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1. 結婚式

 青い空と青い海の間に、沢山の白い鳩が放たれました。どれも、白い薔薇の花びらを嘴に咥えたり脚の爪で掴んだりしています。鳩たちが羽ばたくにつれて、羽根と一緒に薔薇の花びらが雨のように降り注ぎます。

 花びらを受け止める海は、細かく白い波飛沫をレースのように宙に上げています。そんな無数の波を作るのは、海豚(いるか)や飛び魚の群れでした。鳩たちに負けまいとするかのように、次々と海面から飛び上がってはくるくると回ってまた海へ戻っていきます。

 海豚や飛び魚たちが描くアーチを潜るようにして、美しい船がゆっくりと港から沖の方へと進んでいきます。風を受けて大きく広がる帆から、波を割る船首(せんしゅ)まで全て真っ白で、さらに金や銀の細やかな装飾に飾られています。舳先(へさき)で微笑む女神の像は、両の目に宝石がはめ込まれ、髪には真珠が飾られていました。今日のために陸と海の美しいものを集めて特別に作られた船でした。


 今日は、人間の王子様と人魚のお姫様の結婚式の日なのです。


 白い船の(へり)から、華やかな衣装を纏った王子様が海に向かって手を振ります。それに応えて、人魚のお姫様が海面から上半身を出して微笑みます。まるで人間のような姿ですが、水の中では見事な尾ひれが鱗を輝かせていることでしょう。海の魔女の魔法で、声と引き換えに二本の脚をもらっていたお姫様ですが、王子様がお姫様の想いに気付いてくれたので、声も尾ひれも取り戻していたのです。


「さあ、お願いします」


 王子様が――結婚式にふさわしく――白いローブを纏ったおじいさんにぺこりと頭を下げます。海の魔女ではなく、人間の魔法使いです。王子様がお姫様とずっと一緒にいられるように、人間を人魚にする魔法をかけるのです。


 船の縁に腰掛けた王子様の前に、魔法使いが跪きます。王様や王妃様、大臣たちが見守る中で、不思議な呪文が響きます。それに魔法のお香から仄青い煙が立ち上って王子様を包みました。王子様の全身を覆うマント、これもまた複雑な文様が縫い取られた布地に、その煙が染み通っていきます。


「陸の王の子よ、海の一族に生まれ変わりなさい」


 魔法使いはそう唱えると、微かに漂う煙を吹き飛ばしました。それと同時に、王子様のマントをさっと取り払います。すると、空にも海にも負けない真っ青な、サファイアを並べたかのような美しい尾ひれが現れました。


「ありがとう、私は愛する人のところに行きます」


 王子様は嬉しそうに尾ひれを一振りしてから、船の縁を越えて海へと飛び込んでいきました。尾ひれの使い方に慣れていないからでしょう、海豚たちよりもずっと大きな水飛沫が上がります。泳ぎ寄ってきた人魚のお姫様を抱きしめるのもぎこちなくて、金色の髪を戴く王子様の頭は水面に浮き沈みしています。抱きしめるのと泳ぐのを、まだ同時にはできないのです。

 でも、王子様もすぐに海での暮らしに慣れるでしょう。ルビーのような深紅の尾ひれを水中に鮮やかに揺るがせて、お姫様が泳ぎ方を教えていますから。一度は魔女のものになってしまった美しい笑い声が響いて、見守る人や鳥や魚たちをうっとりとさせています。


「どうぞ、末永くお幸せに」


 塩水でも錆びることがないように、金と銀のめっきを施して色とりどりの宝石で飾った花束を海に投げるのは、人間のお姫様です。もともとは王子様はこの方と結婚するはずでしたが、人間のお姫様も、陸に上がって口が利けない時の人魚のお姫様のことはとても心配していたのです。王子様が人魚姫に恋したことも、お傍で見てよく知っている方でもありました。だから、大切な二人が結ばれるのを、人間のお姫様は心から祝福しているのでした。


「ありがとう、ありがとう」


 花束が水に落ちて飛沫を上げる前に、人魚のお姫様が跳び上がって受け取りました。尾ひれの使い方に慣れてきたのでしょう、人魚になった王子様も上半身を水面から出して船の上へと手を振っています。


 若者たちの友情を目の当たりにして、船の上の人間の王様や大臣たちも、海の中の人魚の王様やお姫様のお姉様たちも晴れやかに笑っています。今日はこれからは華やかな宴が開かれます。陸のものと海のものと、それぞれに趣向を凝らした料理やお酒やお菓子が振る舞われて、愛し合うふたりの門出を祝うのです。


 宴の主役は、もちろん王子様と人魚のお姫様でした。でも、ずっと笑顔でふたりを祝福する人間のお姫様のお姿もとても美しくて気高いと、陸の者たちも海の者たちもしきりに褒め称えたのでした。




 真夜中になってやっと宴が終わると、白い船は滑らかに海を滑って港へと入りました。疲れ切って眠そうな顔をした人たちが次々と船から降りて、待っていた馬車に乗ってそれぞれのお城やお屋敷へと帰っていきます。人間のお姫様はそんな人たちひとりひとりに声を掛けてあげるのでした。

 そうして最後のお客を見送って、王様と王妃様にごあいさつした後、お姫様もご自分のお部屋へと戻ります。隣の国から王子様と結婚するためにやって来たお姫様に用意された、お城の高い塔にある一室でした。もともとは王子様のお部屋も近くにあったのですが、今は寝起きする人のいない、とても静かな一角です。


「疲れたからゆっくり休ませてね」


 結婚式のための――といってもお客としてのものですが――豪華なドレスから寝間着に着替えると、お姫様は侍女たちに命じました。お姫様がずっと背筋を伸ばして笑顔を崩さなかったのをみんな分かっていますから、口々にお休みなさいませ、といって部屋から下がっていきました。


 そして誰もいなくなったひとりきりの寝台の上で、お姫様は顔を覆ってしくしくと鳴き始めました。


 お姫様は、王子様のことがまだ大好きだったのです。ずっと結婚するお方だと思っていて、そのために故郷の国からはるばる旅してこの海辺の国まで来たというのに、王子様は人魚のお姫様を好きになってしまったのです。どうして悲しいと思わずにはいられるでしょうか。

 王子様は、命を助けてくれた人と結婚すると言っていました。確かに嵐の海から王子様を救い出したのは人魚姫です。でも、お姫様だって浜辺に倒れていた王子様に駆け寄って助け起こしたのです。その後お医者様を呼んだのも、王子様が目を覚ますまで介抱したのもお姫様だったというのに。


 ああ、でも、人魚姫は泡になって消えてしまうところだったそうです。もしも王子様があの子に気付かないまま、お姫様と結婚していたら。

 まさか人魚だなんて思ってはいなかったけれど、ひと言も喋ることはできなかったけれど、とても優しい娘なのはお姫様も気付いていました。実は手に入れたばかりの脚で、痛みを堪えながら歩く姿も健気でした。だからお姫様も手を差し伸べて、気に懸けてあげていました。たとえお喋りはできなくても、お友達だと思っていました。お友達が消えてしまうことも、お姫様は望んだりしません。


「だからこれで良かったの。ふたりは幸せになるのだもの」


 お姫様は一生懸命、自分に言い聞かせようとしました。でも、涙は止まってはくれません。どんなに言葉を尽くして仕方なかったのだと信じようとしても、悲しい気持ちを抑えることはできなかったのです。


 そうしてどれだけ泣き暮れていたでしょうか。さすがに疲れてうとうととまどろみ始めたお姫様は、こつこつ、という音で我に返りました。どうやら窓の方から聞こえてくるようです。でも、いったい何の音でしょうか。ここは高い塔の上で、登ることができる人なんていないでしょう。鳥が飛んでくることはあるかもしれませんが、こんな真夜中ではツバメもヒバリもみんな眠っているでしょう。


 すっかり怖くなったお姫様は、息を呑んで厚いカーテンに閉ざされた窓を見つめました。すると、窓の外から声が聞こえてきます。


「どうか開けてください。私です。私の声が分かりませんか?」


 それを聞いたお姫様は、あまりにびっくりしてすぐには答えることもできませんでした。だって、その声は王子様のものだったからです。人魚姫と結婚して、魔法で足を尾ひれに変えて、今は珊瑚の寝台で眠っているはずの方の声です。いったいどうして、こんな陸の上にいらっしゃるのでしょうか。

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