41. 再会、そして(最終話)
髪を切った。実に8年ぶりに。
首がスースーして、なんだか変な気分。
碧が教室に入ると、ロングヘアがショートになったからか、みんなざわついていた。
一番驚いていたのは鴇で、なんだか、目を丸くしていたけれど、あえて気にしないことにする。
居心地の悪さもすぐなれる。
「なんで、切ったの?」
1限終わりの休み時間に、ロッカーに教科書をしまっているところで、そんなことを言われたものだから、危うく教科書をおとしかけそうになる。
「過去との決別」
「は?」
「もう、人生かける必要なくなったから。8年間、ずっと抱えていたものを捨てたかったの」
「………悔しい?」
当たり前だ。自分で仇を取りたかった。けれど、おそらく敢えて、碧がキナリと接触しないように仕組んでいたことがわかる。
それは、冷静さを欠く私を、取り除くのは当たり前のことで、わかっている。
けれど、納得はできない。
「教えてあげない」
言ったところで変わらない。なら、言うだけ無駄だ。
教室を出て廊下を歩いていると、鴇がそっと横を歩いてくる。
「何? まだ、話し足りない?」
「うん」
「悪いけど、私はあまり話したくない気分だわ。まあ、わかってると思うけど」
「わかってる」
わかってるのについてくるの? 碧は腹が立って、足を早める。
「なら、ついてこないで」
「やだよ。俺はきちんと説明したい」
「何を? 人間かどうかも怪しい存在に話すことなんてないでしょ。もう、やめて」
嫌な言い方をしてしまった。けれど、今はほっておいてほしい。
鴇を払い除けようと、手を出したのだが、最も簡単に碧の腕を鴇がつかみ、碧は鴇の胸の中にくるりとおさまった。
「頼むから、きいてよ」
鴇の切なそうな声が耳に響く。
鴇はそのまま、すぐ横の教室の扉を開き、碧を連れて中に入った。その時、碧の視界の隅に理科室、と見えた。
部屋に入ると、鴇の術なのか、見覚えのある鴇の部屋に飛ばされており、碧は口をパクパクさせた後、鴇の胸から勢いよく離れた。
何も学校から離れるなんて。
鴇から離れると碧は、深く息を吐いて、床にペタンと座り込んだ。
「誰にも聞かれたくなかったのね?」
「ごめん。絶対に早く話をしたかった」
もうなんだよ。何回も聞いたよ、それ。
鴇はベッドに腰を下ろし、ふーと息を吐いたので、碧も話始めるのかと、鴇をじっと見た。
「ごめん、キナリのこと、作戦は聞いてたよ。碧が納得するとは思えなかったし、わかってたよ。けど、碧一人の気持ちより、作戦の成功をさせることの方が大事だったから」
うん、わかってる。わかってるよ。
自分の未熟さも、感情が揺さぶられることも、冷静でいられない。お母さんは目の前で死んでしまったのに、結局、敵討も出来なかった。
それは私が未熟だから、自分一人の命すら守れない。だから、他者を危険に晒す。
「わかっているよ。みんなが私を思って、今回の件を話さなかったことも、話したら私が暴走するかもしれないことも。わかってるよ。だけど、敵討をするために生きてきた私は、それが割り切れない。そんなに信用されていないのも、耐えられないの」
「ごめん、そんなつもりじゃ」
「お願い。しばらくほっておいてほしい」
しばらくの沈黙の後、鴇がすがるように声を絞り出した。
「俺は、諦めたくない」
「何を?」
聞かなくてもわかるかもしれない。なんとなく感じてはいたけれど、今は嫌だ。
「このことで、碧と不仲になっていくことが耐えられない」
「大袈裟だよ」
鴇の熱から逃げるように視線を逸らそうとすると、鴇に両腕を掴まれた。
「なら、約束して」
「何を?」
「今まで通りにしてくれると、約束して。お願いだから」
そんなこと、できるのか? 碧はごくりとつばを飲み込む。
「わからないよ」
するりと掴まれていた腕から、徐々に熱が落ちていくのがわかった。
「もう、チャンスはないの?」
答えたくない。一人にして欲しい。今は、頭も整理がつかないのだから……。
「もういいだろ」
碧の体からハルが出てきて、鴇と碧の間に入ってきた。
助かった。
「ごめん。そのうち、きちんと整理するから」
鴇の部屋から出て、頭を整理すべく、そのまま歩いて帰ろうかと思ったが、残念ながら、上履きだったので、窓から帰ろうとしたら、鴇に手を握られたので、碧は振り返る。
「このまま、学校に戻すから」
「………ありがとう」
鴇は首を横に振る。
「これ以上、嫌われたくないから」
ハルが、呆れたようにため息をついて、姿を消した。碧は鴇に身を委ねると、鴇の左手が碧をそっと包み込んだ。
「嫌いじゃないよ、ただ、悲しかっただけ」
「え?」
「ミス桜庭の事も含めて」
しばらく沈黙があった後、「わかった」と鴇の声が聞こえて、ぐにゃりと視界が歪む感覚が襲ってきたので、碧はそっと目を瞑る。
地面に足がついているように感じたので、そっと目を開けると、そこは理科室に戻っていた。
碧の手から、鴇の手が離れ「待っているから」と言って、歩き出した。
***
10年後。
高校を卒業してから、一度も鴇に会うことはなかった。ハルもコウも、ずっと出していない。この力を拠り所にして生きてきたが、この力と離れて人生を向き合いたいた思ったからこそ、式とも離れ、陰陽師とも離れたくなった。
この10年間の間に、陰陽師もすっかり廃れて、占いだけ残っていると聞いていた。
死人に式が宿り、生まれた我が身だから、いつ消えるのか、と思っていたが、この10年、なんともなかった。月経も定期的にきていたし、おそらくなんともない。
大学を卒業して、社会人になった後、実家を出て一人暮らしをしているのだが、なんだかんだ英家がついて回るのが嫌で、仕方がないのと、青から陰陽師の話を聞きたくなくて、逃げた、と言う方が正しい。
社会に出て、何事もないような話をして、仕事をして生きてきた。それなりに男性と付き合ってもきたし、プロポーズも告げてくれる人もいたが、人間なのか、妖なのかすらわからぬ身で、婚姻して子を孕むことを想像すると、首を縦に振ることができなかった。
このまま、日々を過ごし、朽ちていければ、それで良い。
アルコールを浴びるように飲み、働き詰めで生きてきた。
だから、会社で眩暈がした時、やっと命が尽きるのか、と思って、目を瞑って黄泉の国への誘いを受け入れたのだ。
が、思わぬ通りにはいかず、目を開けたら、そこは無機質な天井が視界に広がった。
「あ、大変だわ」
なんだか聞き慣れたような声がして、慌てているような音がするけれど、頭が回らない。
重苦しく瞼を再び閉じると「碧」と呼ばれて、目を開けた。
くしゃくしゃの髪型が、短くなり、ワックスで整えられ、ピンとした肌に少しだけシワができいた。すぐに誰だかわかった。8年間、ずっと隣にいたその人物が白衣を着ている。
ああ、そうか。
「鴇……」
鴇は首を縦に振ると、涙ぐんで、力なくだらんとしている碧の手を握る。
「良かった。今度は守れた」
碧の目頭が熱くなり、つられて、泣きたくなった。
どうやら碧は肝炎になっていたらしく、意識が戻った際、鴇を呼んでくれたのは桜さんのようで、桜さんは青くんと結婚して、専業主婦をやっているらしく、つきっきりで見てくれていた。しばらく入院することになったので、落ち着けるようにと、鴇の計らいで個室にしてくれた。
そんなお金はないよ、と言って大部屋に戻すよう依頼したが「命の恩人の娘にそんなことできないよ」と、取り合ってくれないので、ありがたく好意を受け取ることにした。
退院するまでの間、鴇は毎日、この10年間の当たり障りのない話をしてくれた。
陰陽師の話は全くせず、高校の同窓会とか、大学でこんなことがあったとか、家を出てから会っていない父さんのこととか。
おかげで退屈なことはなかったけれど、前と同じような空気までは戻れていない。
鴇はお医者さんになっているし、顔も良いし、優しい。いつまでも初恋を拗らせているわけではないだろうから、この会話も、入院期間だけだ、と割り切らことにした。
ついに碧は退院の日になり、ひととおり荷造りをし終わって、ふー、っと息をついて、休憩のため、ベッドに腰を下ろしていると、扉を3度ノックする音が聞こえたので「どーぞ」と言って来客促した。
「この後、退院するんだよね?」
鴇が少しだけ肩で息をしている気がしたが、碧は気にしないことにした。
診療の合間を縫ってきてくれたのだろう、そう思ったからだ。
「うん、そうなの。お世話になりました、ありがとう」
深々と頭を下げると、鴇の磨き上げられた靴が目に入る。
「整理できた?」
「うん、ばっちり、ホラ」
見てよ、と言わんばかりに綺麗に片付いた個室を両手を広げて見せると、鴇が首を横に振る。
「そっちじゃない」
何? それ。
碧は目を何度か瞬きをして、わざとらしく首を傾げたからか、鴇は淡々と受け答えをする。
「10年前に整理するから待って、と言った件だよ」
それは、もう時効だと思っていた。今掘り下げられるとは思っていなかったから、碧は咄嗟に視線を逸らす。
「逸らさないで」
「ごめんなさい」
「それは、これ以上望みがないっていうこと? はっきりしたい」
「……ごめんなさい」
鴇は大好きだったし、一緒にいると落ち着ける。けれど、あの件を全部無しにして前に進むことなど、到底できない。
「できない……。この10年、陰陽師と離れて生きてきたのは、私の中であの時代を割り切って生きていけないから。鴇は好きだよ、けど、あなたといると私は、いやでも思い出す。それがこの先ずっと続くことは、考えられない」
何一つ望みを残さず、今度こそ終わったと思う。碧が鴇のキラキラと光る瞳を見つめ、待たせてごめん、と謝ると、鴇はそうか、と答えた。
「過去を捨てることなんてできないよ」
「うん、それでも、苦い過去には蓋をしたいの」
「今の自分は、過去の自分の経験の上に成り立つんだよ。過去の自分を否定することは、今の自分を否定することだよ」
鴇が、碧に近づいてくるので、碧は少しだけ、たじろいだ。
「僕自身を見て」
「え」
「僕と言う人は嫌いでないのなら、僕だけを評価して。陰陽師とか、そう言うのを全て取っ払って、僕個人だけを見た時は、どうなの?」
「………過去は捨てれないって、今言ったのに」
「過去じゃないよ。僕個人以外のものも含めて見られて評価されることは嫌だ。そんな簡単に諦められるなら、こんなこと聞いてないよ」
そんなこと、わかりきってる。
「好きよ、とても、愛してる」
鴇の顔が綻んでいくのがわかったけれど、顔の綻びと同時に鴇が碧を抱きしめたので、表情を最後まで見れなかった。
けれど、その鼓動がとても速いことだけは、押し当てられた胸の耳元から感じ取れる。
「良かった、良かった」
「大袈裟………」
「そんなことない! 18年の片思いだから、赤ちゃんが成人するくらいの年月をずっと片思いなんだよ。拗らせまくってるから、なんとしても失いたくなかった」
「ふふふ」
胸を脈打つ鼓動が心地よくて、久しぶりに包まれる香りが落ち着きをくれる。
ムードが良くなって、鴇の整った顔が碧に近づいてきたので、碧は思わず目を閉じた。
その時、ガラガラと扉を開く音が聞こえ、思わず体がビクッと上下し、音の鳴った方を見る。
「あ、ごめんなさい。掃除をしようかと………」
掃除婦さんが、バツが悪そうに視線を逸らし、顔を赤くして再度扉を閉めてくれた。
「大丈夫。僕らはもう大人だ。心を整理することにさほど時間はかからないし、自分で生き抜く力もある。なんとかなる」
鴇はそう言って、ウィンクをして笑ってくれた。
退院すると空がやたらと眩しくて、思わず目を細めてしまった。
何にも解決してない。だけど、清々しい。
コウに乗って、空をかけたい。あの青い空に赤い翼が映えるだろうな、と思った。
そんな気持ちを10年ぶりに思わせてくれるような真っ青な空だ。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。




