001
「バイドロット卿、城内に侵入者が入ったと聞いたが……どうしたんだその有様は」
黒騎士が苦々しい調子で尋ねる。それも当然だろう。
バイドロットは屋内だというのに全身がずぶ濡れだ。さらにその傍らにいる女に至っては全裸である。
「……してやられたのか」
「いえ、そういうわけでは……」
バイドロットが気まずそうに顔をそらす。とはいえ、実際にはガルデリオンの言ったとおりだ。
バイドロットは魔法合戦に持ち込み侵入者を撃滅するつもりだった。魔族の魔力は、最も低い部類であっても並の人間の百倍近い。
まして曲がりなりにも四天王であるバイドロットの魔力はそれをさらに上回る。
だが、相手はそれに真面目に取り合うことなく引っ掻き回すことに終始し、最終的にバイドロットに水だけぶっかけて逃げて行った。屈辱的な話だ。
もしこれがただの水でなかったら、それで止めを刺されていた可能性もあるのだ。
「あの嫁き遅れの喪女が……!」
全裸で胡坐をかき、局所を隠そうともしせず毒づくハクダはよりひどい。
バーサーカーと化してハクダに迫ったリリエラから逃走していたのだが、その剣を紙一重で避け続けていたら着用していた犬のコスプレスーツがバラバラになっていた。致命傷を負うことなく撒くことができたのは運がよかったのだろう。
その様子に若干頬を赤らめたガルデリオンは室内のベッドのシーツをハクダに向かって投げつける。
「とりあえずそれでも巻いていてくれ、目の毒だ。それでバイドロット卿、侵入者は何者だ?」
「は。それが、この王女に恨みを持つ年増の女と、奇怪な術を使う黒ずくめの男、それに従卒風の姿の少年の三人組でした。
おそらくはコレに対して恨みを抱くものの犯行かと」
「いや……姫の仲間かもしれん」
ガルデリオンが思い出すのは自分とエグゼディに襲い掛かってきた紫の機体と白の機体だ。どちらもきっちりと止めを刺したわけではない。
「あの、ところでバイドロット様? 気になっていたのですがこの騎士様はどちらの方で?」
「お前が気にすることではない」
「そんなことを言わずに。見目麗しい殿方がいればすり寄りたくなるのが蝶の性というものですわ」
バイドロットの制止を無視してガルデリオンにすり寄ろうとするハクダ。ハクダとバイドロットはあくまで相互に利用し合っている関係だ。
お互いに相手には知られていないと思っているが。しかし、ハクダは恐慌するバイドロットの様子の原因はおそらくこの黒騎士にあると見ていた。
そして、立場についてはおそらく黒騎士のほうが上であるとも。ならばそちらにすり寄るのは当然のことだ。それはハクダにとって呼吸をするに等しいことだった。が、ガルデリオンはするりとそれをかわし、
「あら?」
「悪いが蛾はお断りする」
首に手刀を一閃。ハクダの意識を刈り取った。べしゃり、と床に這いつくばる全裸の女。
よく肉のついた丸い尻がたわわに揺れる。その様にまたも頬を赤らめつつ、一応シーツを被せてやるガルデリオン。
「魔法王国に連なる正統な貴族の直系、それも確認されている中で唯一存続している家がこれか。
バイドロット卿、貴殿、この娘に要らぬことを吹き込んでいないだろうな」
「コレやコレの兄は元からでございます。であればこそ、我が広めた教えにも快く帰依した次第にて」
「彼らは己の責務をちゃんと理解しているのか……?」
バイドロットの言葉に一人ごちるガルデリオン。姫のほうも似たようなものであるが、あちらはそもそも貴族の育ちをしていないから仕方がない。
だが、辺境からセルシアを追う旅の中で見聞きしたかぎり、トメルギアの王家がその職責を果たしてきたかといえば疑問が残る。彼らは己の存在意義を理解しているのか。
ガルデリオンは怒りを抱かずにはいられなかった。
「まあいい。バイドロット卿、すまないが私は念のため、姫のところに詰めている。
侵入者は近衛が捜索しているのだな? そちらについては任せる」
「は……」
内心で毒づくバイドロット。背を向けたガルデリオンを見て今このとき、こうして隙だらけの姿をさらしているのだ。
殺せるのでは。
そんな思いが鎌首をもたげてくる。だが。
「ああ、それとだな」
首だけで振り返ったガルデリオンが、バイドロットに目を向けた。仮面をずらし、その奥の真紅に輝く瞳を。
「ヒ――な、なんでしょうか」
「今のに限ったことではないが――俺が、お前ごときの殺気に気付かないと思っていたのか?」
その一言に、バイドロットは正真正銘凍りついた。
濡れた衣服の気色悪さなどまるで気にならず、脂汗がにじみ出る。
赤く輝く目。魔界のすべてが畏怖した最強の騎士の眼光。
「職責を果たせ四天王――さもなくば、貴様の左腕だけを本国に持ち帰ることになるぞ」
その時。ずん、と地響きがした。何事か、と思う間に、今度はさらなる轟音が響いて城全体が揺れる。
「じ、地震?」
「いや、この揺れは違う――」
「ハクダ様、ハクダ様はお見えですか!?」
三人のいる部屋の扉が勢いよくあけられた。入ってきた近衛兵は気を失ったハクダを見つけて、残る二人に視線をやる。
二人は顔を見合わせ、ガルデリオンが顎でバイドロットに指図した。
「よ、よい。私が代理で話を聞く。王女には後で話しておこう。何があった」
「は、一大事です――地下牢の魔女が、かつてない規模で暴れ出しました!
全軍の出撃と、できればバイドロット様の配下の方にもご助力願いたく!」
時はいくらか遡る。件の地下牢にて、アウェルとゼフィルカイザーは件のセルシアの母と対面していた。
メググトやリリエラが散々似ているといった理由がよくわかる。
外見的特徴は瞳の色以外は瓜二つといっていい。しいて言うなら、ヘレンカのほうが髪の赤色が深い。食らっている肉のせいもあってか、その髪は血に染まっているように見えた。
ヘレンカのほうが歳を重ねているためその分の差はあるが、セルシアが二十代後半から三十代になったらこんな風になるであろうことが容易く予想できる。それくらいセルシアと似ていた。
「ほー。あたしのガキがねえ」
事情説明を聞いたヘレンカはさも他人事のように酒を煽り、骨についた肉を食らう。よく見れば肉は生だ。
牢内に漂う獣臭は、しかしその肉よりも、それを食らう女のほうから漂っていた。
「イルランドは無事だったのですか?」
「ええと、おばさんは?」
「おばっ!? ……いいえ、失礼。
私はスレイジア。イルランドの母です」
ということはこの国の正妃で不倫をやらかした人物、ということだ。こうしてここにいるということは不義の件で捕えられたのだろう。あるいはイルランドのように侯爵への人質としてか。
無事であった旨を伝えると、ほっと胸を撫で下ろし、しかしそのまますすり泣き始める。
「私が、私があんなことをしなければ……!」
「ちょっと辛気臭いからよそでやってくんない? 肉がまずくなるわ」
この容赦のなさ、間違いなくセルシアの母親だろう。ぐっちゃぐっちゃと音を立てながら肉を貪りつつ、ヘレンカはアウェルの背にあるものを指さした。
セルシアの、元を正せばその父、ナグラスの剣だ。
「ナギーはどったのよ。あいつが剣を手放すとか考えられないんだけど」
「おっちゃんは……死んだ。誰かに殺された」
「……あ、そ」
来るであろうと思っていた質問にアウェルは身構えるが、嘘偽りなく答えた。しかし、ヘレンカの反応は淡白なものだった。
「あの、いや。おばさん、おっちゃんのこと好きだったんじゃないのか?」
「ま、あたしより強かったからねえ。あたしでもない誰かに殺されるような奴のことなんか知らん」
その言葉が強がりや虚勢の類のものだったのならばよかったのだが、様子からして完全に素だ。
(カーバインでいろいろ言われてたのは、こういうことか)
ナグラスの旧友メググトは言っていた。メググトたちをかばったセルシアに、姫なら絶対に助けようとしなかっただろう、と。つまりはこういうことなのだろう。
しかし自分より強いからとか。
その娘が自分を倒した相手に現在進行形で堕ちているあたり本当に親子だ。アウェルの勝ち目が絶望的に思えてきたが見ないふりをしておく。
『しかしそちらの正妃殿はわかるが、何故牢屋に入っているのだ?』
「入っているというか、住んでいるのですよ、彼女は」
ゼフィルカイザーが発した疑問に答えたのはスレイジアだった。ヘレンカは既に肉や酒に意識を戻している。
「さらわれるようにこの城にやって来た彼女は、当初こそ大人しくしていました。
しかし城に入ってすぐに懐妊を訴え、その子は死産となりました。あなた方の言う通りなら、おそらくその時にひそかに産み落とした子をかの騎士に託したのでしょう。
ですがその後、彼女は閨にきた陛下に瀕死の重傷を負わせたのです」
苦々しい顔で説明するスレイジア。涙を拭いながら、ヘレンカに敵意の籠った目を向けている。
「その後この牢に収監された彼女は、しかし何食わぬ顔で牢を破り出歩いています。今やここが彼女の住処です」
『突っ込みどころしかないのだが。とりあえずその王を半殺しにしたというのは収監されただけで済んだのか?』
「無論死刑の判決が出ましたとも。ですが三度死刑が執り行われ、三度目など魔動機まで動員したのですがすべて彼女に倒されました」
『すまない、どこの世界の話なのだろうか』
「安心なさいな。公都の外で話しても誰も信じないでしょうから」
カーバインで彼女がああまで恐れられていた理由、そしてセルシアの父が慕われていた理由がわかるというものだ。
そりゃあこんな人間凶器を制御できるのならもてはやされよう。
『だが、それだけ好き勝手しているならカーバインに戻ろうとは思わなかったのか?』
「地元はいろいろめんどくさい奴がまだいるからね。
戻る気なんかないし、地元の奴らもあたしが戻ってくるなんて嫌がるでしょうよ。それにここだとタダメシ食えるし」
「カーバインからは戻ってこないでくださいと嘆願書が山のように送られてきていますからね。
こちらからも引き取ってくださいと要請を出しているのですが」
(ファンタジー基準の逸脱した戦闘能力の持ち主が実在するってのはこういうことなんだなあ)
不条理が闊歩することの危険性をしみじみと感じたゼフィルカイザーだが、そこにヘレンカが唐突に口を挟んできた。
「あー、そういや一応聞いときたいんだけど。
ナギーの奴はどうやって死んだの?」
「……オレたちは見てないからわからない。おっちゃんが、明らかに人にやられた怪我をして帰ってきて、それから死んだ。
相手がどうなったかとかはわからない」
「ふーん……おい根暗女。うちの家来のほうがどうも強かったらしいわよ?」
その一言に、スレイジアがぎょっとした顔でヘレンカを見る。それこそ、死神にでも睨まれたかのように。
「な、なんのことです?」
「いや、てめえらのガキのためとかもあったんだろーけど、元はあたしに対する意趣返しのつもりだったんでしょ?
だけどあたしはナギーが死のうがガキが死のうがどーでもいいのよ、んなもん自己責任でしょうが。
とりあえず言っておくと、あんたの男はうちのナギーがぶった斬ったってことよ」
「……そ、そんな……ッ!」
ヘレンカの一言に崩れ落ちるスレイジア。しかしヘレンカはまるで気にした様子もない。
「わ、私を殺そうとは思わないのですか」
「殺してほしけりゃそっちのナギーの弟子か、どっかにいるあたしのガキに頼め。
あたしはあんたみたいな弱っちい上に食えもしない奴どうでもいいのよ。足元にいりゃ踏みつぶすけど、そうでもないのに食えもしない毒もないような虫殺したってしょうがないじゃん?」
アウェルたちを完全に置いてけぼりにして話が進んでいる。ゼフィルカイザーは何となく察しがついたが、そのせいで胃もたれ百倍である。
「ええと、どういうことなんだ?」
「どういうことかってーと」
『ちょっと黙ってもらおうかご婦人。アウェル、すべてが終わってから説明してやるから、この場は忘れておけ。
終わったことよりもセルシアだろう』
本筋に関わらない、触れないほうがいい伏線だと確信したゼフィルカイザーは全力で話題をそらす。
正直なところそれどころではないのだ。
「あ、ああ。でも……」
気まずそうにヘレンカを見るアウェル。イルランドが言ったのはこういうことなのだろう。
確かに戦力としては抜群だし味方につけれれば言うことはない。だがどうしたものか。前言の通りなら、娘だからという理由で助ける道理などないはずだ。
(セルシアはアウェルでなんとか動かせたからいいがな。どうしたもんやら。
セルシアの父親には若干こだわりが見えはするんだけどなあ)
しかしこの女、死者に対する義理などでは絶対に動かないだろう。そうして頭を抱える二人に、
「ああ、そういやこれだけは聞いとかなきゃいかんかったわ。あたしのガキはどんな奴よ」
前後の脈絡も無視してそう尋ねてくるヘレンカ。しめた、とゼフィルカイザーは思った。同時にラストチャンスだとも。
ここで興味を引ければ動かせるかもしれない。逆にこの機を逃すと眼前の女は盤外の駒のままだろう。
どうにかして口車に乗せねば、ゼフィルカイザーが全力で中枢回路を回転させだしたのを尻目に、
「ナグラスのおっちゃんに似てるぞ、セルシアは」
アウェルがそう口にした。
「ほう――強いのかい?」
「ドラゴンは生身で倒したな。けどんなこと関係なしに、おばさんよりは絶対におっちゃん似だと思うぞ」
(いや、んなことないよね? 外見だけ見たらクローンレベルだよね?)
ゼフィルカイザーはそう思うのだが、しかしアウェルが口にする言葉には確信のようなものがあった。
だからこそ、目の前の女も興味を引かれたらしい。
「……そいつは興味があるねえ」
ニィ、とヘレンカが口を吊りあげる。獲物を見つけた蛇のように。
「んじゃまあ、ナギーの奴がどういう育て方をしたのか、いっちょう見定めてやろうじゃないの」




