015-003
「では、ガル坊の帰還を祝して乾杯といこうか」
「「かんぱーい」」
移った部屋にて、黒騎士と四天王の面々は食卓を囲んでいた。食卓と言ってもそう豪華なものは並んでいない。硬いパンに油っ気の少ない肉、しなびた果物。その程度のものだ。
いっそみずぼらしいと言ってもいい。だが、ガルデリオンにとってはなによりの御馳走だった。
音頭を取るのは甲羅を担いだ偉丈夫、ガンテツだ。四天王筆頭であり、魔王軍における現役最古参、さらには魔王軍最強の戦士でもある。
肉体の技に限ればガルデリオンはこの巌のごとき男を追い抜いたという自負があるが、魔法も用いてとなれば苦戦は免れない。それほどの力量の持ち主だ。
「しかしガル坊がこうして活躍してるんなら、姉さまも天国で喜んでみえるっぺ」
そう言うのは褐色のエルフのような外見の女性、マートル・グレガリウス。魔族ではないものの、並みの魔族をはるかに凌駕する魔力を持つ女性だ。
肉感的な魅力にあふれた美女なのだが、強烈なカッペ口調がその魅力を台無しにしている。とはいえガルデリオンも慣れたものなので、今更気にはしない。
ガルデリオンはマートルの賞賛に、しかし首を振った。
「いいや、まだまだだ。今回も後れを取ったしな」
「正直、ガルくんがエグゼディに乗って負けるとは思えないんだけどねー」
傾けていたゴブレットを止めて疑問の声を上げる少女、ルルニィ・ド・ガンテツ。
外見は歳幼く見えるがガルデリオンよりも年上だ。丸眼鏡と、ダウナー調のジト目がトレードマークだ。
これで魔王軍においては妙にちやほやされており、自前の親衛隊のようなものまでいる。
「負けた。それに、生身でもだ。ある相手に、純粋な剣の勝負で後れを取った」
「はいー? いや、それ人間相手ですかー?」
「人間だった――いや、本当に人間だったのか、あれは……?
いや、まあおそらく人間のはずだ、うん」
微妙に自信が無さげだ。この時点より一月ほど後に生身で城を倒壊させた母娘に対する評価としては妥当と言えよう。
「はぁー。世の中は広いというかなんというかー。自分びっくりだよー」
「次やるときは負けん」
気を引き締めながら、硬いパンを咀嚼してゴブレットの酒で流し込むガルデリオン。音を立てて口の中の物を呑みこんで、改めて三人に質問した。
「で、三人とも。魔界には、本当に何の変わりもないか?」
「んー……微妙にやけど、瘴気の量が少し増えた感じがするべ。だけどこの程度、大した変化じゃないべよ?
それにアル坊のがその辺敏感やし、気づいたら真っ先にガル坊に言うはずだべ」
マートルが首を傾げながら答える。他の二人もそれに首肯した。
「アルカディオスについては、俺が不在だった間に何かあったか?」
「いつも通り、女遊びに執念燃やしてるねー。何の変わりもないよー」
「そう、か……」
予想通り、そして期待外れの答えに、ガルデリオンの表情に影が落ちる。ガンテツは慰めるようにガルデリオンに語りかけた。
「王が子作りに励んでるのはええこっちゃろうに。お前も気にし過ぎとちゃうか」
ガンテツの言葉が聞こえているのかどうなのか。げんなりとしたガルデリオンは、ぽつりと漏らした。
「……昔はあんなにかわいかったのに……はぁ」
「どんだけブラコンなんですかー」
「だってだな!? あの明るくて利発で魔法の才能は俺の比じゃなくて、この魔界を背負って立つ器量を確かに感じさせたあのアルカディオスがだよ!?
今やああして女遊びにふけるパープーになっていると思うと……!!」
「ルル、諦めるべ。こいつのブラコンは筋金入りだべよ」
マートルの言葉にルルニィも肩を落とす。一方のガルデリオンは杯の酒を一気に飲みほし、満身の怒りを込めて叫んだ。
「おのれ邪神め……!!」
「ガル坊、それ本当に関係あるんかいのう?」
首を傾げるガンテツに、ガルデリオンは今更、というように説明する。
「邪神の波動の影響を受けた者は、その精神に齟齬をきたす。みんな覚えてるだろ、十二年前に何があったのか」
その言葉に、三人も沈痛な面持ちになる。特にガンテツとマートルはその日のことを昨日のように覚えていた。
魔王城の上空に亀裂が走った日。魔界のすべてが狂ってしまったあの日を。
「レフティナ姉さまがのうなって、もう十二年――じき十三年だべか。あれからみんな変わってまったべさ」
「そうだ。母さんが託したことを成さなければならない。邪神を甦らせ、そして倒すという悲願を」
マートルの言葉に、ガルデリオンは魔族にあらざる言葉を吐いた。
邪神を甦らせるという魔王軍の絶対目標からすればそれは叛逆以外の何物でもない。だが、四天王たちは驚くことなく頷く。
ガルデリオンの真の目的を知るのは、この場にいる三人を含めても魔界全土に十人といないのだ。
「すまんのう、ガル坊。ワシらが魔界を離れることができぬばかりに」
「別にいいって。まあそれだけに、ヴォルガルーパーを確保し損ねたのは惜しかったが……だが、あれを魔界で用いるのは危険すぎる」
ヴォルガルーパーの能力の代償を思い返すガルデリオンは、部屋の窓から魔界の大地を見渡した。そこにはひたすらに痩せた土地があった。
大気に満ちる瘴気と膨大な魔力の代償とでもいうように風は淀み、水は濁り、土地は痩せ、温もりの少ない魔界の大地。
かつてガルデリオンの母が現れるまで、この大地に実るものは何一つないとまで言われていた。
こうして幾ばくか穀物を得ることができるようになったが、それすらもどれほどの労苦を要したか。
「……あんな痩せた土地に誰が帰るか、か」
「あん? なんつった、ガル坊」
「俺じゃない、バイドロットが叛逆した理由だよ。許せんし、だから殺したわけだが……そう思っちまうのも、わからんでもないのがさ」
トメルギアのある山の大陸の緑の多さ、食物の豊かさは、ガルデリオンにとっても衝撃的だった。
美味い不味い以前の問題だ。ガルデリオンは生まれて初めて、一日三食を一週間以上続けられたのだ。
女云々はともかくとして、それを知って魔界を捨てるというのは許しがたいが否定もできない。
「バイドロットはんなことをほざいとったのか。まあ、あの小悪党らしいわい」
「おっちゃんは奴のことを知ってたんだっけか」
「おう。元々は魔界辺境の土着勢力のドラ息子でな。
親が領民から巻き上げてたクチで、己はやりたい放題やっとった。んで、先代様にシメられおったのよ
ま、今の上層部に少なからずおる連中と同じじゃわい」
楽しさ半分苦々しさ半分というように語るガンテツ。かつて魔王軍は魔界を豊かにするために東奔西走していた。そんなころを知るのは、現役の者ではガンテツ一人となってしまった。
十二年前に邪神の封印が何の前触れもなく緩んだ。それによって、当時の魔王、ガルデリオンとアルカディオスの父親が狂乱した。
己が正妃、アルカディオスの母を生贄に捧げるといって縊り殺し、当時の側近たちも皆殺しにし、そして自身の手で裁いたはずの罪人たちを解き放って要職につけた。バイドロットもその一人だ。
そして、魔王軍の力による邪神の復活と世界の征服を掲げ――側妃でもあった先代の黒騎士に討たれた。
すべてが終わった後、魔王城には幼いアルカディオスを初め、ごくわずかな者しか生き残っていなかった。ガンテツが言うのはその時の生存者たちだ。
目頭に感じた熱いものを振り払うように、ガンテツも杯を飲み干す。
四天王筆頭としてどうにか魔王軍を取りまとめたのはガンテツだった。しかし肝心のアルカディオスは文官たちに抑えられてしまった。
物心ついたころは周囲の期待と愛情を受けて育てられていたアルカディオスだったが、今ではああして女遊びに耽溺している。
実際内政も何もかも文官たちに放り投げて色欲の限りを尽くしているのをガルデリオンが嘆くのもわからなくはない。
なによりこの兄弟が顔を合わせることができるのは、今では謁見の場のみなのだ。
「しかし邪神を倒すとは言うがの。実際のところ、手立てはあるんかいのう」
「それなんだが……結界は張ってあるよな?」
声を潜めたガルデリオンが確認すると、ルルニィが親指を立てた。それに頷いたガルデリオンは改めてトメルギアで見た物を口にした。
「玉座の間じゃあ言わなかったことだけどな。俺と戦った相手は、イクリプスと共鳴する剣を手にしていた」
「なんだべさ!? あの魔剣と共鳴するってのは、つまり」
「かつて魔王を封印した勇者が手にしたという、光の精霊機の顕現器、聖剣ソーラーレイ以外に考えられない」
その言葉に、三人は驚きを隠せなかった。レフティナ・トライセルが最後まで追い求めていた、魔法文明の至宝。魔剣イクリプスと同じ魔晶石から削り出された伝説の聖剣だ。
「そしてもう一つ。エグゼディの兜が砕かれたんだが」
「自分見てきたよー。エグゼディの外装は最高品質の魔鉱石でできてるんだよ、それをどうしたらあんな風に壊せるのさー」
「その、壊した相手のことだ」
「エグゼディは、この世に初めに降り立ちし古き神の似姿として作り上げられた、世界最古の魔動機。おばさんはそう言ってたよねー。
おばさん、自称その神の神官戦士だったしー」
「んだんだ。せやけどルル。姉さまのことおばさんとか言うと祟られるべよ?」
「あの人なら本当に祟りそうなのが怖いなー。
と、冗談はさておき、ガル君の言う通りならその機体はお姉さんの言ってた古き神ってことになるのかなー?」
いきなり呼称が変わっているあたり、ルルニィも先代黒騎士は恐ろしいらしい。ガルデリオンも母なら祟りかねん、と思いつつ疑問に答える。
「わからない。ただ、あの機体は魔力を一切用いずに動いていた。魔動機とは異なる、異質なテクノロジーで作られたものなのは確かだ」
ガルデリオンは改めて思い返す。
魔力とは明らかに異なる青白い光と、触れる物を消滅させていく金色の粒子光。
重力を無視したかのような莫大な推力や非常識な再生能力。
そして、一度とはいえ己を凌駕した、あの乗り手の技量。
己が後れを取ったからくりは、すでに気づいている。だが、あの場で気づけなかった時点で言い訳にしかならない。
ガルデリオンですら気づいていなかった、エグゼディの弱点ともいえない弱点をついてきた着眼点とそれを実現した操縦技術は見事の一言に尽きる。
「……とにかく、大公家の大魔動機が封印の要であることは確認できた。残る水と風の大魔動機の捜索と並行して、俺はその機体の一味に接触してみる」
「なに? ひょっとして味方に引き込むの?」
「そういう可能性もあるかもしれないが……母の遺言で、皆に言っていなかったことが一つある」
三人、とくにガンテツとマートルは今日何度目かわからない驚きを見せた。己の夫を討つため、病の身をおして魔王城へ向かったレフティナは、もはや戻れぬ覚悟であったのだろう、数多くの遺言を残していた。
魔王軍の大目標を邪神の復活としたのも、レフティナの遺言によるものだ。
玉座の間でアルカディオスが言っていたとおり、レフティナがザンドラストを殺害したのは、魔族にとって過酷な地への侵攻を強行しようとしたことを諌めきれなかった結果となっている。
それは全てではないが、事実でもある。魔王軍が体裁を保てたのはそう喧伝したおかげだ。
だが、この期に及んでガルデリオンが言わなかった遺言とはなんなのか。
「別に皆を信じていなかったわけじゃあない。俺自身、意味が分からなかったから言わなかったんだ。母さんは、こう言っていたんだ。
「もし、私の信仰する神が、エグゼディと似た姿をした存在が現れたのならば、絶対に油断してはならない」と」
「……それ、どういうこと? お姉さんは、その白い機体が現れるのを予見してたってことなの?
それ以前に……自分の信じてる神様を、なんでそんなに警戒してたの?」
「人間でありながらどの魔族よりも強く、魔族の神を敵視しながら、魔族のために粉骨しておった方じゃからな、今更じゃわい。
あの方の目指す、魔界の平和と魔族の繁栄という志は誰一人として疑っておらんかったが、あの方が何ゆえに、あそこまで我ら魔族のために働いておったのか、ワシもマートルも知らぬ。
知っておったとすれば、それこそ殿とお嬢だけじゃわい」
ガンテツが殿、そしてお嬢と呼ぶのは、ザンドラストとその正妃、リオリタネアのことだ。
「や、単に姉さまがええ人だったっちゅー話でねえべか? 飢えとったわたすにもメシ恵んでくれたでな。
ガル坊に言い残してったのも、邪神と一緒くたに魔族も滅ぼしかねんからでねえべか」
「単純に考えれば、そういうことなんだろうが」
だが、ガルデリオンは違和感を拭いきれない。何事もすっぱりと言い切る母が、あの時ばかりは酷く歯切れが悪かったのを覚えている。あの辛そうな表情は、病の苦悶だけでは決してない。
「……やはり、何らかの手段で接触するべきだな」
ヴォルガルーパーを滅したあの力ならば、この魔王城を消し去ることもたやすいだろう。母の危惧したとおりになるにせよ、ならないにせよ、その正体を見極めることは必要だ。
そうでなくとも、セルシアの剣が真にソーラーレイなのか、ならばセルシアは勇者なのか、それを見極めなければならない。
そう思い、新たに決意を固めていると――
「おお、なんかガル君が燃えてる」
ルルニィが、ガルデリオンの様子に目を見張っていた。
「そー言えばガル君、聖剣を持ってたのは、どういう人だったんですかー?」
「ああ、何と言えばいいのか……山猿というか、蛮族というか」
「ええと、まず男の人ですかー? それとも女の人ですかー?」
「言っていなかったか、女だ。トメルギア王の落とし胤という話だったんだが、まあこれがとんでもない女でな。
経緯は省くが、立ち会って倒して、ひとまず捕えていたんだが、その間は大人しくしていたんだよ。だがその間、ひたすら俺のことを観察していたようでな。おかげで文字通り一本取られた。
おかげで聖剣を見つけられたとも言えるんだが、ああもう、思い返すに腹が立つ……どうしたんだ?」
見れば、四天王の三人がきょとんとした顔をしていた。
「や、お主がそれだけ誰かのことを喋っているのが珍しくてな。何か、その娘に惚れでもしたか?」
「はぁっ!? そんなわけないだろうが!」
ガルデリオンはすごい剣幕で言い返すが、四天王たちはなおも驚いている。今日もたらされた知らせは、いずれも彼らを驚嘆させるものだった。だが、ガルデリオンのこの様はある意味それ以上だ。
顔を上気させながら、ガルデリオンは己が打ち負かし、己を打ち負かした相手を思い返す。
炎を照り返して闇夜に輝く薄紅色の髪。
ドレスを血飛沫で染めながらも斬りこんでくる金色の瞳。
しなやかで瑞々しい肢体にいくつもの刀傷を作りながら、決して損なわれることのない美しさ。
ガンテツに初めて勝って以来、一度も敗れたことのない自分を剣で負かした唯一の相手。そして、
「今日は俺の負けだ。だが――セルシア。誓おう。俺は必ず、君を手に入れる」
「あら情熱的。ま、お互い万全には程遠かったわけだし。次は万全でやりましょう。あたしが欲しけりゃそんとき勝ってちょうだい」
「――次は俺が勝つ。忘れるな」
思い返したガルデリオンは真っ赤になった。いかん、何を言ったのだ自分は。
いや、確かにセルシアが聖剣に認められた使い手であるとすれば、その力を欲するのは今のガルデリオンの立場上当然のことだ。
そう、必要なのはセルシアの力のみで、彼女そのものは別に――
「セルシアって呼んで」
確かに顔立ちは、それこそ母に並ぶかそれ以上かもしれないが、
「いいから、あたしを見て?」
手はたおやかさとは縁遠い、ごつごつとしたもので、
「あなた、無理してない?」
何一つ話していないはずなのに、こちらのことを見透かすようなことを言ってきて――
「――ちょっとなんなのその反応。まさかガルくん、自分やアイビっちゃんというものがありながら」
「いや違う、違うから! これはそう、敗北の恥辱だ……!
ていうかルル姉やアイビスがなんの関係がある!?」
「耳まで真っ赤にして言うのがそれなの」
ルルニィのジト目はいつものことだが、今はその視線が氷点下に達していた。いつもの間延びした口調も鳴りを潜めているのが余計に殺伐さを掻き立てる。
しかしそれを前にしても、考え出すと止まらない。
他にも初見で徹底的に剣であしらったり、腹パンから電撃を気絶するまで流し込んだり、言うことを聞かせるために弟分を人質に取ってみたり――考えてみると、自分の行状に好意的に解釈できる要素が皆無だ。特に一番最後。
「……いや、そうだな。とりあえず、次にあったらきっちりと頭を下げるか。奴に許すなどという感性があるかは知らんがケジメはつけねば」
「パパ、ガル君がなんかおかしいんですけど」
「なんちゅーか、こういうところ見るとアル坊のほうが王様向きじゃと思っちまうのう。レフティナ様はここまで見越しておったのか」
「姉さまがんな深い考えで動くわけねえべ」
なんとも馬鹿馬鹿しいやりとり。
しかし、王殺しの息子という烙印を押されているガルデリオンにとって、こんな時間はなによりの救いだった。
そして、この場に弟がいない。それが悔しくもあり、そしてガルデリオンの行動原理となっていた。
「とはいえエグゼディが壊れているし、しばし身動きは取れんな。非常用の晶石燃料も使ってしまったんじゃろ、その補充もせにゃならん。
ルルニィ、修復にはどれくらいかかる?」
「自己修復込みでも内部フレームもちょっといってるし。修復効かない部分の交換も含めて一月と言ったところだよー、パパ。
どうもガルくん相当無理したっぽいし、外装は取り替えたほうが早いくらいだもん」
「ちゅうわけじゃ。ガル坊、少しはゆっくりできるぞ。
つうか領地にいったん戻ってやれ。家の者たちも心配しておるじゃろ」
ガンテツの物言いこそぶっきらぼうだが、気遣いを嬉しく思ったガルデリオンは素直にうなずいた。
「んじゃ、しばらく領地に戻って来るよ。なんかあったらすぐに連絡を」




