001
セルシアの父はナグラスといった。
元はどこかの騎士で魔動機にも乗っていたらしいが、詳しいことは知らない。
物心ついたころには父と二人で旅をしており、それからじきに、アウェルの家の食客のような形で今の村に住むようになった。
ナグラスはセルシアに、暇さえあればひたすら体を鍛えさせ、剣を振らせた。セルシアにとって父との思い出は鍛練の一色に染まっている。セルシアを育てたのは、実質的にはアウェルの両親だったと言える。
だからこそ一年前、アウェルの両親が病で矢継ぎ早に倒れたときには、アウェル以上に大泣きした。二人はセルシアたち親子に息子のことを託して逝った。
ナグラスは剣の腕もだが、魔動機の扱いにも相当に長けていた。アウェルの両親はそれを見込んで自分の家の作業用魔動機の扱いを任せていたし、またアウェルにその扱い方を教えるようにも頼んでいた。
セルシアにとって弟のような存在であった少年は、ナグラスによくなつき、ナグラスもアウェルには優しく、人間味のある顔を見せていた。
セルシアはそれが妬ましかったのか、あるいは混ぜてもらえないのが悔しかったのか、魔動機というものが嫌いだった。
どうにも、二人の関係は親娘というには違和感のあるものだった。
アウェルの家を見ていたセルシアは、ある時からそんなことを思うようになった。存外父とは血が繋がっていないのかもしれないとも思ったりしたが、口には出さなかった。
だからこそ、死の間際に父が言い残したことがどうにも引っかかって仕方がない。
「おっちゃん、しっかりしてくれよ……!」
横たわる父の顔からは血の気が失せていた。当然だろう、その血のほとんどを流してしまっているのだ。
もう助からないだろうと、セルシアは極めて冷静に考えていた。
その日もごく普通の一日だった。両親の死後一緒に暮らすようになったアウェルは、魔動機で作業をしていた。
自分は森で夕食を探していた。父が何をしていたのかは知らない。ただ夕方になって帰ってきた父は、全身が血まみれになっていた。
森の魔物程度なら容易く仕留めれるセルシアが、いまだに勝ち越せていない父にいったい何があったのか。
傷口からして、どう考えても獣や魔物の類を相手にしたとは思えない。そもそもこの村では危険な獣など滅多に出ないし、ナグラスはそうした害獣にやられるような男ではない。
明らかに、武器を持った何かと殺しあってきた後だ。
「俺も、なまったもんだ……あの程度に後れを取るとはなあ……」
掠れた声でそうつぶやくナグラスを、感情の湧かない瞳で見つめるセルシア。
お互い情の薄い親子だったと言えばそれだけだ。だからこそ、
「そうやってると、お前の母さんに似てるなあ、セルシア」
そんな、セルシアの16年の人生の中でも聞いたことのないような、情の籠った言葉に、どう反応すればいいのかわからなかった。
狼狽するセルシアに、ナグラスは自分が身に着けていた剣を差し出した。鞘は質素、柄も汚れでくすんでいる。だが、汚れの下からでも目立つ銀白色の輝きにいくつかの宝玉が象嵌されたその拵えは素人が見ても業物とわかる一品である。
ナグラスがどこかの騎士であったということをこの剣だけが物語っていた。
「他にやる奴もいないしな、お前が持て」
「……言われなくても」
剣を受け取る。すると、柄に象嵌された宝玉が、一瞬光ったように見えた。それを見たナグラスの目が、見開かれ、
「はっ、あっはっはっは、ゲフっ、そうか、そういうことか!
そうだよな、お前、嘘はつかない奴だったもんなあ!」
残り少ない血を吐きながら。セルシアも、アウェルも見たことがないような、明るい声でそうぼやくナグラス。
憑き物が落ちたような、あるいは何かが憑りついた様な、そんな印象を思わせるような表情で、
「あー、俺が馬鹿だったわ……家訓に振り回され、騎士道に振り回され、女に振り回されてこのザマか。
本当ならな、その剣と一緒に伝えなければいけないことがあるんだがな……お前は、お前の好きなように生きろ」
焦点を結ばない目で、そんなことをぼやいて、
「アウェル」
「な、なんだおっちゃん!?」
「うちの馬鹿娘のこと、頼むわ」
少年の頭をくしゃりと撫でながらそう言い残し、その腕が力なく落ちて、
「ちょっと、なんなのよ、この期に及んで……」
「お前は」
最後にこれだけはと言うように
「母親のようには、ならないでくれ」
それが、いろんなものに振り回されたと、そう告げた男の最後の言葉になった。
どうにも、最後の最後でいろいろと置き土産を残されていった、そんな感じがして仕方ない。
ただ彼女には、そんなことに頭を悩ませている時間もあまりなかった。悩む頭があるかどうかは別として。
「でさ。おっちゃんが死んでから二人で生活してたんだけど、山の上からドラゴンが来て、若い娘を生贄を出せって言ってきてさ」
『それでセルシアが生贄にされたと』
「ああ。村のための尊い犠牲だー、とか言ってさ。
てか、姉ちゃんなんで言いなりになってたのさ。姉ちゃん村の中で一番強いのに」
「いや、それは、その、さ……まあ仕留めればなんとかなるかなあと」
『結果を見れば無理だったわけだが』
「最初の一匹だけなら腕の一本くらいでなんとかなったって、確実に」
「セルシアがそう言うならそうなんだろうけどさ。一匹じゃなかっただろうが。
それに縛られてるわ剣取り上げられてるわ」
「あー、送り出される前に酒飲まされた覚えはあるんだけど、そこから先の記憶がいまいちで。
剣も村の連中に取り上げられたって考えたほうがいいのかしらね」
『どうにもきな臭いな』
3人、というより2人と1機は、歩きながら山を下っていた。ゼフィルカイザーはとりあえず二人の事情が気になり、こうして話を聞いている。
歩いている間にも、装甲の破損した部位はじわじわとではあるが修復されている。もっとも大まかな部分はすでに修復されており、現在は細かい傷を残しているだけとなっている。
竜の群れを焼き払ったものの、それまでの疲れがあったのかアウェルが気を失うように眠ってしまい、セルシアもそれにつられて寝てしまった。
止むをえないので、ゼフィルカイザーは岩陰に身を隠していたのだ。
(自己修復機能はちゃんと実装されてたみたいだな。にしても、他人に体動かされてるってのは違和感があるなあ)
二人が起きると、ゼフィルカイザーは当初、自身の意志で動いて下山を試みようとしていた。
だが、元とは体格も重量も違う上に中身は運動不足で柔軟性皆無である。そこに夜明け前独特の暗さが加わった。
その結果、森で転ぶ、沼にははまる、しまいには『ホワァアアアアア!?』などという奇声を上げながら崖から転げ落ち、結局アウェルが操縦することになった。
「と、そろそろ見えてきたか」
森の中に、わずかだが炊き出しの煙が見えてきた。