Episode 6 三田一史
Episode 6 三田一史
ライターは、時々普通はなかなか足を運ぶ機会がないような場所に取材に行かされることがある。実はかつてゲイバーに取材に行ったこともある。また、奈美子がモデルをしていた時に、ゲイのフォトグラファーやスタイリスト、編集者がいたので、ゲイのそのものに抵抗はない。彼らは皆一様に繊細で話し上手、センスがよく、ストレートの男性よりも好きだったことがある。「ゲイバーとかゲイクラブに連れてってあげるよ」みたいなことを言われ、実際に何度か足を運んだことがある。でも、奈美子はバーよりも、ゲイクラブの方が気に入っていた。バーは確かにトークとかは面白いのだけど、どこか閉鎖的なところがあり、奈美子のような女性、しかもストレートの女性にとってはアウェー感が強かった。でも、クラブは割とオープンで、ゲイもストレートもレズビアンも皆友達という感じがした。そこで何人か出来たゲイやレズビアンの友人と遊んだりしていた時もあったが、お互い住む世界が違うという感覚は否めず、徐々に疎遠になっていった。出版社勤務時代にも、ゲイっぽい男性社員はいたが、モデルの現場ほどオープンではなく、一応そうであると公言している男性にはお目にかかったことはない。ただ、いい年して独身だったり、女の噂がなかったりすると、「あの人はそうらしい」などと噂が立ったりしていた。
今回は取材ではなく、プライベートで行くことになった。沙織によると、三田一史に似た男性がゲイバーをやっているらしい。で、その店の名刺を沙織が持っており、これは行くしかないと思ったからだ。三田一史は実は奈美子が密かにいいと思っていた男子である。まあ、恋と呼ぶのは微妙だ。告白とか、付き合うとか考えたことはない。一史は奈美子と小学校から一緒だったが、どこか陰のようなものを背負っており、クラスメートにも馴染もうとせず、それでいて勉強はできた、といっても、努力型ではなく、いわゆる天才肌で、勉強そのものを熱心にしている様子ではなく、本などから知識を得ているような感じであった。なので、出来る子でありながら学級委員などは一度も経験はなく、実のところは、はっきり言うと皆から嫌われていた。特に女子の嫌いようは相当なもので、「根暗」「キモい」が女子の彼に対する基本的な評価で、「近寄るな」「話しかけるな」とか散々言われていたし、あれがうるさいこれが不快だと、しょっちゅう言いがかりをつけられていた。
奈美子も初めはその他の女子と同じような目で一史のことを見ていたが、その陰の部分に、他の男子にはない何かを感じていたのも事実だった。恋愛対象というより、純粋に人間として興味があったのかもしれない。それで、本屋で偶然会った時に話しかけてみたら、やはり話が面白く、また思いのほかファッションセンスが良かったこともあって、何となく気になる存在になっていた。
昔の同級生、しかもちょっといいなと思っていた男子がゲイになっているというのは、何とも不思議な気持ちである。まだ本人だと分かったわけではないが、もし仮にそうだとして、向こうは自分のことを覚えているのだろうか。
色んなことが頭を駆け巡る中、とうとう新宿御苑駅に着いた。そのタイミングで同行していた沙織に電話が入り、「急用が出来た」とかで、結局店には一人で乗り込むことになった。いや、引き返してもいいのだが、せっかくここまで来たのだ。昔密かに思っていた男子か、そのそっくりさんでもいいから見てみたいという気持ちには抗えず、飛び込み取材のつもりで店の扉を開けた。
店はちょうどオープン直後のようで、まだ客はいなかった。カウンターの中にいた男性は、一人目の客が女性ということで怪訝そうな顔をした。しかし、すぐ気を取り直したのか、笑顔で「いらっしゃいませ」と言ってきた。
彼の顔を見て奈美子は軽く驚いた。髭を生やしているし、体つきも随分がっちりしているが、紛れもなくあの三田一史であった。声が同じだったのだ。
「一人目の客が女子なんて珍しい。今日は何かいいことか悪いことがありそうだなあ」
冗談ぽくその男性は答えた。ゲイバーのマスターの割には特別くねくねしていると言うこともない。新宿二丁目に店を構えているというだけで、実はゲイではないのかもしれないとも思ったが、週末等はメンズオンリーとなっているということは、やはりゲイに間違いない。
カズと名乗るマスターは、店の名刺を奈美子に渡した。名刺には彼の本名は書かれていない。店の名前と、「マスター KAZU」とあるだけだ。奈美子は相手の反応を見た。特に変わった様子はない。奈美子も自分の名詞を渡したが、うんともすんとも言わずにカードホルダーに仕舞われてしまった。
普通、取材の時は、それが取材内容と関係ない場合は、向こうから聞いてこない限り、「私のことを知っていますか」などというような、お互いの素性について話すことはない。だが、今回は違った。ぜひ聞いてみたい。取材の一環のつもりで、彼の素性について探りを入れてみることにした。
「カズさん。ご出身は」
「大阪です」
「大阪のどちらですか?」
「A区です」
やはり間違いない。彼は三田一史だ。奈美子は気持ちを押さえられず、つい聞いてしまった。
「あの…私のことは…その…記憶に…」
「ないですね」
いともあっさり答えられ、奈美子はやや落胆した。しかし、その直後、一史は薄笑みを浮かべながら言った。
「西村奈美子」
いきなり旧姓のフルネームを呼ばれ、驚いて奈美子は改めて一史の顔を見た。
「俺と話してくれた唯一の女子だからねえ。覚えてるよ」
なんだ、と奈美子が安心すると
「どうしてここの店を知ったの?」
と聞かれたので、素直に答えた。
「沙織分かる?河西沙織。中学で同じクラスだった。あの子がここの名刺を持ってたの。パーティーで手渡されたとかで」
それを聞いた一史はしばらく考えた後、ふっと思い出したように言った。
「あ、久々に大阪に帰った時…美容師のてっちゃん家のホームパーティーに行ったんだ。そこで関西で人気のママタレのヘアを担当してて、その人が来てるとか言って…その時だ」
「気付かなかったの?同級生だって?」
「いや、見覚えある顔だなとは思ってたけど…ご存じの通り、僕、女子に嫌われてたからね。気付いたとしたら逆に目も合わさなかったろうな」
やはり一史にとって、中学時代の女子の仕打ちはトラウマのようだ。
「君はそんな僕にも話し掛けてくれてたけど、まあ、君の力だけではどうにもならなかったね。見事に女嫌いになりました」
そう言われると奈美子も決まりが悪い。他の女子の彼に対する仕打ちを止めなかったのは、やはりそれに加担したも同然だ。
「それって、私達女子のせいなのかな?」
「どうかな。元々ゲイだったといえばそうかもしれないし、でも、昔の遊び仲間の中には、結婚して子供がいる奴もいるからな。そういう選択をしなかったのは、やっぱりあの頃のことがトラウマになってるかもしれないね。まあ、当時を思い返せば、自分も悪かったのかとは思うけど、だからって、ねえ」
* *
「女のいない世界に行きたい」
中学卒業時の僕の願いはそれだった。
とにかく、物心ついた時から「暗い」「キモい」と女子から言われ続けてきた。男子からはただの変な奴くらいにしか思われてなかったようだが。まあ、暗かったことは認める。それこそ物心ついた時から、何だか訳の分からない寂しさというか、孤独感に襲われていた。自分は何か皆と違う。今言うところの「中二病」的な世界観と言われればそれまでだが、どうしても皆に馴染めなかった。その心の中の闇の正体は、あとになって―大学三年の頃だったか―分かることになるだけど、当時は何も知らなかったし、自分でも訳の分からないものと戦っている感じはあった。
平たく言うと、僕は本当の親の顔を知らなかった。いや、父親の顔は知っている。といっても、最近まで直接会ったことはなかった。まあ、この話はまた後で。
生みの親より育ての親、というのは理屈では分かる。もちろん育ててくれた両親に感謝はしている。ただ、そういうことじゃないのだ。何ていうか、「自分は守られている」という感覚が欠けている。何があっても自分を守ってくれる気がしないというのか…。「自分は一人なんだ」という感覚と隣り合わせだったのだ。
そんな感じだったから、どうしても暗さが抜けない。結果として、女子達にそう言われてしまったのだろう。
たまたまちょっと目があっただけで「こっち見んな」と言われる。袖が触れ合っただけで「触るな」と言われる…自分にも問題はあったのだろうけど、これがどれほど僕の心に傷を残したかなんて、彼女達は分からないだろう。おかげで僕は今、満員電車に乗れない。ちょっと自分の腕などが女性の荷物や腕に触れただけで凄く睨まれたように感じ、痴漢冤罪の恐怖に苛まれる。いや、無理すれば乗れるけど、パニック障害みたいになってしまう。これだけは声を大にして言いたい。結婚できないのも、ゲイになったのも自分が原因だろう。でも、満員電車に乗れないのはお前らのせいだ、と。
そんな中、唯一僕と口をきいてくれたのが、西村奈美子という女子だった。女子の中でも大人っぽく、どこか冷めているような感じのする子だった。なんでも母子家庭らしく、だから僕とちょっと通ずるところがあったのだろうか。
始めは本屋で話しかけられた。僕としゃべるなんて勇気のある女子だなと思ったが、その時見ていたファッション雑誌についてちょっとしゃべると、彼女は興味津々で僕の話を聞いてくれたので、僕もつい調子に乗ってしゃべりすぎたような気がする。それから教室などでも時々話をするようになった。
でも、それだけだった。中三の十月頃、ある女子に「本を捲る音がうるさい」とあり得ない言いがかりを付けられたことで、僕の考えは決まった。それまでは公立高校との併願を考えていたが、私立の男子校に志望校を絞ることにした。ちなみに、奈美子はこの日早退していて、事件の時は教室にはいなかったが、彼女が庇ってくれたとも思えないし、またそれを彼女に求めるのは酷というものだろう。
僕は中高大とエスカレーターになっているK学院高等部に進学した。地元から電車で一時間ほどかかるが、同中からの進学者はいなかったので気楽だった。この頃はまだ満員電車には乗れた。今ほど痴漢冤罪がうるさくなかったからだ。
入学してから、何だか妙な視線を感じる。ここでも「キモい」とか言われるのかなと嫌な気分になっていると、ある男子二人が僕に声を掛けてきた。結構イケメンの坂田良太と山口剛という男だ。何かと思ったら「放課後梅田に行こう」という遊びの誘いだった。女子とはおろか、男子とすらほとんど出掛けたことがなかった僕は驚いたが、なぜかその時はOKした。友達?と初めて歩く街はきらきらしていた。デパートで洋服を見たり、ファーストフードの店でコーヒーを飲んだりといった、何でもないことだったけど、僕にとっては夢のような時間だった。その時に彼らがこんなことを言っていた。
「三田君のこと、めっちゃカッコいいって内部の奴らが言ってるよ」
内部とは中学から上がってきた内部進学者のことだ。ここの高校はほとんどが中学からの内部進学者で、僕のような外部からの者は少なかった。だから物珍しさもあったのだろう、と勝手に納得した。第一、僕に対する形容詞といえば「キモい」が主流だったのだ。いきなりそんなことを言われても、だからどうしたくらいにしか思わなかった。
しかし、どうやらそれは本当だということが分かってきた。というと自惚れみたいだけど、ありとあらゆる部活から勧誘を受けたのだ。「女子高のファン集めになる」と。僕以外にも外部進学者は数人いたが、彼らがほとんど相手にされていない中で、自分だけが注目される。入学直後の妙な視線の正体も何となく理解した。始めは薄気味悪かったが、慣れてくると悪い気はしなくなる。だが結局、良太と剛のいるレスリング部に入ることにした。正直、運動なんてしたことなかったし、基礎トレだっておぼつかないだろうと思っていた。だが、やってみると意外にハマる。運動経験がない割には元々肉付きは悪い方ではなかったが、一人で黙々とやるのは好きだったせいか、筋トレを真面目にやることで、見る見る体が変化し、また体力がついていくのも感じられたのだ。しかも格闘技は自分の性に合っていたようだ。自分一人の世界。自分しか頼るものがいない。レスリングに魅了されるとともに腕前も上達し、新人戦では何とか学校代表に選ばれるまでになった。
高二の夏休み、練習が終わって、良太と二人で部室にいた時、それは起こった。良太がいきなり僕に抱きついて来て、唇を奪ったのだ。
「カズが入学してきた時から、ずっと好きだった。恋人として付き合いたい」
こうして僕に、人生初の「恋人」が出来た。
それから間もなくして、良太にある場所に連れて行かれた。いわゆる「ゲイバー」というやつだ。バーといえばほとんど夜営業だが、その店は三時から開いており、高校生などもよく来ているという。良太は筋金入りで、中三からそこで出入りしていたそうだ。ちなみに、剛もそうで、彼は今、先輩と付き合っているらしい。
そのバーで、意外な人に会った。中学時代の同級生、畑野祐一だった。畑野とは同じクラスになったことが一度ある。ちょっと弱い感じの奴で、何だか不良グループにカツアゲの被害に遭っているという噂を聞いたことがあるが、本当のところはよく分からない。というより、僕もその頃になると、中学以前のことはどうでもよくなっていた。今全く違う生活を送っている。別人になったとは言わないけど、昔のことを言われてもあまりピンとこないというのが本音であった。取り敢えず挨拶もせず、話し掛けもしないでいると、向こうから近付いてきた。
「俺のこと、覚えてる?」
そう聞いてきたので、覚えてる、畑野君だろう、とだけ答えた。良太がこいつ誰だと聞いてきたので、中学の時の同級生だと言うと、畑野が「一緒にいるのは彼氏か」と聞いてきたので、そうだと答えた。その時はそれだけで話が終わったが、畑野が帰り際に
「今度二中の連中で集まろう。他にも同級生何人かいるから」と言ってきた。他にもいるんだ、と思ったが、正直どうでもよかった。というより、今更昔話をする気もなかった。わかった、と生返事をしてその場は別れた。
単なる口約束かと思ったら、その一週間後、畑野は本当にうちに電話をかけてきて、「二中の『仲間』で集まるから、日曜一時に駅前の喫茶店△△に来て」と誘ってきた。
その喫茶店に行くと、自分を含めて五人、「仲間」がいた。畑野に、小柄な可愛い感じの岩本恵太、勉強もスポーツも出来る男前の矢作宗一、そしてデブ専の梅田五郎。畑野以外の三人は僕のことをしげしげと見つめ、
「へえ…確かに顔は三田君や」
「でも、雰囲気がまるで別人」
「まあ、顔はもともと男前やったけど…」
と交互に好き勝手なことを言っていた。彼らのうち、中学時代から活動していたのは梅田のみで、あとは高校に入ってからだという。もっとも、それぞれに兆候はあったと言っていたが。
初めて集まったその日、さっそく梅田が同期の誰を食った、それを食ったと武勇伝を展開していた。僕の知らないところでそんなことをしていたとは。また、実は誰が好きだったとか、あいつは怪しいとか、そんな話で結構盛り上がっていた。
集まり自体は楽しかったので、その後も時々五人で集まっていた。が、しばらくして事件が起こる。矢作は当時、大学生と付き合っていたらしいが、別れる時若干もめて、その元彼が実家に電話し、親に矢作のことをばらしてしまったのだ。あることないこと吹き込まれた矢作の両親は激怒し、一時は外出禁止寸前になったが、何とか相手の一方的な思い込みということに落ち着かせることが出来たそうだ。ただ、「もうゲイはこりごり」と言って、ストレートに戻ると宣言した。一応集まりには参加すると言って、事実参加していた。
大学は東京のK大学に進学した。K学院大学に内部進学でもよかったのだが、どうしても新宿二丁目に出てみたかったのだ。一度きり遊びに行くのではなく、日常として。大学では体育会ではないがボディビルクラブに入り、さらに体を鍛えた。おかげで、二丁目でもモテモテになり、クラブで下着姿に近い格好でショーを見せるゴーゴーボーイをしたり、ゲイ雑誌のグラビアに出たりした。内部進学した良太とは、卒業後もしばらく遠距離恋愛していたが、結局自然消滅になった。だが、中学の同級生の「五人会」は、自分が大阪に帰った時にはほぼ毎回行われていたし、メンバーがそれぞれ個人で東京に遊びに来たりしたので、付き合いは続いていた。
充実したゲイライフを送っていたが、大学三年生の時、母親が癌、しかも末期癌で余命いくばくもないという事態になった。母親が危篤状態になったその時、父親からこんな話を聞かされた。
「お前は本当は私達の子供じゃない。本当のお母さんはお前を産んですぐ亡くなった。お前の本当の父親は、父さんの従弟に当たる人物で…聞いて驚くな。外務大臣の三田隆治だ」
三田隆治とは、当時四十代で入閣した人物として話題になっていた。この時点では五十代になっていたが、当時としてはかなり若手のホープとして期待されていたのだ。三田隆治がうちと親戚関係にあるというのは聞いたことがあった。だが、そんな大物が自分の父親だと聞いても、すぐに信じられるものではない。ただ、今の親が実の親でないというのにはさほど驚かなかった。思い当たる節はいくつかあった。物的証拠としては赤ん坊の頃の写真の中で、僕を抱っこしている人物が明らかに今の両親ではなかったこと。三田隆治でもなかったが。三田隆治の兄夫婦―僕から見ると、叔父夫婦―が一緒ものと、よく知らない一人の女性が一緒ものが一枚ずつあったと思う。感覚的にあった「両親と自分との間の越えられない壁、というか埋めがたい溝」、そして自分が何となく背負っているものの正体も分かったことで、幾分すっとしたのは事実だ。その秘密を知った二日後、母は息を引き取った。
母(養母になるが)の四十九日が済み、納骨を終えた日、養父は一枚の写真を見せてくれた。その写真の中で、赤ん坊の僕が三田隆治に抱っこされていた。実父と一緒に写っている写真はこれしかないという、
また、卒業旅行で海外に行く際、パスポート申請のために戸籍謄本を取ったところ、確かにそこには「養子」と書かれていた。
父―養父の方だが―が一人になったので、本当は東京で就職したかったのを抑えて、地元で就職することにした。養父の知人が行政書士の事務所をやっているというので、僕も学生のうちに資格を取り、そこに就職した。なので僕は一般的な就職活動というものを全くしていない。
大阪に戻って、「五人会」も完全復活した。皆地元で就職していたのだ。僕もゲイ活動は続け、さすがに形に残るようなグラビアとかは無理だったけど、ゴーゴーボーイなどはたまにしていたし、彼氏も作ったりして普通にゲイライフを楽しんでいた。
だけど、二十五歳の頃、岩本も「ゲイを辞める」と言い出した。「三年ほど彼氏もできないし、もうゲイとして生きるのは無理かも。親がお見合いを勧めてきてて、それを受けようと思う」と。そして彼はその一年後、本当に結婚した。続いて、梅田が「嫁に行く」といって、嫁に行くといっても、別に本当に女になるというわけではない。彼氏の故郷、鹿児島で彼の実家に一緒に住むという。さらに一足先にストレート宣言をしていた矢作も、大学時代から付き合っていた彼女と、二十七歳でとうとう結婚してしまった。あっという間に仲間は二人だけになってしまったのだ。
次に五人が集まったのは、三十歳の時であった。奇しくも同窓会の二週間前という時。岩本も矢作も既にパパになっていた。女とも案外やれるもんだと自慢?していた。梅田は「嫁」に徹しているらしく、彼氏の実家で、自営業を手伝いつつ、家事もこなし、お姑さんともうまくやっているという。畑野はすっかり彼氏と落ち着いていて、ゲイバーに出ることもあまりないそうだ。僕はといえば、相変わらずゴーゴーやら、知り合いの店の手伝いやら、行政書士の仕事をこなしながら、ゲイライフどっぷりだった。三十になってもっと落ち着くかと思ったが、三十は三十で若い子にもてるので、ますます勢いが付いてきたような気すらする。
さて、五人が集まって、当然同窓会の話題になるのだが、僕が「行くわけないやろ。行っても意味ないし」と言うと、皆頷く。でも、畑野はちょっと悪戯を思い付いた子供のような顔をして「行ってみない?」と言い出した。
「『キモい』とか『暗い』とか言われてた三田っちが、鍛え上げられた肉体に端整な顔立ちの、こんなに素敵な男になりました、って皆に見て欲しない?三田っちも『同級生見返したい』って言うてたやん」
そんなこと言ったっけ。覚えてないし、少なくとも今は、もうそんなことはどうでもいい。でも、岩本も乗ってきて、「そうやん。女子惚れ直すで。で、向こうから言い寄ってきたらバッサリ捨てるって、おもろない?」
おいおい、そんな失礼な。大体、そんなうまくいくかなあ。
「うまくいかんかったらいかんかったでええやん。どうせ女相手にどうにもならんし。で、同窓会終わったらゲイバー行こ」
矢作も悪乗りしてきた。梅田は何も言わなかったけど、やってまえ、というような顔で笑っていた。ふと思ったのだけど、やはりゲイに走った奴らというのは、女子に何らかのトラウマとか恨みがあるのだろうか。普通そんな復讐じみたことは考えないだろう。同窓会を復讐の場にすることに気が進まなかったが、結局行くことにした。
梅田は鹿児島だから来られず、矢作も二人目が生まれそうだとかで、実際に来ることにしたのは畑野と岩本だけだった。僕はその日、スーツとかではなく、まるでゲイナイトにでも行くような格好で出席した。ぴちぴちのTシャツに擦り切れたジーンズを腰履きにして、有名ブランドの下着を覗かせて。夏場でよかった。いかにもなファッションが出来るから。まあ確かに、三十歳にしては若い格好だろう。それだけでも目立つか。
とはいえ、同窓会の会場に入るのはむちゃくちゃ緊張した。何しろ、五人会のメンバー以外とは、卒業してからほぼ一度も会っていないのだ。一回目の同窓会なんて、あることさえ知らなかったのだから。
おそるおそる会場の扉を開ける。視線が集まる。一瞬時間が止まった。「誰…?」という声がする。そこで先に来ていた畑野が「三田っち、こっち」と大きな声で呼ぶ。すると「えー!?」というどよめきが聞こえる。反響は予想以上だ。
「嘘…別人」「顔は確かにそのままやけど」
五人会のメンバーが最初に僕を見た時と同じようなことを同窓会で言われた。これで今日の主役はいただき、と言いたいところだけど、もう一人主役がいた。人気パティシエとしてテレビに出たクロポンこと黒沢直樹だ。「やっぱり三田は受け付けん」と言う女子も確かにいたので、一部はそっちに流れた。でも、僕もその日は女子に囲まれ、男子にも驚かれ、一応「ダブル主演」にはなれた。結局その日、八人の女子に電話番号やメアドをもらった。
「大成功やね」
同窓会後、約束通りゲイバーに行き、乾杯した。
「女子からもらった電話番号やメアドなんて、当然捨てるんやろ?」
畑野が言うので、当然、といって、その場で破り捨てた。
それから一週間くらいして、ある女子から実家に電話があった。
「真弓です…わかるかな?桧山真弓。同窓会で会ったんだけど…電話もメールもくれないから…こっちからしちゃった」
同窓会で八人から電話番号やメールアドレスを書いたメモをもらったが、ろくに見ずにその後ゲイバーで破り捨てたので、誰にもらったのか全く覚えていなかった。しかし、実家まで電話してくるとは、ちょっと驚いた。しばらく話した後、飲みに誘われた。断ろうと思っていたが、何となくノリでOKしてしまった。たまには女子と飲むのも悪くない。
二日後、僕と真弓はミナミで食事をし、その後小洒落たバーに飲みに行った。彼女は当時の話はほとんどしなかった。昔、本を捲る音がうるさいと言いがかりをつけてきた女子と一緒になって僕を睨みつけたことは覚えているのだろうか。いや、その辺の話に触れられたくないので、敢えて昔話はしないということだろうか。そろそろ時間か、と思った頃、彼女がしなだれかかってきた。いわゆる「私今日は帰りたくない」ってやつだ。ちょっと尻込みすると、「私って魅力ない?」…ドラマか何かで見たお決まりのアプローチだ。どうしようか迷ったが、どうせ女とは出来ないだろうし、そこで逃げて恥をかかせてもやろう、昔の恨みをはらしてやる―そう思ってホテルに連れて行った。
が、しかし。
出来てしまった。意外とどうにかなるものだ。結婚して子供まで作った岩本や矢作の気持ちも何となく理解できた。この日、自分は想定外に童貞を捨ててしまった。
問題はそれからだった。その翌週の土曜の昼、家に一人でいると、玄関のチャイムが鳴った。ドアホン越しには見慣れないオッサン。どちらさんですか、と聞くと「松浦だ。三田一成に用がある」と怒っているような、震える口調で言った。名前間違ってるよ、と心の中で突っ込んでみた。僕には心当たりがないが、僕の名前を、間違っているとはいえ、フルネームで言ったということは、確かに僕に用があるのだろう。怒っている様子ではあったが、彼自身は特別怖そうではなかったので、ドアを開けた。すると、いきなり彼は僕の胸ぐらをつかみ、「うちの女房に手を出したのはお前かー!」と怒鳴り付けた。女房と言われても何のことかさっぱり分からない。三ヵ月くらいの間にセックスした男を一人一人思い出しつつ―ゲイの世界では、まれに彼氏のことを「嫁」「女房」と言う人もいる―、はたと頭に浮かんだのは真弓のことだった。
「まさか、真弓の旦那?」彼女は結婚してたとは一言も言っていない。だが、独身だとも言っていなかった気がする。そもそも関心がないので、そこまで聞いていなかった。
僕がいろいろ考えを巡らせているとそのオッサンは言った。
「真弓や。俺が出張で家を空けてた日にお前ら会うてたやろ。俺が帰ってから、あいつの様子なんかおかしいからメール見たら、お前と何や知らん甘いメッセージ交換しとるやんけ。ほんで同窓会名簿調べたら、お前の名前があったから、こうして家まで来たんや」
はあ…めんどくさ…あんまりそれは言いたくなかったけど、仕方ない。
「あの、何か勘違いしてません?僕、ゲイなんですけど」
と僕が言うと、彼は口をゆがめた笑みを浮かべてこう言った。
「はあ?何やそれ。そんな言い訳初めて聞くわ」
「本当なんです。証拠になるかどうか分かりませんけど」そう言って僕は、彼を自分の部屋に案内し、引き出しに隠してあるゲイ雑誌やらゲイAVやらを見せた。すると彼はものすごく気持ち悪いものでも見るような目で僕を見、
「分かった!分かったからもう仕舞ってくれ!疑って悪かったよ!」
そう言うと、逃げるように帰って行った。
それから二日後くらいに、真弓から電話があった。うちの旦那がお邪魔したみたいで申し訳なかった、と。彼女曰く、当時流行っていたレディースコミックにはまっていて、旦那が留守の間に、ちょっと危険な火遊びをしてみたくなったそうだ。だが、旦那が思いの外勘が鋭く、色々問い詰められたが、まさか家まで行くとは思っていなかったようで、彼女は何度も謝っていた。
「でも、三田君、どうやって旦那を言いくるめたの?『疑って済まなかった』って謝られたけど」と彼女が聞いてきた。どうやら彼女は旦那に真相を聞いていないようだ。
「それは言えないなあ。何度も使える手じゃないし。ま、もう面倒なことに巻き込まんといてくれや」と僕が言うと、彼女はまた謝り、分かった、聞かんとく、私ももう火遊びはこりごり、と答えた。
僕が女性としたのは、今のところこれが最初で最後である。
それから約一年後、今度は養父が亡くなった。急性心不全、前の日まで普通だったのに、僕が仕事から帰ると倒れていた。その日の朝も普通に挨拶し、一緒に朝食を摂った人が、その日のうちに亡くなるということがいまいち理解できなかったが、これも現実だ。
養父は僕に少なくない額の遺産を残してくれていた。それを元手に、「夢をもう一度」ということで東京に出た。二丁目にバーを出すためだ。一年間知り合いのバーでバイトした後、今の店をオープンさせ、今年で十三年になる。
三十五歳の頃、親戚の計らいで実父に会うことができた。実父も七十歳近くになっており、大臣でもなく一介の国会議員であったが、それでも一生会うこともないだろうと思っていた大物だ。ただ、いわゆるドラマや何かにあるような、実父に会った時に電流が走ったとか、そういった体験はなかった。「ふーん、この人が父親か」てなもんで、あっさりしていた。一緒に食事をし、その後ホテルで一夜を過ごした。もちろん変な意味ではなく、純粋に「親子水入らずで過ごした」というだけだ。実父は別にそっちの気はない…と思うが。もちろん、今の仕事についても本当のことは話していない。フリーで行政書士をしている、ということにしておいた。まんざら嘘ではない。飲み屋関係の法律書類に関することで、行政書士の範囲でできる仕事をし、答えられることに関しての相談は受けていたから。
* *
「高村真理って覚えてる?」
「ああ。あのおとなしい、ぶりっ子臭い女やろ?」
一史の言い方には棘があった。やはりまだ女子のことは許していないようだ。しかし、奈美子はそれでも、真理のためにこれだけは伝えようと思った。真理が本当に好きだったのは一史だったということを。一史はそれを聞いて「あり得ない」とでも言うように顔をしかめた。
「本当よ。『三田君はキモくないと思う』って言った時の安心したような顔とか…」
さすがに日記のことまでは言えなかったが、真理とのエピソードの中で、覚えている限りのことを一史に伝えた。一史は最後まで納得できなかったが、奈美子の真剣さは理解できた。
「見てる人っているんだね」
「そうよ。案外他にもいるかもよ。まあ、あの空気では言えそうにないけど」
しかし、奈美子も本当は少しだけ一史のことを思っていた、ということは結局言えなかった。
「ところで、奈美子さんのお母さんって、もしかして章江って名前?」
一史がいきなりそんな話を振ったので、奈美子は戸惑った。なぜ彼が母親の名前を知っているのだろう。なぜかと問うと、
「いや、実父に会った時、『お前の家の近くに西村章江さんって人が住んでるはずなんだけど、知ってるか』って聞かれた。古い付き合いで、その時でもまだちょくちょく会っていたらしいよ。で、まさかとは思ったけど、うちの近くで僕が知ってる西村さんて、奈美子さんとこだけだし、奈美子さんのお母さんかなって、一応聞いとこうと」
おそらく、それは奈美子の母親で間違いないだろう。でも、なぜ母親が、一史の実父、というより、そんな大物と知り合いなのか。
同窓会以来、次々と開けてきた同級生の秘密への扉。それがついに奈美子自身の扉を開けてしまう時が来たのかもしれない。
「まさか私…三田君と異母兄妹?」
いや、あながちあり得ない話ではない、とその時思った。死んだと聞かされてきた奈美子の実父だが、もしかしてまだ生きていて、しかも、同級生と兄妹だった?なんてオチが待っているのだろうか。元外務大臣クラスの大物なら、たとえ生きていても「死んだ」ことにされるのも、写真がないのも頷ける。