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連鎖する種子

黒い雲の間を太陽の光が差し込んできていた。

明らかにすっきりとしない空模様。傘を手に持ちながら登校している女子生徒同士が何やら話していた。

「今日さ、うちらのクラスに転校生が来るんだって!」

「えっ! うそぉ~! 男の子かな? 女の子かな?」

「それはまだ分からないんだけどね。何か親が大会社の役員をやってるらしいんだよね」

「じゃあ、お金持ちって事じゃん! その子と友達になれば結構良い思い出来るんじゃないの?」

「私もそれは思った!」

「あぁ~もしも男の子だったら良い玉の輿だし、女の子だとしてもきっと知り合いは全員お金持ちだと思うから男の子を紹介して貰ってやっぱり玉の輿だね!」

「もう! どっちにしても玉の輿になっちゃうんじゃん!」

「あははっ。だって私それにしか興味ないんだも~ん!」

「相変わらずだね。うふふっ」

転校生という響きに胸を高鳴らしてしまうのも無理は無い。

漫画やアニメの世界の様に、もしかしたら絶世の美少女か美男子が突然自分のクラスにやって来て、運命的な出会いを果たし、その日から毎日が幸福で満たされるかも知れないのである。

そんな事を夢にまで描いている様なこの状況。

まるで何処かのビル街の休憩時間に近くの公園に小さな弁当箱を膝の上に置いて幸せ一杯に話しているオフィスレディーの様にも感じられたが、確かに学校の制服で身を包んでいる女子生徒であった。

 まぁ兎に角、転校生が来る日というのはそのクラスだけで無く学校中のニュースになってしまうものなのである。

 そんな中、少し遅れて来る一人の女子生徒だけは何も知らずに登校していた。っというよりはそんな場合じゃないと言った方が表現的には合っているだろう。

「やばいやば~い! また遅刻しちゃうよぉ~! 何でお母さん私を起こさないで先に仕事行っちゃうかな! しかも目覚まし時計をセットするの今日も忘れてたし、もう最悪の朝だよぉ!」

 寝起き直後の様な顔をして、ショートカットの髪は寝癖でハネていた。

背中の鞄を大きく左右に揺らしながら、全力で走っているこの女子生徒の名前は錫禰佳代(すずね かよ)と言い、この学校にある美術部に唯一所属している部員である。

学校に着くと急いで上履きに履き替え、教室に向かうと既に朝のホームルームが始まっていた。

 教室の前に人陰は見えたが、それどころでは無かった佳代は気にする様子も無く、しゃがみ込むと静かにドアを開けて生徒の影に隠れながら自分の席へと移動して行っていると、それに気付いた女子生徒が声を掛ける。

「あら、錫禰すずねさん! おはよう!」

 明らかに先生や周りに聞こえる程の声で言った女子生徒の行動はワザとであった。

 その事で全員に知られてしまった佳代はその場に立ち上がると誤魔化す様に頭を掻きながら笑うと

「えへへっ、見付かっちゃった!」

 その様子に呆れた先生は軽く溜息を吐いて

「錫禰……またお前か。いい加減もうちょっと早く起きれんのか?」

「えへへっ……毎日頑張っているつもりなんですが、どうしても夢の中から抜け出す事が出来ずにいて……すみません」

 寝坊が一向に直らない佳代にも呆れていたが、毎日次から次に出てくる言い訳にも呆れてしまっていた先生は力が力無しに佳代の席に指をさし

「……もういいから席に着きなさい」

 佳代は申し訳無さそうに笑いながら言われた通りに席まで、ささっと移動して席に着いた。

「えっと、これでやっと全員揃ったな。実は今日からみんなと同じクラスにの仲間になる転校生を紹介します。入って来て下さい!」

 その瞬間、教室内に異様な緊張感が漂った。クラス全員の目が前方のドアに集中する。

 男子生徒の心の中は

(女子! 女子! 女子! 女子! めっちゃ可愛い女の子ぉぉぉぉ!)

 いつ何処でその野生の本能を教わったのかは謎であったが、男子生徒全員の目は草食動物のインパラやトムソンガゼルを草の中に潜んで狙っているチーターや豹、ライオンやジャッカルの様に目を血走らせていた。

 女子生徒の心の中は

(男子! 男子! 金持ち男子! イケメン男子! 玉の輿ぃぃぃ!)

 普段は可愛い女子生徒達も食欲の前では形振りなんて構っていられないと言わんばかりだった。まるでその様子は普段は動物園の檻の中でタイヤと戯れて遊んでいる様子をお客さんから愛くるしいと思わせているパンダだが、瞳の奥に隠している本能剥き出しの闘争心の前には何者も寄せ付けないっと言ったところであろうか。

 こんな状況を一言で表すとするならば大空を自由に飛び回る空の支配者の龍とその爪と牙で何者も寄せ付けない力で大地の支配者になった大虎が出会ってしまった時の緊張感に似ているのではないだろうか。

 生唾を飲み込む音が響き渡る教室のドアが開いていくのだった。

 その瞬間、全員の視線の方向が変わった。


(後ろかよ!)


 後方のドアを開けて戸惑っている女子生徒に先生が

「えっと。そっちのドアじゃなくて、こっちの前のドアから入って来て貰えますか?」

 顔を真っ赤にして恥かしそうにすると、後方のドアを閉めると廊下を走って前方のドアを開けて入ってきた。

 そそくさと先生が居る横に立つと顔を俯かせながら小さく頭を下げた。

「ま、まぁ初めてだと色々分からない事も沢山で戸惑ってしまうと思うが、すぐに慣れる様にみんなも協力してあげるんだぞ! それじゃ軽く自己紹介をして貰えますか?」

「……はい!」

 この時点で男子生徒の心の中は一世一代の祭りの最中だった。何故なら転校生の女子生徒は長い髪は絹のように滑らかで輝きを放っており、スタイルも細身で有りながらも美しいラインをしていたし、何よりも予想以上に可愛かったからである。

 見るからにお嬢様を思わせるような気品に満ちたその表情に男子生徒の目の中はハートになっていた。しかもいきなりのドジで恥かしい思いをしてしまった事による赤面がまた良かったりするのだった。

 反対に女子生徒は消沈してしまった様子がちらほら見受けられた。夢見ていた美男子生徒との華やかな学校生活やドキドキの日常生活が音を立てて崩れ去っていったのだった。

だが、しかしまだ諦めてはいなかった。確かに男子生徒では無かったが、風貌は明らかにお金持ちのお嬢様を感じさせた。きっと幅広い交友関係を持っていて、お金持ちの男の子の知り合いが山ほどいると思ったのだ。

更なる夢を追い求め、早く仲良くなりたいと女子生徒は新たな野望を抱いていたのであった。

 そんな事など露知らず転校してきた女子生徒は真っ赤にしていた顔を何とか落ち着けると黒板へと振り向いて名前を書き始める。


 早……邑……瑞……希……


 書き終えるとチョークを静かに置き、みんなの方へと体を戻した。そして小さく息を吸い込んでから話し始める。

「ふぅ~……皆さん初めまして! 早邑瑞希(はやむら みずき)と申します! 前の学校では美術部に所属しており、絵を描いたりするのも見たりするのも大好きでした。この学校にも早く慣れて皆さんとも仲良くなれればと思っております。これから宜しくお願い致します!」

 瑞希はお腹の前で手を組み、深々とお辞儀をした。

 そんな瑞希の喋り方や立ち振る舞いにクラス全員が見蕩れてしまっていた。そんな中で唯一すぐに返事を返す者がいた。

「こちらこそ宜しくね! 分からない事があったら何でも聞いてね! まぁ……私に分かる事があれば良いんだけどね!」

 席から立ち上がり前のめりになりながら笑顔で応えたのは佳代であった。全員の視線は佳代に向いていた。だが、そこにあったのは蔑んだ目や冷ややかな目だった。

 誰もがいの一番に瑞希に声を掛けたかった筈であった。しかしいつでもお調子者で何があっても笑顔を絶やさない佳代はクラス全員から嫌われていたのである。

(何だよ。お前が気安く声掛けんじゃねぇよ!)

(所詮どうせお前も玉の輿目当てで仲良くなりたいだけなんだろ?)

(いつもニコニコしてて気持ち悪いんだよ! 腹の底じゃ何考えてるか分かったもんじゃないしな!)

(本当馬鹿は気楽で良いわね。何も考えなくて済むんですものね)

 痛い程に突き刺さる視線は佳代も気付いていたが、敢えていつも通り気付かないフリをしたのだった。

 若干笑顔を強張らせながら

「えへへ……私だと間違いばかりだからクラスのみんなの方が良いかもね……」

 誰とも視線を合わせない様に顔を俯かせながら椅子に腰を落とした。

 するとちらほらと瑞希に対して質問が飛び交った。

「早邑さんは普段何してるんですか?」

「好きな男性のタイプは?」

「両親はどんな仕事してるんですか?」

「俺みたいなのってタイプ?」

「家って学校から近いの?」

 一度に飛んでくる質問に戸惑っていると見兼ねた先生が言う。

「コラコラ! そんなに一度に聞かれたら早邑さんだって困ってしまうだろ! それにもうそろそろ授業の時間だから質問の続きは休憩時間にでもするといい。一先ず早邑の席は……」

 教室内を見渡す先生は後方の席に指を指しながら

「錫禰の隣が空いているな。取り敢えず今日一日はあそこの席で授業を受けて下さい」

「はい!」

 机の間を通って行く瑞希を目で追っていく生徒達。通り過ぎた後から優しく香る匂いに男子生徒はうっとりとしていた。

 瑞希は佳代の隣まで来ると微笑みながら言った。

「これから宜しくお願いします!」

 佳代はそれに応える様に同じく笑顔を返して

「こちらこそ宜しくね! 錫禰佳代です!」

 鞄を机の上に置きながら椅子に座ると中から教科書やノートを取り出した。そして間も無く一時限目の先生がドアから入ってきた。

 毎日同じ繰り返しで過ぎていく時間だが、今日は何だかいつもよりほんの少しドキドキしているのを感じた佳代だった。

 そのせいなのか授業は次々と終わっていき、休憩時間なんて一瞬の事の様に感じてしまった。

気が付けば最後のホームルームの時間も終わろうとしていた。

「もうそろそろ期末テストも迫ってきているから、目前になって焦らない様に家に帰ってからの予習復習をしておくんだぞ。まぁ明日からの土日は最後の気分転換として遊びに出掛けるのも良いだろう。それじゃまた来週学校でな! あっそれと早邑さんは終わったら、職員室に来て下さい!」

 生徒達は週末の遊ぶ事で頭を一杯にしながら、そそくさと帰って行った。教室には僅かに数人の女子生徒と未だに椅子に座って鞄の中を整理している佳代と瑞希がいた。

 すると数人の女子生徒が瑞希の机の周りにやって来た。

「ねぇねぇ早邑さん! 明日って何か用事あるの?」

「いえ、特に用事などはありませんよ」

「じゃあ、もし良かったら明日うちらと一緒に遊びに行かない?」

「えっ良いんですか? それなら錫禰さんも一緒に行きませんか?」

 瑞希は隣の佳代の方を見て言うと、周りに居た数人の女子生徒があからさまに嫌そうな表情を見せると、その中の一人の女子生徒が口を開いた。

「錫禰さんはダメなのよね? 週末は一人で絵を描いている方が楽しいですものね! だから無理に誘っては錫禰さんに失礼だもの! 早邑さんは錫禰さんの事を気に掛けてあげるなんて本当に優しくて出来た人ですわね。そんな人に気を使わせるだなんてとんでもない事ですわ!」

 嫌味たらしい口調でそう言ったのは今朝みんなに聞こえる程の声で佳代に挨拶をした女子生徒だった。

 瑞希はこの時、一日という僅かな時間ではあったが絶えず笑顔を見せていた佳代の表情が曇った事に気付いた。

 そんな事など露知らずといった感じに周りの女子生徒達はニタニタと嘲笑いながら教室を後にして行った。

 その場に一人だけ残った嫌味な女子生徒は瑞希に言葉を投げ掛けた。

「早邑さん。明日の時間と場所は決まり次第、後程連絡致しますので宜しくお願い致しますわ。それではお先に失礼致します!」

 そう言うなり他の女子生徒達の後を追って行く様に出て行ったのだった。

 二人だけ残った教室内の空気を重たく感じる瑞希。だが、佳代は何も気にして無い様に話し始めた。

「えへへっ、早邑さんびっくりしたでしょ? でも全然何でも無いから気にしなくて大丈夫だからね。私が美術部のコンクールに出す作品を毎日描いてるのみんな知ってるから気を使って遊びに誘わないようにしてくれてるんだ。それに例え一緒に遊んだとしても逆にみんなに迷惑を掛けちゃって嫌な気持ちにさせちゃうだけだから。けど、みんな本当に良い人ばかりだから明日は思い切り遊んできてね!」

 気丈に振舞い瑞希に心配をさせない様にした上で、更にあんな酷い事を笑いながら言われたのに怒るどころか自分自身が悪かったせいだと言う佳代がとても痛ましく思えてならなかった。

「錫禰さん……本当にそれで良いんですか? クラスのみんなに酷い事をされても笑って許して、自分の心がボロボロに傷付いてるのに我慢して……本当にそれで良いんですか?」

 目を潤ませながら佳代の痛みを分かろうとしてくれる瑞希。

 そんな瑞希にニコッと笑うと

「私の心は全然ボロボロになってないよ。だってみんなと過ごしている学校生活、凄く楽しいと思えてるんだもん。このクラスに来れば必ずみんなと会えるし、教室の隅っこだとしても同じ空気の中に居られる。その事が何よりも嬉しくて楽しいから傷付いてなんかいないよ」

「でもそれでは……」

 瑞希は何かを言い出そうとしたが、言葉を止めた。そしてドアの方に体を向けると背中越しに言った。

「明日を凄く楽しみにしています……今度良かったら錫禰さんが描いた絵を見せて頂いても宜しいでしょうか?」

「沢山楽しんで来てね! 私の絵で良かったら幾らでも見て良いよ。でもまぁ、あまり期待をされてしまうとプレッシャーを感じてしまうんだけどね……」

 背中を向けたまま少し頷いた様に見えたが、無言のまま教室を後にする瑞希から優しさを感じた。

 きっとあのまま言葉を口にしてしまっていたら逆に佳代を傷付けてしまうと考えてくれたのかも知れない。

 瑞希が出て行った教室に一人だけになってしまった佳代は優しさを素直に受け入れる事が出来無かった自分自身を後悔していた。

(今日会ったばかりの私に優しく接してくれたのに……何か悪い事をしちゃったなぁ~。休み明けにでもちゃんと謝っておかないとね)

 鞄の中に教科書を入れ終わると立ち上がり教室を後にした。


 翌日の朝、佳代は学校の美術室に居た。

 嫌味を言った女子生徒の言う様に佳代にとって、静かな部屋に一人でキャンパスに向かっている事が何よりも楽しいのだった。

 頭の中で思い描いた物が真っ白なキャンパスの上に描かれていく事が楽しかった。

 夢中で鉛筆を走らせている時はどんな嫌な事も忘れられるし、誰も見ていないところでは無理に笑って居なくても良かったからだ。

 過ぎていく時間など気にせず、ただひたすら頭の中にある物を描いていっていた。しかし、いつもとは何か違う感じがするのに気付く。

 そう思った瞬間、走らせていた鉛筆を止めて違和感がする後ろに振り向いた。

「あらあら、集中しているのを邪魔してしまいましたか?」

 そこにはドアから体を半分出して佳代の事を見ていた瑞希だった。

「あれ? 何で? 今日は遊びに行ってる筈じゃ……?」

「あぁ~昨日の約束の事ですか。行かない事にしました!」

「えっでも、そんな事したら……」

「良いんです! 私、人が嫌がる事を平気でする様な人とは友達にはなれませんから」

「だって……昨日『凄く楽しみにしてます』って言ってなかったっけ?」

「そうですよ。楽しみにしていました。今日錫禰さんと会える事を!」

「わ、わ、私との事だったの! でも何で此処に居る事を知っているの?」

「それは昨日錫禰がコンクールの為に毎日絵を描いていると言っておられたので、ひょっとして学校に来られているかと思いまして」

「毎日描いていると言っても、家で描いてるかも知れないじゃない!」

「う~ん……何と無く学校のような気がして」

「居なかったらどうしてたの?」

「その時はその時です! あっ、でも私こう見えても結構クジとか当たるので、きっと今日も勘が当たると思っていました!」

 無邪気に笑うその表情は何の曇りも無く、ただ純粋に佳代に会いたかった事が伺えた。

(何か早邑さんって見た目のイメージと違って積極的で行動力がある人なんだなぁ……)

 佳代は不意打ちを喰らったような顔をしていると中に入ってきた瑞希が周りに置いてある絵を見て言った。

「うわぁ~凄いです! これ全部錫禰さんの作品なんですか?」

「えへへ……あまり上手くはないんだけど、一応数だけは描いてるんだよね」

「そんな事は無いですよ! どれも絵の中に錫禰さんの優しい想いが込められてて凄く伝わってきます!」

「そんな風に褒められたの初めてだから照れちゃうな……えへへっ」

 自分の作品に対し、思った事を素直に言ってくれる瑞希の言葉は何だか照れ臭くなってしまった。恥ずかしそうに笑っていると瑞希は佳代の隣まで来て、今の今まで夢中になって描いていたキャンパスの中を覗き込んだ。

「この絵は他とはまた違った印象を受けます。大胆且つ繊細な構図で描かれていますし、何だか錫禰さんの本当の気持ちの様にも感じてしまいます」

 静かな部屋で一人きりで佳代が描いていた絵というのは、丘にある広い草原の上で女の子が雲の隙間から差し込む光に照らされている状況だった。

 世界は途轍もなく広くて限りなく沢山の人々が生きている。その中に居るたった一人という小さな存在に宇宙の彼方にある太陽が気付いてくれていて、覆い被さる様になっている雲の隙間からその存在に向けて暖かな光を差してくれている。

 きっと佳代の心の中ではそういう事を望んでいるんじゃないかと感じたのだった。

 無言のままで居る佳代はキャンパスを見詰めたまま微笑んでいた。それは考えもしなかった事を言われてしまったせいなのか、はたまた本心を当てられてしまって言葉が無いのかは分からなかった。

 すると突然瑞希は佳代の手を掴むと

「あの! 宜しかったらこれから一緒に遊びに行きませんか?」

「えっ!」

「私も絵は好きなので描いている時の楽しさは分かります。ですが、折角の休みの日なのですからたまには外で遊ぶのも良い気分転換になると思いますよ! あと私にこの街の事を教えて頂けると嬉しいのですが……」

 突然の事で考え込む佳代だったが

「私で良いんですか?」

「はい! 私は錫禰さんと仲良くなりたいので是非宜しくお願い致します」

「私も……早邑さんと仲良くなりたい! それじゃ……行こっか!」

 お互いに笑い合うと手を繋いだまま教室を出て行った。

 街に出掛けるなんて一人で画材を買いに行く時くらいだった佳代にとって誰かと一緒に遊びに行くなんて考えも出来なかった。

 正直、街の事を教えて欲しいと言われたのはいいが、何処に連れて行っていいのかも分からず不安に思っていたのだった。だが、瑞希は佳代の手を引いてリードしてくれた。

「あそこのお店は何を売っているのでしょうか? ちょっとだけ覗いてみても良いでしょうか?」

「何だか良い香りがしてきましたね。きっとあのカフェからですね。少し休憩しましょうかね!」

「錫禰さんは街には良く来られるのですか? あぁ、画材を買いにですか! 宜しかったら私にもそのお店を教えて頂けませんか?」

 少し強引にも思えた瑞希だったが、きっと教室で言った『街の事を教えて欲しい』という言葉は佳代を街に連れ出す口実だったのだろう。

 誰とも接する事も無く、誰からも接される事も無く、ただ一人で描き続けてきた美術室に置かれた絵達。瑞希はああいう風に言っていたが、正直どれも寂しそうであった。

普段から無理に笑って自分自身の心を誤魔化して描いた絵が伝わる筈も無いのである。その事を感じた瑞希は佳代に本当の笑顔というものがどういうものなのかを思い出して欲しかったに違いないのである。

 二人が歩く後ろに長く伸びる影。日も沈みかけてしまう時間になっていた。

「今日は本当に錫禰さんとご一緒出来て楽しかったです!」

「それはこっちの台詞だよ! 今日は態々学校まで来てくれて有難う。久し振りに楽しいと思える休日を過ごせたよ!」

「そう言って貰えると勘を頼りに学校まで行った甲斐がありました。次も宜しかったらまたご一緒して頂けると嬉しいです!」

「うん! また一緒に遊ぼうね! それと今度は早邑さんが描いた絵も見たいなぁ」

「私のですか? 是非見て頂けたらと思います。因みに上手ではありませんが……」

「絶対そんな事無いと思うなぁ……黒板に書いた名前の文字の綺麗さから見ても凄く上手いのが分かるもん!」

「でも文字と絵とでは全く勝手も違いますから一概には言えませんよ!」

「う~ん、そうなのかなぁ……?」

 疑問を感じたような表情を浮かべながら歩いていると道端のすぐ横にある草が微かに揺れた事に気付くのだった。

「ねぇ、今そこの草揺れなかった?」

「どうでしょう? 特には気になりませんでしたよ。風で揺れたとかではないのでしょうか?」

 佳代はしゃがみ込む様にして草の中を覗き込むとそこには小さな木箱が転がっていた。何を入れる為の箱なのか検討も付かなかったが、それ以前にどうしてこんな道端の隅に落ちてるのかが気になった。

 瑞希も膝に手を付いて腰を曲げながら覗き込んできていた。木箱に人差し指を向けながら佳代は瑞希の顔を見上げると

「これ何かな?」

「さぁ……何でしょうかねぇ? 見たところ立派な木箱の様に見えますが、私の知る限りでは何を入れる為の物なのかは存じ上げないです」

 咄嗟に木箱に手を伸ばす佳代に対して、瑞希が制止してきた。

「ダメですよ錫禰さん! 無闇矢鱈に触ってはいけないです! 中に危険な物が入ってるかも知れないじゃないですか!」

「えぇ! そうかな? でもこんな所にあるなんて、もしかしたら誰かの落し物かも知れないよ」

「落とし……物ですか? う~ん……そうだとすれば落とされた方は大変困っているかも知れ無いですね……じゃあ一応中身だけは確認しておきますか?」

「うん、一応中身だけ……」

 ゆっくり手を伸ばしていく佳代……それを不安そうに見詰めている瑞希だった。

 木箱を掴むと草の中から取り出した。

「これって……中入ってるのかな? 凄く軽いんだけど、やっぱり只の要らなくなった木箱だったのかな?」

「何も入ってないのでしたら、元の場所に戻しておいた方が宜しいのでは?」

「でも一応中は開けて見ようよ! もしかしたら紙とかかも知れないしね!」

 左手の上に載せた木箱の蓋を恐る恐る右手で開けていくと、不意に蓋が落っこちてしまった。二人の視線は地面の上にある蓋の方に向けられた。

「蓋取れちゃった……壊しちゃったかな?」

「いいえ! 錫禰さんは優しく開けようとしてましたので、既に蓋の方が壊れていたというのが正しいかと思います!」

「だよね! この木箱、元々壊れてたんだよね!」

「そうですよ! 錫禰さんは悪くありませんよ! それはそうと中の方には何か御座いましたか?」

 佳代は左手の上の木箱の中を覗き込んだが、何も入っておらず空っぽの状態であった。

「な~んだ。結局何も入って無かったね!」

 少し期待をしていた佳代は何だか肩透かしをされた様な感じになってしまっていた。

 するとそんな残念そうな表情をしている横で突然瑞希が笑い始めた。

「うふふっ。あっごめんなさい……でも、道端に落ちていた木箱一つでこんなにも話が大きくなってしまうなんて何だか可笑しくなってしまって。うふふっ」

「えへへっ。でも凄く楽しかった! こんなただ落ちてるだけの何でも無い事なのにね!」

「でもこれでまた一つ、錫禰さんとの思い出が出来ました。今日一日の事もそうなんですけど、帰り道にまたお互いに笑い合えた出来事があって嬉しかったです!」

「私との思い出でこんなに喜んでくれて有難う。でも何で早邑さんは周りに沢山の友達が居るのに私と一緒に居てくれるの? 昨日の一日で私がみんなからどんな風に思われてるか分かってる筈なのに……私と一緒に居たら早邑さんまで同じ様な目に遭うかも知れないんだよ! そうなったら私……申し訳ないよ……」

「錫禰さん。今日会った時、言いましたけど私は人が嫌がる事を平気でする人の気持ちが分かりません! もし自分が同じ事をされたら絶対に嫌な筈なんです。だえどそれが自分じゃないからって好き勝手して良いという理由にはなりません!  そんな人と友達になんて何があろうともなりたいとは思わないのです。でも、だからと言って錫禰さんが可哀想だったから一緒に居ようと思った訳でもありませんよ。やっぱり切っ掛けは昨日学校で私が黒板の前で挨拶をした時、素直に言葉を返してくれたのが嬉しかったんです。あのクラスの中で私を一人の人間として見てくれていたのは錫禰さんだけでした。多分なんですけどね……ほら! 私勘が当たるので! そして同じ絵を描く事が好きという共通点で私は錫禰さんとお友達になりたいと思ったのです」

「そうなんだ……私、嬉しいよ! 初めて絵を通じて友達が出来た……私ずっと絵を描き続けてきて本当に良かった。早邑さんと友達になる事が出来て本当に良かった……あのね、今日一日ずっと言おう言おうっと思ってたんだけど、なかなか言えなくて……昨日私の事を心配して言ってくれたのに素直に受け止められなくてごめんなさい。早邑さんの気持ち、痛い程伝わったよ! 心配してくれて有難う」

「ううん。私も錫禰さんの気持ちも分からずに言ってしまってごめんなさい。会ったばかりの人にあんな事を言われたら誰だって素直になれる訳無いですもの。言葉じゃなく、こうして一緒に遊ぶって事をすれば良かったんだと今日一日過ごしてて感じました。なのでお互いお相子って事にしませんか?」

「お相子……うん! それじゃ昨日の事はまた二人にとっての思い出という事にしようね。何か今日一日で色んな事があったから、いつまでも忘れられない日になっちゃったな」

「それは私もですよ。明日は日曜なので次に錫禰さんと学校で会えるのは明後日の月曜になりますね。あっそうそう、実は私も言いたい事がありました。良かったら私も美術部に居れて貰えないでしょうか?」

「えっ本当に! 早邑さんが入ってくれたら凄く嬉しいよ! 色々絵の事について教えて貰いたいなぁって思ってたんだ!」

「そんな私の方こそ錫禰さんに教えて頂きたいと思っていました!」

「じゃあお互いに教え合うって事で一緒に頑張っていこうよ!」

「はい! 美術部の方でも宜しくお願い致します!」

「こちらこそ!」

 毎日を楽しく過ごそうとはしていた佳代だったが、現実はそれを許してはくれなかった。一日中教室の中では冷たい視線に晒され、放課後の美術室では好きな絵を描く事は出来ていたが、寂しさの方が勝っていた。きっと何も変わる事も無く、同じ毎日に堪えていかないといけないと思っていた。だが、目の前に瑞希が現れてから全てが変わっていく様な気がした。いや、既にもう変わってしまっているのだった。

 佳代が頭の中に思い描いていたキャンパスの絵が現実になろうとしていた。

 話し込んでいた二人だったが、すっかり辺りも暗くなっていた。

「今日は本当に誘ってくれて有難う。学校で早邑さんに会えるの楽しみにしてるからね!」

「いえいえ、こちらこそ楽しい時間でした。それではまた学校で」

 二人はお互いに手を振り合うと分かれていった。

 少し歩いて振り返る佳代は暗い夜道に消えていく瑞希の背中を見ながら思う。

(こんなに遅くまで一緒に居てくれたけど、両親に怒られたりしないかな? う~んちょっと心配だなぁ……あと早邑さん美人だから夜道を一人で歩かせたら危ないかも……)

 佳代は体の向きを変え、瑞希の後を追い掛けるのだった。

 ぼんやりとしていて今にも暗闇に消えてしまいそうな背中を必死に見失わない様にする。

 すると瑞希は急に立ち止まった。そこは先程二人で盛り上がった木箱がある場所だった。

 瑞希はしゃがみ込むと草の中に手を入れて何かをしている様だった。

 ゆっくりと足音を忍ばせるかのように瑞希の背後に近付いていくと次第にはっきりと見えてきた。

 手首を抉る様に爪を立て、中から何かを取り出した。それは黒く丸い形をしている『種子』だった。

「きゃあ!」

 その光景につい声を出してしまった佳代は瑞希に気付かれてしまう。だが、瑞希はしゃがみ込んだままの姿勢で背中越しで話してきた。

「錫禰さん……いらしたんですか。お帰りになられたと思ったのですが、何か御用がありましたかね?」

「と、特に用があった訳じゃないんだけど……早邑さんが無事に帰れるか心配で追い掛けてきたんだ……ところで……何……してるの?」

「まぁ、それはお気遣い有難う御座います。私の事ならご心配なさらなくて良かったですのに……お陰でお見せしたくないところをお見せしてしまう事になってしまいました。でもご安心なさって下さいね。もう既に錫禰さんも私と同じになってますから……」

「お、同じって……ど、どういう事?」

「そうですねぇ。もうそろそろかと思いますよ」

 瑞希はそっと立ち上がり振り向くと顔中の皮膚の下から根っこが張り巡らしている様にボコボコと浮き出ていた。その顔からは先程までの可憐な様子など微塵も無かった。

「ひぇっ! あぁ……あぁ……」

 突然目の前に現れた瑞希の姿に悲鳴を上げる事すらも出来なかった。というより手足も動かす事が出来なかった。

 自由の利かない体を不思議に思っていると

「根が張ったみたいね」

 一体何の事なのか分からなかった佳代は自由に動かない手足を見た。すると細い糸状の物が無数に体中から浮き出てるのが分かった。

「わ、私の体が何で?」

「うふふふっ……うふふっ……ですから触らない方が宜しいのではないかと申し上げたでは御座いませんか。あの木箱の中には私が繁殖させようとして『種子』を入れておいたのですよ。蓋が落ちたのはそういう構造になっているのです。開けた者は落ちた蓋に一瞬気を取られてしまいます。その間に『種子』は飛び出して体の中に入り込んでいくのです。正直な事を申しますと、私も学校に向かっている途中で植え付けられてしまったのです。でも、これで私も寂しくならずに済みました。だって一番の友達である錫禰さんも同じになって下さったんですから! これから沢山思い出や出来事を作っていきましょうね!」

「いやあああ! 私はあなたと一緒にはならない! なりたくない! 人間のままで居続けたい!」

「おやおや、そんな事を言っても人間なんて人の気持ちも考えない愚かな生き物でしょ? その自分勝手さで錫禰さんも一杯傷付いたじゃありませんか。今日の事でもそうですけど、私と一緒に居た方が絶対楽しいに決まっているんですよ! ねっそうでしょ?」

「嫌だよおおお! こんな風になる為に……があぁぁぁっ」

 もがき苦しんでいる佳代の体を植物の蔓が突き破って飛び出してきた。一面は血で真っ赤に染まっていた。

 その血を浴びた瑞希は左手の甲に付いた血を舐めて言った。

「うう~ん。やっぱり新鮮な血は格別です! いつまでも一緒に居ましょうね……佳代ちゃん!」

 

そして月曜の朝、佳代と瑞希は隣同士に座って次の『種子』を植える相手を探していた。

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