003
他にはわき目もふらずに、町の中の公衆浴場へと二人を引っ張ってきたパトラネリゼ。
「おばちゃん、今空いてますか!?」
「おやパティ。どうかしたのかい――ああいやわかった。
うん、ちょうど今誰もいないよ。あんま汚さないようにね」
「了解しました! ほらさっさと脱ぐ!」
「へーへー、ほいほいっと」
「っ、恥じらいが無いんですかあなたは!
ああもう、とにかく行きますよ!」
脱衣場に入るや否や躊躇いなく服を脱ぎ捨てたセルシアにため息をつきながら、自分も服を脱いでいく。と、そこに、
「あのー、オレはどうすれば、ぶげらっ!?」
入り込んできた出歯亀に風呂桶が直撃する。
「なに覗いてるんですかあなた! 男は隣です!」
「おごご……」
「あー、アウェル、今のは流石にかばえんわ」
そのまま半裸のパトラネリゼに引きずられていく全裸のセルシア。その姿を、
(ふぅ……いや、あれはあんまりうれしくないな。
というか喜んだら人としてお終いだわ)
アウェルが首から下げたペンダントの奥で見ている者がいた。
通信端末が常備されているのを見つけたゼフィルカイザーは内心狂喜乱舞した。音声の送受信に映像の送信、さらに発信器機能まで付いている優れものだ。
おまけにソーラーパネル付きで光さえ当てておけば充電要らず。
『いいかアウェル。それを絶対に手放すなよ。そしてセルシアからも目をそらすな。
あといろいろ聞かれても私が言った以上のことは言うな。
あくまでもお前らは村を追いだされたみなしごである、ということで通すのだ』
このような説明を延々繰り返したが、いざ町に降り立ってみれば案内役がついてきたので胸を撫で下ろしている。
『しかしなぜ男はドラム缶なんだろうなあ』
風呂場があったと思しき空間の中、居並んだドラム缶のような風呂釜の一つにアウェルは浸かっていた。
ドラム缶にはパイプが繋がれており、それから温水が流れてきている。
「なんか最近来た連中が暴れて壊してったらしいぜ。そいつらは修理費だけは払って出て行ったとか。
頭の女がえらい頭下げてたって言ってた」
そう言って指さした先には半壊した湯船がある。何となく先日の女頭目ことの気がしてならない二人である。
「でもこれでこっちのことがわかるのか。つくづく凄いんだな、お前」
『気にすることはない。しかしあれだ――覗かないのか?』
「なにを?」
『まさか一切の迷いなく疑問符をつけられるとは恐れ入った。
隣の女湯だ。こうしたとき、男は女湯を覗くもの、と私の知識に書かれているぞ』
大嘘であるが。自分がロボット三原則に縛られていないことを実感しつつ、アウェルの返答を待つ。が、
「いや、別に見慣れたもんだしなあ。なんでそんなことしなきゃいけないのさ」
『見慣れている、だと……?』
「うちだと水がもったいないからな。大体二人一緒に水浴びしてたし」
『そう、か。そうなのか』
ロボット狂いとはいえ別にそっち方面の欲求がまったくないわけではない。
そういった意味でゼフィルカイザーからすればアウェルの境遇はかなり羨ましいものである。
(というかどうにも測り兼ねるな、こいつとセルシアの関係は。まあ姉弟と言えばそれまでなんだろうが)
そんなことを考えていると、アウェルはゼフィルカイザーの言葉の意味を亜空間の方向へと結論付けた。
「なにか? お前、ひょっとして姉ちゃんの裸に興味があるのか?」
『ないぞ。全くない。何故そうなる』
「いや、オレに覗かせに行こうとするってことはさ。要するにお前が見たいんじゃね?
あ、それともあれか、あっちの白い髪の子のほうか。門の前でじっと見てたもんな」
『なぜそうなる……私は一息つくから、お前もおとなしく風呂に浸かっておけ』
「へーい」
そこまで喋って、通信にミュートをかけたゼフィルカイザーは伸びをすると布団に横になった。
無論、ゼフィルカイザーの本体というか機体は、ミグノンの町の防壁前で直立不動の体勢を取っている。では彼が今いるのはどこかといえば、
「あー、落ち着くわー。
セーフハウスシステムとか、ありがたいもんがついててよかったわ」
床には畳が八畳分敷かれ、こたつと布団と液晶テレビが置かれ、あとは何もない。壁もなく、白い空間を灰色のワイヤーフレームが水平線の彼方まで伸びている、そういう空間である。そこでゼフィルカイザーはごろごろしていた。
機械の体でも精神は疲れるということを実感したゼフィルカイザーは、森の中では危険なので試すことができなかったセーフモードを機能させた。
すると、意識が切り離されて気づくとこの空間にいたのだ。
当初は本当に何もない空間だったが、ゼフィルカイザーが意識するとオブジェクトが生成され、このような部屋模様を成している。
今の通信は液晶テレビを介して行っていたものだ。
「しかし不思議なもんだなあ、これ」
ゼフィルカイザーは自分の手を眺める。そこにあるのは青白い手だ。だがよく目を凝らせばそれはいくつものワイヤーフレームの連なりによって構築されている。手に限らず、全身がこのような状態だ。
意識すればテクスチャが自在に変わり、気合を入れればロボットのゼフィルカイザーの手にもなる。気を全力で抜くと、すぐにそれがばらけ、手のような輪郭をしたホログラムの塊になる。
この状態でも手としての感覚はあるから、自分がどのような状態なのか本気でわからなくなる。
「そもそも自分の顔なんてはっきりと覚えてないしなー」
自分の記憶を総ざらいしたが、自分の名前以外に改竄を受けていると確信できるような箇所はなかった。だが、それ以前に初めから覚えていないものは別だ。世の中、鏡を見ずに自画像を描ける人間などそうそういないだろう。その上、
「最後に鏡見たのっていつだっけか……」
こういう奴だった。結果、今の彼は無地のマネキンのような姿だった。或いは初期アバターと言ったほうが分かりやすいかもしれない。
「体のあっちこっちの突っ張り具合はそのままなんだから、外見もそのまま持ち越せてもいーだろうに……」
テクスチャは自由自在なのだが、自分が覚えていないのではどうしようもない。無理に再現しようとして変に美化したりパースが狂ったりするのも嫌であるし。
実質全裸なのだが、別に誰に見られるでもないので、当分このままで過ごすことにした。
そのまま布団に寝転がり、考える。自分は今、厳密にはどのような状態なのか。
まず自分の意識というものはある。それが電気信号的なもので、この機体にインストールされているのか。
だが、あの光るヒトガタはあくまで転生と言った。ならば魂のようなものも一緒に封入されているのか。
或いは付喪神的な何かとしてこの機体に憑依しているのかもしれない。
「まあ考えても仕方のないことではあるけどなあ。変則的にだけど夢がかなったわけだし」
夢の21世紀、とは言うものの、思い描いたほどの激変があったわけではない。二足歩行ロボは現れたが、それは人が乗るようなサイズのものではない。
なによりゼフィルカイザーもいい歳だ。人型機動兵器というものそれ自体が如何に現実性のないものかくらいは理解できていた。
できれば自分で動かしたくはあったが、こうして喋るロボットポジションに落ち着いたのもまあ悪いことではない。
「痛い目見るのはきついが、先達も通り過ぎてきた道だからな。精進あるのみだ」
と、そんなことを考えていると液晶テレビのランプが点灯した。何事かと思えばカメラが明後日の方向を向いている。慌てて通信をオンにし、
『アウェル、お前何をやっている!?』
「ああ、なんか女湯がうるさいんでさ。ちょっと見てきてくれ」
『ちょっと待て、やめ』
制止する間もなく通信端末が投擲された。
投げられた端末はそのまま弧を描いて壁を通り越し、女湯のタイルに転がった。
(あの阿呆めが……!)
内心青筋を立てながら端末が壊れていないかと不安になる。と、端末を拾い上げる手があった。そこには、
「どったのあんた」
(……誰?)
裸身をさらした、輝かしい薄紅色の髪の美女が映っていた。
「はいまず体を洗って」
「おお、泡が凄い出る。なにこれ?」
「石鹸も知らないとかどれだけ辺境に住んでたんですか……」
もっともそれも仕方ない。石鹸についてはエンホーとカルミン、ほか地元の錬金術師が研究の末に量産に成功したものだ。
この町の特産品の一つで、この一つがトメルギアまで持っていくと馬鹿みたいな値が付く。
カルミンもエンホーの弟子ではあるが賢者ではなく薬士としての弟子だ。
薬草の栽培や量の見極めなどについては天性の勘を持っており、エンホーほどではないが町の中で敬意を集めている。それに比べて自分は、と思いながら、目の前の野獣もどきを洗っていく。
ペットの世話を頼まれることもあるのでその感覚であちこちを洗ってやる。
「ちょ、くすぐったいって、ちょっと」
「はいはい手上げて、はいおろして。次は脚ね、はいがっつり開く」
拒否する間もなく洗っていく。犬猫の類を洗う時に容赦をしてはいけない。
しかし本当にどういう生活をしていたのか。擦るたびにどんどん垢が出ていく。
「はい次は髪。おとなしくしててくださいねー」
「このガキ、いいかげんに……あううううう」
わしゃわしゃと頭皮を撫でてやると途端におとなしくなる。しかし見事な髪だ。
油気からしてろくな手入れもしていないだろうにこのツヤとコシ。枝毛もろくにないなど、これはこれで女の敵ではなかろうか。
辺境であり娯楽も少ない中で、身なりに気を使うことと着飾ることはパトラネリゼにとって数少ない趣味だ。
それからすれば素材は上等なのに身だしなみどころか清潔さすら彼方に置き去ったこの娘は存在自体が許しがたい。
なのでとりあえず原石についた土くれを洗い流すくらいのつもりで洗ってやっていたのだが、
「はい、あとはお湯で流して、と。はい綺麗になりまし、た……よ……」
桶でお湯をかけて泡を洗い流してやると、そこにいたのはなんというか、別種の生き物だった。
瑞々しい肌の張りに薔薇のような輝きを放つ薄紅色の髪。
しなやかな肢体は無駄な肉などまるで感じさせず、薄い胸や引き締まってうっすら割れ目の入った腹筋もここまで来れば独特の色気を感じさせる。ある種の完成された美貌がそこにあった。
「あーもう、よくもいいようにしてくれたわねこのガキぃ……!
って、どしたのあんた」
怒り心頭と言った顔で睨み付けるも、白髪の少女は目が点になっている。そのまま自分の平たい胸やぷにぷにとした腹に手を当てて、目の前の美女と見比べて、
「間違ってる……こんなの間違ってます……!」
滂沱しながら崩れ落ちた。




