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同窓会は秘密への扉  作者: 井嶋一人
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Episode 3 丹野孝道

Episode 3 丹野孝道


 竹やんというのは、竹林浩義という、奈美子や丹野夫妻と小学校から同じだった男子で、お調子者だったが、皆を笑わすことが好きで、友達も多い同級生だった。特に孝道とは幼馴染で、常に一緒に行動していた。しかし、中一の二学期、突然の転校をする。夏休み前にはそんな兆候は全く見られず、転校先も明確にされなかったことから、当時色々な憶測を呼んだ。教師達や、孝道をはじめ、ごく一部の生徒は事の真相を知っているようだったが、彼らは頑なに口を閉ざしていたので、皆いつの間にか竹やんのことは忘れてしまっていた。

「うちの中学って、リアルヤンキーみたいなのはいなかったけど、一応番長ってのはいたのよ」

栄子がそう言うと、

「それが丹野君だったと」

孝道は頷いた。

 奈美子は番長などというものの存在について、薄々そういうシステムのようなものがあるのは気付いていた。そして、その役目にふさわしいのは孝道だろうと。孝道は確かに、A区第二中学校の奈美子達の代のリーダー的存在だった。だが、奈美子達の頃は、それまで吹き荒れていた校内暴力の嵐が落ち着きつつあった頃で、特に市内の中学校でも、荒れているところはさほど多くなかった。とはいえ、「伝統」というのも残ってはいて、その代の「番長」というのは決めていたが、ほぼ形式的なものであったという。

「俺自身は別にそんなんどうでもよかったんや。楽しく遊べたらええかなってくらいで。ただ、安西とか、白田とか、なんかやたらその辺気にする奴らがおってな。そいつらに担がれて番長になったようなもんや。まあ、ええ思いもしたし、そのこと自体は後悔はしてない。そやけど、竹やんを変なことに巻き込んでしもたんは申し訳なかった。あいつは幼馴染やけど、俺よりケンカとかは随分ヘボいし、度胸もないし、番長グループとか無理やろって思ってたけど、『友達やから』って…。ちょっと無理してたんやろな」

その辺りは奈美子にも何となく分かっていた。金魚のフンといっては失礼だが、竹やんについてはそういう風に見ていたことは否めない。ただ、孝道に健気について行こうとする竹やんを見て、微笑ましいと思ったのも事実だ。

「で、結論から言うと、竹やんは…人を死なせてしまったんや」

孝道は声を詰まらせていった。三十年ほど経った今でも、当時のことを思い出すとこみあげてくるものがある。横にいた栄子もうつむいたままだった。

「奈美ちゃん。回りくどい言い方してもしゃあないから、はっきり言わせてもらったけど…ショック大きかった?」

「いや…そりゃあ、ねえ」

何らかの犯罪に巻き込まれたのかくらいは思っていたし、実はもう死んでしまったとか、色んな状況を予想していたが、竹やん自身が人を殺していたというのは奈美子には想像し難かった。あのお調子者の竹やんが…。

「てことは、少年院に行ったの?」

はっきり言われたついでに、奈美子も包み隠さずはっきり聞いた。

「いや。本人もすぐに出頭したし、それにいわゆる過失致死ってやつで、目撃者がおってな。それで正当防衛が認められたとかで、罪には問われんかった。それもあって大事にはならんかった。警察も学校もそこは気遣ってくれてな。なるべく事件のことが漏れないようにしてくれたわ。皆が知らんかったのはそのせいやろ。夏休み中のことやったし、校内で知ってたのは、初めは俺とあと副番の杉下だけやったけど、『このことは絶対他に言うな』みたいに徹底させたし。そやけど、事件は事件や。親父さんやお袋さんにしたら、居た堪れない気持ちになったんやろ。竹やん連れて親父さんの実家がある広島に戻った。それからずっと広島におって、向こうで高校出て就職して結婚したわ。今もちょくちょく連絡取ってるよ。同窓会、ホンマは来たいんやろうけど…」

「私もこのこと知ったのは結婚してから。広島にこの人と二人で遊びに行ったら、竹やんがいて、もうびっくりよ」

 何やらまたヘビーな話が聞けそうだと、奈美子は思った。


         *            *


 子供のころから、いわゆる「悪ガキ」だった気がする。暴力で同級生を泣かしたことも何度もあるし、家や学校で悪戯をして怒られたことなどしょっちゅうだ。小学校高学年くらいになると、大きな声では言えないが、ゲームセンターに行って、百円二百円レベルであるが、カツアゲしたりもしたし、駄菓子屋などで万引きもした。もちろん、数えるほどだけど。ケンカも強かった。中学生相手に勝ったことも何度もあるし、気に入らない同級生をシメたこともある。でも、別に不良とか、ヤンキーとか、番長とかになりたかったわけじゃない。そこまでやっといて、そんなこと言っても説得力ないかもしれないけど、俺としては、ツレと楽しく遊べればそれで良かった。

 そんなだから、中学生から目を付けられているなというのも何となく感じていた。実際に声を掛けられ、一緒に遊んだこともあった。その時に、各中学には「番長」という存在が学年ごとにいるということを聞いた。俺にそんな話をするということは、もしかしたら俺にその役を勧めているのかもしれない。でも、正直言うと、「番長」を押し付けられるのはちょっと面倒だなと思っていた。


 中学に入学して二週間くらい経ったある日、同じクラスになった安西が、何かを持って俺の席にやって来た。安西は、小学校が同じで、クラスは違っていたが、悪ガキ仲間としてよく遊んでいた。

「これ、買おうや」

奴が持ってきたのは制服のカタログだった。それも普通のではなく、変形制服と言われるやつだ。長ランやボンタンズボンなど、漫画の世界でしか見たことのないようなものばかりだ。しかしこれを実際に着るとなると、かなり勇気がいる。言っちゃ悪いが、その頃既にこういうのは流行りではなかった。それで渋っていると、

「まさか、こんなん買わんわ。でも、こっちのはかっこええんちゃう?」

そう言って見せてきたのは、「短ラン」とか「中ラン」とか呼ばれてるものだった。短ランは丈が短めで、中ランは丈は変わらないが、裏の生地などがややお洒落に作られたものらしい。

「いつまでも標準型なんか着てたらなめられんで」

「なめられる」とは尋常じゃないが、安西には確か数年前に番長をやっていた兄貴がいたはず。その兄に追い着け追い越せということなのか。

 とはいえ、一応カタログを手に取ってみる。値段は学ランは大体一万円前後で、ズボンは七千円くらいだ。両方合わせると二万円近くか。高い。当時うちはそんなに裕福ではなかったし、ましてや校則違反の制服のために金を出してくれとは言えない。

「高いなあ」

俺は素直に言ったが、安西は

「いいよ。俺が何とかするから。番長にはいいカッコしてもらわんと」

「何とかするって、どうすんねん?それに俺、番長やるなんて言うてへんし」

「他に誰がおんねんな。それと、お金のことはとにかく気にすんなや」

そう言って安西は、カタログを残し、自分の席に戻って行った。


 「何、そのカタログ?」

昼休み、弁当を食べながら竹やんが聞いてきた。

「変形制服やって。安西が持って来よった」

「へえ、カッコいいやん。買うん?」

「どうやろ…」

 竹やんは向かいに住んでいたこともあって、幼馴染として、幼稚園に上がる前から遊んでいた奴だ。悪ガキ仲間で、一緒に色んな悪さをした。ただ、俺よりは肝っ玉が小っちゃいらしく、万引きとかはすることはしたが、オドオドしているのがまる分かりで、そんなんじゃばれるよ、と自分がやるよりも、奴がやっているのを見る方がひやひやしたものだ。でも、お調子者で、皆からは人気があった。なんか憎めなくて、同い年だが弟分みたいな感じで、ずっと友達付き合いをしてきた。


 翌日、安西が「今日の放課後、制服買いに行こう」と誘ってきた。一着目はプレゼントするという。安西の家は何か商売をやっていたと思う。羽振りが良かったのだろうと、その時は思っていた。

 結局、買ったのはセミ短ランというやつだった。中ランは標準形とほとんど変わらないし、短ランは目立ちすぎるように思えた。裏地に龍の刺繍があるやつもあったが、さすがにそれはちょっと恥ずかしいので、ただ単に光沢のある紫色のを選んだ。

 それから安西はある場所に俺を誘った。何でも、遠い先輩、おそらく十年ほど前の先輩がやっている店があるという。

 その店は校区のはずれのビルの地下にあった。看板に「CLUB A2」とあるだけで、何の店なのかは書かれていない。階段を下りて扉を開けると、カウンターに、いくつかの丸いテーブル、それにピンボールやダーツ、ジュークボックスがある。青春映画に出てきそうな感じの店であったが、驚いたのは、そこの同級生が男女合わせて二十人近く、さらに上級生やОBと思われる人達までいたことだ。そこには竹やんの姿もあった。

「これで揃ったか」

三年の番長、つまり二中の総番である広沢が言った。何のことか分からず、きょとんとしていると、

「これより、今年度一年番長を決める」

と二年の番長、坂上が言う。何かえらいことになってしまったとその時は思った。

「まず、白田推薦の松浦大吾」

白田を背後に従え、大吾が前に出た。

「続いて、呉屋推薦の杉下達也」

同じく呉屋とともに達也が出る。おいおい、まさか、と思っていると

「最後に、安西推薦の丹野孝道」

安西に背中を押され、俺が前に出た。総勢六十名の注目を一斉に浴びることになり、いったいこれから何をするんだろう、決闘でもするのだろうか、と思っていると

「では、前代総番の早見さん、選んでください」

この早見という男が三人を嘗めるように見て、しばらく考えた後、

「よし、この代は丹野、お前で行く。松浦と杉下は副番や」

その声と同時に、拍手が起こった。横で安西が親指を立て、笑いかけた。達也も大吾も笑いながら拍手をしている。俺は何が何だか訳が分からず、ただぼうっと突っ立っているしかなかった。ていうか、番長の決め方、これでいいのか?

 

 その後はマスターの仁さんから飲み物と食べ物が振る舞われ、まるでパーティーのようになった。何からしくないなと思っていると、早見さんが話しかけてきた。

「昔はホンマに決闘させてたらしいわ。番長に本気でなりたいっていう血の気が多い奴も多かったって話や。候補者ももっとおったし、推薦人が自分を推薦することもあったって。そやけど、これも時代なんやろな。俺ン時には既にこのスタイルやったわ」

「へえ、そうなんですか」

「ああ。今は番長いうてもほとんど名前だけや。仲間同士でここに集まって、ダベるくらいしかすることない。ただ、まれに他の中学とのケンカとかはあるけどな」

「はあ」

「教えとく。A区は一中と二中の『一二閥』と三中と五中の『三五閥』があるんや。四中は中立。昔はその二つの派閥がようケンカしとったって。それは仁さんの時代とか激しかったらしいわ。今はミナミや天王寺で会ってもお互いメンチ切る位で終わるけどな。まあ、それでもまれにケンカに発展することもある。言うても、俺ン時も大きいケンカは二回だけやった。今は年に一回あるかないかちゃうか」

「はい。ところで、推薦する側の奴ってどうやって決まったんですか?」

「さあな。俺も詳しいことは知らん。兄貴が昔鳴らしとったとか、そんなんちゃうか。白田の兄貴は俺の代の副番やったしな」

「そうですか」

「まあ、堅いこと考えんでええ。ケンカがある時だけしっかりしてくれや。ここの店も基本的には二中の連中なら誰連れてきてもええけど、あんまり真面目すぎる奴はちょっと勘弁してくれ」

「わかりました」

「よし。ほな一本吸うか?」

早見さんがタバコを勧めてきた。正直、タバコを吸ったことはなかったが、これも儀式的なものかと思い、拒まずに受け取った。

「番長たるもの、タバコくらい吸えんとな」

早見さんのセリフにも、俺はただ頷くしかなかった。


 早見さんの言う通り、これといってすることはなく、「CLUB A2」でたむろして、一応情報交換という名の無駄話をするだけであった。タバコや飲酒はここで覚えるというケースが多いらしく、一年生は皆はじめ咳き込みながら、この大人の味に慣れようとしていた。シンナーをやっている連中はいなかった。仁さん曰く、「あれはダサい」とのこと。     

「CLUB A2」は十年ほど前からあって、二中の不良達のたまり場となっていた。昔は誰かの家や公園などにたむろしていたが、近所やその家の家族からの苦情が絶えず、OBが用意したのがこの店だ。初代のマスターが店の入っているビルのオーナーの息子で、使っていなかった地下を改造したんだとか。現在のマスターの仁さんは二代目で、現在二十五歳、十年前の総番だ。客は現役の二中生、OBOGとその友達、また友好関係にある一中生が来ることもある。看板に「会員制」とあるため、一般客が来ることはない。同窓会で使うこともあるのかと聞いたら、「この店は二中生全員が知っているわけではないので、それはない」と言われた。いわゆる「番長グループ」と、グループのメンバーと親しい奴しか店に入れないらしい。とはいっても、メンバーに連れられて一回だけ店に来たことがある奴は大体学年の半分くらいにはなるようだが、その際は店のことは口外しないように約束させられる。もし破ったと見なされたらシメられるらしい。なお、メンバーは流動的で、最初に適当にピックアップされ、「番長決定会議」に呼ばれるという。その後、毎月の定例会に呼ばれるが、定例会に呼ばれなくなるとメンバーから外されたということになり、また、新たに定例会に呼ばれると新規メンバーになったということになる。ただ、外されたからと言って、何か重大なヘマをしていないのであれば特にペナルティなどはない。その辺は適当なのだそうだ。昔は、「何で俺をメンバーから外した」と言って、抗議に来る奴もいたそうだが、最近はそこまで骨のあるのもおらず、また、一度メンバーに選ばれれば、基本的には店への単独での出入りは許されるので、今はそれで特に不満もないようだ。


 制服注文から三日後、初めてその制服を着て登校した。自分が大きくなったような気持ちと、やっぱりどこか落ち着かない気持ちとがあり、こそばゆかった。安西は一目見るなり「やっぱ様になってんな」と言ってきた。そう言われると自信の方が勝ってしまう。

 休み時間、水道で顔を洗っていると、同じクラスの柴田栄子がやってきた。顔をあげた時にふと目が合って、ちょっとドキッとした。小学校の時から知っているが、女として意識し始めたのは中学に入ってからのような気がする。

「この学ラン、どう?」

目はあったものの、何を話していいか分からず、ついこんなことを口走ってしまった。

「ん、ええんちゃう」

栄子はどこかぶっきらぼうに、でもまんざらでもなさそうに言った。ちょっと嬉しくなった俺は、光沢のある紫の学ランの裏生地を見せ、「これはどや?」と聞くと、彼女は「それも悪くない」と答えた。何気ない遣り取りだが、テンションは上がってきた。

「裏生地に龍とか虎とかが刺繍されたものもあったんやけど」

と言ったら、彼女は

「それはちょっとダサい」と言い放った後、笑った。「そやんな、俺もそう思った」という俺の返事に対する彼女の答えは「やめて正解」だった。二人がそこで初めて同時に笑った。この時はこれだけで終わったが、彼女が十数年後、自分の嫁になろうとはまだ知る由もなかった。


 五月に入り、変形制服にもようやく慣れてきたある日、学校からの帰り道、少し離れた狭い路地の方をふっと見ると、安西と白田が、同級生の畑野祐一と何やら話をしているのが見えた。気になったのが、畑野は少し怯えているように見えたことだ。何やら不穏なものを感じたので、三人に気付かれないように、壁に隠れて様子を見ていた。すると、畑野が安西と白田にお札のようなものを渡しているのが見えた。それを受け取った二人は、逃げるようにその場を去って行った。その後、畑野が泣きそうになりながら歩いて行く。

「カツ…アゲ?」

俺にはそのように見えた。もちろん確証はない。だが、畑野が二人に渡していたものがどうしてもお札に見えた。しかも、千円ではなく、一万円だったような気がする。その時、ふっと嫌な考えが頭をよぎった。この制服のお金は、あいつらがカツアゲしたものじゃないかと。だとしたら、こんなものは着たくないと思うのも事実だ。そりゃ俺だって、カツアゲの経験が全くないわけではない。でも、俺がしたのはゲーセンか駄菓子屋目的でせいぜい百円か二百円くらいだ。それに、そんなに頻繁ではなかったから、次にカツアゲした奴に会った時にはただでゲームをやらせたり、お菓子をあげたりして、それなりにフォローしていた。だからといって許されるとも思ってないけど、いきなり万札はないだろうと。二人を問い詰めてやろうかと思ったが、奴らが本当のことを言うかどうかはわからないし、見間違いだった可能性もある。それにもし本当だったとしても、今更この制服を脱ぐわけにもいかない。悩んだ結果、副番の杉下に相談した。

「あいつらのカツアゲ話はよう聞くで。畑野と梅田五郎がターゲットになってるらしい。あいつら家金持ちっぽいし、気弱やから」

やっぱりカツアゲで間違いないようだ。しかしまあ、まだ入学して一ケ月ちょっとしか経ってないのにカツアゲとは。あるいは、小学校時代からやっていたのだろうか。畑野は白田と、梅田は安西と同じ小学校から来ている。

「そやけど、俺らも奴らのこと言われへんで。もし先輩に命じられたらせざるを得んし。他にも悪いことはしてるからな。やましいことがあるのはお互い様や」

その通りだ。自分もかつてカツアゲをしていた。百円二百円が許されて、一万円が許されないということはない。ここでいい子ぶってもどうにもならない。

「もうな、細かいこと気にすんな。俺らはそういう側の人間なんや。普通の生徒には戻られへん」

そういう側、とは選ばれた人間とでもいうのだろうか。それも何だか傲慢な考えだろう。だが、一応受け入れるしかないのか。とりあえず、今後はそういう場面を見付けたら、うまいことごまかして、やめさせるよう持って行くしかなさそうだ。

 と思っていたが、結局、そういう場面にはそれ以後出くわすことはなかった。


 カツアゲ事件のようなことはあったが、一学期の間は、他にこれといった問題もなく、平和に過ぎて行った。本当に番長とは名前だけなんだなと思っていた矢先、何やらトラブルの種が入って来た、。

 一学期の期末テストが明け、短縮授業になってまもなくの頃、もう一人の副番の松浦が眉間に皺を寄せ、「CLUB A2」に入って来た。

「ちょっと面倒なことになりそうや」

松浦が言うので、何事かと聞くと、二中一年の佐伯と日野が、天王寺で三中の一年の連中と一触即発の事態になったらしい。きっかけは何でもないことだ。「何見とんねん」から始まったのだが、日野のその時の虫の居所が悪く、殴りかかろうとしたそうだ。人がそれなりにいるところだったので、佐伯の方が止めたが、三中の連中は納得していないようだったと。もしかしたら報復に来るかもしらん、そうなったら決闘は免れないかもとのことだった。

 佐伯も日野も、番長副番長の次くらいの位置づけにいる奴らだった。特に日野は小学校の時柔道をやっていたとかで、腕っぷしにはかなり自信があるという。

「お前らの初仕事か」

二年生の牧田が笑いながら言う。ついに来るのか。出来ればそういう時は来て欲しくなかったが、そうも言ってられないようだ。

 案の定、その二日後、三中の連中が「CLUB A2」にやって来た。落とし前を付けさせてもらう、次の土曜の夜八時、桃ヶ池近くの空き倉庫のF番に来いと。

「一年同士のトラブルやからな、俺らは手出せへんぞ。しっかりやって来いよ」

三年の堂島が言った。もう逃げられない。腹を括ってその日を迎えることにした。

次の日、竹やんが「土曜日決闘やるん?俺も当然行くんやんな?」と聞いてきた。

竹やんを誘うかどうか迷っていた。奴はすばしっこくて小回りは効くが、小柄で華奢なので、ケンカになるかどうか。それに、俺らと一緒になって夜遊びし、タバコやアルコールにも手をつけて、一人前の不良のようにしているが、本当は臆病な奴だ。小学生の悪戯レベルの悪さならなんとかついてこれるだろうが、本格的なケンカなどとなると、正直、奴には難しいのではないかと思う。だが、行く気満々の奴を外すわけにはいかず、「ああ、もちろんや」と言ってしまった。だが、その後に起こった出来事のことを考えたら、やめさせておくべきだったと、今尚後悔している。

 土曜、結局十一人集めて現場に向かった。向こうの人数も大体同じくらい。倉庫には鉄パイプやら何やらもあって、決闘には持って来いの場所である。いや、そんなのんきなことを言っている場合ではなかった。これから初めての決闘に臨まねばならない。

決闘が始まると、木刀やらチェーンやらを振り回し、まるで映画か漫画の世界をリアルでやっている自分を冷静に見ているもう一人の自分がいた。こういうケンカは始めてだが、向こうも一年生のみということもあって、そんなに慣れているわけではないようで、こっち側が優勢のようにも見えた。もしかしたら、これは先輩達がけしかけた「儀式」のようなものかもしれないと、戦いながら思っていた。

だが、土曜日で誰もいないはずの倉庫に突然人影が現れ、

「おい、お前ら何やっとんじゃ」

と怒鳴るオッサンの声が聞こえたので、

「休戦じゃ」と三中の総番と思われる奴が言って、そのまま撤収した。長い間戦っていたように感じたが、実際には十分程度だったようだ。

「CLUB A2」に寄って今日のことを二年三年の先輩に報告した、人が来て中断され、決着がつかなかったことを告げると、

「そうか、まあ、よくあることや」と笑いとばされた。自分としては、「気合が足りん」とか言って張り倒されるのではないかと、恐る恐る、謝りながら言ったのだが。やっぱりあれはヤラセ的な儀式のようなものだったのだろうか。


 その後もこれといって報復めいたものもなく、夏休みに入った。夏休みになっても、毎日のように「CLUB A2」に入りびたり、仲間たちとしゃべったり、時に飲酒喫煙をし、ちょっとした不良気分を味わっていた。

 そんな夏休みのある日、事件が起こった。


 その日も俺は「CLUB A2」に、副番の杉下といた。その時客は俺ら二人だけだった。夜七時頃だった。特に意味のないしゃべりに興じていると、店の電話が鳴った。仁さんが電話に出た。電話の相手はどうも竹やんらしい。

「おう、孝道か?おるよ。…え、何?…おう、おう、…まじか?」

ここで会話が一旦途切れ、しばらく沈黙があった。

「それで…おう、おう…うーん…とりあえず警察行って全て包み隠さず話してこい。その様子じゃ正当防衛が成立する可能性も高いわ。そうなったら、逃げたりせんほうがええ。…おう、おう、わかった、一回切るわ。おう、おう、またな」

警察だの正当防衛だの、何やら穏やかではない単語が並ぶ。電話を切った仁さんが、神妙な顔で話し始めた。

「あのな、よう聞け。竹やん、人を死なせたらしいわ。でも、殺すつもりはなかったし、襲われそうになって、もみ合ってる時のことやから、過失致死の正当防衛が成立つはずや。そやからまず警察に行かせた。今天王寺やって言うてたから、多分阿倍野警察やろ。警察の近くでもう一回電話くれることになってる」

目の前が一瞬真っ暗になり、世界が終わったような感じがした。何か途轍もなくヤバいことに巻き込まれたと思ったが、小さい頃からいつも一緒だった竹やんの一大事、しかも俺は番長という立ち位置だ。逃げるわけにはいかない。

 十分くらいして、竹やんから再び電話があり、今警察の前で、今から出頭するという。行かなくていいのか、と仁さんに聞いたが、俺らが行ってもしょうがない、と。弁護士の紹介くらいはできるが、それも家族の要請がないと、こちらからしゃしゃり出るのも難しい、今は信じて待つしかない、とのことだった。


 仁さんの読み通り、竹やんは数日で戻ってきた。現場に落ちていたナイフに竹やんの指紋がなかったこと、また、目撃者がいたことなどから、正当防衛が成立し、不起訴となった。とりあえず竹やんを励ましにと思って、杉下と家に行った。両親は外出していて留守だったが、予想以上に竹やんは憔悴していた。事件の詳細を聞くと、竹やんはゆっくり答え始めた。

 その日、天王寺駅前をぶらぶらしていると、二人組に呼び止められた。「お前、こないだ工場の決闘の時におった二中の奴やろ」と。そうだ、と答えると、気に入らん、決着を付けようや、と言って、そのまま竹やんの腹にパンチをかまし、うずくまる竹やんが立ち直って自力で歩けるようになるのを待って、近くのビルの屋上まで連れて行った。

 ビルの屋上では、二人がナイフを振り回して竹やんを傷つけようとした。だが、すばしっこい竹やんを切り付けるのはなかなか難しかったらしい。そのうち、竹やんが非常階段に出て、そこから逃げようとすると、二人も追ってきた。踊り場でもみあって、ナイフが竹やんの頬の辺りをかすり、血が滲んだ。さらに切りつけようとしたところ、竹やんが身をかわし、その拍子に一人の肩がぶつかった。バランスを崩した相手が、階段を転げ落ち、打ち所が悪かったようで、その場で亡くなってしまった。もう一人の三中生は、その場からすぐに逃げ去った―これが事件の大まかな流れだった。

 竹やんは、事件そのものはさほど気にしていないと言う。それよりも、この件がきっかけで転校させられることが決まったことの方がショックだったようだ。無罪放免とはいえ、両親からしたら、そういった目に遭うこと自体が問題なのだと。このままここにいさせるわけにはいかない、ということで父親の実家のある広島に引っ越すことが決まったのだそうだ。竹やんには姉がいるが、既に高校を卒業して神戸で働いており、独立もしているので、引っ越しについては影響はない。ということもあって、すんなりと引っ越しが決められた。

「…すまんな」

「何で孝道が謝るんや。決闘の参加かて、俺が自分の意思でやったことや。後悔はしてへん。孝道は番長として、ちゃんと二中仕切ってくれや」

竹やんの言葉にも、俺自身、うなずくことはできなかった。


 翌日、「CLUB A2」に行き、仁さんに番長を辞めたいと相談した。

「竹やんのことか。まあ気持ちは分かるけどな。上に立つもんが、下のトラブル気にしとったら務まらんで」

仁さんの言いたいことはよく分かった。だが、俺は親友の人生を壊してしまったようなものだ。そんな自分を受け入れる自信がなかった。

「あのな、孝道。この際番長はどうでもええ。お前が人間として一回り大きくなれるかどうかや。確かに親友を失った悲しみは大きい。でも、それを乗り越えて、与えられた役割をきちんと務め上げることが大事なんちゃうか?竹やんも『番長を務め上げてくれ』って言ってたんやろ?そしたらそうすることが、竹やんのためにもなるんちゃうか?」

そう言われると反論できない。逃げずに乗り越えることが、自分の運命なのだ。


 竹やんは、八月の末に引っ越していった。学校の生徒達は、新学期早々同級生の突然の転校の事実を知り、驚きを禁じ得なかったようだ。「何で急に転校したのか」と俺は皆に聞かれたが、「知らない」で通し、本当のことは言えなかった。しかも、家出してミナミにいるだの、少年院に入ってるだの、あらぬ噂が出ていて、俺も本当のことを言うべきか迷った。別に口止めされていたわけではないし、言ってもいいのかもしれないが、言ったら絶対寄書きだの千羽鶴だの言いそうな奴がいるので、そっとしておいてやりたかった俺は、結局誰にも言わなかった。そのうち、皆竹やんのことは忘れていった―


 俺は三年間、番長を務めた。幸いそれ以降大きなトラブルもなく、至って平和な三年を過ごした。高校では、もうそういう思いはしたくなかったので、親に無理を言って、遠くの私立高校に通わせてもらった。そして大学まで通った。仁さんに大学合格の報告に行った時には、「番長で大学生になったのはお前が初めてや」と言われた。

 竹やんとは、引っ越し後も頻繁に連絡を取っていたが、再会したのは高校生になってからだ。竹やんも広島の高校に通っており、平和に暮らしていた。竹やんは大阪に来たがっていたが、それは許してくれなかったという。今では結婚もし、子供もいる竹やん。そろそろ大阪を解禁してもいいんじゃないか、とも思うが、親に「両方死ぬまで大阪には行くな」と言われており、それを律儀に守っている。

「CLUB A2」には卒業後もたまに足を運んでいた。俺が大学二年の頃に仁さんが辞め、次のマスターには二つ上でかつての副番の石川さんという人がなった。その後何度かマスターが変わって営業を続けていたが、二〇〇一年に閉店となった。番長制度自体がその数年前になくなり、店の存在意義もなくなったというのが理由らしい。


ちなみに、栄子とは中学の時から付き合っていたわけではない。お互い異性として意識してはいたものの、いざとなるとなかなか素直になれず、すれ違いが多かった。卒業後俺が遠くの私立に、彼女は地元の公立高校に通ったこともあって疎遠になっていた。本格的に付き合うことになったのは、二十歳の時、成人式からひと月半後の、初めての大きな同窓会で再会してからだ。クラブを借り切って行われた同窓会だったっていうのもあって、途中で二人で抜けてデートした。その時に告白したというわけだ。それから結婚までさらに八年かかった。意外に思われるかもしれないが、俺は実は、女は彼女しか知らない。そう、一応初恋を貫いたことになる。中学、高校、大学と、告白は何度かされたけど、ずっと彼女のことが心にあったので、誰とも付き合ったことはない。


*              *


 「まあ、大体こんなとこや。でも、話しながら思い出したけど、俺、奈美ちゃんにはいつか本当のこと言わなあかんかなと思っててん」

それは、奈美子のある行為が理由だったというが、奈美子は思い出せない。

「皆に竹やんのことについて質問攻めに遭って困ってた時、奈美ちゃんが『人にはそれぞれ事情があんねん。あんまり詮索せんとき』って一括してくれたんや。まさに鶴の一声や。それで場がシーンってなって、それから皆何も言わなくなった」

そんなことがあったのか、と奈美子は思った。言われた後もあまりはっきりとは思い出せなかったが、確かに自分ならそう言うだろう、というのは納得できた。母子家庭がまだ珍しかった当時、「奈美子ちゃんにはなぜお父さんがいないの」とさんざん聞かれ、面倒臭い思いをしていたからだ。そんなのこっちが聞きたいよ、と。

「奈美ちゃんは、昔から大人びたところがあったもんな。仕切ったりはせんけど、言葉に説得力があるっていうか。そやから、女子は皆奈美ちゃんの言うことは聞いてた」

自分がそんな風に見られていたとは思いも寄らなかった奈美子だったが、確かにケンカの仲裁みたいなことはよくしていた気がする。


 ちなみに、奈美子にも「CLUB A2」に行った記憶がある。行ったのは二回くらいだと思うが、そういう店だとは思わなかった。連れて行ったのは栄子だ。この時点では孝道と栄子は、まだ付き合っていなかったが、ひそかに思っていた孝道を質問攻めから救ったお礼というような意味合いがあったのだ。あわよくばグループに、とも思ったようだが、奈美子はそうしたものに属さない方がいいと判断し、グループ入りはさせなかった。なお、二人が本格的に付き合うようになったのは、孝道が述べたように二十歳の頃である。結婚はさらにそこから八年後という、「唯一の同級生カップル」は意外にも慎重なカップルだったのだ。


 奈美子は帰りの新幹線の中で、この二日間の出来事を反芻していた。ほんの二日前までは、中学の同級生のことについて何も知らなかった。奈美子にとっては「平坦で」「面白味のなかった」中学時代だったが、奈美子の知らないところで色々なストーリーが展開されていた。しかも、それぞれのストーリーにわずかながら自分自身が絡んでいることにも驚きがあった。自分にとっては特に印象のない日常のワンシーン。でも、彼らにとっては重要な意味があったようだ。あまり存在意義がないと思っていた中学時代の自分が、思わぬところで役に立っていたのだ。悪い気はしない。ただ、同級生の身に起こったことは悲しかったが―行きの時とはまた違った、しかし同じように複雑な思いを抱きながら、奈美子は新幹線に揺られていた。


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