002
走る。走る。森の中をひたすらに走る。どこへ向かっているかも定かではないが、後ろから迫ってくる音から少しでも遠ざかろうと必死に足を動かす。だが森を裂きながら迫るそれは徐々に距離を詰めている。
「ああもう、だからあたしがたたっ斬ってやるって言ってるのに!」
「巻き込まれたらオレが死ぬっての!」
走って、走って、走って――走り続けたら、森が消えた。
「え?」
森が終わって、そこからは岩場になっていた。岩の隙間から草が生える程度で、見る限り向こうの峰まで木などはない。だというのに背後から迫る気配はまるで消えていない。
森から幾分か走って、大きめの岩の影に隠れる。そこで限界が来たのか、アウェルが膝をついた。
「ぜっ、ぜっ、は、は―」
汗だくになりながら息をするが、顔からは血の気が失せている。セルシアのほうは平然そうに見えるが、よく見れば膝が笑っている。そうこうしているうちに、脅威が二人の前に姿を現した。
森の木々をなぎ倒して、アウェルが恐れていたものが現れる。
最初に現れたのは手だ。三本指の手が、木々を押し分ける。その間からドラゴンが文字通り顔を出した。トカゲやヘビの頭にトサカを付けたような形状の頭部は、鋼を思わせる鱗でしっかりと覆われている。
胴は下半身に行くほど太くなっており、今しがた押し倒した木よりも太い脚が地面を踏みしめる。胴体と同程度の長さの尾が地面を打ち、そこらにあった岩を粉砕する。
背から生えた両翼が広がると、なるほど、その体格は大型の民家と同程度というだけはある。みっしりと牙の生え揃った口蓋が開き、
「ガアアアアアアアア――ッッ!!!」
威嚇なのだろうか、咆哮があたり一面を揺るがした。それに動くものは何一つない。鳥を初めとした野生動物はすでにあらかた逃げ去っており、ドラゴンが標的にしている二人のうち一人、膝をついて這いつくばっているほうに至っては肝を潰されたような表情。滴らせていた汗もあっというまに引き、顔色は青を通り越して土気色になっている。そんな中、
「――? おかしいな、あれこの前村にきたやつより――?」
ひたすら冷静に戦力分析を行うものが一人。だがそう言う彼女も、全身が小刻みにではあるが震え、背中を冷たい汗が流れている。
ドラゴン。魔物と呼ばれる生物の中でも特に別格に扱われる種類の生き物。強靭な肉体、鋼をも上回る硬度を持つ鱗、種によっては翼や甲殻を備えるものもいるという。だがそれ以上に、ドラゴンは古来から人にとって最大の脅威の一つと数えられてきた。
先ほどまでの勇ましさはなりを潜め、獲物を狙う目でドラゴンを観察する。今のセルシアの頭の中にドラゴンと戦うことそれ自体は目的として扱われていない。だがこの状況で、自分とアウェルの二人が生き残るためにはあのドラゴンを殺すしかない。それが生存のための絶対条件であると、セルシアも、そしてアウェルも判断していた。
同時に、それが万に一つの可能性もないということも。百に一つくらいは、と思ってはいたが、ああして獲物を狩るため攻撃性を露わにしているドラゴンを見てはそんな可能性も思い当たらない。まずセルシアが殺される。次に自分が殺される。
「んな顔しないのアウェル。姉ちゃんがちゃんとぶっ殺してやるからさ」
その言葉にいつもの根拠のない自信が感じられない。それが何よりもアウェルを叩きのめした。
二人の気配を嗅ぎ付けたのだろう、ドラゴンが二人のいる岩陰へとにじり寄ってくる。
まるで恐怖を長引かせるかのようにゆっくりと、しかし威圧的に。セルシアが剣を抜き、岩陰を出ようとする。その目には生き残る覚悟はあったが、逆を言えばそれ以外に何の確証もなかった。
(オレに、力があれば……ッ! 頼む、なんでもいいから、オレに姉ちゃんを守る力を――)
その祈りが通じたのか。あるいはそれとはまったく関係なかったのか。なんにせよ三者のいずれもそれに反応することはできなかった。
空を裂く帯と山脈、それに続いてもう一つ。赤い尾を引いて空を裂きながら降ってきたそれ――ドラゴンをも上回るサイズの鋼の塊に。
まず被害を受けたのはドラゴンのほう。鉄塊は狙い澄ましたかのようにドラゴンめがけて降り注ぎ、ドラゴン自身に自覚する間すら与えず轢き潰した。
次に岩場がその落着に大きく揺さぶられ、抉られる。
最後に、落着の衝撃波が岩場を伝い、森を薙ぎ払った。岩陰に隠れていた二人は辛うじて吹き飛ばされることもなく、また岩が倒れてくることもなく無事に済んだ。
「……なにこれ」
「ええっと、とりあえず、助かった、のか? あれ、は」
何の前振りもない出来事に頭が凍ったかのようなセルシアと、岩場から這い出してあたりをうかがうアウェル。
ドラゴンがいたあたりは浅いクレーターになっており、その中心に盛大に緑色の飛沫と赤黒い肉片が飛び散っている。そのさらに中心、ドラゴンを超すほどのサイズの鉄の塊が立っている。
形状は長方体。表面に左右対称の幾何学的な文様が走っており、掠れているが文字のようなものも見て取れる。
「いやほんと、なんなのよこれ……って、ちょい、アウェル!?」
何かに取りつかれたかのようにクレーターの中、塊へと向かうアウェルをセルシアも追う。
「もう、どうしたってのよあんた……うわー、えらいことになってるわねこれ。ドラゴンの肉って確か食べれないんだっけか、あーもったいない」
腹いせとばかりに原型をとどめていた目玉――ただしセルシアの頭の倍くらいある――を蹴り飛ばし、アウェルに追いつくセルシア。その時。塊に走っていた文様に光が走り、その文様に従って塊が展開しだした。そこから現れたものに、二人は息を呑む。
「魔動機?」
そう呼ばれる、魔力で稼働する人型の機械。だがごく数度だけしか見たことのないそれとは、明らかにその装いが違う。
アウェルがセルシアの父から聞いてきた魔動機のいずれともそれは異なっていた。機体のサイズこそ同じ程度ではあるが、人で例えればがっしりとしたボディは流線型の装甲に包まれている。装甲は白を基調として曇りの一点もない。ところどころに赤や青で凝らされた意匠が、その輝きをより一層際立たせる。
胸に輝く魔動機のコアとなるオーブは淡い翠の輝きを湛えており、どこか神秘的な雰囲気を醸し出している。
側面に青い突起、兜のつばにあたる部分は赤く、口の部分は白い頬当てのようなもので覆われた頭部は兜を被った騎士を思わせる。その目に、胸のオーブと同じ輝きが灯った。直立していた機体が、戸惑いを感じさせる動作で動き出す。
踏み出した左脚が塊の外に出て、先ほどセルシアが蹴り飛ばした目玉を踏みつぶした。
「こいつ、誰か乗ってるのか?」
そう呟いたアウェルと、その機体の目が合う。アウェルは、その瞬間になにか電流に撃たれるような衝撃を覚えた。
あるいはそれが運命と呼ばれるものだったのかもしれない。目線をそらさず、アウェルは機体へと尋ねた。
「お前は、いったい何だ?」
『俺は―』
機体から、抑揚を抑えた男性的な声が返される。機体はそのまま己の名を告げた。
『俺は、ゼフィルカイザーだ』
いや本当に。本気でどうしてこうなったのだと。
"ゼフィルカイザーと名乗ったそのロボット"は内心頭を抱え込んだ。