001
「ああちくしょう、また畑が荒らされてやがる」
「っとに、あのガキどもが出てってからどんだ災難続きだ。
それもこれも村長の奴が……」
「んなもん、お前だって賛成したじゃねえか!」
そんなことをぼやくのは、村の顔役のうちの二人だ。
ここはアウェルとセルシアの故郷の村、二人の前に広がっているのは荒らされた畑だ。二人が出て行ってから二十日とそこそこで、村の状況は大きく変わってしまった。
というのも、一週間ほど前から魔物が現れるようになったのだ。
もとよりこの村のあるあたりは地域は魔物に限らず、害のない動物の数も少なかった。
元を正せばミグノンやそれより北の地域でなんらかの事情があってここまで落ちてきた者たちの村だ。そんな村が細々とした取引だけで生計を立てていられたのはそのあたりの事情による。
だが、魔物が現れるようになった。年に数度くらいは顔を見せ、害があったりもしたが、それも大したものではなかった。数が少なかったからである。
だが今回のものは一頭二頭ではない、明らかに群れ単位のものだ。
「ドラゴンも襲ってこない、ガキどももなんだかんだで追い出して、魔動機も差し押さえたってのに、どうしてこうなったんだ」
そのドラゴンがいなくなったのがそもそもの原因には、村人たちでは思い至らない。
パトラネリゼが、魔物が竜巣山脈の天竜王を恐れていたのではないかと推察したのはほぼ当たっていた。
さらに言えばこの近辺に現れた魔物も、北のほうから追いやられたはぐれたちだったのだ。
その天竜王がいなくなったことで、山脈を中心とした周囲の生態系は激変を起こしていた。
ただし、伝承における天竜王の蛮行と暴虐を思えばこの程度は些事もいいところなのだが。しかしそれを知る術は、少なくともこの村の人間にはなかった。
「こないだのでかいクマに魔動機は壊されちまうしよう。
やっぱり、ミグノンに助けてもらうしか」
「へっ、なんで俺たちがあんな奴らに頭下げなきゃいけないんでい」
強気に言う顔役の太ったほうだが、内心ではすでに村を捨てて逃げる算段を始めている。
彼に限ったことではなく、最初に魔物が村を襲ってきてからすでに二世帯が村から夜逃げしていた。どこへ向かったかは知らないし、まだ生きているかも不明だ。
そんなとき、二人の背後から影が落ちた。何ごとかと振り返ると、そこには。
「グアアアアアアア!!」
「ひっ、ひいいいい!?」
大の大人の倍ほどの体格もある巨躯が立ちはだかっていた。四本の腕を持ち甲殻で背が覆われた熊。アーマーベアだ。生身の人間が太刀打ちできる相手ではない。
ごくまれに一人で太刀打ちできるほどの力を持った人間もいるが、今この村にはいない。厳密に言えば、いたが、一人は謎の死を遂げ、いま一人は自分たちが追い出したのだ。
「くっ、おい!」
「へ? ぎゃあっ!?」
太ったほうの顔役が細いほうの顔役の足を払い、転ばせる。それを振り返ろうともせずに逃げ出した。
(この村はもう駄目だ、女房子供かかえてとっとと逃げるしかねえ……!)
だが、そんな思考はあっさりと立たれた。何者かが顔役の顔面を殴りつけ、昏倒させたためだ。
「――下種が」
殴りつけた張本人は倒れ伏した顔役に目もくれず、もう一人の顔役に襲いかかろうとするアーマーベアに駆け寄り、背の剣をそのまま抜き打った。
「ひいいいい! ひ、ひ?」
尻もちをついた体勢で目を空けた先。そこにはアーマーベアが音もなく仁王立ちしていた。かと思うと、ずるり、とその影が斜めにずれ、真っ二つに裂ける。後に残るのはアーマーベアの死体、そしてその技を成した男の姿だ。
旅の汚れに擦り切れた、血のように赤いマント。それに負けないように輝く銀色の長髪。僅かに青がさした漆黒の甲冑は機能を損なわない程度に細工が凝らされ、鎧をまとうものが騎士崩れの落人などではないことを示している。
手にする剣も、柄から刀身にいたるまでが黒。鎧と同様に赤や金で目立たない程度の細工が施されているが、柄にはまった緑とも紫とも言い難い不可思議な色の宝玉は、それがただの装飾ではない、魔法の力をもつ道具なのだとあらわしていた。
「大丈夫かな、村の人」
手を差し伸べ、助け起こす黒い騎士。まだ若そうな男の声だが、よく通る。聞き惚れるような声とはこういうことを言うのだろうか。
口元は冷笑を湛えているが人相は読み取れない。目元を、やはり黒い仮面で隠しているのだ。
「あ、ああ。畜生あの野郎……!」
「そこまで。私はあるものを探して旅をしている。尋ねたいことがあるのだが」
自分をおとりにした相手に報復しようとするのを制止した黒い騎士は、顔役に問うた。
「銀色の剣を持った騎士くずれと、赤い髪をしたその娘を知らないだろうか」
「しっかし村から離れるほど魔物が増えてる気がするんだけど、気のせい?」
「いや、気のせいじゃないと思うぞ」
今しがた襲ってきたアーマーベアを瞬殺して解体の真っ最中のセルシアに、コックピットからアウェルが応じる。実際、ゼフィルカイザーの背中にぶら下がっている戦果は日に日に数を増している。
先日、モルッド村でほとんど捨て値で戦利品をさばいたのだが、道中魔物が現れる頻度がさらに上がったせいであっという間に元通り、否、それ以上の量になっている。
「ほんと、ハッスル丸さんがついてきてくれて助かります。おかげで荷がかさばらずに済んでますし」
「まあ冒険者時代から慣れっこゆえ。とはいえ拙者の忍法圧縮自在も限度があるので」
そんな会話を交わす、左肩に座る少女と右肩に座るペンギン。
なんでも忍法圧縮自在とやらで、巻物に荷物をしまっておくことができるらしい。前回の影鯱丸を呼び出したのも、また今カラクリ仕掛けの忍び装束を収納しているのもそういった能力によるものだ。だがそういう話ではなく。
(なんでこいつがついてきているんだ……!)
今更と言えば今更であるが。前回ドラゴンに襲われた村を出てすでに二日目である。あの後、モルッド村には三日滞在した。
ドラゴンを倒したということで村人からは歓待を受けたらしい。らしい、というのはゼフィルカイザーは滞在期間中晒し首の刑を受けていたためだ。そのうえ通信機も置いて行かれたので完全な置いてけぼりだ。
後から知ったが、どうも土を固める際に土をより固くするような細工をしていたらしい。
三日後、村を出発する段になってようやく解放されたのだが、その間になにがあったのか、意気投合したハッスル丸が同行するということになっていた。
(まあ、パトラネリゼの同行に勝手に許可を出してしまったしなあ)
そのあたりの負い目があるので強く言えない。
『しかし、南の大陸には冒険者がいるのだな』
「そうでござるよ。まあ冒険者とは言うが、主に荒事専門のなんでも屋でござるからなあ」
「でも、南の大陸の帝国が傾いたとは聞いてましたが、まさか滅亡してるとは……」
乾いた笑いのパトラネリゼ。そんなに重大なことなのだろうか。疑問に思う気配を察してか、聞かずとも説明し始めた。
「南の大陸は魔法文明期から栄えていたって言われています。ですが魔法文明の崩壊で群雄割拠になってしまいました。
その中、土の大公家の直系を名乗るベーレハイテンという国の王が皇帝を名乗り、国を帝国に改めて大陸の統一に乗り出しました。
私が師匠に連れられてこの大陸に来たころには、覇業達成目前で内乱が起きていたとか」
『なにか妙な言い方だな。前に言っていた通りならもう十年以上前のことだろう。
いくら辺境とはいえそれほどの大国が滅亡するような事態、まったく耳に入らんとは思えん』
それ以上に疑問になったことが、
『南の大陸なら、トメルギアより南にあるミグノンのほうが早く話が入りそうなのだが。ミグノンから近い港などはないのか?』
む、と眉根を寄せたパトラネリゼだが、少しの間を空けると急に罰の悪そうな顔で自分の頭をたたいた。
「あちゃー、この大陸の地理とか全然説明してませんでしたよ私! いや本当、私の落ち度です。すみませんゼフさん。
実はですね、えーと、書くもの書くもの」
(黒いのを出したな、ありゃ炭か。俺もウェザリングやらで使ったなあ……と、ちょっと待て)
『貴様私のボディに落書きするんじゃない!』
「おおう、すみません。んじゃ、ちょっと降ろしてもらえます?」
そこにハッスル丸が提案してきた。
「解体にも時間食いそうでござるし、日もかげってきてござる。今宵はここらで野宿にするでござるよ。細かい話はその時、ということで」




