Episode 5 河西沙織
Episode 5 河西沙織
奈美子と沙織が実際に会ったのは、電話で話してから一週間後のことだった。二人は午後、恵比寿のカフェで会うことになった。打ち合わせがようやく一段落したとのことで、直樹もさっきまで一緒だったが、店の仕事があると言って自分の店に帰っていったそうだ。
一応お互い同窓会で顔を合わせてはいるものの、こうやって二人だけで会うのはどれくらいぶりだろう。いや、学校以外の場所でということなら、実は初めてかもしれない。二人はそこに触れることはなく、簡単に挨拶を済ませたあと、奈美子がまず、先日直樹と光彦の二人に会ったことを話した。それについては直樹から沙織も聞いていて知っていた。それから奈美子は、光彦が言ってた二回目の同窓会について聞いてみた。本当にそんなお見合いパーティー状態だったのかと。
「あたし、二回目の同窓会は行けなかったのよ。上の子が三歳、下の子が一歳前で、一番手がかかる時でしょ?けど、だからこそ行きたいってのもあって、旦那に子供見てもらおうと思ってたけど、直前に休日出勤入っちゃって。うちの親にも頼んだけど、その日はどうしても用事があるって言われて、結局…。でも、二回目って三〇歳くらいの時だったっけ?だとしたら、その感じは分からなくもないな」
分からなくないとはどういうことか、と奈美子は聞いた。
「うん。なんていうか、まず独身組は結婚焦るでしょ?同窓会ってやっぱり出会いの場みたいなところはあるから、必死になっちゃうわね。結婚して子供がいると大体三〇歳くらいに一番手のかかる時期を迎えるから、もう子供にかかりっきりで、子供から解放されたい!って思うの。既婚で子供がいなきゃいないで周りからプレッシャー掛けられるし、とにかく、男子はわからないけど、アラサ―って、女子はどう頑張っても大変な時期じゃん。要するに独身は本気で相手探すし、既婚者も現実逃避の場にして疑似恋愛楽しもうとするから、そうなってしまうんじゃないかな」
沙織の持論の展開に、奈美子はふと自分自身を顧みる。自分の三十歳の頃って、どうだっただろう。多分、仕事に命を懸けていた。彼氏と呼べる男性もおらず、ひたすら仕事、仕事。結婚なんて考えたこともなかった。もともと結婚願望が薄かったというのもあるが、とにかく、仕事が楽しい時期で、恋愛や結婚は二の次だった。必死で仕事をし、前からやりたいと思っていた雑誌の編集部に異動になって弘文と知り合ったのが三十代既に半ばに差し掛かろうとしていた時だが、その時も最初から恋愛対象として弘文を見ていたわけではなく、生活の重点はあくまで仕事だった。そうやら奈美子自身は、沙織の法則には当てはまっていないらしい。
で、沙織によると、既婚者は、あくまでその場限りの現実逃避で、本気で恋に落ちることはないんじゃないか、と言っていた。でも、同窓会がきっかけで不倫に発展し、結婚生活が破たんしたケースもあったらしい、と奈美子が言うと、それは子供がいなくても周りからのプレッシャーがないか、あるいは早婚で子供が既に大きくなっているかだろうと沙織は言った。確かに俊恵には子供が当時はいなかった。なら沙織の言うことも当たっているかもしれない。
「それで言ったら、一回目の方が凄かったよ。皆ぎらぎらしてて。本当に出会い目的みたいだった」
一回目の同窓会は成人の頃にあり、どこかのクラブを借り切って行われた。なので、同窓会という雰囲気は全くなく、クラブパーティーのようだった。そのうち一組消え、また一組消えという感じで男女がカップルでいなくなっていった。沙織も、その日お持ち帰りされ、そのまま二年ほど付き合ったとか。相手は新田晴義という男子で、勉強、スポーツなんでも来いで、当時からよくモテていた男子だ。
それから二人は、互いの知らない二十数年について語った。
沙織は中学卒業後は公立高校に進学し、その後は短大の家政科に入学する。食品メーカーに勤務したのち、現在の夫と知り合い二十六歳で結婚。高校二年生の男の子と中学三年の女の子がいる。夫はテレビ局のプロデューサーだ。上の子が幼稚園の頃、たまたま作ったキャラ弁が幼稚園で話題になり、ママ友を中心にキャラ弁講座を始めた。やがてお弁当・ランチに夕食、スイーツなどのレシピを載せたブログを開設するとたちまち人気ブロガーとなり、夫のコネでテレビに出始め、現在はママタレとしても活動している。凄いのね、と奈美子が言うと、奈美ちゃんだってモデルやってたじゃん、と沙織は返した。
「短大の時にファッション誌を見てたら、奈美ちゃんにそっくりな子が出ててびっくりした。名前見たら『NAMI』ってなってるし、絶対奈美ちゃんだと思ったわ。当時地元ではちょっとした話題になったのよ。元気にしてるのねって。そういえば、唯理っぺは、アイドル時代に奈美ちゃんの撮影現場を見たことがあるらしいね」
へえ、そんなことがあったのかと、奈美子は不思議に思った。人はどこですれ違っているか分からない。もしかしたら気付いていないだけで、実際には結構会っているのかもしれない。それで、テレビ出演は慣れたかと奈美子が聞くと、
「うん、まあね…実は私、三歳から十二歳くらいまで、モデルと子役やってたの。だから全くの素人ってわけじゃないなのよ」
それは初耳だ。しかし、転校生だからだろうか、見た印象がないのだ。
「あ…これも実は、なんだけど…ま、隠してたわけじゃないし、卒業後には結構話したことなんだけどね、あたし、産まれ育ちは大阪じゃないの。小学校卒業までずっと名古屋にいたの。子役やモデルとしては名古屋ベースで活動してたから。で、中学から大阪X区に来たのよ。本当はね、二中も三ヵ月だけ通う予定で、名古屋に帰るはずだったんだけど…」
* *
物心ついた時から、まるで挨拶のように「可愛い」「綺麗」と言われてきた。なので、私は「可愛くて」「綺麗」なのだと、信じていた。もちろん今も信じているけど。
分家だけど、名古屋では名家と言われる家に生まれた。一人っ子で、常にお姫様のように扱われてきた。両親の躾はそれなりに厳しかったけど、いつも綺麗な洋服と可愛い玩具を用意されていた。そんな生活は当たり前だった。
三歳からモデルや子役として、名古屋を中心に活動していた。デパートの子供服のショー、パンフレット、タウン誌、地元テレビ局制作のドラマ、たまに東京に行って、全国誌にも登場していた。私は人気者だった。もちろん、陰では面白くないと思っていた女子もいただろうけど、基本的にはクラスの子も近所のおばさん達も、皆私を憧れの眼差しで見ていた。けど、私はそれを特別だと思ったことはない。それが私の日常だったから。
小学校は親の教育方針で公立に通ったけど、中学は私立の女子校に通うことになっていた。いや、一応試験はあるので、もしかしたら通えなかったかもしれない。でも、偏差値の高い進学校というわけではなく、女子が箔を付けるために通うような、いわゆるお嬢様学校だったので、当時の私の学力からしたら十分に合格できるところだった。パンフレットを見る限りでは制服も可愛く、その制服に身を包み登校する姿を想像してわくわくしていたものである。
しかし、状況は一変する。小六の十月頃だった。父の仕事の都合で、次の年の四月から大阪に引っ越すことが決まってしまったのだ。私はその女子校に通えるのかどうか気になったが、難しいだろうと言われた。両親が何とか祖父母の家から通えないかと交渉してくれたらしいが、祖父母のいる本家にも同じくらいの歳の子供が三人いるため、私を住まわせるキャパはないと。
その女子校に通えないのは残念だったが、それより、当時の私には「大阪」という所が怖く感じられた。その頃の大阪といえば、テレビで野蛮な感じの大阪弁を使い、乱暴にどつき合いをする、お笑いタレントのイメージが強かった。あんな汚い言葉で罵り合い、乱暴に殴り合いをするような人達と一緒に過ごすなんて嫌だ。女子校は無理でも、せめて名古屋に残りたい、そう願いながら残りの小学校生活を送っていた。
しかし、そうした願いも虚しく、名古屋を離れる日がやって来た。クラスメイト達やモデル仲間が名古屋駅まで見送りに来てくれた。笑顔で別れなきゃ、と思いつつも、笑顔が出なかった。「これからどうなるのかなあ…」新幹線の中でも、ずっと不安で不安で、ただ名古屋の方ばかり見ていた気がする。
初めに住んだのはX区という所だった。マンションは割と広くて綺麗でよかったけど、近所では、昼間から酔っ払っているおじさんがうろうろしていたり、趣味の悪い服とパーマのおばちゃんが私を睨みつけたりと、ますます不安を煽られた。「こんなとこで生きていけるのかなあ」…一刻も早く名古屋に帰りたかった。
X区内の公立中学に通うことになったが、中学に行ってもっと驚いた。窓ガラスが半分くらい割れている。入学式の次の日からもう長めのスカートや学生服を着て、髪を染めている子達がいる。私も髪を染めたことはあるけど、それは撮影のためで、しかもこんな不良ではなく、外国のお姫様のような格好をした時だ。
授業中も全く授業を受ける雰囲気ではない。不良達の態度があまりにも酷過ぎる。漫画を読むなんて可愛い方で、音楽をガンガンかけ、トランプや花札に興じている。先生も彼らを恐れているのか、特に注意もせず淡々と授業をしている。休み時間になると、タバコやウイスキーの瓶がクラスを飛交う。漫画やドラマでしか見たことがない不良学校を目の当たりにし、とんでもない所に連れてこられたものだと、その時は父親を心底恨んだ。
それでも一学期の間は何とかやり過ごした。友達も出来、身を寄せ合うようにして学校生活を送っていた。よくよく見れば、おかしな生徒はほんの一部で、大半はごく普通の中学生だったけど、少数の不良があまりにも幅を利かせていて、一般の生徒が何を言っても聞き入れる様子は全くなかった。
夏休みに入る少し前、名古屋時代に所属していた子役モデル事務所から連絡があり、今度大阪で百貨店のカタログ撮影の仕事とCMの仕事があるからしないか、と言われた。私はもちろん承諾した。日頃の窮屈さから解放されたかったし、それに何より、名古屋時代の友達に会えるのが嬉しかった。
久しぶりの撮影、久しぶりの友達…楽しかったことは楽しかったのだが、どうも以前と何かが違う。離れ離れになってしまった友達との微妙な距離感。続かない会話。だが、それ以上に以前ほどうまくポーズが取れない、笑顔が出来ない。久しぶりの撮影で緊張してたのかなとも思ったが、前もこれくらいブランクが空いた時はあった。でも、それでもいざ撮影が始まると勘を取り戻し、すんなりとモデルになりきれた。しかし、今回は違った。最後までぎこちなかったような気がする。もちろん、仕事として成り立たないほどひどかったわけではないが、カメラマンさんやマネージャーにも「笑顔も動きもちょっと堅いなあ」と言われてしまった。
「やっぱり学校生活が原因なのかな」
そういえば、大阪に来てから、あまり笑うことがなくなった気がする。いつも何かに怯え、緊張しながら暮らしてきた。
二学期。九月下旬に差し掛かった頃、それは突然始まった。
女子不良グループの一人が、昼休みにいきなり、雑誌を持ってきて、私の机に叩きつけた。
「おまえ、これ何や」
それは夏休み前に私がやったモデルの仕事で、雑誌に掲載された百貨店の広告ページだった。確かカタログの撮影だと聞いていたし、実際にそのカタログも見たけれど、まさか雑誌の広告にまで使われているのは知らなかった。私がすぐに答えられずにいると、いきなりその女子に髪の毛を掴まれ、
「ちょっと可愛いからって調子乗んなよ」
とすごまれた。彼女についてきた他の女子不良グループ二人も、私にビンタをし、けっ、と唾を吐いて行った。
その場はそれで終わったが、それからが地獄だった。トイレに入っていると上から水をかけられる、ノートがボロボロにされる、体育着や上履きをゴミ箱に捨てられる―およそいじめと言われるようなことは一通りやられた。それまで何とか仲良くしていた他のクラスメートも、いつしか見て見ぬ振りを決め込むようになり、私は完全に孤立してしまった。
あんまり覚えていないけど、その頃の私は笑顔もなく、明らかにおかしかったのだろう。母親は「大丈夫?もし辛かったら学校休んでもいいのよ」とよく私に言ってくれた。「医者に行け」とか「薬を飲め」とかではなく、「休んでいい」と言っていたことから、母親はその時点で異変にある程度気付いていたのだろう。ただ、不思議なもので、「休んでいい」と言われると、「大丈夫」と言って頑張ってしまうのだ。
しかし、そんな頑張りも効かなくなる時が訪れた。
ある日、私は女子不良グループに呼び出された。「今までのことを謝りたいから、放課後一人で体育準備室に来て」と言う。今から思えば、妙な猫なで声で気持ち悪いし、そんなこと絶対嘘だというのは分かるのだけど、当時の私には分からなかった。というより、私にそれを断る権利などなかったという方が正しいかもしれない。
言われるがまま、体育準備室に来た。まあ、要は体育倉庫なのだけど、空き教室を使っていたのでそう呼ばれていた。準備室の前に不良グループの女子が三人いて、へらへらしながら私の手を掴み、「ここで待っててね」とまた気持ちの悪い猫なで声で言ってきたかと思うといきなり私を突き飛ばし、準備室に放り込むと、外から南京錠をかけてしまった。今思い返すと、あまりにベタな展開で笑ってしまうのだが、当時は恐怖に震えていた。案の定、中には三年の男子が二人いた。もう終わった、と思った。私はその場に座り込んだ。どうにでもなれという感じだった。
二人のうちの一人が私を羽交い絞めにし、もう一人が制服に手をかけようとしたその時だ。人は危機的状況に陥った時、周囲の光景がコマ送りのように見えることがあるという。その時がまさにそうだった。私の服を脱がそうとする男子の動きがゆっくり、スローモーションのように見えたのだ。
「今しかない」
抵抗する気力を失い、冷静になったのか、私の頭にそんな思いがよぎり、気が付くと私は相手の股間を思いっきり蹴飛ばしていた。「うっ…」といって蹲る相手。それを見て羽交い絞めにしていた方もちょっと怯んだのか、力が緩まったので、私は彼の手を振りほどいて振り返り、同じように股間を蹴飛ばしてやった。男二人が蹲っている。その隙に窓を開けて裏庭から私は逃げ、一目散に家まで走った。呼び出された体育準備室が一階だったのが不幸中の幸いだった。カバンはまだ教室にあったが、そんなことは全く頭になかった。襲われていたのは、時間にするとほんの数十秒だったかもしれない。でも、私には少なくとも数分には感じた。家まで走り切り、自分の部屋に入って鍵をかけると、安心してしまったのか、眠りに落ちてしまった―。
どのくらいたったのか、だんだん意識が戻り始めると、ドンドンとドアを叩く音がする。まだ状況を把握できていなかった私は、不良グループが追っかけて来たのかと思い、思わず「いやあああ」と悲鳴を上げてしまった。だが、ドアの向こうから聞こえてきたのは母親の声だった。
「沙織ちゃん?どうしたの?何があったの?」
その声を聞いて初めて、私は今家の中の自分の部屋にいることを理解した。鍵を開け、ゆっくりとドアを開くと、母親がいた。その時の私がどんな様子だったのか自分では分からない。ただ、母親は私を見るなり抱きしめてこう言った。
「もういい…帰ろう。名古屋に帰ろう…」
その言葉だけで私は救われた。それから私は、二度とあの学校に行くことはなかった。荷物は翌日、母親が取りに行ってくれた。こうして、二か月半に渡るいじめ生活は幕を閉じた。
とはいえ、すぐに名古屋に帰れないのも分かっていた。以前住んでいた家は父親の知り合いに貸していて、息子さんが今年大学受験なので、それが終わるまで引っ越しは勘弁してほしいと言う。母親と名古屋に出向き、手頃な賃貸物件を探したが、時期が悪いのか、なかなかいいのがない。もうあと数日で冬休みという時だったので、二学期については病気とかで休んだと思えばいいけど、三学期は実質不登校になるなと思っていたら、大阪のA区に住む母親の姉夫婦、つまり伯母夫婦が「良かったらうちに来ないか」と言ってきた。伯母夫婦には二人の子供がいるが、どちらも就職やら進学やらで家を出てしまって、部屋が空いているからということだ。A区はX区より環境もいいし、伯母夫婦の子供らが通っていた中学校も、校内暴力全盛期でもそんなに荒れていなかったらしい。
本当は名古屋に帰りたかったけど、三学期の間中不登校というのも具合が悪い。それに名古屋に戻るまでのつなぎなら、さほど期待しなくてもいいし、何があっても割り切れるんじゃないかとも思い、私は承諾した。転校手続きをし、三学期からA区の第二中学校に通うことが決まった。
三学期の始業式の日、初めて二中の門をくぐった時、まず校舎のガラスに目を遣った。一枚も割れていない。そんなところをチェックする転校生なんて珍しいのではないかと思ったが、前の学校は半分ぐらいガラスが割れていたので、その光景は何となくトラウマになっていた。ガラスが割れていないのを見て、ちょっと安心した。確かに平和そうだ。
担任だという女の先生、三十歳くらいかな?に案内され、教室に入った。
「X区の○○中学から来ました、河西沙織です」
自己紹介の時も、どこかやさぐれていたと思う。そりゃそうだ。何も期待していなかった。担任に席に就くように言われ、席まで歩いた。席に座ると、隣の席の女子が話しかけてきた。
「私、西村奈美子。何かあったら言ってな」
私はただこくりと頷いた。ちょっと愛想がなかったかなとも思ったが、向こうもそれほど気にしてなさそうだった。
―悪い子じゃなさそう。笑顔が素敵で、大人っぽい子だな。
それが奈美子ちゃんに対する第一印象だった。こういう子は、前の学校にはいなかったような気がする。
ふと、教室を見渡す。ちょっと不良っぽい感じの子はいるけど、あくまで「っぽい」だ。X区の学校のように、色とりどりの髪に、雑技団のような格好の子はいない。それに、先生の話を皆静かに聞いている。まあ、雑談している子もいるけど、小声だ。
―ここ、案外悪くないかもしれない
漠然とした勘だけど、そんなことを思っていた。
一日目は始業式だったから、特に誰とも話もせず、まっすぐ叔母の家に帰った。二日目から普通の授業が始まったのだけど、まず、静かなのに驚いた。いや、もちろんおしゃべりをしたり、何かよくわからないゲームみたいなことをしたりしている子はいたけど、特に耳障りということはない。先生の声がちゃんと聴ける。また、しゃべりが酷い場合なんかは、先生がちゃんと注意する。当たり前といえば当たり前なのだけど、前の学校ではなかったことだ。凄く新鮮だった。
お弁当の時間になると、隣の奈美子ちゃんが、「皆で食べよう」と言って、彼女のグループに誘ってきた。断る理由もなかったのでついて行った。ふと周りを見回す。皆数人のグループになって、お弁当を食べている。一人で食べてる子もいるけど、本を読みながらだったり、仲間外れという感じではない。
私は奈美子ちゃんに、いつもお弁当の時間はこんな感じなのかと聞いた。彼女は、「そうやけど、沙織ちゃんとこは違ったの?」と聞いてきて、私は思わず「うち、給食だったから」と嘘をついてしまった。まさかいじめに遭っていて、まともに弁当を食べられなかったとは言えない。奈美子ちゃんも、ふーん、と言っただけで、それ以上は何も聞かなかった。
「このハンバーグおいしそうやね。一つ食べていい?」
奈美子ちゃんがいきなり言ってきたので、え?と思ったが、屈託なくハンバーグを摘まんで食べてしまった。
「好きなの取っていいよ」
奈美子ちゃんが自分のお弁当を見せてきた。おいしそうな鮭フライがあったので、それをもらうことにした。
「うちの母さん、フライもの上手やで」
確かにおいしかった。何となくおかしくて二人で笑い合った。
こんな感じでお弁当を食べたのは初めてかもしれない。前の学校では、お弁当の時間も、不良グループがちょっかいをかけてくるので、落ち着かないし、いじめに遭うようになってからは、そもそもまともにお弁当を食べた記憶がない。トイレで食べるなんてのはまだいい方で、だいたい食べきらないうちに取り上げられて捨てられるか、泥やらゴミやらを入れられるかのどちらかだった。
そんな感じで奈美子ちゃんがうまく誘導してくれたおかげで、すんなり彼女のグループの女子をはじめ、他のクラスメートとも自然に打解けられた。過去のことについてもあまり聞かれず、まるで初めからこのクラスにいたかのように、皆扱ってくれた。
男の子も親切だった。掃除当番で水のたっぷり入ったバケツを運んでいると、代わって持ってくれたりした。前の学校じゃあり得ない。不良男子が女子だろうとお構いなしに重い物を持たせようとしていた。
すっかり忘れていたけれど、プラス、自分で言うのもなんだけど、私は元々は明るくて活発、社交的で友達も多い女子だった。それがこの九カ月に渡るX区での中学生活で、全く別人になってしまっていた。二中での生活を通して、徐々に元に戻っていった気がした。こっちが普通で、X区での自分が異常なのだと。さすがに小学校時代のようにちやほやお姫様扱いされることはなかったけど、転校後二週間で男の子に告白されたりもしたし(断わったけど…ちょっと冴えない男の子だった。伊藤光彦君っていったっけ?京大に進学してエリート商社マンになったと聞いて、ちょっと逃したかな?とは思ったが)、部活(元々好きだったバドミントン)にも入ったし、それなりに青春しつつあって、何より居心地がよかった。
それはいいけど、私は四月には名古屋に帰る。あんまり仲良くなり過ぎると、皆と別れがつらくなる。転校してきて一か月くらいたったある日の授業中、私は奈美子ちゃんに冗談交じりに言ってみた。「私、また転校するって言ったらどうする?」と。すると奈美子ちゃんは「嘘?あかんよ、そんなん。せっかく仲良くなったのに」友達なら当然の反応だ。だけど、その時はとても嬉しかった。その場は「そうよね」と何でもない風を装ったけど、休み時間にトイレで一人で泣いてしまった。X区時代も、何度かトイレで一人で泣いたが、その時の涙とは違う。しかし、親は納得するだろうか。今更名古屋に戻らないなんて。
次の日曜、母親が様子を見に叔母宅に来た。毎週日曜に母親が来ることになっていたのだ。その時に思い切って言ってみた。「私、今の中学を転校したくない」と。怒られるかと思いきや、母親は笑顔を浮かべながら、「そう言うと思ってた」と言った。何でも、毎週会うごとに表情が明るくなっているので、きっとうまくやっているのだろうと思っていたらしい。さすが母親。何でも御見通しだ。いや、私が単に分かりやすい性格なのか。とにかく、母親は快諾してくれ、二中の校区内で手頃な物件を探し、父親と共に引っ越してくることを決めた。父親も、「環境とか考えずに、ただ会社に近いというだけで住まいを選んで申し訳なかった」と謝ってくれた。
結局、三月末に一家でA区に越してきた。名実ともにA区民となったのだ。残りの二年間は、多くの友達にも恵まれ、幸せな時間を過ごすことが出来た。奈美子ちゃんとは、中二では別のクラスになったが、中三で再び同じクラスになった。でも、今度は彼女の方が中学卒業と同時に東京に行ってしまった。卒業後は学区内の公立高校に進学、高三いっぱいで両親はまた名古屋に戻ったが、私は大阪に残り、府下の短大に進学した。その大学にはX区で同じ中学だった子もいたような気がしたが、向こうも特に何も言ってこなかったので、私も素知らぬ顔でいた。私の中でもX区時代のことは、既になかったことになっている。私の母校は名古屋市立B小学校、大阪市立A区第二中学校、大阪府立S高校、私立O女子短期大学―それだけだ。そして私は大阪で就職し、大阪の人と結婚し、大阪で家族を持った。あれほど戻りたかった名古屋には、生活の地としては、今の今まで戻ったことはない。
* *
「私、奈美子ちゃんにはホントに感謝してるの。始業式の日、声掛けてくれなかったら、今の私はないって」
「そんなことないって。沙織ちゃんの人柄と魅力だよ」
奈美子は自分がそこまで沙織を助けたという自覚はなかった。たまたま自分の隣の席に来た転校生の女の子に、何気なく話しかけてみただけだ。ただ、思い出してみれば、始めの頃の沙織はどこか投げやりで、世の中を捨てたような女の子という印象はあったかもしれない。目が死んでいたように見えた。でも、沙織が楽しい学校生活を送れたのなら、それは沙織自身の努力によるものだと奈美子は思った。
カフェを出る頃には、辺りはすっかり暗くなっていた。
「奈美子ちゃん。今度いつ大阪来るの?」
「まだ決めてないなあ…。実家の様子を見に行くから、三ヵ月に一回は行くことになると思うけど」
「ね、今度はさ、私達のグループだけでプチ同窓会やろうよ。きっと他の子達からも色々な話聞けると思うよ。皆それぞれドラマのある人生送ってるから」
「そうだねえ。卒業生の数だけドラマがあるんだよね。皆の話まとめて本でもだそうかしら」
「あはは。でも、私のこと書くなら、印税少しは分けてよね」
そんなことを話しながら、夜の東京を歩いた。まるで昔、一緒に学校から帰ったあの日のように。
しばらく歩いていると、沙織が奈美子に聞いた。
「ところで、奈美子ちゃんって、当時好きな男の子はいたの?」
来た。定番の質問だ。奈美子はなるべく自分の気持ちに正直に答えた。
「そうねえ…好きってほどじゃないけど、ちょっと気になる子はいたなあ」
奈美子がそう答えると、沙織が間、髪を入れずに返す。
「それって、三田君じゃない?」
「…え?」
なぜ分かったの、というような顔を奈美子はしていたのだろうか。沙織が笑いながら「図星?」と言う。奈美子がどうしようか答えあぐねていると、沙織が奈美子の顔色を見ながら続けた。
「私、何となく気付いてたよ。まあ、でも、あの空気じゃ言いづらいよね。彼、女子に嫌われてたし」
「沙織も嫌いだった?」
奈美子が心配そうに尋ねると
「いや、私は別に。ちょっと変わった子だなあとは思ってたけど」
と言われ、なぜか安心した。昔のことだが、自分の気持ちを全否定されるのはあまり気分のいいものではない。
しばし沈黙のあと、沙織が意味あり気に言った。
「あの…私、今の三田君、知ってるかもしれない」
思いもよらぬ沙織の発言に、奈美子は驚いた。沙織は続ける。
「はっきり確かめたわけじゃないんだけど…何か月か前、行きつけの美容師さんのホームパーティーに出たのね。その場に三田君に似てるなーって人がいて。向こうは私に気付かなかったのか、あんまり話さなかったけど、東京でお店やってるらしくて、名刺もらったの。三田君の下の名前って何だったっけ?」
名刺には「マスター KAZU」とあった。奈美子は三田の下の名前が「一史」だということは覚えていた。なら、その彼が三田である可能性は高い。そのことを沙織に告げると、
「やっぱりそうか…でも、場所がちょっとあれなのよね」
そう沙織に言われて名刺に書かれた住所を見ると「新宿二丁目」とある。
「これって…」
「そうだよね。実はその美容師さんもゲイだから、ほぼ間違いないでしょうね。まあでも、あれだけ女子に嫌われてたら、納得っちゃ納得ね。」
奈美子が目の前の現実に戸惑っていると、
「ね、行ってみない?私に名刺を渡すってことは女子も入れるんでしょう」
名刺の裏側を見ると、「火・金・土・日はメンズオンリー」とある。今日は木曜だ。ということは女子もОKということだ。
沙織に背中を押され、奈美子は禁断の扉を開けることになりそうだ。