030-006
トライリング教団ができたのはここ20年ほどのことで、それまでのロトロイツは教和国ではなく王国だったのだと、ディーは切り出した。
「魔法王国が邪神に攻め入られて滅び去ったあと、勇者はこの地で四大公たちと軍を率いて魔法王国に攻め入り、魔族を滅ぼし邪神を封印したらしいわ。その辺は、貴方たちの方が詳しいでしょう?」
『……ですの。確かにクオルのマスターと四大公は、このロトロイツで軍を興したんですの。
けれどクオルは、邪神を封じると同時に眠りについてしまったですの。だからその後四大公とマスターがどうしたか、ロトロイツがどうなったかもしらないですの』
「そうだったのね、光の精霊機さん。
四大公が去って後、ロトロイツには黒雲山脈と、そこにある門を守るという使命が課せられたの。そして門の封印を司る血筋が王家となったの。
こういう言い方するとあそこの皇女ちゃんに怒られそうだけど、ロトロイツ王家は第五の大公家と言えなくもないわね」
「……てことは、ロトロイツにも大魔動機があるのか?」
アウェルの声には少なからぬ怯えがある。ヴォルガルーパー、ジェリケーンと二体の大魔動機と戦い、砂の大陸の惨状も診てきて、その力の規模が骨身に染みているのだから当然だろう。
「そういうのはないわよ。ロトロイツの血統に任せられているのは、黒雲山脈を封印する大瘴門の管理だけ。
いずれ蘇った勇者が邪神を倒すときのための力添えに、門を開けられるようにしておかなければならない、ってね」
「……あたしは違うってぇの」
視線を向けられ、ぶっきらぼうに返すセルシアに、ディーは苦笑を返した。
「けれどこの通り、高原のただ中にぽつんとあるだけだからね。いつしか四大公家とはベーレハイテン以外とほぼ音信不通になっちゃったし、どんどん貧しくなっていっちゃったのよ。
魔動機だけはやたらあるんだけどね。聖騎士団の魔動機なんて、ほとんどが古式魔動機だし。
もともとは魔法王国の研究機関だったらしいからいろんな技術研究なんかもされてたらしいんだけど、まともに研究が続けられてきたのは医術くらいでね」
『医術、とは、治癒魔法などとは違うのか?』
「治療魔法も含んだ治療法知識とそれを実践する技術全般のことですよ。
特に形質によっては、同じ病気やケガでも全く違う治療法が必要になったりしますからね」
(考えてみればそうか。ロボットも、SFチックなのからスーパーっぽいので整備方法は全然違うからな)
ロボット物がクロスオーバーするゲームの整備士は、そうした多種多様なロボットのメンテナンスを一挙に引き受けているのだから頭部が下がる。とはいえロボットによっては自己修復する者もあるので、そうでない場合もあるだろうが。
この世界の人間もある意味同じだ。イヌ科ネコ科でも全然違うのに、哺乳類魚類爬虫類、果てには昆虫類も混ざっている。そしてセルシアやその母のグレーター蛮族のように病気と無縁でわけのわからない回復速度がいるのもロボットと同様――
(いや待て、何かがおかしい)
「その医術、もっというと、医術の習得に関する制限が、今の状況を作り上げたって言っても過言じゃないんだけどね」
「と、いうと」
「貧しい中で、医術を修める者は結構な特権を与えられてたのよ。当然誰もが学べる者じゃなくって、頭の良さとかいろいろ素養が必要だったんだけど。
けどそこに形質の絡む制限があったのよ。医術を学べるのは体毛が少なくって、それに指が五本以上じゃないと駄目っていうね」
「何故なんだ? 技術を学ぶのに頭の良し悪しや向き不向きはともかく、形質は関係ないんじゃあ……」
「それがあるのよ」
シングが不可解と首を傾げたところに、ディーが両断してきた。
「体毛が多いと防疫がしにくいのよ。あと指が少ないと、細かな作業が必要になる外科手術なんかは習得が不可能だし。
ほら、コックピットに収まらないサイズだったり、コントロールスフィアに接触できない構造の手だと、どれだけ魔力があろうとも魔動機には乗れないでしょう?」
「……せやな。そういう話ならわかるで」
納得しがたいが理解はした、というようにツトリンが頷く。他の面々も似たり寄ったりな反応だ。
「加えて高原だから寒くて、それに貧しいっていうのもあってね。採掘なんかも、山はこれ以上近寄れないし。
だから毛皮がある人は薄着にして、その分の衣類を必要な人たちに回そうっていう風習がいつのころからかあったのよ」
ディーの語りはどこか温かみがあった。それは在りし日のロトロイツの風習の、その根底にある温かさへの憧憬なのかもしれない。
「けれど、貧しい中で諍いもかなりあったって聞いてる。特権があったから、ロトロイツで豊かな階層の人のほとんどは医者がらみだったし。
あの男がやってきたのは、そんな中よ」
「それがラームゼサルって奴か?」
「違う、あいつじゃない。トライリング教団を作り上げた男、ボウビット・スリーウィルよ」
それは一行が初めて聞く名だった。少なくともゼフィルカイザーのログにはそれらしい名は残っていない。
「私が生まれるよりも前、確か今からだと26年前だったかしら。この国にやってきたあの男は、類稀なる魔法や魔道具作りの腕で国の有力者を味方につけて、一気に教団を拡大したのよ。
そうして、ロトロイツは次第に豊かに、そして人を、人間と獣人に分けて差別する国になってしまったのよ。
獣人は獣同然であり、故に服を着る分別もなく、学ぶだけの知恵もない、ってね」
「そんな、滅茶苦茶な……けほっ、こほっ」
あまりの論理展開に驚きすぎたのか、咳き込んだパトラネリゼをディーが抱きとめる。
「大丈夫? ちゃんと診てあげないと」
「いえ、大丈夫、です。それより、はぁはぁ……話の、続きを……!!」
「……なんかすっごい脈が荒ぶってるんだけど、本当に大丈夫?」
『むしろ具合がよくなってるくらいだから気にしないでくれ。しかし……』
必要性があったとはいえ、獣の形質があるものとそうでないものを峻別する一線はすでに存在していた。それを踏まえても、あれだけの差別を行う風習が根付いたのがここ二十数年ということに、ゼフィルカイザーは驚愕していた。
(ロボットアニメなんかで偏見や差別が蔓延してるってのはそうそう珍しいもんでもないけどなあ。でもああいうのって根深い対立あってのもんだろうに)
ほぼ丸暗記しているそれらアニメの年表を思い浮かべて首をかしげるゼフィルカイザー。帝国の魔力差別にしても、大本の政策が歪んでいった結果とはいえ、それでも三世紀超にわたって醸造された結果である。
「その始めたヤツ、よっぽど舌が回るんやろな」
『まあそういった手合いは演説も達者と相場が決まって――』
そこまでぼやいたゼフィルカイザーは、尻尾ではなくその根元を想起した。
様々な創作物の悪役として引っ張りだことなり、ロボット物でも元凶だったり遺産がでてきたり、そもそもオマージュの元ネタだったりする、今やフリー素材扱いされているナチスドイツ。政権を取ってから滅ぶまでわずか12年である。
『……となると、そう馬鹿げた数字でもないのか』
「どうしたんだよ、ゼフィルカイザー?」
『いや、なんでもない。しかし……』
「ボウビット、か……ディーさん、その魔道具というのは、具体的にはどういうものなんだ?」
「あなたたちが見たことあるのなら、大闘技場で戦ったエルフモドキが纏ってた不可視のマント、あれよ」
「……あれか」
セルシアが苦々しくつぶやく。大闘技場だけでなく、それ以前にも見たことがある。砂の大陸に到着してすぐ、ハイラエラでのひと悶着で対決した荒くれ集団ザンバリン一家、連中が使っていたものだ。
おかげで苦戦するわセルシアたちが人質に取られるわクオルが出てくるわ天津橋が消し飛ぶわと散々な目にあった。
パトラネリゼ曰く、あんなものを造れるとしたら今の世では魔族くらいしか考えられないとのことだったが。
「でも魔道具配ったり宗教作ったりとか、まるでバイドロットみたいだよな――アニキ?」
「ディーさん、そのボウビットという男、晴れたところで見たことはあるか? 魔族なら確か、瘴気のないところでは活動できないはずなんだが」
そう思うや否や、その魔族疑惑がついて離れない男がディーに尋ねた。その剣幕は、詰問しているといってもいいくらいだ。
「ええと……大聖堂のテラスから演説することが時たまあるし、昔はそこらで辻説法してたらしいけど……どうかしたの、シング君?」
「あ、いや……すみません。その、魔の森で屈辱を味わったので、少し」
慌てて引き下がるシングだが、動揺を隠せている感じではない。
(とはいえ、仮にガルデリオンだったならば今の状況でここまで感情をあらわにするか? しかし、ロトロイツの件を見るに善良っぽいガルデリオンが独断専行に驚いているようにも……いや、どうだ?)
少なくとも、魔の森での失態でシングが参っているのは事実だ。そう思えば、この動揺もさほど不自然ではないだろう。
『しかし確かにバイドロットの手口を髣髴とさせるな……その男、本当に魔族ではないのか?』
「瘴気がないところでも普通に動き回ってたっていうのは本当よ。そりゃあの通り、すぐ北に黒雲山脈があるけど、少なくとも人体に影響が出るような量は流れこんできてないわよ。それよりそのバイドロットっていうのは?」
「トメルギアで戦った魔族だよ。邪教を作って魔道具を配って、トメルギアを混乱させてたんだ」
「けほっ、人を困らせるとポイントがついて、そのポイントに応じて賞品ゲット、とかいうわけのわからない教団でしたね」
(今から思うとギャグにしか思えんな。いや、やってることはあれはあれで性質が悪かったんだが)
それからすればロトロイツの現状はバージョンアップ版というか、笑いどころをなくしてリアルにした感じだ。だからこそ余計に嫌なのだが。
「とにかく、そうしてトライリング教団は力を増して、王家はどんどん追いやられていっちゃったの。いつの間にか兵権まで奪い取って、聖騎士団として再編してね。
そして十四年前、王宮……っていっても大きいお屋敷程度だけど、そこを訪ねた一人の聖騎士が、王家の一人娘、ディーズィリット・ロトロイツ……つまり私を、斬殺しかけたのよね。
王は、父様はこれに怒り、その聖騎士を何が何でも処刑しようとしたけど、国外追放が限界だった。それにそのために無理をしたことで、王家は本当に力をなくしてしまったの。
母様は病で無くなり、父様はその聖騎士が功を挙げて帰還したことに耐えかねてか、毒を煽ったわ」
どこか他人事のように前半生を語るディーだが、あまりの重さに誰も何も言えない。アウェルなどは大変だったんだろう、くらいにしか理解できず、それなりに複雑な目に会ってきたセルシアですら、その事情の重たさに閉口している。
「その聖騎士が、ラームゼサルとやらでござるか。しかしその男、何故ディー殿、いやさ、ディーズィリット殿を斬ったので?」
「ディーでいいわよ。私の両親は目立った形質じゃなかったけど、私はこの通りだからね。教団が力を増してたのもあって、それをずっと隠してたのよ。
けど、遣いでやってきたあの男の前で、フードが取れてね――そしたら即、バッサリ。獣人が姫のフリをするとは不届きな、って。今でも耳から離れないわ」
(凄絶に過ぎるわ。返答に困るぞこんなもん)
重たさで言えばトーラーあたりとどっこいどっこいだ。が、だからこそ不可解な点が一つある。
『その、言いにくいとは思うのだが。そうなると、今の貴女とラームゼサルとやらの関係はどうなのだ? なぜあのような言われ方をしている?』
衛兵らは去り際に、ディーのことを「ラームゼサルの情婦」と呼んでいた。
己と父の仇のような相手とそのような関係にあるというのは、事情次第でやむを得ないこともあるだろうが、実際そうであるようにも見えない。
「ラームゼサルは帝国皇女を救い出すという大功を挙げて戻ってきたけど、その帝国で形質による差別のない、しかし魔力で人が差別されてる様を見て、差別を否定することに目覚めたのよ。少なくとも、そう公言してる。あいつが娶った皇女殿下も、蝙蝠の形質が極めて強い方だし。
そして教団改革派筆頭となったラームゼサルは、妻の立場も相まって砂の大陸への宣教をほぼ一手に独占してるのよ」
ハイラエラでしてやられたことを思い返したのか、ハッスル丸が亜空の視線をディーに向ける。
「そやつが……しかし何故、かような教えが砂の大陸で受け入れられるのでござるか? いかにその、魔道具やらの恩恵があるとはいえ」
「あっちでラームゼサルが広めてるのは差別の部分を削ったもので、加えて宣教師は医術を修めてるからね。医術の恩恵は言わずもがなでしょう?」
そうしたところは、ゼフィルカイザーの知る地球の大航海時代と変わらないようだ。
「なるほど……いやしかし、ラームゼサルめの手の者と思われる者と死合ったでござるが、彼奴めがハイラエラの元村長の首をはねた手際は、リュイウルミナ殿を害した者らと似通ってござった。
今だからこそ理解できるでござるがな、あれは村長を人と思うておらなんだでござる。だのに改革派というのは」
「ラームゼサルの下には、言ってることに賛同してるやつもいれば、そういうの抜きにただ心酔してるような奴もいるのよ。ラームゼサルがそういうのをどう御してるかは知らないけど、今のところ、獣の形質もちで聖騎士になった人間は一人もいないはずよ」
「……左様にござるか」
一見すると得体のしれないアデリーペンギンだが、その本質は血で血を洗う忍びの里で育った忍者ペンギンだ。何かを察したようにうなずくと、それ以上は嘴を挟まなかった。
「……ああ、そうそう。私とラームゼサルの関係ね。
あいつはかつての己の罪を悔いて、わずかでも償えないかと、今や姫一人となった王家の庇護者を買って出たのよ。姫が人目に見せられないような姿になったのは、ほかならぬ己のせいだ、とか言って。
で、それを邪推した結果、ああいう噂が広まってるわけ」
「……なんていうか」
「何? アウェル君?」
「あ、いや、その……」
言いよどんだアウェルだったが、ディーの目がまるで言うように促しているようだったので、
「その、ラームゼサル、だっけ? 聞けば聞くほど、わけわかんないやつっていうか……いいやつなのか悪いやつなのか、さっぱりわかんねえよ」
率直な感想を口にした。だが、ディーは満足げにうなずいた。
「やっぱりアウェル君は純ね。そういうところがかわいいっていうか」
「……へ?」
「あ、なんでもないわよ、なんでも。
まあロトロイツの中でもおおむねそんな感じよ。
聖騎士団を率いてこの大陸の、大障壁に覆われていない全土を平定し、その働きは公明正大。英雄そのものって感じに言われてる。
その一方、対立してるほうからは下層階級を掌握したり若手を先導したり、さらには皇女や姫を手玉にとって勢力を拡大する食わせ物、みたいにも言われてるわ」
だが、とディーは目線を下げた。
「だけれど――あいつは、そんなもんじゃないのよ。私を斬ったときのあいつと、帝国から帰ってきたあいつは、違う」
肩を抱いて呟いたディーが放っているのは、殺気と、それ以上に怯えだ。よくわからず聞いていたセルシアも、どこか心なしだったシングも、聞いているのかいないのかわからない亜空の眼光のハッスル丸も、皆、その気配に飲まれた。否――
「あいつはもっと、わけのわからないものなのよ」
ディーの怯えを通して伝わる、ラームゼサルの圧力に飲まれたのだ。
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