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同窓会は秘密への扉  作者: 井嶋一人
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Episode 8  西村章江・片桐玲子

Episode 8  西村章江・片桐玲子


 奈美子は写真の裏に書かれている電話番号に電話をした。どこの誰か分からない相手に電話を入れるのは気が引けたが、今はここしか母親につながる手がかりはない。数回の呼び出し音のあと、母親くらいの年齢と思われる女性の声で「もしもし」と聞こえた。

「あ、あの突然のお電話申し訳ありません。私、西村章江の娘で奈美子と申しますが…」

そう言い終えるか終えないかのうちに、女性が返した。

「初めまして。片桐玲子です。いつか連絡来ると思ってましたよ」

唯理子のいう「玲子さん」で間違いない。

「章江さん亡くならはったんやね。いや、ずっと電話出はれへんし、折り返しもないからから、どないしたんやと思って、家まで訪ねたのよ。そしたら、ご近所の人が」

「はあ、そうでしたか」

「奈美子ちゃん、話は章江さんから聞いてるわ。東京に居てはるんよね?」

「ええ、そうです」

「今は大阪かいな?」

「はい」

「いつまでおるんよ?」

「明後日東京に戻ります」

「そうか。私京都におりますねん。明日にでもよかったらお越しになりません?」

「よろしいでしょうか」

「かまへんよ。ほな明日の十二時に、京阪四条の駅でどうです?」

「はい、ありがとうございます」

「ほなよろしく」

突然の京都行が決まった。しかし、考えてみれば変だ。奈美子は何も言っていないのに、会う話がトントン拍子に決まったのだ。玲子はまるで奈美子の来訪を待っていたかのようであった。


 同窓会に出席して以来、奈美子の記憶に新しいファイルが作られた。奈美子自体に大きな変化があったわけではない。過去を掘り返しているだけといえばそれまでだ。しかし、奈美子の知らない二十年を掘り起こしたことで、分かったことがある。奈美子自身は、平坦で、言い方は悪いが同じことの繰り返しのようでしかなかった中学時代、思いのほか、他の同級生に影響を与えていたということだ。真理にしても、孝道のことにしても、沙織のことにしても、ただ思うままに行動していただけだが、皆の記憶には残ってしまったのだ。嬉しいのか重々しいのか、奈美子にもよく分からない。

 同級生との出会いを繰り返す中、今度は自分の過去に向き合うことになってしまった。母親の人生、実父のこと…後戻りはできない。知るところまで知るしかない。


 翌日、奈美子は約束通り、十二時少し前に京阪祇園四条駅に着いた。改札を出たところで、電話を入れると、目の前にいた女性がバッグから携帯を取り出した。その女性が電話に出ようとしたところで、奈美子と目が合った。女性の方もすぐに気が付いたらしく、結局電話で話すことがないまま、二人は一礼した。

「玲子です…。あんたが奈美子ちゃんか…ほんま、章江さんによう似てるわ」

その女性は、上品で落ち着きがあった。京女を地で行くような人だ。

「はじめまして。西村…いえ、戸田奈美子です」

そうそう、結婚してたんやったな、と玲子が言った。奈美子のことについて一通りのことは母親から聞いているようだった。

 玲子は、この近くに住んでいるから、よかったらうちで御昼でもどうか、と奈美子を誘った。ええ、もちろん、と奈美子が快諾すると、そのまま歩いて自宅へ向かった。

 五分くらい歩いて玲子の自宅に到着した。やや小さめであるが、現代的な造りの一軒家だった。

 ダイニングに通されると、すでに料理が準備してあった。玲子にとっては久しぶりの来客、しかも大事な友人の娘が来るとあって、腕によりをかけたのだ。奈美子は料理を見て、何となく母親のセンスだと思った。

「章江さんに料理教わったのよ。昔は私料理全然でね…。大丈夫、今は章江さんに負けんくらい上手やから」

そういうことだったのか、と奈美子は納得した。見た目もそうだし、匂いも母親のそれを思わせるものだった。その時、奈美子の中に急に寂しさが生まれた。母親の死を初めて実感したのだ。似たような料理は食べられても、同じものはもう食べられない。似た料理を目の当たりにすることで、それをまざまざと思い知らされたのだった。

 もちろん玲子は悪意でこんなことをしたわけではない。奈美子にとって懐かしい味を少しでも再現できたら、という思いでしたことだ。奈美子もそれは承知している。が、涙こそ出なかったが、どうしようもない切なさに襲われた。


「で、誰から聞いたん?」

「はい?」

「私のこと」

「誰から…」

誰からになるのだろう。直接玲子のことを教えてくれたのは唯理子だ。しかしその前にカズが三田隆治と章江の話をしなければ、奈美子が実家に戻って写真を発見することもなかっただろう、と考えると、カズも無関係ではない。少し考えた後の奈美子の答えは

「まあ、色々」

だった。それを聞いて玲子はなぜか可笑しくなって吹き出した。奈美子もつられて笑ってしまった。

「というか、これがきっかけで」

そう言って奈美子は、例の写真を見せた。

「ああ、これな。どこやったかいな、大阪のイタリアンレストランで撮ったやつや」

唯理子もイタリアンレストランと言っていた。ただ、玲子の方は詳しい場所は覚えていないようだった。

「あの、率直に伺いますけど、私の実父って、もしかして三田隆治ですか?」

奈美子が写真に写る三田隆治を指差しながら聞く。まず確かめたかったのはそれだ。カズと異母兄弟であるかどうか、やはり気になっていた。

「違う違う。あんたのお父さんはもう一人の方や」

もう一人の方とは、写真に写っているもう一人の男性ということか。となると、高島善之の方になる。いずれにしても大物だ。彼は数年前に亡くなっているが、確か、何度か大臣を務めたはずだ。

 ということは、奈美子がずっと聞かされていた「父親は死んだ」というのは、少なくとも奈美子が産まれた時に関しては嘘、ということになる。

 しかし、長年の秘密を、こんなにあっさりした口調で言われてしまうと、驚く暇もなく、奈美子は「はあ、そうですか」と冷静に聞くしかなかった。本来なら開いた口がふさがらなくなるような案件である。

「どっから話したらええかな。ま、高島さんが客で来てたけど、そのうち章江さんと恋に落ちはったってことやけどな…」


 

*           *


 章江さんは徳島の田舎出身だった。もともと地主の家系で、父親が工場を経営していて、それは羽振りが良かったらしい。しかも一人娘ときているから、「いわゆる田舎のお嬢様や」って本人もよく言ってたけど、上品な、悪く言うとちょっと気位が高そうな感じの人だった。私はそんなとこも好きやったけど。

章江さんは京都の女子大に通っていた。けど、大学二年の秋、お父さんの工場の経営があぶなくなって、仕送りを止められるかもしれないという事態に陥った。学費は前払いしておいたので、二年の間は大丈夫だけど、三年以降は分からない…ということだった。章江さんは悩んでた。大学を辞めて田舎に帰るつもりだったみたいだけど、両親は「お前は心配せんでええ。学費と生活費くらいなんとかなる」の一点張りだった。それが本当なのか強がりなのか、章江さんも分からなかったようで、お嬢さんの章江さんはどうしていいか分からず、途方に暮れていたって。


おそらく、章江さんを初めて見たのはそんな時だろう。梅田の阪急だったかな、なんかえらい綺麗な人がおるなーって。でも、何か心ここにあらずみたいで、ぼーっとしてたっていうか、凄くうつろな目をしてた。それで、ちょっと心配になって、声掛けたんよ。「あんた、大丈夫か」って。今やったら、新興宗教か何かやと思われて怪しまれるかもしらんけど、昔の大阪は、知らん同士でも普通に声掛けたりしてたから、そのままお茶でも飲もうかってことになって。

で、色々家の事情とか聞いて、それやったら、私が働いてる店で働かんかって、ダメ元で誘ってみたんよ。お嬢さんやし、断りはるかなとも思ったんやけど、「ぜひやらせてくれ」って前のめりで話されて、こっちがびっくりしたわ。そういう時って、逆にお嬢さんの方が腹据わってるんやな。まあ、戦後すぐの時、生活のために米軍兵相手に体売ってたのもお嬢さんとかお金持ちのマダムとかが多かったっていうし、そういうところはあるのかもなと、その時思ったわ。もっとも、うちは売りはやらんかったから、それと一緒に考えたらあかんかもしらんけどな。で、その日の夜、店に案内した。その頃は西九条の方でやってたんかな。当時のママが章江さんを見て一発で気に入って、即決採用やったわ。聞いたかもしらんけど、うちの店は空きが出来たらスカウト、ってのが決まりやったけど、章江さんは特例やった。二週間くらい研修させて、店に出したらたちまち人気者や。そやけど、うちはナンバーワンとかそういうのなかったから、いやらしい競争とか、足の引っ張り合いみたいなのはなかったし、やりやすかったんちゃうかな。よくも悪くも皆自分のことしか考えてなかったわ。皆普通の女子大生とか、OLとかそんなんやったし、あくまで自身のステップアップくらいしか思ってなかったよ。それは今もそうちゃうかな。私も一応、当時は京都の、それなりに名の通った四大に通ってて、将来自分で会社を興したくて、でも、当時女の子でそんなん考えてるのおらんかったしな。まだOL腰掛どころか、学校出たら花嫁修業が当たり前の時代や。周りとも何となく合わなくて、浮いてた時に当時のママにスカウトされて店に入ったんや。


それから半年ほど経ったかな。何だかんだで章江さんの仕送りが止まることもなく、そのうち工場の方も持ち直してきたみたいで、章江さんも店辞めはるかなと思ったけど、「面白いから続ける」って言って。彼女も色々野心が出てきたみたいで、やっぱり同じように会社を立ち上げたいって思ったみたいや。お客には当然大企業の役員クラスも結構おったし、参考になる話を聞きたかったとか、あわよくばスポンサーを、なんてことも考えてたかもしらん。

それで大学を卒業して、一旦章江さんは商社のOLになったわ。言うまでもなくお客さんのコネや。章江ちゃんにも実力はあったやろうけど、利用できるもんは利用するってことなんかな。会社勤めするようになって、店にはあんまり出て来なくなったけど、完全に辞めることはなくて、週一回は来てた。私は就職せずに。そのまま会社興すためにそこでしばらく頑張ってた。

そんな時かな。お客で三田隆治と高島善之が来たんよ。当時は二人ともお偉い大臣さんの秘書で、そのうち議員になるんやって、ぎらぎらしてたわ。いや、それまでも来たことはあったけど、一お客一ホステスって感じでしかなかってけど、その日はたまたま私達だけしかホステスがいなくて、ちょうど二対二になったんよ。そしたら思いの外盛り上がってしまって…。それから、ちょくちょく四人で会うようになってな。まあ、そういうても、忙しい人らやから、ひと月に一回とかそんくらいやし、もちろん店にも来てくれて、一応同伴やアフターってことにしてた。いわゆる集団デートのノリやな。でもある時、三田さんと章江さんが二人で会ってるとこみてしまった。んで、それから数日と経たないうちに、今度は高島さんと章江さんが二人で会ってるとこも見てしもて。これは私、ダシに使われたんや、と思って、凄くショック受けた。私は二人に特別な感情はなかったけど、二人で章江さんを奪い合ってて、自分は単におまけで蚊帳の外って、やっぱりあんまりいい気はせん。そやけど、章江さんや三田さんたちを責めるのは間違ってると思ったし、葛藤があったわ。それからしばらくは挙動不審やったやろな。章江さんに話しかけられてもどっかよそよそしかったと思うし、四人での付き合いもあったけど、自分だけどこかガラス越しに三人を見てるような印象やった。


そんなもやもやした日々を送ってたら、ある日三田さんに呼び出されてな。何か思ったら、店辞めて、俺がサポートするから会社やらんかと。それで、嫌じゃなければ俺と付き合わないかと。私、この人何言ってんのかと思った。私思わず言うてしまったわ。「章江さんに振られたから私ですか」と。そしたら三田さん、きょとんとしはって。俺は別に章江さんのことは何とも思ってないと。ずっと君だけを見てた、章江さんにご執心なのは高島さんの方だと。ふーん、とその時は思った。でも、確かに二人きりで会ってたからといって、逢引をしていたとは限らない。もしかしたら章江さんに私のこと相談してたのかもしれないし、実際に過去にそういうことは自分もあった。ので、それ以上突っ込まず、ただ意外な申出ではあったから、少し考えさせてくださいと言ってその場は別れた。

悪くない申出だ。もちろん相手は将来的に国会議員になるような人やし、結婚までできるかどうかはわからない。実際、お見合いの話は来てたみたい。だからってわけじゃないが、代わりに自分の会社を持たせてくれるのだろうか。愛人ってやつか…色々な考えが頭をめぐったわ。

結局章江さんに相談することになった。何だかんだ言って、こういう相談が出来るのは章江さんしかおらんかった。すると章江さんも高島さんに同じことを言われたという。章江さんも自分で会社を立ち上げたいと言ってたから、それならいっそ二人で立ち上げようってことになって。そうすれば三田さん達の負担も減るだろうからってことでちょうどいいかなと思ったし。三田さん達は快諾してくれた。

会社立ち上げてからは、しばらく店には出なくなった。数年後にダブルママとして復活することになるけどな。会社立ち上げのその後も四人で会ってたけど、私は三田さんと二人で会うことが多くなったし、章江さんも高島さんと二人で会ってたわ。向こうがこっちに来たり、こっちが東京行ったり…今から思えば、よう仕事も恋愛もやったわ。ま、東京行くのは出張も兼ねてたから出来たのかもしらんけど。


一年くらい経ったころかな。章江さんが「お腹に赤ちゃんが出来た」って言ってきた。高島さんの子やって言ってた。産むのか、と聞くと、そのつもりだと。彼に迷惑はかけない、一人で育てるって。当時は政治家っていうたら自由恋愛なんか出来んかった。結婚は無理やから、せめて子供だけでも、って思ったんやろう。高島さんもそこは認知してた。で、あんたが産まれたってわけや。でも、さすがに本当に一人で育てるってのは難しいって思ったんか、田舎からご両親呼んで、一緒に暮らし始めたんよ。ちょうどご両親も工場を畳もうかどうしようか悩んでたところで、渡りに船やったみたいや。未婚の母って事情は知ってたけど、相手が相手やし、しゃあないってことで受け入れてくれたって。ほんま、恵まれとるわ。

そやけど、気悪せんといてな、あんたが産まれてからも、章江さん、高島さんには会ってたよ。男女の関係というより、ビジネスの相手に近かったけどな。高島さんも程なくして結婚しはった。でも、店では一応お得意さんやったし、会社の方の顧客やらも色々紹介してもらってたからな。もちろん相変わらず四人でも会ってた。でもな、なんか男女の空気じゃなくてな、同志っていうか、仲間っていうか、不思議な関係やったな。

章江さんに、高島さんに対する感情がなくなったといえば嘘やろ。そやけど、下手に感情持ちだすより、クールにビジネスをこなす方が関係が続くことも分かってた。そんなこともあって仕事に打ち込んでたんやろな。もちろん、奈美子ちゃんをきちんと育てなあかんてのもあったやろうけど。

奈美子ちゃんの写真は、定期的に高島さんに見せてるって章江さん言うてた。高島さん、奥さんとの間にも三人も子供おるし、今考えたら、よう隠し子のことばれんかったなと思うわ。まあ、当時は写真週刊誌もネットもなかったし、そういうの暴こうとする人もおらんかった。ええ時代やったんかもしらんな。


んなこんなで、章江さんとは数十年、二人三脚でやってきた。けど、二年前に会社を畳んで、店の方も次のママに譲ってからは、全然会ってなかった。連絡はしてたけど、私の方からするだけで、向こうからはかかってこなかった。章江さん、あちこち旅行行ってたのは知ってると思うけど、会社を畳んだのは、別に遊びたかったわけやないと思う。高島さんが亡くなったことが大きかったんちゃうやろか。「仕事」って名目でも高島さんに堂々と会える。でも、それが出来なくなって、奥さんや家庭のことを考えたら、お通夜告別式くらいには顔出せても、そこまでや。おちおち墓参りにも行けない。愛人みたいなもんやったしな。奥さんとかと鉢合わせが続くとさすがにまずい。そんなんやったから、あちこちに高島さんの残り香がある会社を続けるのは辛かったんやろ。「畳みたい」って章江さんが言うた時も止めんかった。私は単純に疲れてたし。もうええ年やからっていうだけやったけどな。死ぬまで遊んで暮らせるだけのもん貯め込んだからからええか、みたいな。でも、章江さんがあちこち行ってたのは、はっきり気を紛らわすためやろ。それと、生前は叶わなかった高島さんとの旅行や。きっと写真持って行ってたと思うわ…


*            *


「ま、私が話せるのはこんくらいや。なんか他に聞きたいことある?」

奈美子はそれ以上母親について聞きたいとは思わなかった。どのみち父親である高島ももうこの世にはいない。涙のご対面は、残念ながら叶うことはないのだ。

 それより奈美子が気になったのは、玲子自身のことである。三田と恋仲になったところまでは聞いたが、玲子には子供が出来たりしなかったのだろうか。いや、もっと平たく言うと、カズの母親が玲子ではないのかという疑問が湧いてきたのだ。

「あの、玲子さん自身はどうだったんですか?三田さんとの間には、その…」

玲子は、いきなり自分のことを振られるとは思っていなかったので、一瞬狼狽の表情を見せたが、すぐに頭を切り替えた。

「私?まあ、普通に恋人同士やったな。ただ、三田さんの方は結局すぐにお見合いで結婚したから、ほぼ最初から愛人やったし、章江さんみたいに子供とかは考えたことはないわ。そやけど、奥さんあんなことになってもうて…」

「あんなこと?」

「うん。男の子産んですぐに、奥さん亡くなってもうたんや。もう、大変でな。奥さんのご両親は『娘を返せ』って半狂乱になるし、『娘の命を奪った子供なんか面倒見ん』言うて…。三田さんの両親は姫路におったけど、ちょうど三田さんのお兄さんのとこにも同時期子供が産まれて、そっちに掛かりきりやった。なもんで、実は私と章江さんがしばらく面倒見てた。章江さんがあんたを産むちょっと前に向こうが産まれて、『一人も二人も一緒や』言うて、母乳あげてたわ。つまり、あんたとその子は乳兄妹ってことになるな。結局、三田さんの従兄弟夫婦がその男の子を引き取ることになったけど、章江さんのご近所さんやった言うて、びっくりしてはったわ。娘と同級生になるって」

乳兄妹…要するに、血縁はないが、同じ母乳で育った者同士ということだ。その男の子というのが、カズであることに相違ない。カズの実父、つまり三田隆治がカズに会った時に言っていたという「お世話になった」ということの意味が、奈美子ははっきり分かった。奈美子とカズの間には、ただならぬ「関係」があったのだ。カズを見た時に感じていたシンパシー。やはり奈美子がカズに対して抱いていたのは恋心ではなかった。だが、他の女子のように単純に「キモい」「暗い」と思えなかったのは、同じ母乳を分け合ったという、濃い繋がりがそうさせていたのかもしれない。


その時、奈美子の心にふと疑問が湧いた。母親はなぜ、直接奈美子に、父親が誰であるか言わずに、こんな回りくどいやり方を取ったのだろうかと。あるいは、最初から言うつもりはなく、文字通り墓場まで持って行くつもりだったのか。しかし、それならそれで、わざわざ金庫にこんな写真を遺すなどといった思わせぶりなことをするのも変だ。どっか適当にその辺に写真が落ちていたのを偶然発見したとかならまだしも。その疑問を奈美子は玲子にぶつけたところ、玲子の返事はある意味的確と言えるものだと奈美子は納得した。

「…たぶん、直接言うても信じてもらえんと思ったんちゃうかな。そんな、自分の実の父親が大臣まで務めるような大物やって聞かされて、すんなりああそうですか、って信用できるか?」

「…そうですね。時期にもよりますけど、『お母さん、ボケたのかな』と思ってしまいますね」

「そやろ?それやったら、ヒントだけ示して、第三者の口から聞く方が信憑性あると思ったんちゃう?」

もしそれが本当に母親の狙いだとしたら、それは大成功ということになるだろう。


*           *

 

 奈美子は、カズの店に出向いた。とにかく会って話がしたかった。血を分けた、ならぬ乳を分けた「兄妹」がそこにいるのだ。このことをカズに話すかどうかはまだ決めていなかった。改めて言うのも照れくさいし、そもそも信じてくれるかどうかも分からない。でも、いずれは真実を知らせたい。なので、成り行きでいいだろうという気持ちでいた。一人っ子の奈美子にとって、カズとは長い付き合いでありたいとも思っていた。


 奈美子は、営業時間よりも前にカズの店を訪れた。ドアを開けると、開店準備をしているカズがいた。

「あれ、奈美子さん、どうしたの?」

「うん。今度うちの雑誌で『イケメンゲイ』の取材の話があって、三田君どうかなと思って」

「そりゃ光栄だな。ま、座って。今日は僕一人だからゆっくりしてっていいよ」

取材の話はもちろん嘘である。しかし、そういう言い訳でもないと店を訪れづらかったのも事実だ。この店では自分はよそ者である。物見遊山で何度も訪れるのは失礼な気がした、

 一応過去に本当にそういう取材をしたことはあったので、その時の雑誌を持参して、「こんな感じになるけど」ともっともらしく紹介はした。カズは雑誌を見て、「うん、これだったら協力できるかも」と満足げな様子だった。宣伝にもなるし、ってことで奈美子に一杯おごることにした。嘘の取材話でおごってもらうのも悪いと思ったが、ここで拒否するのも怪しい。奈美子はカルアミルクを注文した。

「えー、そんな甘ったるい、ガキみたいなもん飲むの?」

「いいじゃない、たまには。三田君もカルアミルクどう?」

「何でカルアミルクなのさ?ま、いいか。たまには甘いもんもいいか」

「そ。たまにはね」

カズは意味も分からずカルアミルクで奈美子と乾杯した。とはいえ、実はカズも一人で店番の時にはたまに飲んでいた。疲れた時や仕事の前にはこの甘さが心地いい。


奈美子はスマホから先日会った玲子の画像を出し、カズに見せた。

「ね、この人、誰だか分かる?」

カズはしばらく考えた。見覚えのある顔だが、すぐには分からなかった。

「あ…この人、写真で赤ん坊の僕を抱っこしていた人…かな?老けてるけど、確かにこんな顔だったような…」

「じゃ、そうかもね」

奈美子はその写真を知らないので何とも言えない。ただ、玲子から経緯は聞いていたので、そういう写真があったとしてもおかしくないのは分かる。

「でも、なんで奈美子さんがこの人知ってるの?」

奈美子はそれには答えずに、

「ね、今度この人に会いに行かない?京都にいるから」

「何、いきなり?もしかして、この人って、僕の本当の母親だとか?」

「さあ、それはどうかな。でも、新しい扉が開くかもよ」

奈美子は、自身の扉はもう開けた。今度は、誰かの扉を開けてみたくなった。

「ね、これから時々店に来てもいい?」

「どうぞどうぞ。ただ、金土日は女人禁制だからね」

「了解了解」

奈美子は、カズとは長い付き合いになりそうだと思った。


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