015-002
ガルデリオンはため息をつく。ああ、これがあったんだった、と気が重くなった。
「エグゼディのコックピットに潜り込んでいた、バイドロットの情婦です。途中で捨てるつもりだったのですが捨てそこねまして。
一応トメルギア王家の者なので伺いを立てずに始末するのもどうかと思い、念のため」
「む、女か。堅物の汝が女を拾ってくるとはな。どれ」
女と聞くや、魔王は即座に玉座を降りてきた。心なしかその表情はうきうきとしている。
途中文官が止めようとするが意に介することもない。そのままガルデリオンの脇を通り過ぎ、土下座の前に膝をつく。
膨大な魔力の気配に臆したのか、土下座はその場で低周波振動を放っていた。
「女、面を上げよ」
「ひっ!?」
アルカディオスの言葉は柔らかだったが、それだけでも脅威に感じたのか低周波振動が高周波振動に切り替わった。
だがアルカディオスは態度を変えることなく、再度言い放つ。
「危害を加えるつもりはない。女、面を上げよ」
「は……はい」
ガタガタと震えながら土下座が身を起こす。
元は高価な繊維で織られていたものの、今やボロ切れ同然と化した服。
炎に煽られところどころ縮れた金髪。
そして顔面は鼻っ柱が曲がり、左目には盛大に青タンを浮かべていた。
娼婦を通り越してDV夫から逃げてきた被害者にしか見えない。
「……なあ我が騎士よ。これは?」
「鉄火場で騒ぎ立てられると面倒でしたので、つい」
「愚か者が……!!」
頬をぽりぽりとかいて弁解したガルデリオンを、アルカディオスはそれまでにない剣幕で叱責した。とはいえガルデリオンもそれで臆するなどということはなく、顔をしかめている。
アルカディオスは怯え一色の女に優しげに語りかけた。
「我が騎士が無礼をした。これは筋金入りの堅物ゆえ、女の扱いは不得手でな。名は?」
「は、ハクダ。ハクダ・エメル・トメルギアと申します」
「ハクダ、か。どれ」
ぽぅ、と魔王の手に魔力の光が宿る。そして、それをハクダに向けて振りかざす。ハクダの怯えは最高潮に達していた。
バイドロットがガルデリオンに討たれた直後、ハクダは即座に己の身の振り方を計算した。
物狂いのふりをしてあの場を乗り切る手は、しかし下策もいいところだったからだ。
仮に幽閉でもされればいくらでも手の打ちようがあったが、即処刑の可能性のほうがはるかに高い。事実、トメルギアでは復興作業と並行して発見次第即殺害の命令のもと捜索が続いている。でないと籠絡されるからだ。
何よりあの忌々しいリリエラ・ハルマハットだ。奴は何が何でもハクダを殺しに来るだろう。
最早、トメルギアどころか山の大陸全土にもハクダの居場所はなかった。だから黒騎士の魔動機に潜り込んだ、そこまではよかった。
だがバイドロットから寝物語に聞いた魔界に連れてこられるとは思ってもみなかったし、ましてこのような化け物と対峙するハメになるとは思っていなかった。
目の前にいるのは、見ればまだ年若い、少年と言っていい年頃の男子だ。恐らくイルランドより幾分か上、十六か七といったところか。
貴公子然とした振る舞いだがどこか仰々しく、有体に言えばキザったらしい。
だが見た目はどうでもいい。眼前の少年からあふれ出る魔力は桁が違った。
炎の大公家という貴い血筋ゆえにハクダも膨大な魔力を有しており、魔力の量ならばトメルギアでも五指に入る。そのハクダも、この魔族たちの前では溶鉱炉と種火ほどに差がある。
だが、この少年はそういう次元ではない。その威圧感はすべてを暖かく照らし、そして機嫌次第で塵も残さず焼き尽くす恒星のそれだ。
その化け物が、魔力をハクダへと解き放った。途端、あちこちぶつけて痣になっていたところの痛みが引いていく。火にまかれた髪も回復してゆき、顔の傷も跡形もなく治癒していく。
「あの、これは?」
「回復魔法だ。我が騎士の無礼の詫びだ」
ハクダとて簡単な治療の魔法は使える。だが、これもまた次元が違う。
回復魔法と一言で言っても様々だが、大抵は魔力を患部に直接流す必要があり、そしてそれで即座に治るなどというものではない。
ましてハクダは鼻の骨が折れていたのだ。それを外から形を整えることもなく元に戻すなど常軌を逸していた。
魔力があればいいというものではない。術の組み立てからその精密さに至るまでの技術、それが無ければ不可能だ。
ほどなくして光が止み、そこには纏うものこそボロ切れのままだが、瑞々しい肌と熟れた肢体の美女の姿があった。そして、
(――イケる)
ハクダは己の勝利を確信した。
服こそズタズタだが、体調は人生最高と言っていいほどの充実ぶり。
魔王というだけあってなるほど、恐るべき魔力、そして恐るべき魔法の腕前だが、とんだ甘ちゃんだ。
この色香でもって魔王を籠絡することができれば。そして少年の青い果実を己の蜜で染め上げるなど、たやすいものだ――
「して、黒騎士よ。これは汝の物とするのか?」
「いえ、そういうつもりでは……」
「では余が貰い受けても問題ないな」
くい、と顎を持ち上げられたと思った時には唇をあわせられていた。そして抗う間もなく舌が押し入ってくる。その技の匠さはハクダが今まで味わったことのない物だった。
王家の魔女、童貞殺し、色狂い、ド腐れビッチ、彼女の異名は数知れない。
彼女の性技は間違いなくトメルギア最高の物でありその自負もあるが、初めからそうだったわけではない。若かりし日には籠絡しようとした貴族の老練の技に屈したことも数知れない。
だがその中で彼女は持ち前のバイタリティで技を学習し、己を組み敷いた相手を例外なく堕としてきた。
才能もあったが、それ以上に彼女は努力家であった――努力の方向性が王族としては割と致命的ではあるが。ひょっとしたら正しいのかもしれないが、こんなのが活躍するのは乱世と相場が決まっている。
そのハクダをして、少年姿の魔王の舌技の巧みさは格が違った。
攻めに転じようとすればのらりくらりとかわされ、そのまま己の弱点を的確についてくる。まるで初めから知っていたとでもいうように。
「――ッ、――――ッ!?」
ビクンビクンと痙攣し、ハクダの全身から力が抜ける。その瞳は開いてこそいるが、完全に心ここに非ずと言った有様だった。
「ふむ――なかなかの感度。見目も悪くないし、いや、我が騎士がこれほど余好みの手土産を携えてきてくれるとはな」
満足そうな顔で気の抜けたハクダを視線で舐めまわした魔王は、玉座の両隣の女官へと命じた。
「体を清め、寝所にて待たせておけ。なかなかに楽しめそうだ」
「恐れながら陛下」
ハクダが連れて行かれるのを一瞥もせず、今しがたの情事に顔を赤らめたガルデリオンは玉座へと戻るアルカディオスへと忠言した。
「あれは己が国を傾けた毒婦にございます。処断するか、そうでなければせめて幽閉を」
「ああ、それは一目でわかった」
ガルデリオンの言葉に対して、何を今さらと言った風にアルカディオスは返した。
「傾城傾国の美女とはああいうのを言うのだろうな。全身が男を堕落させることに特化した食虫花よ。
しかし故にそそるというものだ。今まで味わってきた女たちとは何もかも違う。
何より我は魔王――毒婦の一人や二人はべらせずして、何が魔王か」
絶大なる魔力と魔法の腕を持つ魔王アルカディオスの最大の問題点が、この無類の色好みだ。
いつ色を知ったのかはガルデリオンも知らないが、侍従たちに曰く、この少年が女とまぐわらぬ日はないという。魔王城の女はこの少年の手つきでないものの方が少ないとまで言われている。
だが、あのド腐れビッチは食虫花を通り越してマタンゴか何かだ。流石にまずいと、黒騎士も諌めようとするが、
「いや、しかし」
「はぁ……まったく。お堅いというかなんというか」
自信満々にそう言い放つアルカディオスは、いったん深いため息をついてから、赤面して戸惑うガルデリオンを見据えた。
そして、己の騎士たる異母兄へ、本当に心の底からの心配を口にした。
「そんなだから兄ちゃんはいつまでたっても童貞なのだよ。レフティナ母様の血が絶えちゃうぞ?」
「よし愚弟、その首刎ねてやるからちょっと待ってろ……!!」
異母弟の発言に沸点をあっさり振り切り一周して氷点下に達したガルデリオンは全力ダッシュで黒刃を閃かせる。
あわや、刃が魔王に届かんとするその寸でのところで、四天王の二人が全力でガルデリオンを押しとどめた。
「ちょ、ガル坊タンマ! 危ないべよ!?」
「そうですよーガルくん、アルくんのいつもの軽口じゃないですかー」
「ええい止めるな二人とも! この愚弟め、今日こそは灸を据えてくれる……!」
「愚弟とはなんなのだこの童貞兄貴! だいたいそのツラでなんで童貞なのだ入れ食いだろ、なんだったら貸すぞ!?
あ、それともこれから混ざるか?」
「そういう問題じゃねええええええ!!
偉そうな口は手ぇ付けた女の面倒最後まで見てから言いやがれ、そういうことだけ俺に押し付けるなあああ!!」
「で、殿中にござる、殿中にござる!」
キレた黒騎士、とめる四天王、煽る魔王、慌てふためく文官たち。なんともひどい有様のところに、
「じゃかあしいわこのクソガキども!!」
偉丈夫の鉄拳がガルデリオンの頭に落ちた。人間の頭蓋が立ててはいけない音が玉座の間に響く。
「があああああっ!?」
「やーい、怒られてやんのー」
指さして笑うアルカディオスの前に、偉丈夫が立ちはだかった。
「……へ? おっちゃんどったの?」
「喧嘩両成敗。ふんっ!」
同じ音が、魔王の頭からも響いた。
「……で、では。今後の方針は先ほどの通りということで」
「うむ。いまだ行方の知れない水と風の大魔動機の捜索、そして御使いと思しき謎の機体の調査だ。場合によっては排除しろ。
……あー痛。余、魔王なのに」
「畏まりました……くそ、首がさっきから曲がらん。それを言ったら俺は黒騎士だぞ。まったく」
頭と首を抑えてぼそりと毒づく異母兄弟だったが、ガンテツの一睨みで二人ともばつがわるそうに押し黙った。
武官たちはげんなりとした顔つきであり、文官に至っては宰相以下、全員が腰が砕けている。四天王の三人だけは慣れた風に苦笑していた。
「では謁見はこれまでということで。仔細については四天王と詰めてくれ」
「はっ。それと陛下、あの女にはくれぐれもご注意を」
「なあに、明日には余の視線を受けただけで達するようになっているだろうよ」
けらけらと笑う魔王をやはり心配そうな目で見つめながら、立ち上ったガルデリオンは四天王を伴い玉座の間を後にしようとし、
「ああ、それともう一つあった」
「なにか?」
背にかかった声に振り向き、改めて玉座の主を見つめる。今となっては、己の唯一の肉親を。
「――おかえり、兄ちゃん」
「ああ。ただいま、アルカディオス」




