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同窓会は秘密への扉  作者: 井嶋一人
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Episode 1 戸田奈美子

Episode 1 戸田奈美子


 太陽が顔を出している、出していない。気温が一、二℃違う。風向きが違う。昨日と今日、違ってもせいぜいその程度だ。戸田奈美子のように、フリーでライターの仕事をしていたとしても、ある程度生活のパターンは確立する。おまけに、奈美子は主婦でもある。毎日しなければいけないことがどうしてもある。

 奈美子にとってもその日は昨日とさほど変化がない日になるはずだった。昼過ぎ、原稿を書き終えて編集部にファイルを送り、自宅のリビングで一息ついていた。急ぎの仕事はしばらくない。夫も今週はさほど忙しくなさそうだし、久しぶりにどこか夫婦で出かけようかと思い、スマホで色々調べようとしたところに、大阪に住む母親の携帯から電話がかかってきた。平日の午後に電話なんて珍しい。それに、三日前に話をしたばかりなのに、と思って電話に出ると、耳に入って来たのは知らない女性の声であった。

「あの、戸田奈美子さんの携帯でしょうか」

「はい…そうですけど」

「私、大阪市C区の大川総合病院看護師の中原と申します。失礼ですが、西村章江さんは、戸田様のお母様ということでよろしいでしょうか」

「ええ…西村章江は母ですが…あの、母が何か」

「ええ、実は先程、路上で倒れていたところを119番通報からうちに運ばれてきたんですが、何か身元の分かるものを探していましたら、携帯電話にあなた様の番号が登録されておりまして、名前の横に(娘)とありましたもので…」

母親の携帯はガラケーだ。ロックもかかっていないはず。それゆえに、奈美子のことも簡単に分かったのだろう。

しかし、どういうことか。三日前話した時はどうってことは…いや、心なしか声がかすれていたような気はしたが、それ以外に特に問題はなかったはずだ。

「あの、母は…」

「ええ、現在も意識は戻っておりません。大変厳しい状況です。あの、失礼ですが、奈美子さんは今どちらに…」

「自宅です。あ、東京ですが。でも、そちらに向かいます。今から出れば夜にはつくかと」

中原と名乗る看護師は、お願いします、と言い、病院の住所、電話番号を告げ、電話を切った。

 急な電話を受けたが、動揺はしなかった。人間、本当の緊急事態には意外と冷静でいられるものなのかもしれない。まず思ったのは、新手の振り込み詐欺の可能性だ。ただ、お金の話は全く出なかったので、それはおそらくないだろうと思ったが、念のため、スマホで病院について調べたところ、確かに存在するし、住所なども同じだ。こんな時にも詐欺かどうかの心配をしている自分に奈美子はやや嫌気がさしたが、ライターとして色々な取材をしていると、あり得ないだろうというような事件に出くわすことがある。世って今回もあらぬ疑いを、ほんの少しではあるが抱いてしまった。

 母が倒れたので大阪に帰るということを夫に告げ、奈美子は新幹線に飛び乗った。

 新大阪駅から病院に向かう途中のタクシーの中で、母親が息を引き取ったという連絡を病院から受けた。ある程度覚悟していたが、せめて死に目には逢いたかったというのが本音であった。

 翌日、夫が東京からやってきた。母親の両親、つまり奈美子の祖父母もとうに亡くなっており、また、兄弟姉妹もなく、奈美子は父親の顔も見たことがなかったので、親戚と呼べる者の存在はほとんど知らなかった。唯一連絡がついた親戚というのが、和歌山に住む母親の従妹に当たる女性で、「佐和子さん」と奈美子が子供の頃呼んでいた人だ。といっても、会うのは恐らく十五年振りくらいだ。彼女の連絡先は母の携帯に入っていたので、何とか母の死を知らせることができた。彼女も独身で一人っ子ということで、数少ない肉親として生前は二人でたまに会っていた、と奈美子は通夜の席で聞かされた。この佐和子がお通夜や告別式、納骨、さらに年金や何やら、公的な物やライフラインなどを停める手続きなどを全て仕切ってくれた。

それ以外の母の生前の交友関係はほとんど知らなかった。携帯のメモリーもなぜか奈美子と佐和子さん以外全く登録されていなかったので、母親の知り合いにも知らせることもできず、通夜も告別式も参列者のほとんどが近所の人達であった。その時に、何人か小中学校時代の同級生とその親の姿もあった。奈美子は中学三年までこの地に母親、そして母親の両親、奈美子から見て祖父母と住んでいたが、卒業と同時に母親の仕事の都合で母と奈美子は東京に行き、高校は都内の私立女子高に進学、大阪の家には祖父母がそのまま住んでいた。母親は奈美子が高三の時に大阪に戻ったが、奈美子はそのまま付属の大学に進学し、就職、結婚と今まで東京で暮らしている。そのため、大阪での思い出はそれほど鮮明ではない。同級生の顔と名前は分かっても、皆との間にこれといった共通の記憶もないように思う。

それに通夜告別式という席だ。二十年以上振りに再会したからと言って、はしゃぐわけにもいかない。神妙な顔つきのまま、頭だけを下げるのがほとんどであった。

 奈美子は小中学時代の同窓会に参加したことが一度もない。中学卒業と同時に東京に移り、その後は大学の長期休暇か、祖父母の通夜告別式、正月くらいしか大阪には戻っていない。それも毎年ではなかったし、戻っても一週間もいなかったような気がする。別に親やこの地が嫌いだったわけではないが、生活の基盤は東京だったし、大阪の繁華街なんて、一日あれば回れる。いる必要がなかったのだ。母親もそんなにベタベタした関係を望んでいるわけでもなかった。だいたい、二年前まで現役バリバリで仕事をしていたのだ。娘が戻ってきているといっても、そんなに構ってもいられない。なので、実家に帰っても、祖父母が亡くなってからは一人で過ごすことが多かった。そんな時も、小中学時代の同級生に会うということは、なぜか奈美子の頭には浮かばなかった。それだけ大阪での生活が遠いものになっていた。同窓会云々と言われても、実のところ関心を示さなかったかもしれない。

卒業から今まで、全く同窓会が行われていないということはないだろう。ひょっとしたら、招待状が届いていたかもしれないが、東京にいることもあって、あえて母親も祖父母も奈美子には知らせなかったのではないかと思われる。何しろ。高校の同窓会が数年置きに開かれているのだ。高校と小中学、女子校と共学で差があるだろうとはいえ、いくらなんでも三十年近く何もないことはない。過去のことはもういいが、今もし機会があれば、同窓会に出てみたい―母親を亡くした今、この地と自分を繋ぐものがそれしかないような気がした。故郷、という言葉とはやや遠い都会ではあるが、少女期を過ごした土地というのはやはり忘れたくないものである。

と、そこでふと奈美子は気が付いた。小中学校時代の思い出がないことに。いや、全くないわけではない。ただ、あまりにも平凡すぎたように思う。毎日学校に行って、授業を受け、友達と遊び、行事をこなす。そんなことを繰り返していただけのような気がした。ドラマがない。高校時代、大学時代はそれなりに色々あった。それと比べると、あまりに平坦すぎるのだった。だから、同窓会に興味が湧かなかったのかもしれない。


亡くなった奈美子の母は会社を経営していた。婦人服やアクセサリーなどの輸入販売の会社だった。物心ついた時から羽振りは悪くなく、割と良い暮らしをしていたと思う。子供のころは、欧米の高級婦人服などを扱っていたようだが、近年は台湾やタイ、ベトナムなどの商品も取り扱っており、時代の流れにうまく乗ったような感じでやっていた。二年前に「あたし、もう遊んで暮らすわ」と言って会社を畳んだが、その後もやれシンガポールだ、やれハワイだとあちこち旅行していたし、生涯お金に関してはかなり満たされていたはずだ。奈美子も子供の頃は欲しい物はだいたい買ってもらえてた気がする。もっとも、奈美子自身、あまり物を欲しがる子供ではなかったが。

ちなみに父親は、奈美子が生まれてすぐに亡くなったと聞かされていた。子供の頃はそれを素直に信じていたが、成長するにつれ、写真の一枚もないことに違和感を覚え、これは何か訳ありだと思うようになった。しかし、真実を知るのも何だか怖い気がして、とうとう聞けずに母親は逝ってしまった。

父親もおらず、母親も仕事で家を空けることが多かったが、常に祖父母が家にいたし、寂しいと思ったことはなかった。奈美子の子供時代は、一〇〇%ではなかったが、決して不足はない生活であった。ただ、やはり全体的に平坦すぎるという印象はぬぐえなかったが。

 


          *           *


 母親が亡くなって三か月経った。四十九日くらいまでは母親のことに何かと思いを馳せていた奈美子だが、去る者は日々に疎しの諺の通り、徐々に思い出すことも少なくなってきた。時々、「母に電話しなきゃ」と思い立つが、やがてもう亡くなったことを思い出す。母親の携帯は既に解約したが、家の電話はまだ残っている。もし、電話したら、母親がいきなり電話に出たりしないのだろうか。出たら出たで怖いかもしれないが、それほど違和感なく受け入れてしまいそうな気もする。また、母親の死の直後は、大阪の小中学校時代の同級生に会いたいと思っていたが、それも日常の中にかき消されてしまっていた。

  

 その日は取材の仕事が入っていた。取材相手は、青山に店を構える人気パティシエの松田直樹という男性だ。経歴を見ると、大阪の製菓学校を卒業後、フランスやベルギーで修業し、十五年前に青山に「ラ・ガール」という店を出すや否や、たちまち人気店になり、カリスマパティシエとして名を馳せている人物で、奈美子もテレビなどで見て存在は知っていた。しかし、何となく見流していただけで、顔そのものをハッキリ認識していたわけではなかった。今回取材に当たって、改めて顔写真を見ると、どうも見覚えがあるような気がする。テレビで見て知っているというのではなく、知り合いっぽい感じがしたのだ。だが、パティシエの友人などいないし、「松田」という名字にも心当たりがない。

 結局どこのどういう知り合いなのか思い出せないまま、店に到着した。

「すみません。今日取材に参りました、月刊『SHINE』の戸田と申しますが」

扉を開けると、写真通りの顔が奈美子を迎えた。実際間近で見ると、やはり初めて会った気がしない。向こうも何となくだが、「あれ?」という顔をした。

 すっきりしないまま、奈美子は名刺を松田に渡した。どうも、と松田は笑顔で受け取り、そのまま店の喫茶コーナーに案内され、そこで取材をすることになった。今日は定休日なので、客はいない。周りを気にせず取材をすることができるのは有り難かった。店によっては、流行っているところを見せたいとかで、わざと混んでる時間帯を指定してくるところもあり、そうなると、客の雑音や従業員の行き来で気が散る。最近は随分慣れたが、それでもこうして定休日を指定してくれる方が嬉しい。

 

 取材は滞りなく終えたが、松田については思い出せなかった。奈美子が帰り支度をしていると、松田の方から質問してきた。

「あの、戸田さんってご出身はどちらですか?」

もしかして向こうから探りを入れてくれているのだろうか、と思い、いつもなら適当に答えるが、今回は詳しく答えてみることにした。

「中三までは大阪にいました。高校からはずっと東京です」

すると松田の表情が一瞬緩み、

「もしかして、A区第二中学の卒業生ですか?」

「そうですけど…」

こういう風に聞くということは、彼は中学時代の同級生なのだろうか。しかし、「松田」なんて男子がいた覚えはない。あるいは、自分の記憶から抜けているほど、印象の薄い男ということか。

「失礼ですが、戸田さんの旧姓は…」

「西村です」

そう答えると、松田は笑顔を見せながら

「やっぱり!俺、A区第二中の三年B組、黒沢。クロポン」

「え…?」

クロポンとは、中三の時同じクラスだった男子だ。地味な感じの男子だったが、手先が器用で、美術の作品などは、いつも見事な出来のものを作っていたのを覚えている。当時は女子からの人気はなかったが、奈美子はなぜか席が近くなることが多く、どこかおっとりした、今でいうところの癒し系的なキャラが気に入っていたのもあって、たまにしゃべっていた。

「やだ、クロポン…。え、ごめん。いや、どこかで見た顔だとは思ってたけど、まさかクロポンだったなんて…。あの、名字も違うし、『直樹』って名前はどこにでもあるから…」

奈美子が言い訳をしていると、松田は意に介することもなく、

「仕方ないよ。俺、人気なかったしね」

「そんなことないって…。でも、なんで名字変わったの?ひょっとして婿養子になったとか?」

「いや。俺は今も独身。高校の時に親が離婚して、俺は母親の方について行ったから、母方の姓だよ」

親が離婚か…。当時は母子家庭なんて自分の家だけだと思っていたが、知らないだけで、他にもいたのだろうか。

 取材などをしていると、同じ高校とか、同じ大学出身者に会うことはある。だが、期が違ったり、同期でも面識がないというケースばかりであり、こんなダイレクトにクラスメートに会うのは初めてだった。

 思わぬ再会に興奮していると、松田が奈美子に聞いた。

「ところで、来月の同窓会、行く?」

「同窓会なんてあるの?」

「あるよ。招待状、届いてない?」

 奈美子はそんな招待状は見たことがない。大阪の実家に届いていたとしたら、転送サービスを申し込んでいたので、転送されるはずだ。もしかしたら、ずっと出席しなかったので、もう外されてしまったのだろうか。

「実は、三か月前に母が亡くなって、今実家誰もいないのよ。転送まで少し時間がかかるかもね」

「あ、そうなんだ…。それはご愁傷様」

「それともあれかな、一度も出席してないから、もう来ないと思われてて、それで送って来ないのかも」

「それはないと思うよ。もう少し待ってみたら?」

「そうする。もし届いてたら、実家の掃除のついでに行ってみようかな」

「そうしなよ。皆びっくりすると思うよ」

確かにびっくりするのかもしれない。ほぼ全員、卒業以来一度も会っていない。

松田は「旦那さんといっしょに食べて」と言って、店の商品をいくつか包み、奈美子に持たせた。


 帰宅して、マンションの郵便受けを見たが、手紙は何も入っていなかった、仕方ないか、と思い、部屋に戻ると、夫の弘文が先に帰宅していた。まだ六時過ぎだ。

「ただいま。今日は随分早いのね」

「俺だってたまには定時で帰りたいよ。晩御飯、今準備してるから」

弘文は料理が意外に得意なので、休みの日や早く帰ってきた日はこうして作ってくれるのだ。

「ありがとう、助かる。あ、今日取材に行ってきた店でデザートいくつかもらってきたから、あとで食べよ」

 弘文は奈美子より五歳年上だ。奈美子と元々同じ出版社に勤めていて、十年前、同じ雑誌の編集部に奈美子が入って来たことがきっかけで知り合った。弘文は今は編集長だが、当時は副編集長、奈美子はライター兼編集者であった。当時の弘文は離婚したばかりで、よくため息をついていた。そんな弘文を、皆は腫物に触るように扱っていたが、奈美子は特に遠慮するでもなく、気さくに話しかけていた。そこを弘文は気に入ったらしく、交際は自然に始まった。二年の交際を経て、二人は夫婦になった。弘文が二度目ということもあり、結婚式と披露宴はなし。タキシードとウエディングドレスを着ての撮影と、指輪の交換だけを行った。これは親戚のいない奈美子にとっては非常に有り難いことだった。盛大な披露宴をやるとなれば、どうしても奈美子の親族側が貧相になる。かといって、会ったこともない遠縁の親戚を呼ぶのも憚られる。奈美子の母親もほっと胸を撫で下ろしたようだった。結婚後、奈美子は出版社を退社し、弘文のツテや自身のコネなどを使って、フリーライターとして仕事をしている。なお、弘文には離婚時子供はおらず、奈美子と結婚後も出来ていない。


 弘文が食事の準備をしている時、思い出したように言った。

「あ、そうそう。何通か郵便物届いてたぞ。電話の横に置いてあるから」

「あ、そ」

奈美子は何気ない風を装っていたが、内心ではドキドキしていた。同窓会の招待状が届いているかもしれない。そう思って届いた郵便物を見ていくと、一枚の往復はがきがあった。大阪の実家に届いたものが転送されて来ていた。「同窓会のお知らせ」とある。

―これだ!

日付は今からおよそ一か月後の土曜日。差出人は「丹野 孝道・栄子(旧姓 柴田)」となっている。へえ、あの二人結婚したんだ。丹野といえば、学年のリーダー的存在だった男子で、ケンカも強かったというイメージがある。柴田もまた女子のリーダー格であった。いわばトップスター同士の結婚である。学校にはそれほど思い入れのなかった奈美子だが、こういうのを見ると何だか微笑ましい。そんな二人が幹事となれば、きっと大勢集まることだろう。


 食事をしていると、弘文が奈美子に尋ねてきた。

「そういや、同窓会のお知らせとかったけど、お前行くのか?」

別に悪意があって覗いたわけではなく、往復はがきだから、「同窓会」の文字は弘文の目にも入った。夫にとって妻が同窓会に出るのはちょっと気になる。やけぼっくいに火が付いたり、同級生の新たな魅力に気付いて恋に落ちてしまったりといったことがあるからだ。奈美子は女子高卒なので、高校の同窓会なら心配ないが、「大阪市立なんたら中学」とあった。ということは共学だろう、と弘文は思い、若干心配だったのだ。

「そうねえ…母さんの四十九日以来実家に行ってないし、家の様子を見るついでに行きたいなとは思ってるけど…私、中学の同窓会って行ったことないんだ」

「そうなのか。そういや、高校や大学の話はたまに聞くけど、中学や小学校の話は全然聞いたことないな。何か嫌な思い出でもあるとか?」

弘文は冗談のつもりで聞いた。

「いや、そういうんじゃないけど…。まあ、中学卒業してからはずっと東京にいるしね。それにいい思い出っていうより、思い出自体があんまりなくて」

「何だよそれ。ホントに嫌な思い出があって記憶を消し去ったのか?」

もしかして本当に何かあるのかもしれないと、弘文は勘繰る。

「そうじゃなくて、うーん、何ていうのかな。つるっとしすぎてて印象がないの」

「それは平和すぎるみたいな感じか?」

弘文も雑誌編集者の端くれだ。言葉のニュアンスを汲み取るのには自信がある。

「そうね…。平和っていうか、平坦っていうか、平凡っていうかね。高校の時や大学の時は、自分も友達も色々あったのよ。恋はもちろんあったし、グループ同士の対立とかケンカとか、先生とのもめごととか…。モデルにスカウトされて活動もしてたし、毎日が良くも悪くもハリがあったの。でも、中学の時って、そういうのが全くなかった。ただ淡々と毎日を過ごしてた感じ」

「ふうん。でも、中学なんてそんなもんじゃないの?俺だって中学時代は野球やってた記憶しかないぞ。あ、じゃあ、初恋とかもないのか?」

弘文が一番聞きたいのはそれだった。同窓会で初恋の人に出会って…って何だか安物の小説かドラマのようだが、現実は意外と単純だ。そういうことはむしろ現実のほうが起こり得るだろう。

「うーん。ちょっといいな…くらい思った男の子はいたけど、あれが恋かと言われると何か違うなあ」

弘文はちょっと安心したのか、

「まあ、行って来てもいいんじゃないか。家の様子も気になるだろ」

と承諾するようなことを言った。

「そうね。仕事が忙しくなかったら」

奈美子は冷めたようにそう言ったものの、本心では行く気満々だった。何かを期待していたわけではない。今まで見てこなかった世界をあえて覗いてみたくなっただけだ。好奇心という方が近いか。


 結局、仕事はさほど忙しくなく、同窓会に出席することになった。今回は、というより、今後大阪に戻る時は実家に泊まるのではなく、ホテルを取るつもりだった。というのも、実家は既に築四十年以上経っており、あちこちにガタが来ていた。床は軋むし、二階の床も心なしか曲がっているような気がする。そういえば、母親も亡くなる直前はホテル住まいをすることが多かったと言っていたが、それは贅沢ではなく、こういう事情があったのだということに、その時気が付いた。家は住まないと傷むのが早いというが、このまま誰も住まない状態が続くと、近いうちに何か起こりそうな気がする。奈美子の部屋は二階だったが、寝ている時にいきなり天井が落ちたりしても怖いので、落ち着いて眠るためにはホテルの方がいいだろう。おそらく家はこのまま解体するのがよさそうだが、解体する前には、恐怖覚悟で一晩ぐらい泊まりたい気もする。

 ただ、それでも実家に寄らないわけにはいかない。まだまだ整理しなければいけないものもある。相続はそれほど苦労せずに済みそうだった。亡くなった直後、母の預貯金を調べたところ、数百万円しかなかった。そりゃホテル住まいなんかしてたら金はなくなるだろうよ、とも思った。築四十年以上の家の評価額もほとんど土地代で、一千万円をわずかに超えるくらいだ。これなら相続税はかからない。そういえば、母の部屋にあった金庫の中身はまだ見ていない。暗証番号は以前教えてもらって知っているので、見ようと思えば見られるが、母に貴金属を集める趣味があったようには見えなかったし、祖母もあまり派手なタイプではなかった。どうせ大したものは入ってないだろう、と高を括っていたので、金庫についてはそのうち…くらいにしか思っていなかった。

 

 奈美子が大阪に入ったのは、同窓会の前日であった。ホテルにチェックインすると、まず実家に向かった。中学卒業まで住んでいた家。もう既にそれ以降の人生の方が長くなっており、自分の家という感じはあまりない。自分の部屋も基本的にはその頃のままだ。カレンダーが「一九八七年」とあって、すっかり色あせており、ここだけ時間が止まっているような感じだ。もし、目隠しをされて、いきなりここに連れて来られて「タイムマシンに乗せて一九八七年に来た」と言われたら、信じてしまいそうな勢いだ。

 奈美子は本棚から、中学の卒業アルバムを取出した。東京に引っ越す時には持って行かなかった。未だにその理由は奈美子自身もよく分からない。ただ、もし東京に持って行っていたら、今こうして卒業アルバムを捲ることはないだろう。この日が来るのを予想していたかのようだ。東京で捲るよりも、この実家で同窓会の前日に捲るという方が確かに雰囲気がある。

 奈美子の中学はA組からF組までの六クラスであった。第二次ベビーブームということを考えたら、少ない方だ。当時すでに郊外の方に人口が移っていたので、都会の真ん中の中学はどこもこんなもんだろう。

 パラパラと捲ると、同級生の顔が出た。奈美子はB組だったが、六クラスとそれほど多くないため、一通り顔と名前は分かる。この子はこんな子、あの子はあんな子、という風に色々思い出してきたが、彼らとの思い出となると、やはり思い出せない。同級生のスペックは思い出せても、ストーリーがないのだ。自分は修学旅行で、遠足で、球技大会で、いったい何をしたのだろう。それだけに、同窓会への出席は、何か秘密の扉を開けるようなわくわく感もあった。


 同窓会の会場は、同級生の一人が心斎橋で経営しているというイタリアンレストランだった。事前に調べたところ、関西の雑誌などでは何度か紹介されているらしく、パーティなどでもよく使われているとのこと。なんかカリスマパティシエだの、人気レストランオーナーだの、あと、高校時代アイドル歌手やってた女の子もいたっけ、奈美子の同級生には結構大物がいるということに改めて気が付いた。自分なんかが行っても相手にされないのではないか…いや、そうまで言わなくとも、話について行けないということもあり得る。何しろ、二十年以上もほったらかしにしていた人間関係である。輪に入れないのも仕方ない。まあ、元々思い出も思い入れもない時代の話だ。ぼっちになってしまったら、翌日適当に大阪見物でもして、静かに東京に戻ろう。奈美子はわくわく感と同時に、どこか冷めていたところもあり、何とも複雑な気持ちでその日を迎えることになった。


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