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連続短編 第一章 『金魚の色彩』 お題38『祭』

「おじいちゃん、あれが欲しい」

「お、綿菓子か」

なぎさの視線の先にはふわふわの綿菓子が入っていた。俺は商品を受け取った後、彼女のために小さく千切って渡すと、首を大きく振って断わられた。

「やだ、そのまま食べたい」

「わがままやなぁ、ほれ」

 渚の口元に近づけると、彼女は大きく口を開けて綿菓子にそのまま顔を突っ込んだ。もちろん食べることはできず、鼻の先にまで綿が載っている。

「ほら、食べれんやないか、ほれほれ」

 俺が再び小さく千切って渡すと、渚は恨めしそうに綿菓子の本体を眺めながら口をぱくぱくさせた。まるで鯉のようだ。

「べとべとやないか、お前の顔」

「とって」

 鼻の頭についた綿菓子を手で掬い口に含む。自分の孫なのになぜか妙な背徳感を覚える。

「取れたぞ、後はこれで顔拭いとけ」

 俺の手ぬぐいを渡すと、渚は嬉しそうに顔を何度も拭き始めた。まるで子猫のようだ。

 ……それにしても、どのタイミングでいえばいいのだろう。

 俺は孫の手を強く握りながら考える。今日の昼、俺の息子であり渚の父親・壮太そうたが母親と一緒に水難事故で亡くなったのだ。明日の通夜で葬儀をすることになっているが、渚にどのタイミングでいえばいいのかわからない。

「おじいちゃん、ありがとー」

 彼女は嬉しそうに微笑みながら手ぬぐいを返してくる。今日の終わりにこの顔が曇ると思うと、やり切れない。

 俺はいつ、どのタイミングで、彼女に絶望を与えたらいいのだろう。

 答えは未だ出ない――。


「しかし、変わらないもんだな」

 俺は久しぶりの祭りを懐かしく思い、変わらない景色を一望した。変わったことといえば、屋台の頭首が二代目になっているくらいだ。島の祭りなので、見知った顔しかいないが、それでも皆、精一杯楽しもうと工夫を凝らしている。

「おじいちゃん、次、あれがいい」

 渚の視線の先にはイカ焼きが見えた。屋台で食うイカ焼きも旨いが、イカといえば、生の刺身が一番だ。この暑い沖縄でも、旨い魚介類は豊富に揃っている。

「よし、じゃああっちに行こうか」

 彼女の手を引き体力をじわじわと奪っていく。こうやって渚の要望通りに行けば、きっと疲れて寝てしまうだろう。俺に死刑宣告をする勇気はない、家に帰れば家内の早苗さなえが怒り狂うだろうが、このまま気まずい思いをするくらいならそっちの方が断然いい。

「お、大槻おおつきさん。いらっしゃい、あんたの取るもんには敵わんけど、うちのイカも美味しいよ」

「一つ貰おう」

「あいよ。おちびちゃんにもサービスで小さいのを上げるからね」

 俺達は一つずつ手に取ったが、渚は再び俺のものを親の仇のように睨みながら自分のを食べだした。どれだけ食い意地が張っているのだ、まだ8歳になったばかりだというのに食べ物に関しては大人顔負けである。

 ……イカ焼きなどここにいれば、いくらでも食わせてやるのに。

 俺は溜息をつきながら熱々のイカ焼きを頬張った。俺は海で漁師をしており、息子の壮太は長崎でスキューバダイビングのインストラクターの講師をしていた。地元に帰ってきたのも、渚に綺麗な海を見せるためだそうだ。まさか、それがこんな大事件になるとは思ってもいなかった。

 ……しかし海での事故はつきものだ。

 俺の気持ちはすでに落ち着いている。海と共に生きる者としてその覚悟は常に持っているし、海で亡くなった者を少なからず知っているからだ。きっと壮太自身もわかっているだろう、不幸な事故とはいえ、その可能性はゼロではないことを。

 だが渚は違う。海の素晴らしさを知るためにこの南国に来て、海の怖さを知って地元に帰るのだ。彼女の地元は水産産業が盛んだと聞く、伝え方を間違えると人の一生が狂ってしまう可能性がある。

「おじいちゃん、もう食べんと?」

 彼女の手を見ると、すでにイカ焼きは消えていた。どうやら俺の分まで食いたいらしい。

「渚、まだ入るんか?」

「うん、食べたい」

「……そうか」

 俺は再び食いやすい大きさに変えてやろうかなと思ったが、そのまま渡すことにした。彼女の食べ方を見るためだ。

 先ほど綿菓子で失敗していたが、今度はきちんとイカの形状を見て顔につかないように食べ始めた。ちゃんと学習できる頭のいい子だ。

「今度は綺麗に食うことができたな」

 俺が褒めると、渚は満開の笑顔を見せた。

「うん。こぼしたらもったいないもの」彼女は得意げにいう。「海の食べものは全部すき、だって全部おいしーんだもの」

「……そうか、それはいいことだな」

 頷きながら彼女の目をちゃんと見ることができない。やはりこの笑顔を消す方法を俺はまだ知らない。


「おじいちゃん、喉渇いた」

「渚、さんぴん茶は知っとるか?」

「知らない」

「それじゃあ、それを飲もうか」

 俺は冷えたさんぴん茶のペットボトルを二本買い、彼女に手渡した。

「んー変な匂いがするけど、おいしー」

「……お前にはまだ早かったか」

 ジャスミンの香りが鼻を突き抜けて気持ちが和らぐ。

 ……葬儀を終えた後、渚はどうするのだろう。

 俺は少しだけ遠い未来を想像した。彼女を実家に戻してもいいが、あちらの方が年配で大変だろう。保険金が下りるとはいえ、彼女が成人するまで考えれば体が持つかどうかわからない。

俺と早苗はぎりぎり40代だから、何とか大人になるまでは育てることはできる。

 ……俺が考えていい内容ではないな。

 船の上で子育てを放棄していた者が心配することではないと思った。全ての権限は家内にあるのだ。

 今頃彼女は通夜の段取りを組んでいるだろう。長崎の祖父母も参加するだろうし、日は伸びるかもしれない。

「見て、おじいちゃん」

 彼女の視線の先にはペットボトルがあった。何を見せたいのかわからない。よく見ると、ペットボトルが汗を掻くように露をつけていた、きっと暖まってできたのだろう。

「ああ、これか。水滴が出てきたな」

「ほら、ここ見て、ここにたくさんイクラがおる」

 そういって渚はただの露を輝く宝石のように覗き込む。祭りの光も相まってさんぴん茶が赤く光り、よく見ればイクラに見えなくもない。

「そうやな。渚はそんなに海の食べ物が好きなんか?」

「うん、すきー。一番好きなのはウミウシ」

「げっ、お前、あんな気持ち悪いのが好きなんか?」

「うん。かわいいもん。カキみたいで」

 ……それは可愛いとはいわないだろう。

 俺は心の中で彼女に突っ込んだ。全く、子供の発想力には敵わない。

 この年でカキの味がわかるようなら、恵まれているだろう。魚介が嫌いで泳げない沖縄県民もいるからだ。皆、地元のイメージで踊りが上手い、酒が強いなど、様々なイメージを持つが、誰しもが馴染んでいるわけではない。俺の漁師仲間でも東京出身の奴だって大勢いる。

「おじいちゃん、あそこ、金魚がたくさんおる」

 彼女は珍しそうに小型のプールを覗き込んだ。赤と黒の二色しかいないが、数も相まって配色が時間と共に変わっていき綺麗だ。

「ねえ、おじいちゃん。すくって」

「ああ、いいぞ」

 俺は無言のプレッシャーを屋台の頭首に掛ける。今日は孫の笑顔を崩すわけにはいかないのだ。

「お、大槻さん。そんな凄まれても網は変わりませんよ。三枚だけですからね」

「ああ、でも取れなかったらわかってるだろうな」

 下手な脅しだが、掛けないよりはマシだ。渚の前でズルをするわけにもいかないし、確実に取る方法を考えなければならない。

 そっと網を水の中に染み込ませると、やんわりと紙が剥がれていった。金魚をすくう前にただのわっかになっていく。

「……おい。まさか去年の使いまわしじゃないよな?」

「……そんなこと、あるかも……です」

 俺達の顔から血の気が引いていく。だからといってここで投げるわけにはいかない。

 ……そうだ、あれを使うか。

 俺は余っていた綿菓子を千切り、鯉の餌のように撒きポイントを作った。その後、貰った網を三枚綺麗に重ねず、わっかの端の面積を増やして掬い上げた。

「おー、おじいちゃん、凄い」

 渚は俺の反則技に突っ込まず、取れた金魚に見とれていた。数を確認すると三匹以上いる、これで面子も保たれるだろう。

 店主はほっとして胸を撫で下ろしていた。その手には保険で取り置きしていた二匹の金魚があり、彼らは恨めしそうにこちらを覗いていた。

「おじいちゃん、すくってくれてありがとー」

 渚の顔を見ると、再び満面の笑みだった。俺は得意げになったが、孫に見せる訳にもいかず背を向けたまま残りの綿菓子を食べ尽くした。

「すごいね、うちも大きくなったらおじいちゃんみたいに漁師になる」

「何をいってるんだ、渚」

「うちも海が大好き。だからおじいちゃんみたいに魚を一杯釣りたい」

 懐かしい響きだった。

 ……そういえば壮太とも、ここに来たことがあったな。

 あの時も金魚を取っていて、ズルをしたのだ。だがそれを壮太は見抜き溜息をついていた。

 ……懐かしいな、あの時もこの香りがあった。

 俺はさんぴん茶を口に含み息子との数少ない思い出を反芻した。


「とーちゃん、全然取れないじゃん」

「うるせー、俺は魚を取ることで負けたことはないんだよ」

「でもこれは金魚だよ」

「金魚も魚じゃ。壮太、待ってろ。あのでかい金魚取ってやるからな」

 俺が躍起になって大物を観察すると、壮太は小さく溜息をついた。船の生活が長く、彼は俺のことを父親と見なしていない。ここで名誉挽回したいのだが、これが思うようにいかないのだ。

「別にオレ、小さいのでいいよ」

「駄目だ。海の男がそんなこといっちゃいかん」

 俺は自分に言い聞かせるようにして大物を狙ったが、すでに膜は半分破れていた。こうなれば奥の手を使うしかない。

「ほら、見ろ。壮太、大物が釣れたぞ」

「ずるじゃん、二枚使ってるじゃん」

「ずるじゃない」俺は躍起になって説明した。「魚を取る時も、一つじゃなくて二つ使う時もあるんだ。大きい魚の時は特にな」

「そんなことよりさ、花火、終わっちゃったよ」

 周りを見ると、すでに客は引いており、花火を見終えた客が帰っていく姿が見えた。

「花火はまた来年でいいじゃないか。今日は帰ってこいつの鉢を用意しよう」

「また都合がいいこといって」壮太の顔が曇る。「とうちゃん、来年もここにいるかわからないじゃん。いっつもいて欲しい時にいないのに、こういう時だけずるいよ」

 俺は壮太の頭を優しく撫でゆっくりと謝罪した。

「ああ、ごめんな、壮太」

 言い訳なんかいくらでもできる、と思った。お前のため、生活のため、口でいうことはできるが、全部自分のためだ。漁師を辞めればこいつと一緒にいることはできる。ただ自分がしたいから辞めれないのだ。

「そんなに楽しいの? 海」

「ああ」俺ははっきりといった。「一度船に乗って漁に出ればわかる。お前にも早く味わせてやりたいよ」

「うん、オレも海が好きだよ」壮太は満開の笑顔でいった。「俺もとーちゃんみたいな海の男に早くなりたいよ」

「それがいい」俺は大きく頷き彼の手を握った。「だが俺は厳しいからな。ちゃんとついて来いよ、壮太」


「おじいちゃん?」

 俺は我に返り、渚を見た。そこにはもう壮太の影はなくなっており、金魚袋を掴んでさんぴん茶を飲んでいる彼女だけだった。すでに花火も鳴り始めている。

 花火の光が金魚の色彩を変えていく。まるで深海にいる魚のようで、色が変わるだけで大人になっていくようだ。

「渚、お前は今、8歳だよな?」

「うん」

「……そうか」

 彼女が成人しても俺はまだ還暦だ。大丈夫、子供一人くらいなら育てられる。遠洋漁業ではなく、近場の魚を取りにいってもいい。なんなら漁師でなくてもいい。

 ともかくこいつのそばにいたい。

「……渚、話がある」

 真面目な声でいうと、彼女はびくりと背を伸ばし恐れるように俺を見た。

「お前、しばらく……うちにいるか?」

 一つの間が空いて、渚は突然プロポーズされたような顔で俺を見た。

「すごい。おじいちゃんの家、いるか、おったん。どこ?」

「……いるかはおらん」

「……なんだ、おらんの。もしかしてもう食べたと?」

「食べてないわ、あほ」俺は花火に負けじと大声でいった。「しばらく家に住むか、ということや。今は夏休みやろ、父ちゃん達にはいっとくから。ここにおれば長崎じゃ食えん魚、腹一杯食えるぞ」

「ほんと? なら、ここにおる」

 渚は打ち上げ花火と同じように満開の笑みを見せた。

 ……生まれ変わろう。

 俺は心を改めることにした。何もしてこなかった自分が今更、親代わりになることはできないが、もう一度親になるというのなら別だ。孫のためにもう一度父親として生まれ変わりたい。

 これは神が俺に与えた試練なのだ。

「おじいちゃん、金魚を救ってくれてありがとうね」

「え?」

 渚を見て驚愕する。彼女の言葉に掬うではなく救うという文字が見えたからだ。

 ……ああ、そうか。そういうことだったんだ。

 俺は再び自分を責めた。渚の心を救いたいだけではなく、俺は過去を変えたいのだ。俺自身の心も、壮太の心も、全て俺が果せなかったものを含めて――。

 もう言い訳はよそう、救われたいのは俺だ。その上で彼女を救いたいのだ。

 ……渚、共に生きよう。

 ビニール袋で楽しそうに泳いでいる金魚達に誓った。こいつらも皆、限りある命だ。俺が掬った命を無駄にするわけにはいかない。こいつらも皆、俺の家族だ。

 家族を守るのが父親の役目だ。また家族に守られるのも父親の役目なのだ。

「おじいちゃん、この子らは何色になるやろうね?」

「金魚は成長すると色が変わるから、今はまだわからないな」

 ……彼女は何色に成長するだろうか。

 俺は再び金魚を見ている渚を見て思った。彼女の未来を想像すると心が軽くなっていく。これが父親としての心なのか、今はまだわからない。

 ……壮太、後は任せておけよ。お前ができなかったことも全て俺がこの子に託してやるからな。

「よし、帰ろうか、渚」

「うん」

 彼女の小さな手を再び握り心に熱い魂が宿っていく。この思いが燃え尽きるまで、俺は彼女を守ってみせる。

 だが何かとても重大な任務を忘れているような気がする。思い出せない。

 しかし家に帰ってやることははっきりしている。それは今も巨大化し続けている一代目の金魚をどこに住まわせるかということだ。

 

お読み頂いてありがとうございます。

また会えることを願って。

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