどうかもわからない女性だ。
今は気にすることはないと思うぞ」
ハルの言葉にうなずいて、その日は帰宅した。
会えるかどうかもわからない。
会いたいのか、会いたくないのか、それもわからない。
まあ会うときは会うだろうし、そのときになにかしらわかるだろう。
そのときはそんなふうに考えていた。