Episode 2 高村真理
同窓会は六時開場で、六時半から開始となっていた。奈美子が会場に到着したのは六時十五分頃だった。おそるおそる店のドアを開けると、受け付けがあった。そこで奈美子が「すみません、西村奈美子ですが…」と名前を名乗ると、立っていた女性がはしゃぎ始めた。
「え…もしかして、奈美ちゃん?私、桧山真弓。あ、今は松浦だけど、覚えてる?」
「あ…真弓ちゃん?覚えてるよ。中二も中三も同じクラスだったし」
「嘘ー。ホンマに卒業以来か。あ、お母さんのお葬式の時、ちらっと顔だけはみたけどな。今日まさか来るとは思ってなかったから、出席者リストに名前があるのを見た時は驚いたわ」
「うん。私初めてなのよね。中学の同窓会って」
「そうやんな。全然見てないもん。皆向こうにおるわ。びっくりするやろな」
真弓は中学当時の名字を含む名前と三年次のクラスが書かれたネームプレートを奈美子に渡し、会場に案内した。遠くから見ても分かるほど、確かに懐かしい顔がいっぱいだ。だが、どうしたらいいか分からず、入り口の近くにつっ立っていると、
「あ、来たんだね」
先日インタビューした松田直樹―いや、ここでは黒沢か。ネームプレートも「黒沢」となっている―が近付いてきて、話しかけてきた。
「うん…。結構来てるのね」
「今まだ五十人くらいだって。八十人くらい来るらしいよ」
八十人…学年全体が二百人ちょっとだから、四割位の出席率だ。奈美子が三年前に出席した高校の同窓会は六割位出席していたから、少ない方になるのだろうか。
「さ、こっちおいでよ」
直樹に引っ張られ、皆のいる方に行くと、
「珍しい人が来たよ。西村奈美子さん」
と紹介されると、一気に視線が奈美子に集中した。
予期せぬ注目に奈美子はくすぐったいような気持ちになった。と同時に多くの同級生が駆け寄ってきた。
「え?嘘?ホンマに?」
「えー!まさか来るとは思ってなかった!」
「ていうか、私らのこと覚えてる?」
全然相手にしてもらえないんじゃないか、とさっきまで心配していたのが嘘のように、今や奈美子は完全に話題の中心にいる。
「も、もちろん覚えてるよ。でも、なかなか同窓会に出席するチャンスなくて…」
「今何してんの?」
「主婦とフリーライター」
「結婚は?」
「子供は?」
「結婚はしてるけど、子供はいない」
次々と各自名前を名乗り、矢継早に色々な言葉を投げかけ、ベタベタと腕を触りまくる同級生に圧倒され、簡単に質問に答えるのが精一杯であった。
そうしたちやほやも、同窓会開始の挨拶と校歌の斉唱が始まると治まった。結局、二十分ほど遅れてのスタートだったようだが、同級生の経営するレストランで、しかも貸切なのでほぼ問題なしのようだ。
ちやほや攻撃が治まると、昔仲の良かったメンバーを中心に固まるようになった。奈美子の周りにいたのは、高校時代にアイドル歌手をしていた南部唯理子(現在の姓は白石)、中一の終わりにX区から転校してきた河西沙織(同じく中野)、中三の時同じグループだった原田亮子(同じく塚本)、大迫秋穂(同じく松嶋)、受付をしていた真弓、それに唯理子と仲の良かった宮前さくら(彼女は現在も独身)、門倉珠恵(こちらは現姓は原)…適当に入れ替わりつつ、色んな人がやって来ては去って行った。取材で最近親しくなった直樹も時々話しかけてきた。
彼女らの話によると、大きな同窓会は三回目で、一回目は成人の時。といっても成人式の日ではなく、三月だったとか。大学生のテストが終わってからということらしい。二回目は二〇〇一年で、この時はある男子がA区第二中学同期のホームページを作ったところ、予想以上に人が集まって、同窓会に発展したようだ。その後、七、八年前にSNSがきっかけでまた同級生が集まるようになったが、この時は複数飲み会が開かれたものの、同窓会というものは行われなかった。それで、今回は別のSNSが盛り上がり、同窓会にこぎつけたというわけだ。
「だいたい同窓会のあとって、惚れた腫れたが起こるのよね」
唯理子が言う。要するに、色恋沙汰が起こるということだ。
「そうそう。でも、今回はどうやろ…もう四十四やし、皆落ち着いて来てるしな」
真弓が言った。そういう真弓も、前回の同窓会の時は、ある男子にお熱を上げてしまったと懐かしげに話した。
「今何かあったら大方不倫やもんな。最近は女の方が慰謝料取られることもあるんやろ」
こう言ったのは秋穂だ。秋穂のパート先のある主婦が、不倫の泥沼を経験したようで、それを見てきた彼女は、不倫は怖い、と言う。
「ちょっと、私まだあきらめてないねんけど」
数少ない独身で、いわゆる死語だが、「バリバリのキャリアウーマン」のさくらが言うと、
「そう言えば、パティシエ君まだ独身ちゃうかった?一緒になれへんの?」
珠恵がこうからかうと、
「もう遠距離は嫌や」
さくらが返し、どっと笑いが起こる。
話題こそ違えど、ノリは昔もこんな感じだったのかなと奈美子は思った。
想い出話にも花が咲いた。ついて行けないかなとも思ったが、相槌を打っているだけでもなんとか場持ちしたので、奈美子は笑いながら聞き役に徹していた。彼女らの話は実のところ、ほとんどよく分からなかった。
一瞬会話が止まったので、奈美子はここぞとばかりに話題を振った。本当に中学時代はそんなに平和だったのか、もしかしたら知らないのは自分だけで、実は結構色々あったのか…。ライターの性か、ちょっと探りを入れるような気持ちもあったのだが。
「でも、うちの中学って平和だったよね」
「そうかも。私が前いた中学って、凄く荒れてたもん」
転校生だった沙織が言った。転校する前の中学は、リアルヤンキーが跋扈しており、窓ガラスの大半が割られていたらしい。
「あとさ、ドラマみたいな激しいイジメとか、妊娠騒動なんかもなかったしね」
奈美子がこう発言すると、一瞬だけ皆の目が泳いだような気がした。しかも、それには回答せず、話題を遮るかのようにさくらが言った。
「ねえ、奈美子の旦那さんってどんな人?」
何だかはぐらかされたような気がした奈美子だったが、何かこれ以上その話題に触れてはいけない気もしたので、そのままさくらの話題に乗った。
やっぱり、そうそう平和でもなかったのかもしれない。
そうこうするうちに、同窓会は二次会へと移り、出席者も半分くらいになった。二次会は幹事の丹野孝道の知り合いのカラオケ店だった。奈美子の仲間は全員二次会に流れ、そこでも歌いつつ、おしゃべりしつつ、いつの間にか時間は過ぎて行った。
最終的に解散した時は午前一時を回っていた。今尚地元に住んでおり、奈美子の母親の葬式に、自身の母親と夫と三人で参列していた真弓が、奈美子に話しかける。
「奈美子は家に戻るの?」
「ううん。もう実家は住める状態じゃないんだ。ホテル取ってる」
と言うと、現在は夫の実家のある熊本に住んでおり、両親が生まれ故郷の香川に戻ったため、大阪には家がないという亮子が
「えー、嘘?どこのホテル?」
奈美子がホテルの名前を言うと、偶然にも同じホテルで、しかもここから歩いて帰れるくらいの距離だったので、亮子と奈美子は一緒に歩いて帰ることにした。
「ホンマ懐かしいなあ。奈美ちゃん来ると思ってなかったし」
亮子がしみじみ言うと、奈美子も返す。
「うん…。二十年以上も音沙汰なしにしてたしなあ」
「また皆で集まれるとええなあ」
「そだね」
他愛のない会話をしていたが、亮子は他に何か言いたいことがありそうだった。しかし、これといった特別な会話もないままホテルに着いた。エレベーターホールに行こうとすると、意を決したように亮子が呼びとめた。
「あの、ちょっと」
「どしたの?」
「高村真理って、覚えてる?」
高村真理とは、奈美子と家が近く、中学も三年間同じクラスだった女子だ。小柄でいかにも可愛いという感じで、ちょっとおどおどしているところがあり、天然なのかぶりっこなのか奈美子にもそこは分からなかったけど、同じ年なのに、妹のような目で見ていたのは覚えている。真理がどうしたというのだろう。
「今日、いてなかったやろ?」
「…いなかったね」
「本当に知らない?」
なぜ亮子はこんな勿体ぶった言い方をするのか。
「真理、高校に入ってすぐ、自殺してん」
「は?」
あまりの内容に、奈美子は耳を疑ったが、亮子は続けた。
「六月や。木下賢明って分かるかな。今日は来てなかったけど。真理があの子と付き合ってたのは知ってるやろ?」
「ああ、そういえば…」
「高校は別々やったけど、付き合いは続いてたのね。でも、木下のやつ、女癖悪かったみたいで。しかも悪いことに、これはあくまで噂やけど、真理、木下との赤ちゃんを妊娠してたって話があってな」
なるほど。あの時の微妙な空気はそれだったのかと奈美子が悟ったのを見透かしたように亮子はさらに続ける。
「まあ、厳密には中学の時の話ではないけど、卒業から三ヵ月しか経ってなかったし、同級生同士のことやから、なんか中学の時の出来事だって皆錯覚してしまうんよ」
そんなことがあったとは。知らなかったとはいえ、なんと無神経な発言をしてしまったのかと奈美子は恥ずかしくなった。でも、なぜ誰も言ってくれなかったのだろう。祖父母も真理のことは知っていたから、彼女の自殺を知らなかったはずはない。何か話せない事情でもあったのだろうか。
翌日、奈美子は実家近くの商店街で花を買っていた。昨日、幼馴染である真理の自殺という話を聞き、いてもたってもいられず、ホテルを早めにチェックアウトし、真理の実家を訪れ、線香だけでもあげさせてもらうつもりだった。
真理の家は、奈美子の実家から歩いて3分もかからない。思えば、幼稚園から同じだったような気がする。小学校はクラスが別々になったりして、疎遠になったが、中学では三年間同じクラスになり、真理が木下と付き合うようになるまでは、学校も一緒に行っていた。
当時の記憶よりも、真理の家は新しく綺麗になっていた。呼び鈴を押すと、遠い記憶の中にあった真理の母親の声が聞こえてきた。
「あの…すみません、私、西村奈美子と申しますが…」
「え?あの、奈美ちゃん?ちょっと待ってね。今開けます」
しばらくして、扉の向こうから見えた真理の母親の姿は、白髪が増えたものの、当時とさほど変わりがない。
「御無沙汰してます」
「いえ、こちらこそ…さ、入って」
家の中も、当時のそれとは違った。
「お母さんのお通夜と告別式で、お顔だけは拝見させてもらってたけどね。本当、素敵な女性になられて…」
「いえ、その節はどうも」
「西村ってことは、まだお一人?」
「いえ、そう言った方が分かりやすいかと思ったもので…」
「そうよね。お葬式の時、横にご主人らしき方がいらしたわよね」
世間話のあと、ふと仏壇の方に目を遣ると。懐かしい真理の写真があった。
「とうとう聞いたのね」
「ええ。昨日同窓会だったんです」
「そうだったみたいね…本当は真理のことは真っ先に奈美ちゃんには知らせるべきだったんでしょうけど。まあ、遺書というか、日記に『奈美ちゃんには言わないで』って書いてあってね。あの子なりに気を遣ったんでしょうね。『まだ新しい生活に慣れてないだろうから、余計な心配かけたくない』って」
そんなこと気にしなくてもいいのに。むしろ、電話の一つでもしてくれたら…と思ったものの、当時、自宅の電話で、しかも東京に電話をかけるなどというと一大事だったに違いない。今なら無料通話とかチャットアプリを使えば、どこにいようが会話ができる。
「当時はね、色々あることないこと言う人ばかりで、私も人間不信になりかけた。息子は東京の大学に行ってたから、さほど影響受けなかったみたいけど、夫は特に大変だったと思うわ。夫本人や娘自身が悪いわけじゃないってことで、解雇されたりはなかったけど、同情とも軽蔑ともつかない目で見られていたというし、逆にずっと同じ職場同じ地位でやり熟す方がつらかったでしょうね。いっそ左遷とかされた方が楽だったかも」
その夫、つまり真理の父も今は退職し、趣味の釣り三昧の生活を送っているとのこと。娘のことは傷として残っているが、そのことを見ないふりしているかのように趣味に没頭しているという。その日も朝から釣りに出かけていて留守だった。
「はあ…お察しします」
「でもね、奈美ちゃん。これだけは信じて欲しい。あなただから言うけど、真理は妊娠なんかしていなかったの」
奈美子が妊娠について全く触れていないにもかかわらず、その話題を出したということは、母親も妊娠の噂があるということは重々承知なのだろう。聞かれる前に言ってやろう、ということだ。奈美子もそこはもともと半信半疑だった。亮子も「あくまで噂だけど」と強調していた。
「亡くなった後、調べてもらったら、そういう兆候は見られなかったって。生理はただ遅れていただけ。木下君とのことでストレスが溜まっていたのが原因じゃないかと思う。でも、私がいくら言っても信じない人は信じない…それで真理が帰ってくるわけじゃないから、何言われてもずっと黙ってたわ。否定したらしたで『むきになって否定するところがますます怪しい』って言われるだろうし。いったい、どうしろって言うのよねえ」
おそらく、そうだろう。およそ医師の診断書を持ってきたところで、「偽造に決まっていいる」と言われかねない。
「あ、そうそう、奈美ちゃんに是非見てもらいたいものがあるの」
そう言って母親が持ってきたのは、真理の日記帳だった。
「本当は日記を人に見せるのはどうかなと思うんだけど、でも、奈美ちゃんに聞いて欲しかった話もあるようだから」
そう言われると断る道理はない。奈美子は静かにその日記帳を捲った。見せてもらったのは中三の二学期頃からのもので、最初の方は、単純にその日の出来事だったり、思春期の少女にありがちなポエムっぽいものだったりしたが、ある日を境にがらりと様相が変わった。木下に告白されたという日からだ。
* *
●月×日
今日の昼休み、木下君から「好きだ。付き合ってほしい」と言われた。そのことを亮子や真弓に言ったら、「すごーい。いいなあ。木下君って、ちょっとワルっぽくてカッコいいよね。女子人気高いよ」と言われた。女子人気が高いのは知っている。秋穂は「もちろん付き合うよね?」と言った。私は即答できなかった。なぜなら、他にちょっと気になっている男の子がいるからだ。でも、その彼は皆から「キモい」とか「根暗」とか言われている。私も正直、近付かれると嫌がる素振りを見せたりしてた。だから友達にも相談できない。その人の名は…三田一史君。皆はキモいとかいうけど、そうかな。優しそうな顔とか、頭よさそう(実際、頭いいけど)なところとか、悪くないと思うけどなあ…
●月△日
何となく返事に困っていたので、一番信頼できる奈美ちゃんに相談した。もちろん名前は伏せて。「ある男子に告白されて、その男子は皆からも人気があって、羨ましいって言われる。でも、私が好きなのは別の人。こんな時、どうする?」と。別に隠してたわけじゃない。その方が公平な意見が聞けると思ったからだ。すると奈美ちゃんは、しばらく考えたあと、「私だったら、周りの目よりも、本当に好きな人と一緒にいたいかな」と答えた。その通りだ。木下君にはやっぱりちゃんと断ろう。そして、すぐに告白はできなくても、少しでも三田君と仲良くなれるように、自分から話しかけてみようかな。
●月○日
今日、事件があった。昼休みが終わる少し前、秋穂が五時間目の英語の宿題のプリントを焦って写していた時、横の席の三田君は本を読んでいた。すると秋穂が「ちょっとお前、本捲る音うるさいんだけど」と三田君に言った。三田君は最初取り合わなかったが、秋穂が切れて、「うるさいって言ってんの、聞こえへんの!」と言って本を取り上げたら、三田君が「じゃあ、どうしろって言うんや」って言ったら、秋穂は「こんなとこで本なんか読むな!図書館行け!」といって本を床に投げつけた。そしたら普段はおとなしい三田君が机と椅子をいきなり蹴った。これにさらに腹を立てた秋穂が、真弓と亮子、さくらの三人とともに教室を出て行った。四人とも凄い目で三田君をにらんでた。あんな言いがかりを付けられたら、いくら三田君でも怒るのは当たり前だと思うけど、クラスの皆はなぜか秋穂に同情的だった。ここで私が三田君をかばったら、三田君は私を好きになってくれたかもしれない。でも、そんなことをしたら間違いなくハブられる。ふと奈美ちゃんの姿を探したが、見当たらない。そうだ、今日は奈美ちゃんは体調が悪いといって三時間目が終わってすぐ早退したんだった。奈美ちゃんなら、こんな時どんな反応をするのだろう。秋穂以外の三人は、五時間目が始まるまでに教室に戻ってきたが、秋穂はその日は、最後まで戻ってこなかった。
結局、三田君を庇えなかった。自分を守って。その時思った。私は彼を好きになる資格はない、と。
私は放課後、木下君に「OK」の返事をした。
●月□日
奈美ちゃんは二日休んでいる。どうやら風邪を引いたみたいだった。放課後、お見舞いと、ちょっと話を聞いてもらいたいのも兼ねて、奈美ちゃんの家に行くことにした。
奈美ちゃんの熱はもう結構下がっているようだった。まだちょっとだるいとは言ってたけど、この調子だと明日には学校には行けると。私は木下君と付き合いだしたことを報告した。すると奈美ちゃんは「ホント?真理の好きな人って、木下君だったのか。てっきり三田君だと思ってたけど」ウソ…見抜かれてた。何で?と聞くと、「前に『三田君って、そんなにキモいかな』って真理ちゃんが聞いてきた時、私がそんなことないと思うよって言ったら、凄く安心したような顔をしたから」って。でも私は否定した。「あんなキモい子を好きになるわけないやん」と。私は最低な人間だ。
* *
ここまで読んで、徐々に真理とのことを思い出してきた。実は、奈美子が「ちょっといいな」と思っていた男の子とは、その三田君だったからだ。三田一史は、日記にもあったとおり、「根暗」「キモい」などといって女子から強烈に嫌われていた男子だった。成績は良かったが、学級委員になるようなタイプではなく、天才肌のちょっと変わり者という感じであった。小学校から同じで、奈美子も最初は敬遠していたが、同時に「そこまでひどいかなあ」という疑問もあった。中二の頃、近所の本屋でたまたま彼を見掛けたので、思い切って話しかけてみた。すると、なかなか話が面白く、「根暗」というイメージは全くない。顔だってよくよく見ると結構ハンサムだ。それに何より、私服のセンスが抜群に良かった。制服姿からは確かに分からない。こんな姿を知らずに、女子達が「キモい」と言っているとしたら、それはそれで勿体無いんじゃないかと奈美子は思っていた。以来、校内でも時々話をしていたが、他の女子は「よくあんなキモい男としゃべれるな」とあきれ顔だった。
ただ、言われてみれば、真理が三田のことを好きだったというのは納得できる話だった。日記にもあったように、真理が奈美子に「三田君って、そんなにキモいかな」と聞いてきたので、本屋で会った話などをしたら、真理はほっとしたような顔を見せたという出来事は、確かにあった。
そして、その事件のことは当然奈美子は知らなかった。奈美子の風邪が治って登校した日にも、特別な空気はなかった気がする。「奈美子の姿を探した」と真理の日記にあったことからも、奈美子に対する期待がうかがえる。だが、この日に関しては、奈美子は早退して正解だったかもしれない。奈美子だって、その場に居合わせたら、三田を庇っていた自信などない。同じように見て見ぬ振りをしていたに違いない。真理は奈美子を若干買い被っていた節があると感じた。
日記はさらに続いた。
* *
△月×日
木下君と付き合って一ケ月経った。学校の女子達も皆あこがれのまなざしで私達を見る。それはそれで満足。また、彼といると楽しい。色々遊びにも連れて行ってくれるし、話も面白い。三田君のことは、忘れかけている。今、私はしあわせだ。
三月十七日
今日で中学も卒業。木下君と私は、別の高校に行く。でも、大丈夫かな…。少し不安。
三月十八日
木下君のお兄さんの計らいで、なんばのホテルを取ってもらった。二人は結ばれた。
三月二十六日
今日は奈美ちゃんが東京へ行く日だ。見送りに行こうと電話をしたら、「寂しくなるから来なくていいよ」と言われた。奈美ちゃんらしい。またいつか、遊ぼうね。
しばらくはまた他愛もない内容が続く。内容が重くなるのは、五月半ばごろからだった。
五月十四日
なかなか木下君に会えなくなった。週三回が二回になり、今では週一回会えればいい方。しかもお兄さんの取ったホテルでやるだけという感じ。なんか大丈夫かな…。他の女と会ってなければいいけど。
五月二十日
今週は木下君に会えなそうだ。何かまずいかも。他に女がいるという噂も聞いた。何とか話したいけど、いつも家にいない。ふと、三田君のことを思い出す。彼だったらこんなことはない?それとも同じ?奈美ちゃんに会いたい。話がしたい。今の気持ちを聞いて欲しい。そしてアドバイスが欲しい。
六月六日
今日、久々に木下君に会えた。でも冷たい。お茶だけして帰った。
六月十日
ひとつ気になっていることがある。生理が来ない。予定日を一週間も過ぎている。こんなことは初めてだ。
六月十七日
やっぱり生理が来ない。木下君も連絡が取れない。最後に会ってそろそろ二週間だ。どうしよう…奈美ちゃんに会いたい。会って話がしたい。連絡先は知っているけど、東京まで電話していいのかな。電話代高そう。親に怒られるかも。
六月二十日
いよいよやばそう。吐き気が頻繁にする。とうとう学校でも吐き気がするようになった。皆疑ってる。どうしよう…奈美ちゃん、どうすればいい?
六月二十二日
もうあかんかも。私にもしものことがあっても、奈美ちゃんには知られたくない。知らない土地で、慣れない環境でがんばってる奈美ちゃんに余計な心配かけたくないから。でも、やっぱり話聞いて欲しかったな…なんで東京なんか行ったん?
そしてこの翌日、真理は自ら命を絶ったらしい。
* *
奈美子が日記を読み終えた時、真理の家の呼び鈴が鳴った。お客さんだ。
「来たわ」と真理の母が言ったので、突然ではなく、来る予定の客だったのだろう。
その客とは、同窓会で幹事を務めていた丹野孝道と旧姓、柴田栄子夫婦であった。
「明日があの子の月命日なんです」
月命日に最も近い土曜か日曜にこうやって夫婦で御線香をあげに来るらしい。
「奈美ちゃん…来てたの?」
「うん…まあ。栄ちゃん達は毎月来るの?」
「そう。私達、幼稚園から高校まで同じだったのよ。家が近くて親同士も仲良かったし、私にとっては初めての友達だった…。成長してからは、同じクラスにならないと、そんなに一緒に遊ばなくなったけど…。あ、おばさん。これ、昨日の同窓会の集合写真です」
真理の母親は、写真を受け取ると、早速仏壇に飾った。
「じゃ、私達、また来月来ますね」
はい、ありがとう、と真理の母親が言うと、栄子が続けざまに言った。
「ねえ、奈美ちゃん。よかったら、うちで御昼でも一緒にどう?昨日はあんまり話せなかったし。新幹線、まだ大丈夫でしょ?」
そんな悪いわよ、と奈美子が答えると、今度は孝道がいいからいいから遠慮すんな、と言って勧めてきた。真理の母親も、「ぜひそうしなさい」と言わんばかりの目で奈美子を見る。
「じゃ、お言葉に甘えて…」
確かにこんな機会はめったにない。のってみるのも面白いかも。
丹野夫妻には三人の子供がいるとのこと。昨日が同窓会だったということもあって、昨日今日は近くの孝道の両親が見ているらしい。二人とも両親は健在で今も昔と同じところに住んでいる。ただし、夫妻は両親とは別居し、近くに新居を構えていた。
「ねえ、同級生同士で結婚したのって、二人だけ?」
二十年以上ぶりに会ったのに、もう何だか打解けてしまっているのは同級生の良さなのだろうか。
「そうみたい。知らないとこでくっ付いてるのもいるかもしれないけど」
「昔は同窓会のあと、にわかカップルがちょこちょこ出来てたけどな。今回はどやろ?もう若くないしな」
孝道が、昨日の真弓と同じようなことを言う。
それからは奈美子の仕事や今の夫について、また丹野夫妻の子供の話なんかで盛り上がった。
食事も終わり、お茶を飲んでいる時、奈美子がぽつりと言った。
「でも、中学時代って、平坦で何もないように見えたけど、実は色々あったりするのかな?真理のことだって、木下君と付き合ってるくらいしか知らなかったし」
すると孝道と栄子が顔を向き合わせた。
「うん…まあ、俺らも秘密あるで」
「そうなの?」
「そうやな。知ってる奴は知ってるかもしらんけど、一応公にはなってない話があるわ」
孝道の答えに、奈美子が興味津々になっていると、栄子が竹やんのことか、と聞いたので、孝道はそうだ、と答えた。
「もう随分経ってるしな。奈美ちゃんは東京に住んでるし、他の同級生ともあんま交流ないみたいやしな。他の奴に要らんこと言わんと思うし…俺ももうずっと心に留めとくの疲れてきたわ。ここらで吐き出したい。まあ、口止めされてたわけちゃうし、もうええか。俺もあえて口止めはせんわ」