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心臓にもない、脳にもない。  作者: 高松綾香
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小料理屋の少女としあわせのスープ

「誕生日プレゼントだ」


 レイは長い前髪を手でかきあげながら無表情にそう言いつつ阿呆面で立っている男を別室へと案内し、話を続ける。


「この中にいるから、今日持って帰れよ」


「いるって何さ。犬? 犬か。犬だろう」


 ダリーは誕生日プレゼントと言われて少々浮足立っている様子でレイへと尋ねる。いつもの様に薄ら笑みを浮かべながらなかなかドアを開けようとはしないでいる。


「売れ残りだからあまり期待するなよ。ちなみに犬じゃあ無い。いいから早く開けろ」


 やや高圧的な言いように気を悪くすることもなくダリーはドアノブへと手をかける。


「心配しなくても贈り物にケチつけるほど野暮な人間じゃあ無いよ」


「ヤボってなんだ?」


「あぁ、こっちの方では言わないのか。なんて言うか、気を遣えないような……そんな感じの意味。雰囲気で使ってるからその意味で合ってるかって聞かれたら自信はないけど、俺が伝えたかったのはそういうことだから」


 ダリーは一度手をかけたドアノブから手を放しまた話し出してしまう。


「お前こっちに来て何年にもなるのに、いまだに田舎の訛りが抜けないよな」


 レイの言葉にダリーはまた笑顔で返し、話は段々と熱を増す。





 

 二人は以前仕事で一緒になってから意気投合し、全く違う仕事をしている今でも仲が良い。暇があれば身のない話を延々とするような友人関係である。






「俺おばあちゃん子だったからね。たぶんお前じゃあ、俺のおばあちゃん何言ってるか分かんないと思うよ」


 ドアの向こう側から賑やかな話声が聞こえてくる。少女は暗い部屋の隅に小さく座り込み毛布をかぶってじっとしている。


 この屋敷の主人に引き取られてからこんなに賑やかなのは初めてのことだった。


 話している内容に興味はない。


 これまでは奴隷として毎日無理な労働を強いられ、手を休めるたびに鞭で打たれる日々を過ごしていた。ここに来てからの何日かは働かされることも鞭で打たれることもなくただ茫然と時が過ぎるのを待つだけが日常だったが、新しい雇い主が来たのだろう。またあの日常に戻るのかとそんなことを考えながら、ドアが開くのをじっと待つ。


 少女にとってその日常は特につらいものではなかった。


 少女にとってその日常は当たり前のもので、つらいものだということは理解できなかった。


 この時はまだ。






 ドアを開くも目に映るのはカーテンが閉ざされ薄暗く埃っぽいだけの、何の変哲もない、何もない部屋だった。


 ダリーはレイの方を振り返り阿呆面で言う。


「何にもいないよ」


「中に入れって」


 レイに背中を押されて中へと足を踏み入れると、部屋の隅に彼女はいた。


 何もない部屋、その片隅に毛布に包まり伏し目がちな碧い瞳がダリーへと向けられていた。


「真面目に?」


 ダリーはレイの方を振り返り、目を丸くして尋ねる。その顔にはいつものような笑みはない。


「引き取ったはいいが買い手がつかなくてな。お前人手が欲しいって言ってただろう」




 レイは特に隠すことは無いというような様子で少女についてその場で話した。ダリーへと事情が告げられる間も少女の瞳は初めて会うその男へとむけられたままだった。




「言いたいことは山ほどあるけど、とりあえずこの子はもらっていくわ」


 そう言ったダリーの表情はいつも通りに薄ら笑みをうかべたものだった。


「あぁ。礼はいいぜ」


 レイもいつも通りの無表情でそう告げて、屋敷から出ていく二人を見送った。




 


 肌を隠せる程度のぼろ切れに大人用のコートを羽織った少女は今あったばかりの男について街を歩く。夕暮れ時の街を見るのは久しぶりだった。ずっとどこかも分からない穴の中で過ごしていた。屋敷へ連れて来れれたときも窓のない車の中でうずくまっていた。


 薄暗くなった街には明かりがともり幻想的な風景を作り出すが、少女の目に映るのは新しい主人の背中だけだった。名前も分からないその男は時々少女の方を振り返りちゃんとついてきているのかを確認する。その顔は今まであってきた大人たちとは違って何を考えているのかわからないような笑みを浮かべたものだがそんなことはどうでもいいことだった。




「ごめん。今日は休みなんだ」


 ダリーは小熊亭という看板の下に集まっていた数人の男女にそんなことを言って解散を促すと、少女の頭に手を乗せて言う。


「今日からここがお前の家だ」


 少女が伏し目がちに店の看板へと視線を向けると、ダリーは頭に乗せた手に力を込め更に上を向かせ、この上ね。と笑顔で告げる。


 ダリーは鍵を開け少女の背中を押して店の中へと案内する。店内はカウンター席が八つあるだけの小ぢんまりとしたものだった。厨房の方へと回り込み奥にある階段で二階へと上がる。階段を登りきったところに段差があり履物はそこで脱ぐようにダリーは指示をする。


「ここがトイレとお風呂とキッチンね」


 そう告げるとダリーはさらに上の階へと上がって行く。少女もそれについて行くと階にはドアが三つあった。


「この右の部屋ね。左は俺、ここにいるときは大体寝てるから、用があったら入って起こしていいからね」


 ダリーに案内されたのは椅子と机とベッドだけが置かれた簡素な部屋だった。窓が一つとクローゼットが一つ、天井は意外と高く壁は白。


「元は来客用の部屋だったけど誰も来ないし好きに使って」


 そう付け足すとダリーは少女の頭をワシワシと撫でてニっと笑う。


「私はこれから何をすれば良いのですか」


 ダリーの前で少女が初めて話した言葉がこれだった。その表情には何の感情も込められておらず、声色からも気持ちを悟ることなどできそうにもない。こういった部分のせいで買い手がつかなかったのだろうとダリーはそんなことを思いながらも、いつもの薄ら笑みを浮かべた表情で言う。


「まずはお風呂だね」




 シャワールームには人間が丸々入ってしまうくらいの大きさの桶が設置してあった。少女はそれを何に使うのかなどと考えることもなくシャワーを浴びて外へ出ると、ダリーがいた。奥のキッチンの方へと向かって何かをしている。


 シャワールームへ入る前に渡されていたバスタオルで体の水気をふき取っていると、ダリーが険しい顔で少女へと歩みより髪の上から頬へと触れる。


「ちょっとまって、もう一回」


 そう言うと少女の背中を押し今度は一緒にシャワールームへと入る。


「これ、お湯使っていいから。あと頭はこれとこれ、顔はこれ、体はこれで洗って」


 お湯の出し方とシャンプー等の説明をしてまたキッチンの方へと歩いて行く。水にぬれた足跡が床にペタペタとついているが特に気にする様子はない。


 暖かいお湯や様々な石鹸を使って体を流すのは少女にとって初めての経験だった。暖かいお湯は体の緊張をほぐしてくれるようで、肌には水気が浸透したような感覚に今まで感じたことのない気持ちになる。


 少女はシャワールームから出ると新しいバスタオルを渡される。体の水気をふき取ると今度は大きな一枚の布を切り貼りして作ったような衣服を渡される。水色の生地に白や青の線がいくつか入り、薄い紫の花が描かれている。


 少女がその衣服をぼんやりと眺めているとダリーが出来上がった料理をテーブルに置き、うっかりしていたような笑みを浮かべ言う。


「ごめん、わかんないよね。俺の田舎の着物だから。後ろ向いて」


 ダリーは少女の背中を見て一瞬ひきつった表情をすると何事もなかったかのように少女に浴衣を着せる。後ろから袖を通し、床にしびいていた裾を合わせるように腰の位置を折り返し留める。着付けた後さらに少女の金色の髪をタオルでワシワシと乱暴に拭きながら言う。


「これ浴衣っていうんだ。とりあえず明日服買いに行くからそれまでこれで我慢して。苦しい?」


「いえ、大丈夫です」


 少女は見ていただけではよくわからなかったが手際よく着付けてもらった青色の帯を眺めながら淡々と答える。 


「よかった。じゃあご飯にしよ」


 ダリーは椅子を引いて少女を座らせると、向かい側に座り両手を合わせて言う。


「宗教とかやってる?」


 少女は何年か前に熱心に神をあがめている人に話を聞かされたことがあったので、宗教については知っていたが自身がどうということは無かったので無表情で答える。


「いえ、そういうものは……」


「ならよかった。じゃあ、いただきまーす」


 ダリーは少々食い気味にそう言うと、料理へと手を付ける。


 テーブルの上にはクリーム色のスープと白身魚の焼き物、肉と根菜の煮物とサラダが二皿ずつとグラスに注がれた金色の飲み物が二つ、バケットが一皿に盛られてある。少女は簡素ながらも美しく盛り付けられたテーブルの上の料理を眺めつつも手を付けようとはしない。


「食べていいよ」


 ダリーはにやけ面でそう言う。


 許可を得た少女はスプーンを手に持ちクリーム色のスープに手を付ける。やや深い皿に盛られたスープには中央に緑色の葉のようなものが散らされている。スプーンで掬いあげると少々のとろみがありぽたりと落ちた雫は跳ねることもなく皿の中のスープに溶け込んでゆく。


 丸いスプーンになみなみと掬われたスープに唇を添えて口の中へと流し込むと、まず少女が感じたのは温かさだった。流れ込んだスープは口の中に一瞬で浸透し、ほのかな塩味と甘さを伝え、あとには滑らかな舌触りと雲を呑んだような風味だけを残す。


 少女は何年も温かい料理を口したことは無かった。こんなにも明るい部屋で、こんなにも多くの料理に囲まれることは初めての経験だった。


 ただ口に入ればいい。ただ腹を満たせればいい。目の前にはただ食べられるものがある。少女のそんな考えはそのスープを口にした途端に崩れ去った。テーブルに並んだ料理の香りが鼻腔を刺激する。口の奥から涎が溢れ、腹が熱くなるのを感じた。


 今まで当たり前に行っていた食事とは全く違うもの。何を食べても同じ味としか感じなかった少女は、モノクロだった世界が色づいていくような感覚に包まれた。




 静かだった。伏し目がちだった目を開きその碧い瞳を輝かせてテーブルに並んだ料理を次々に口へと運ぶ少女を眺め、ダリーは不安な気持ちに駆られていた。




「これは、なんというか……初めての感覚です」


 料理を食べ終え、口の端にパンくずをつけた少女はまっすぐにダリーを見てそういった。


「お腹いっぱいになった?」


 いつも通りの笑い顔でダリーは尋ねる。


「はい。とても……あと、とても暖かいです」


 少女は一瞬視線を落とし、再度彼を見つめなおしてそういった。涙ぐんでいるのか碧く澄んだ瞳は輝きを増し、白く傷の多い華奢なその手は強く胸へと当てられていた。


「幸せって知ってる?」


 ダリーは何の含みも持たせずただそう尋ねる。


「その言葉は知っていますが、それがどういう感情を指すものなのかはわかりません」


 少女は視線をそらさずにそう言うと、ダリーは友人に向けるような笑顔で告げる。


「そんな感じだよ」




 夜、ダリーから与えられた部屋、ベッドの中で少女は今日の出来事を思い返す。暖かいシャワーや香味豊かな料理、じっとうずくまっていた暗い部屋、屋敷から連れ出されて気にも留めていなかった街の明かり、頭に乗せられた手のこと。 


 それを思い返すと胸が温まるような感覚に包まれる。これが幸せというものなのだとダリーは言っていた。


 胸の温かさの奥に刺さる棘のような感覚。


 ぼんやりとした不安を抱えながら少女は眠りについた。

 

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