どうして彼女は二人を抱いて逝ったのか ~青年は変わらぬ関係を望み、彼女は変化を望む。その先で少女の選んだ結末~
バッドエンドをあなたに
「祐介は私たちと付き合いたいなぁ、なんて思わないの?」
結城操がそんなことを言い出したのは、昼休みだった。向かいの席に座っていた横井祐介は「はぁ?」と首を傾げている。
身長はそこそこ高く、目鼻立ちも整っている。イケメンと言えば言い過ぎにはなるだろうが、それなりにがっしりとしている体つきの彼は、そこそこ女子に人気があった。
今日も今日とて腐れ縁の幼馴染みたちと一緒に食事をしている辺り、彼女持ちだとでも思われているのか、女子に声を掛けられる気配はない。
「女の私から見ても、私やさくらって優良物件だと思うのよ。特にさくらなんて、控えめで親切、礼儀がよくて人受けもいい。運動はからっきしだけど成績優秀。家事スキルも一通りは習得済み。おっぱいだってこんなにおっきいしさ」
「み、操ちゃん!」
慌てたように頬を赤くしているのは谷町さくら。祐介とは幼稚園の頃からの幼馴染みであり、ご近所さん。
華奢で色の白い肌、小柄な体ながら胸は大きめで、体育の時間などに男子の視線を集めている。フワフワとしたウェーブのかかった茶色い紙に、ぷっくりとしたピンクの唇。今は困ったように眉を寄せている。
「私だって見た目はいいと思うんだよね。フリーだし、どう? 付き合ってみる?」
「いきなり変なことを言い出すなよ」
結城操はカラカラと気持ちの良い笑顔を浮かべている。さくらよりは身長は高く、スレンダーな体型は程好く引き締まっている。長い黒髪をポニーテールに束ねており、周囲に活発な印象を与える少女だった。
「変なことかな? 実際、私たちももう高二だし、来月にはもう夏休みじゃん。常識的に考えて、そろそろ彼女くらいほしいでしょ?」
「いや、言いたいことはわかるんだけどな」
「さくらと二人で夏休みを過ごすなんて、大人の階段上っちゃいそうじゃん。それとも私? 私の方が祐介の好みだったりする? でもごめんねー。私はさくらを嫁にしたい派だからさぁ」
「み、操ちゃん!」
意味ありげにさくらに視線を送る操に、彼女は耳を赤くしていた。
「さくらだって、彼氏くらい欲しいでしょ?」
「う、うーん……、どうかなぁ。私は別に、このままで良いと思ってるから」
「またそれか」
「祐君も操ちゃんも、お兄ちゃんとお姉ちゃんみたいだし」
「ただのご近所さんなんだけどねぇ」
「それに、操ちゃんの場合は彼氏がほしいって言うんじゃなくて、退屈だから祐君をからかってるだけでしょ?」
「あはは。否定はできないかなぁ」
そんなやりとりをしている二人を見て、祐介もつられて笑う。
幼馴染みとして時間を共有してきた居心地の良い時間が、三人の間で流れ続けていた。
こんな三人の関係に彼なりに思うところはある。けれど、さくらの言うような関係がこのまま続けばいいと思ってしまって、また彼も行動を起こせずにいた。
「谷町さん、ちょっといいかな?」
そんな風に三人で話していると、不意にさくらに声が掛けられる。見れば、クラスメートの笹井がプリントを片手にやってきていた。
「来週の委員会について質問なんだけど……」
「あ、うん。ちょっと行ってくるね」
彼に呼ばれてさくらがタタっと席を立つ。そんな彼女の後ろ姿を見ながら、祐介はザワザワと何かが胸のなかで渦巻くのを感じる。
「へぇー」
そんな彼の変化に気がついて、操はニマニマと意味ありげな視線を彼に向ける。
「何だよ」
「別にー。ちょっと嫉妬しちゃうかなぁ。やっぱり、妹っぽいさくらの方が気になるもんねぇ」
「なに言ってんだか」
「わかりにくかった? ブラコンな、男の嫉妬、見苦しい。みたいな?」
「容赦ねぇな」
操の手厳しい評価に、祐介が肩を落とす。だが彼女の言葉を否定はできない。笹井と話すさくらは自分達に向ける笑顔と変わらないような表情を彼にも向けている。
「おー、おー、良い雰囲気。このまま付き合っても違和感無さそうだよねぇ」
「さくらが? 冗談だろ」
「いやいや。私の恋愛センサーが反応していますよ。笹井はさくらに気があると見たね」
二人が付き合う? そんな想像をして、祐介は少しイラつきを覚えた。
「冗談きついな。さくらがあんな奴に付き合うなんてねぇよ」
「わかんないよ。笹井、あんたと違って頭良いし、さくらをちゃんと女の子として扱ってるじゃない」
「俺だってさくらが女子だってことくらい理解してる」
「あんたのは妹扱い。越えられない壁があるのだよ」
操の言う通り、祐介にとってのさくらは妹に近い感覚だ。物心ついたときから近くにいた関係だったし、いつも要領の悪いさくらのフォローにまわるのが習慣になっている。
この感覚は嫉妬なんかではなく、妹が離れていってしまうのを寂しいと思っているのかもしれないなぁ、なんて感傷に浸っていた。
「ねぇねぇ、笹井とさくらが付き合ったらさ、どうする?」
「はぁ? 別にどうもしないだろ」
「余り物同士、私と付き合ってみる?」
「冗談じゃない。今から尻に敷かれる未来が見えるわ」
「あはは。酷いなぁ、こう見えて尽くすタイプだよ」
言いながら操がカラカラと笑い、祐介はやれやれと肩をすくめる。これが今までの三人の日常だった。
………………。
さくらが二人の元に戻ると、祐介と操が何やら楽しそうな話をしている。二人のそんな光景を見ると、少しだけ胸が苦しい。
自分は操のように積極的に話を進めたり、周囲を明るくしたりはできない。
何をするにしても要領が悪いので、いつも祐介に助けてもらっている。そんな自分だから、いつまでたっても彼は兄のような立場なのだろうな、と彼女も自覚はしていた。
帰り道、今日は操は部活、祐介は男友達と遊びに行ってしまった。仕方なく、一人で帰ろうとする。
「あれ、谷町さん?」
下足室で声を掛けられる。顔をあげれば、同じ委員会の笹井がいた。
「今から帰り?」
「うん。今日は部活動もお休みになったから」
「そうなんだ。それじゃあ、一緒に帰えろうよ」
「うん、いいよ」
一緒に下校する。普段は祐介と操の後ろをついていくように帰っているので、友達と一緒に帰るのは珍しかった。
彼は終始、帰り道でさくらに色々な話をしてくれる。学校のことや、自分のこと、さくらも相槌を返したり、少し積極的に話してみた。おかげで楽しい帰り道になったのだけれど、それは彼女にとっては失敗だった。
「あのさ……、谷町。横井と付き合ってるの?」
「え……」
分かれ道でのことだ。笹井が意を決したように彼女に訊ねる。
さくらは即答できない。現状、二人はそういう関係ではない。幼馴染み、兄妹のよう、そんな曖昧な関係。そう答えればいいだけなのに、それを言ってしまうことを彼女の中で何かが拒んでいる。
「付き合ってないよ」
「そうなんだ。それじゃあさ、俺とーー、」
「ご、ごめんなさい」
彼の言葉を最後まで聞くことができない。足元、地面が揺れているような気になって、その場から逃げ出してしまいたくなる。
「そ、そう。ごめんね、驚かせて。でも、俺、谷町のこと好きだからさ」
「あっ、違う、そうじゃなくて、びっくりして、反射的に……」
「そ、そう? でも、まだオッケーは貰えないんだよね?」
「っ……」
さくらの反応に、笹井が恥ずかしそうに顔をそらす。さくらもまた、顔の熱さを感じて彼を直視することができなかった。
「俺、諦めないから。それじゃ!」
彼は言いたいことだけ言うと、そのまま走って帰ってしまう。さくらはその場で少し、しゃがみこんでポツリと呟く。
「どうしたらいい、祐君」
ここにいない彼を思って、うるさいくらいに鳴っている心音を感じていた。
………………。
「笹井が告ってきた!?」
夜、操がいつものようにベッドで横になっていると、さくらから電話がかかってきた。いつかはそうなるのかな、と予想していたが、いきなりの相談に操も思わずベッドの上で跳ね起きていた。
「そ、それでどうしたの?」
『すぐにごめんなさいって謝っちゃって。そうしたら、告白を断ったみたいに思われたみたいで……』
「あれ? じゃあ、断るつもりは無かったってこと?」
自分のことではないのに、緊張で手のひらが汗ばんでいるのがわかる。
『ううん。たぶん断ってたと思う。でも、ちょっとビックリして思わず……』
「へぇ。そうなんだ」
だったら手間が省けて良かった、と操だったら思うところだろう。しかし、真面目なさくらはそんな勘違いで断ってしまったことを、気に病んでいるらしい。
「この事は祐介には?」
『話せる訳無いよ。でもどうしたらいいかわからなくて……』
「とりあえず私に相談ってことね。了解」
とは言え、彼女にできることなんて限られている。既に告白されていて、断った後なのだ。気持ちがここまで固まっているなら、もうどうもできない。
そう。自分の中の暗い誘惑に負けなければ、だ。
「とりあえず、祐介には内緒にしておきなさい。色々と落ち着いてからの方が、あんただって話しやすいでしょ」
『そ、そうだよね。うん、そうする』
「あとは……、笹井。あいつとは普通にしてればいいんじゃない? 難しいとは思うけど、別にあんたから接し方を変えたり、露骨に避けたりしたら、それこそ変でしょ」
『うん』
「大丈夫よ。さくらは、誰とも付き合うつもりはない。そうでしょう?」
『うん』
「いつもみたいに、三人で馬鹿やってれば、このままでいられるんだから」
『だよね。うん、このままがいい』
「またそれか、ってね」
『ありがとう、操ちゃん。やっぱり操ちゃんに相談してよかったよ』
「うん、そう言って貰えると嬉しいよ」
それから無駄な話を少しして、お互いに笑いあって、それから電話を終える。
スマートフォンを投げ出して、少しの罪悪感を感じながら、操は堪えることができずに少し笑った。
………………。
笹井がさくらに告白したらしい。
そんな噂が祐介の耳に入ってくるのに、そんなに時間はかからなかった。別に大騒ぎになる程の話ではない。ただ、娯楽に飢えている男子生徒の間では格好の話題だ。
「ついに谷町が他の男になびいたか。お兄ちゃんの立場としてはどうだ?」
「別に兄って訳じゃない。ただ面倒を見ているだけで……」
「ざまぁ。結城に谷町、二人も囲っていたからこその天罰だ」
「るせぇ」
そんな状況を楽しむかのように、周囲には煽られる。
ただ、そんなことよりも気になるのはさくらの様子だ。
告白された、なんてことがあれば、いつもの彼女ならすぐにでも祐介に相談するだろう。しかし、今回に関しては何も言ってこない。
そして、告白したらしい笹井との接し方も、少しのぎこちなさは感じるものの、いつもと変わらないように振る舞っているのだ。それが、余計に祐介の動揺を誘っていた。
「あの様子。結果は明らかだな」
「笹井の嬉しそうな顔。横井のへこんだ顔、マジうける」
「さっさと笹井も地獄に落ちないかなぁ」
周囲の反応は様々だが、相談が無いことや、さくらの様子から推測するに、そういうことなんだろうな、と祐介は考えてしまってたい。
「何辛気くさい顔してんのさ」
「なんだ、操か」
「なんだとはご挨拶じゃない。それより、ツラかしてよ」
「何で?」
「話したいことあるからさ」
さくらのことだろうか? と祐介は黙って彼女の後に続く。連れてこられたのは、校舎裏だった。ちょうど日陰になっていて、校舎内の喧騒を遠くに感じていた。
「さくらにさ、相談されたんだ」
「あ、あぁ。告白の話か」
「もう聞いてたんだ」
「あぁ、たいしたことじゃないけど、噂にはなってる」
「そう。まあ、仕方ないよね」
「それで? さくらは何だって?」
「うん。あの子は、今まで通り、このままがいいって言っていたよ」
「あはは。またそれか、だな」
力なく笑う祐介の頬に触れるように、操が手を伸ばす。温かな彼女の手のひらのぬくもりに、祐介の表情が少しくしゃりと歪んだ。
操は嘘をつくつもりはない。ただし、彼女は望むように今の状況を少しだけ隠しながら伝えるだけだ。大丈夫、既にさくらは誘導されている。彼女から祐介の耳にはいることはない。
後は、彼女が望む方向に祐介を導くだけだ。
「辛いの?」
「わからない」
「さくらが好きだった? 妹じゃなくて、女の子として?」
「わからない」
「あたしじゃ、祐介の彼女にはなれないかな?」
言いながら、操が彼の胸に体を寄せる。
「さくらはこのままがいいって言うけどね。あたしは嫌だ。男の子として祐介を意識してるし、祐介が苦しんでいるなら助けたい」
「操、俺は……」
「嫌、言わないで。祐介の気持ちはわかってる。でも、もう無理なの。キスしてほしい。抱いてほしい。私だけを独占してほしい。そんなことばかり考えてしまう。振り向かせて見せるから、私を彼女にしてください」
上目使いに操が彼を見つめる。いつもは快活な彼女の表情が今は不安で揺れている。その潤んだ瞳に吸い込まれそうで、祐介は彼女の肩に手を置いていた。
「俺でいいのか?」
「祐介がいい。私は祐介のことをずっと好きだったから」
言いながら操が目を閉じる。何をすればいいか、なんてもう言葉はいらない。
祐介はゆっくりと彼女に顔を近づける。緊張したような彼女の震えを感じながら、やがて唇が触れ合う。
ただ触れ合うだけの不格好なキス。啄むように操がキスを返すと、いつしか二人は抱き合うように熱く口づけを交わしていた。
………………。
放課後、久々に三人一緒に帰ろうと言うことになった。
さくらと操は部活があるので、いつもはバラバラだったのだが、この日だけは二人とも部活動は休みにしたのだ。
教室を出て、三人並んで歩く帰り道。
祐介と操が並んで歩き、少し遅れるようにさくらがついてくる。それがいつもの三人だ。ただし、この日だけは少しだけ違っていた。
操が不安げに隣を歩く祐介を見る。安心させるように彼は微笑みを返すと、話すと決めていた帰り道の公園で立ち止まった。
「祐君、どうしたの?」
「さくら、話したいことがあるんだ」
「……うん」
もしかして、告白の件かもしれない、とさくらは不安にかられて操を見る。すると彼女はさくらから視線をそらし、祐介に続いて公園へと入っていく。
「驚かないで聞いてほしいんだが」
「う、うん」
「俺たち……、付き合うことにしたんだ」
「え……?」
さくらの視界がぐにゃりと歪む。祐介は真剣な表情で、操は少し照れたような表情で彼の隣に立つ。二人の指先が触れ合って、つながれた手と手を目の当たりにして、さくらの中で何かが壊れた。
「え? 何で? どうして?」
「でも、心配しないでくれ。お前が俺たちとずっと一緒にいたい、今まで通りでいたいっていうのはわかってる。俺たちの関係が変わる訳じゃない」
「だって操ちゃん……、祐君も……」
「だからお前も今まで通りにーー」
祐介の言葉はもう、さくらの耳には届いていない。そんな彼女を抱き締めるように操が歩みより、
「ごめんね、さくら。あたしは今までどおりじゃ我慢できなかったの」
暗い光を瞳にたたえた操が耳元で囁いた。
限界だった。何かがさくらの中で音をたてて崩れていって、操を弾き飛ばすと何かに追いかけられているかのように走り出した。
後ろから祐介が呼ぶ声が聞こえていたが、立ち止まることはできなかった。
………………。
家に帰り、ベッドの上で操は天井を仰いでいた。手のひらで目を覆うと、肩を震わせながら口元を歪める。そして、耐えきれないと言うようにーー、
「あははははははははははぁっ!」
声をあげて笑ってしまっていた。
やってしまった。ついに、あのさくらを押し退けてまで、彼女は祐介を自分のものにしたのだ。
「可愛いさくら。おしとやかで優しくて、女の子らしいさくら。でも、祐介は私を選んでくれた。私を好きになってくれた」
自分のしてしまったこと、さくらを陥れるような形になってしまったこと。そういうのも全て覚悟して、今までの関係に終止符をうったのだ。
後悔は無い。だって、彼女にとっても世界の中心は祐介だったのだから。
軽快な音楽と共に、スマートフォンが一度震える。画面に表示されていたのはメッセージアプリの新着通知だ。
タップして開けば、それはさくらからのメッセージだった。
『お話、できないかな?』と簡素な一文。
今更、さくらと話すことなんて操には無かった。だから断っても良かったのだけれど、彼女に対する優越感が彼女の気まぐれを誘った。
『いいよ。電話でもいい?』
『できればうちに来てほしい』
心の中で面倒だなぁ、と舌打ちする。
いつの間にか外では雨も降り始めているし、できれば外出はしたくない。とは言え、さくらの家は操の家の目の前にあるのだが。
ふと視線を感じて操がさくらの家を見る。
落ちてくる雨粒の先、さくらの家の窓。そこにはスマートフォンを片手にじっとこちらを見ている彼女の姿があった。ゾワリ、と全身に悪寒が走る。
ここで行くのを渋れば、彼女が操の部屋までやって来るのが想像できた。
『わかったよ。今から行くね』
メッセージを送信して、さくらの家へと向かう。
かって知ったるというかのように、彼女の部屋に行くと、真っ暗な部屋の中、ベッドに座る彼女が操を見て苦しそうな表情をした。
「操ちゃん、来てくれてありがとう」
「ううん、目の前だしね。それで何の用?」
「ちゃんとお話をしたかったから」
「へぇ……。いいけど、電気つけてもいい?」
「今はやめてほしいな。たぶん、酷い顔になってるだろうから」
「そう」
素っ気なく返事して、いつものようにクッションに座った。
「操ちゃん、ごめんね。操ちゃんも祐君のこと、好きだったんだよね」
「うん、そう。てゆーか、あんただって気づいてると思ってたわ」
「えへへ。うん、知ってるつもりだった。でも、操ちゃんはいつも私や祐君のことを考えてくれていたから、今の関係を続けてくれてるんだと思ってた」
「そうね。今まで通りで我慢ができてたら、あたしだってこんなことはしなかったんじゃないかなって考える」
もしも、祐介がさくらに惹かれていなければーー、
「でもね、そういうのって無理なのよ」
もしも、操が祐介を好きになっていなければーー、
「あたしは祐介が好きだった。小さい頃からずっと好きだった。この思いだけはあんたにだって負けない。負けたくない。だから、この関係を終わらせたとしても、祐介を手にいれる為に私は動いた。それだけよ」
「そっか。操ちゃんは、私よりも祐君を選んだだけだったんだね」
言いながら、さくらはベッドから立ち上がると、そっと操に歩み寄る。クスリと笑うと、彼女は操の肩に触れる。
「祐君のにおいがするね、操ちゃん」
「え?」
「そっか。もう手遅れなんだね、良かった。ようやく踏ん切りがついたよ」
そして、操の頭に何かが振り下ろされて、激痛と共に操はその場に倒れてしまう。さくらは彼女に馬乗りになると、操の細い首を両手で締め上げ始めた。
「あーあ、全部台無しじゃん。責任とってよ」
一際低い声で、彼女の体を強く押した。それが、最期に操が見たものだった。
………………。
『さくらのうちに来てくれない?』
祐介が家に帰って夕食を食べ終わった頃、携帯にはメッセージが届いていた。
あの後、操はさくらと話ができたのだろうか? 少なくとも、自分を招いても大丈夫な状態にはなったのだろう。
「母さん、ちょっと操とさくらんとこに行ってくる」
そう言い残すと、小雨の中を傘もささずに小走りで行く。さくらの家は斜向かい。見慣れた門扉を潜ると、玄関の前でチャイムを押す。インターフォンの返事は無かったけれど、すぐに扉を開けてくれたのはさくらだった。
「いらっしゃい、祐君」
いつもと変わらない表情。少し泣いたのか、目のまわりは赤いけれど、ふんわりと優しい笑顔を自分に向けてくれている。それだけで祐介は少し救われたような気分になった。
「うん、操は?」
「操ちゃんなら私の部屋だよ」
「そうか。あがらせてもらうぞ」
「どうぞどうぞ」
さくらに招かれるままに玄関で靴を脱ぐ。カチャリ、と鍵のかかる音を背後で聞きながら部屋に向かう。たたっ、と彼女が小走りでついてくる音がした。
部屋に入ると、操は床に座り込んでいた。うつむいているため表情は見えない。部屋の電気は消されたままで、真っ暗な中、彼女はじっと座り込んでいるように見える。
「なんだ、お前も泣いたから顔隠してるのか?」
からかうように声をかける。けれど彼女からは返事はない。少し心配しながら、祐介が部屋のスイッチに手をかける。
部屋が明るくなり目の前の状況がよく見えるようになる。真っ赤なシミを広げた服、投げ出された手足、光を失った瞳。
結城操は事切れていた。
変わり果てた彼女の姿に、祐介の胸の中を何かが込み上げてくる。
しかし同時に、何かが彼の後頭部に衝撃を与える。鈍い音、同時に床に転がったのは、花瓶の破片だった。
「ごめんね、祐君。でも、こうでもしないと静かにしてくれないでしょ?」
朦朧とする意識の中、祐介の視界に映ったのは、割れた花瓶を持ったさくらだ。祐介が何かするよりも早く、さくらは彼を床に押さえつける。
普段なら小柄なさくらに押さえつけられたところで簡単に引き剥がせるだろう。しかし、朦朧とする意識の中でマウントをとられて反応が鈍くなる。
「操ちゃんが悪いんだよ」
ひたり、と何かが祐介の肩に触れる。銀色に光る包丁が、祐介の首筋に向けられていた。
「さくら、これ、何の冗談だよ。操と二人で、からかってるんだろ?」
「あはは。冗談なんかじゃないよ。祐君をとっちゃう操ちゃんが邪魔だったから、私、殺しちゃったんだ。ほら」
天使のような微笑みを浮かべながら、切っ先を祐介に向けるさくら。包丁のきっさきは真っ赤に血塗られていて、握るさくらの手のひらにもべったりと、操の血が広がっていた。
「操ちゃんったら酷いよね。ギリギリのところで続いていた私たちの関係を壊しちゃったんだよ。私は、ずっとこのままがいいって言ってたのに。ずっとこのままなら、三人とも仲良く一緒に過ごしていけたのに……」
「何を馬鹿なこと言ってんだよ!」
「うるさいなぁ! 祐君も私が間違ってるって言うの!」
激昂しているさくら。包丁を握りしめた手が真っ白に震えている。
「私、祐君と操ちゃんの言うことを守ってたよ。なのに、操ちゃんは私を騙して祐君に近づいて、祐君はずっと一緒にいたいって言っていたのに、私じゃなくて操ちゃんを選んだんだ!」
さくらの脳裏に浮かぶのは、自分を小馬鹿にしたように笑う操の姿だ。
彼女に対する恨みで目の前が真っ赤になった時、さくらは彼女を押し倒して、その細い首を渾身の力で締め上げた。当然、操だって抵抗していたけれど、最後には意識を失ったようで、その場で動かなくなった。
このままでも殺せるかな、と思ったけれど、さくらは念には念をいれて、台所から包丁を持ってきた。そして、一度胸を指す。
柔らかい感触を感じながら、まだ十分じゃないかもと思って腹も指す。
赤い血が自分の手を汚したけれど、気にしないことにする。
だって、少し気分が晴れたから。
何度も、何度も、自分の思い人を盗ってしまった親友を刺す。ずっと一緒にいたいと思っていた人を刺し続ける。ようやく彼女が一息ついたのは、頬を流れていた涙を熱く感じたからだった。
そこからは簡単だ。シャワーを浴びて返り血を流したら、お気に入りの服に着替えて操の携帯で祐介を呼び出す。
案の定、祐介はすぐに彼女の家に来てくれて、さくらは後ろ手に包丁を隠して彼を出迎えたのだ。
「大好きだよ、祐君。祐君ならわかってくれるよね?」
ここに至って、祐介はようやく気がついた。彼女がここまでしなければいけなくなってしまったのは自分の責任だった。
のらりくらりと、自分の気持ちを隠しながら居心地のいい時間を演じていたのは自分だった。さくらはそんな時間に安らぎを感じて依存してしまったし、操は自分自身の気持ちに振り回されて、大切な親友を裏切ってしまった。
いつかは壊れるとわかっていた関係を、見て見ぬふりしていたのは誰でもない。自分自身だった。
「さくら、すまなかった。俺が悪かった」
「どうして謝るのかな?」
「俺がちゃんと自分の気持ちを伝えようとしていれば、ちゃんと勇気を出していれば、こんなことにはならなかった」
「うん、そうだね。祐君がしっかりと誰かを選んでくれていたら、こんなことにはならなかったのかもしれない。でもね、もう遅いから」
「さくら……」
「私はもう壊れちゃった。操ちゃんを殺しちゃった。もう引き返せない。もう元には戻れない。だからね、祐君、もう全部終わらせて」
さくらが舞うように祐介の胸に飛び込む。焼けるような腹部の熱さを感じながら、また彼女を泣かせてしまったと後悔しながら、祐介は呟いた。
「またそれか」
さくらはそっと祐介の頬に触れると、優しく口づけを交わす。愛しい人、もう手に入らない彼に自分の気持ちを伝えるように。
「ごめんね、操ちゃん。私もやっぱり、祐君は渡せない。だからね、これは私の仕返しだよ」
さくらが舞うように祐介の胸に飛び込む。焼けるような腹部の熱さを感じながら、また彼女を泣かせてしまったと後悔しながら、祐介は呟いた。
「ね、これからは三人一緒。ずっとだよ、ずっと、ね?」
最期に祐介が見たのは、泣き笑いのような表情を浮かべた、今にも壊れそうなさくらの顔だった。
………………。
翌日、ワイドショーや新聞はある高校生たちの事件でもちきりとなる。
一人の男子生徒と二人の女子生徒が一緒に死んでいた事件は、面白おかしく拡散されて、ネットではどうしてそうなったのか推論がいくつも飛び交った。
色々な人たちが好き勝手なことを発言したり書き込んだりしたけれど、その中に彼らと本当に親しくしていた人は誰一人としていなかった。
だから、彼女たちの死に際を見た人たちは首を傾げたのだ。
「どうして、この女の子は二人を抱き締めるようにして死んだのだろう」と。
答えを知る者は、もうどこにもいなかった。
ノクターンで別バージョンをアップします。
良ければ、そちらもお楽しみください。