乳呑児捜し
仏壇の前に正座をして座っている少女。
セーラー服に身を包み、肩まである髪を二つ結びにして、目を瞑り手を合わせている姿は気品に満ち溢れている様にも感じられた。
「お父さん。今日も行ってきます!」
その言葉に反応する様に線香の煙が微かに揺らめいた。
静かに目を開けると横に置いてある鞄を手に持ち、立ち上がると台所で後片付けをしている母親に向かって声を掛けた。
「それじゃお母さん行って来るからあまり無理しないようにね!」
そう言うとテーブルの上に母親が作って置いてくれてた弁当を左手で持ち、玄関に向かって行った。すると母親も大きなお腹に手を添える様な感じで玄関まで追い掛けてきた。
「気を付けて行ってらっしゃいね!」
「もう~態々来なくても良いのに! もうすぐ生まれるんだからゆっくりしてなきゃダメだよ! 今が一番大事なんだからね!」
「うふふっ。はいはい分かってますよ。お母さんは大丈夫だから学校頑張って来てね!」
「は~い。行ってきます!」
ドアを開けると後ろの母親に向かって振り返ると小さく手を振り、家を出て行った。ふと見上げた電線には数羽の雀が止まって囀っている。
少女の名前は星崎史乃という。数ヶ月前に父親を不慮の事故で亡くして、今は母親と二人暮しである。だが、母親のお腹の中にはあと数週間で生まれる子供が居るのだった。ずっと一人っ子だった史乃は凄く喜んでいる。毎朝、仏壇に向かって母親とこれから生まれてくる弟か妹が今日も一日元気で居られますようにと無事を祈る事を日課にしているのだった。
早く元気な姿で生まれて来てくれるその日を楽しみにしていた……筈だったが……
教室のドアを入った史乃は近くに居たクラスメートの女の子達に声を掛ける。
「おはよう!」
「あ、史乃おはよう! 何だか今日も元気良いね! 流石にもうすぐお姉ちゃんになるからテンションも上がり捲りだよね!」
「えへへっ。やっぱり下が出来るって良いもんだよね」
「あ~あ~私も超絶可愛い弟か妹が欲しいなぁ!」
「ねぇねぇ! 史乃の弟か妹を頂戴よ!」
「う~ん……この幸せをみんなにも分けてあげたいのは山々なんだけどさ。生まれてくる赤ちゃんは私の弟か妹になる為に生まれてくるんだからね!」
「あっ! 何か軽く優越感見せ付けられた感じなんですけど!」
「そんな事無いよ! 頂戴なんて言うから……」
「まぁそれだけ史乃にとって凄く楽しみにしているって事よね!」
クラスメートの女の子達と史乃は笑いながら楽しそうに話していた。
そんな様子を教室の隅にある机に座りながら見ている女の子の姿があった。
幸せそうな笑顔なんて消えてしまえばいい……
人が楽しそうに笑っているのを見ていると虫唾が走るわ……
もしもお腹の赤ちゃんに何か起こったら……あの子どんな表情をするのかしら……
そんな絶望的な光景を見たなら、どんな風に苦しむのかしら……
全て壊れてしまえばいい……ふふふっ……
胸一杯に幸せな気持ちを膨らませていると放課後になっていた。
「史乃、一緒に帰ろう!」
「あ、ごめん。今日はちょっと寄らないといけない所があるから、真っ直ぐ家に帰らないんだよね」
「そっかぁ。じゃあ気を付けてね。また明日ね。ばいばい!」
「うん、また明日。ばいばい!」
そう言うとクラスメートの女の子は教室から帰って行った。
鞄の中に教科書を入れ終わった史乃も帰ろうと席から立ち上がると後ろから声を掛けられ振り返ると、今朝教室の隅から見ていた女の子だった。
「星崎さん。もうすぐ生まれるそうね。凄く楽しみでしょうね」
「うん! まだ弟か妹か分からないんだけど、凄く楽しみにしているんだ!」
「じゃあ早くどっちか分かると良いわね。ふふふっ」
とても不気味そうな笑い声をしていたが、史乃は気にしなかった。というより気にも止まらなかったという方が正しいだろうか。
意味深な笑顔のまま手に持った物を史乃に差し出してきた。
疑問を感じつつ、差し出された手の中にある物に目を向けるとそれはお守りであった。
「これは?」
史乃の表情と自然と出た疑問の言葉はきっと正しかったであろう。きっと誰もが同じ反応をしたに違いない。
女の子は更にニヤッとすると
「これは安産のお守りなの。私のお母さんが私を生む時に『ある特別な物』で作ったらしいんだけど、凄く効き目があるらしくって星崎さんのお母さんにどうかなって思って、私が作ってきたの」
「そんな態々私のお母さんの為に作ってくれたなんて有難う!」
「良いのよ。毎日楽しみにしてる星崎さんの姿を見てたら何かしてあげたくなっちゃっただけだから。でも決して中は開けないでね!」
「中身は秘密なの?」
その質問に女の子は少し鼻で笑う様な仕草を見せて答えた。
「おまじないって正体を知ってしまったら効力が無くなってしまうものよ。だから中身を知らずに持っている事が大切なのよ」
「ふ~ん。そっかぁ。じゃあ大切に持っとくね!」
「ふふふっ。元気な赤ちゃんが生まれる事を祈っているからね」
「本当に有難う。それじゃ私用事があるから帰るね!」
「足を止めさせちゃって何かごめんなさい」
「そんな事無いよ! こんな素敵な物を作って貰っちゃって、こっちこそごめんなさい」
「ふふふっ。それじゃね。また明日会いましょう」
「うん。ばいばい!」
史乃は女の子から貰ったお守りを鞄の中に入れると教室から出て行った。
その後ろ姿をまた不気味な表情で見ている女の子であった。
学校の門を出ると家のある方向とは逆に歩いて行く。
(あの子普段から大人しい感じで殆ど喋った事が無かったんだけど、意外と話してみると良い子かもね。私の事を見てて、お守りを作って来てくれるなんて本当は優しい子なんだね)
女の子に対してかなりの好感を持てたみたいだ。
(でも正直今日の私の用事と被っちゃった感じで驚いちゃったな。だってお母さんの為に安産のお守りを買いに行こうと思ってたんだもんね)
そう心で思っていた言葉通りに史乃は神社の前に居た。
(毎年お父さんに連れて来て貰ってた神社の祭り。何か此処に来るとお父さんとの思い出が沢山あって気持ちが温かくなってくるんだよね)
決して大きいとは言えない程の神社であったが、史乃にとっては忘れられない程の思い出が溢れた場所である。
史乃の成長を見続けてきたこの神社だからこそ、今一番願っている事を聞いて貰い易いと考えたのであろう。
神社の境内に入って行くと神主が箒を持って歩いているのを見て、思わず声を掛ける。
「神主さ~ん!」
史乃の声に気付いた神主は振り返ると
「おぉ、史乃ちゃんじゃないか! 学校帰りかい? でも、家の方向とは逆だね」
「はい! 学校帰りにお母さんの安産祈願のお守りを買いに来ました」
「そうかそうか! もうすぐ生まれるんだったな! 弟か妹のどっちになったんだ?」
「それは生まれてくるまでの楽しみにしようってお母さんと決めたんです」
「生まれてくるまでの楽しみにしているだなんて史乃ちゃんらしいね!」
「どういう事ですか?」
「史乃ちゃんよくお父さんとこの神社の祭りに来てたよね。その時に毎回お楽しみ袋を買って貰うんだけど、周りの子供達はその場で開けて『うわ~!』とか『やった!』とか言ってるのに絶対に家に帰ってから開けるんだって頑固だったから、今でも楽しみは後に取って置くんだなぁっと思ってね」
「そんな私がまだ小さい頃の話じゃないですか! よく覚えてますね。でも何れは開けないといけないって分かっていても楽しみが少しでも長く続くのが嬉しくっていつもそうしてましたね」
「変わらない事があるって凄く良いと思うよ。人間誰しも嫌が追う無しに変わっていってしまう。大人になっていくってそういう事なのかも知れなんだけど、僕自身は何だかそういう物って、ちょっと寂しく感じてしまう部分もあるんだよ。けれどいつまでも立ち止まっていられないって事も正直なところだね。悪い物は良い物に、良い物はより良い物になっていける事が素晴らしいんじゃないかなぁっと僕は思うよ。史乃ちゃんもどんどん大人へと成長していってるけど、あの頃持っていた良い物は相変わらず史乃ちゃんの中に存在し続けているんだからね。きっと天国のお父さんも喜んでいると思うよ」
「自分自身の事は良く分からないけど、きっとお父さんがくれた物だから無くさずにいつまでも私の中に在ってくれたら嬉しく思えます」
「これから先も史乃ちゃんは史乃ちゃんなんだから父さんとの思い出が無くなってしまわないように史乃ちゃんの良い物も無くなっていかないと僕は信じてるよ」
何だか嬉しそうな表情を浮かべる史乃に神主はポケットからお守りを取り出すと差し出して更に言葉を続けた。
「これは僕から史乃ちゃんが良い子に育ったというご褒美だ」
「えっ、でもちゃんとお金は払います!」
「お金は要らないよ。史乃ちゃんの願いはお父さんの願いでもあり、そんな二人の願いは僕の願いでもあるからね。だからまたお父さんと来たみたいに生まれた子を連れて神社の祭りに来て欲しいんだ」
「はい! 有難う御座います! 今年の祭りの時、神主さんに見せにきますからね!」
神主が差し出した手からお守りを受け取るとお辞儀をして帰ろうとする史乃の背中に神主が声を掛けた。
「史乃ちゃん!」
不思議そうに振り返った史乃の元に近付いて行く神主。
「今日は何だか天気が悪くなりそうな予感がするからコレも一緒に持って帰った方がいい」
その言葉に疑問を感じて空を見上げるが、特に雨が降りそうな程天候が悪い様には見えなかった。
再び神主が差し出した手の中には先程とは違うが、お守りだった。
「神主さん。心配し過ぎですよ! 安産祈願のお守りは二つも要らないですよ!」
「これは安産のお守りじゃなく、史乃ちゃんへのお守りだよ。まぁ交通安全みたいなもんだから気楽に持っててくれたらいい」
若干よく意味が分からない様子の史乃だったが、家まで気を付けて帰れという事だと理解して受け取った。
「有難う御座います! お母さんにも神主さんが良くしてくれたって伝えておきますね。それじゃ祭りの日を楽しみにしてて下さいね!」
そう言って史乃は神社から家に帰って行った。
(何だか今日はいつもと違った事が沢山だったなぁ。普段喋った事も無い子と話したり、神主さんが意外と私の事を知ってくれてたりと人との触れ合いを感じられたな。それよりも私の鞄の中にお守りが三つになっちゃった。安産祈願が二つに交通安全みたいなのが一つかぁ~。しかも全部貰っちゃった)
心の中で色んな事を考えているうちに学校の前まで帰って来ていた。門の前を横切った瞬間、ひんやりとした風が吹き抜けると同時に背筋に冷たいものが駆け抜けた。
背後に何か気配を感じた史乃は恐る恐る振り返ると、そこには誰も居なかった。だがしかし誰かに見られている視線は感じていた。
(……何か急に心細くなってきちゃった。早く家に帰ろっと)
不安になった史乃は門の前から逃げる様にして走り出した。
普段なら帰宅している人が数人程居る筈なのだが、何故か今日は誰一人見当たらなかった。
そんな状況もあり、次第に不安な気持ちはどんどんと膨れ上がっていく。
(はぁっはぁっ……まだ家に辿り着けない。こんなに遠かったっけ……走っても走っても全然進んでる感じがしないよ!)
恐怖のあまり足の感覚も無くなり、意識も遠退いていく様な感じがした。
(一体どうなってるの? 感覚が……感覚が無くなっていく……そして足が重い)
ふと気になった足元を見てみると
そこには上半身しか無い女性が史乃の左足にしがみ付いていた。
「私の……私の……私の子を返して!」
思わず悲鳴を上げた史乃は女性を振り払うと全力でその場から走り去った。恐怖で足が縺れそうになりながらも必死で走った。
史乃の頭の中はパニックを起こしていた。
(上半身だけの女性が私の足にしがみ付いていた! 何でこんな事に?)
後ろを振り返る余裕も無く、がむしゃらに走っていくと漸く家が見えてきた。その瞬間、少し安堵の表情を浮かべて走るスピードを緩めると突然背後から肩を摑まれた。
体を強張らせていると耳元で
「私の子を何処にやったあぁぁ……返せぇぇぇ……」
「いやあああぁぁぁ!」
肩を掴んだ手を振り払うと家の中へと入ると同時にドアを閉めて鍵を掛けた。
背中でドアを押さえていると
ドンッ! ドンッ!
「私の子を返せぇぇぇ……腹の中から奪った子を返せぇぇぇ……」
怖くて怖くて震えが止まらなかった。
溢れ出す涙が頬を流れ落ちていく。
背中に伝わる女性がドアを叩く振動。
夢なら早く醒めて欲しいと願う史乃。
そうしていると尋常じゃない物音を聞いて部屋の置くから母親が出てくる。
「どうしたの? 一体何があったの?」
「お母さん!」
背中に感じている恐怖と母親が目の前に居る事への安心とで感情はぐちゃぐちゃになっていた。
「ド、ドアの向こうに血だらけで下半身の無い女性が居て……私を殺そうとして……ずっと学校から追い掛けられて……」
「可哀想にそんな怖い思いをしたのね。こんなに泣いちゃって……お母さんがドア越しに見てみるから史乃はドアから離れて」
史乃は言われた通りにドアの前からゆっくり離れると母親がドアビュアからそっと外の様子を確認した。
一通り外の様子を確認し終えた母親が史乃の元まで来ると優しく抱き締めた。
「もう居ないみたいよ。何処かに行っちゃったのかしらね。もう大丈夫だから安心して。お母さんが付いてるから怖がらなくて良いのよ」
母親の優しい言葉で落ち着きを取り戻した史乃だった。そういえばいつの間にかドアを叩く音も無くなっていた。
「一体何だったのかな? 私何か悪い事しちゃったのかな?」
「そんな事無いよ。史乃は全然悪い事なんてしてないんだから自分を責めなくてもいいのよ」
「だって私の事をずっと追い掛けて来てたし、変な事も言ってた」
「変な事って?」
「何か……『私の子を返せ』って言ってた」
「子を返せって言われても史乃は私の娘だし、他に子なんて居る訳無いじゃないねぇ。取り敢えず顔を洗っていらっしゃい。そんな涙でぐしゃぐしゃだと折角の可愛い顔が台無しよ!」
母親の言葉で僅かに笑った史乃は顔を洗う為に洗面所に行った。
蛇口から水を出しながら顔を洗い流してると冷たさが頬に当たる度に頭の中が冷静になっていく。
(きっと最近は物騒な世の中だから、ああやって帰っている人を脅かして楽しんでいるのかも知れないな。私がたまたま通り掛かってしまったばかりに目を付けられてしまったのかも……)
軽く溜息を吐いて気持ちを落ち着かせると横に掛けておいたタオルを取ろうとする。
目を瞑っているせいか、なかなか取る事が出来なかった。
(あれ? 確かここに掛けておいた筈なのにな?)
薄目を開けるとタオルは下に落ちていた。
(何だぁ。落ちてたのか)
しゃがんでタオルを拾い上げると顔を拭いた。そしてタオルを顔から離すと鏡に先程の女性が史乃の後ろ側に居た。
悲鳴を上げると共に振り返ると床は血だらけになっており、女性が体を引き摺りながら史乃に這い寄ってくる。
「私の子を返せぇ……私の子を返せぇ……私の子を返せぇぇぇ!」
「いやあああぁぁぁ! 来ないで! 私何もしてない!」
目の前に近付いて来る恐怖に腰を抜かす史乃。
女性の手は足から膝へ、膝から太ももへと次第に上半身へと伸びてきた。その時、悲鳴を聞きつけた母親が洗面所にきた。
母親は異様な光景に同じく腰を抜かしてしまうが、史乃を守ろうと後ろから女性を引っ張って何とか引き離そうとする。
「私の娘に何するの! 離れなさい!」
強い口調で母親は言うが、女性はビクともしなかった。
「お母さん! 私の事はいいから逃げて! お腹の子を守ってあげて!」
史乃はこんな状況でも母親の体と赤ちゃんの心配をしていた。すると突然女性はピタッと動きを止めると、母親の方を見た。
「お前が私の子を奪ったのかぁぁぁ! そのお腹から返して貰うぞぉぉぉ!」
今度は母親の方に迫っていった。母親はお腹も大きいせいか身動きが取れなかった。
「止めてぇぇぇ! そのお腹に居る赤ちゃんは私の弟か妹なの! それにお父さんが最後に残してくれた大切な家族なの! 奪わないで!」
だが、しかし女性は何も聞こえてない様に母親のお腹の上に乗っかり、爪を突き立てている。
史乃は傍に置いてあった自分の鞄で女性を叩いた。
微動だにしない女性には無駄な抵抗であったが、パニックになっていた史乃にはそうするしかなかった。
何度も何度も鞄で叩いていると中の物が出てきた。
何冊もの教科書は辺り一面に飛び散っていった。すると今日貰ったお守りが飛び出した。
帰り際に神主から渡されたお守りが床に落ちた瞬間、眩く光り始めると何をしても微動だにしなかった女性が苦しみ出した。
そしてゆっくりと女性は消えていった。
必死に鞄を振り下ろしていた史乃は呆然となってしまっていた。が、母親が急に苦しみ始めた。恐怖のあまり陣痛が起こってしまったのだ。
内心穏やかな状況ではなかったが、史乃は落ち着いて救急車を呼ぶとすぐに家に来てくれた。それに乗って病院へと向かって行くのだった。
母親と史乃が居なくなった家に人影があった。
壮絶な状況だった事が見て取れる様に色んな物が散らばっていた。
人影はその中から一つの物を手に取った。それは今日学校で史乃が女の子から貰ったお守りだった。
「途中までは良いところまでいってたのに邪魔が入ったみたいね。折角、早く会わせてあげようと思って親切心でしてあげたのになぁ。まぁいいわ。これで終わりだと思ったら大間違いなんだから。ふふふっ」
クラスの女の子からのお守りの中身は結局分からなかったが、一つだけはっきりしている事がある……おまじないなんて生易しいもの何かでは片付けられない呪いである。




