002
先日のリリエラとの戦いのあと、その日は結局丸1日あの広場に留まった。
損傷の回復に専念しなければ動くこともままならなかったので、当然の措置とも言える。翌日にはすべての損傷が回復したため、その後の道程は快調であった。
進むにつれて、道がだんだんよくなっていった事もある。そうして歩くこと2日、森が途切れた先には広大な草原と畑、その向こうには巨大な防壁が見えた。
現代日本人基準でもそれは十分に巨大と言えるものだ。8m超の自分よりも高い壁が連なっている。
『あれが町か。あのように巨大な防壁があるとは、さぞ大きな町なのだろうな』
「うちの村を除くと人が住んでる町じゃ一番南らしいぞ」
ただ、進むうちに怪訝なことが起きた。
道を歩いていくと、畑の中にいた農夫と思しき人々が一目散に逃げていくではないか。一体どういうことなのか。
『恐れられている? 一体何故だ?』
「さあ? 町のことはよくわかんないし」
途端にゼフィルカイザーを不安が襲った。考えてみればこの世界の常識などは自分はほとんど知らないのだ。
邪神を倒すことがミッションではあるが、それがどういったものなのかも不明。
この道中、アウェルやセルシアにいろいろと話を聞いてみたが、二人とも話すことが要領を得ない。というか、知らないことが多すぎる。
言ってしまえば二人とも辺境の村民以上でも以下でもないのだ。知っていることなど高々知れている。
改めてそれを認識したときゼフィルカイザーが思ったのは、この二人を町に解き放っていいものなのだろうか、という一点だ。
『一つ聞く。お前たち、金は持っているのだよな?』
「あ、うん。おっちゃんが蓄えてたのが結構あるぞ。これがどれくらいなのか知らないけど」
袋を開けて中の貨幣を見せるアウェル。出てきたのは銅貨だった。それも博物館などに置いてある不揃いな古銭そのままのものだ。
ゼフィルカイザーもさすがに日本が誇る造幣局謹製のような立派な貨幣が出てくるとは思っていなかったのでそれはいい。だが、問題はアウェルの台詞の後半である。
おっかなびっくりとした口調で、ゼフィルカイザーは次の問いを行った。
『金を使ったことってあるか?』
「ないぞ」
「ないけど」
あかん。
ゼフィルカイザーの中枢回路をその三文字が支配した。こいつらを監視無しで町に放つのは危険すぎる。
これがただの村の少年少女ならカモられてはい終わりで済む。だがアウェルはともかく、この赤髪の少女は危険だ。
(磨けば光る玉な上に、頭の程度がアレ、とどめに人外の戦闘能力)
あかん。
ゼフィルカイザーの脳裏にはかどわかされそうになって刃傷沙汰を起こすセルシア、という構図があっという間に浮かびあがった。
こうなったら町の中まで付いていくかとも思うが、道中でアウェルから聞いたことを思い出す。
アウェルも世間についてさっぱりなのは同じだが、魔動機に関することはそれなりに知悉していた。
なんでも、古式魔動機の中でも特別なものであれば機体に意志があるものがあったりするらしい。だが、ゼフィルカイザーのように明確な意思を持った魔動機が存在するなどということは聞いたこともないらしい。
無論、アウェルが知らないだけの可能性もあるが、あまり目立つと後が怖いのも確かである。
レアな機体が付け狙われる、というのは荒野をさすらうようなロボット物における宿命だ。
実際山賊だか盗賊だかの頭に目をつけられただけに、ゼフィルカイザーは警戒を強めていた。
とにかく監視の件についてはなんとかなる。
問題はこいつらと、あと町側の対応次第だ。目の前の防壁の前には他から回ってきたのか、3機のガンベルが待ち構えていた。
『そこで止まれ! 乗っている奴は降りてこい!』
門の前までやってきた白い魔動機が、槍を構えた守衛のガンベルに制される。急いで連絡を回して、ほかの門から走ってきたものだ。
白い機体は特に反抗することもなくその場で静止した。
「ちょうどいいところにいたな。パティ、あんな機体見たことあるか?」
普段は北の門にいる警備隊長がパトラネリゼに尋ねる。だが、パトラネリゼは言葉もなく首を横に振る。
パトラネリゼは賢者であると同時、ある程度の魔法も収めている。だからこそ眼前の機体の特異性にすぐに気が付いた。
魔動機は搭乗者の魔力を増幅して動くため、ただ稼働しているだけでも膨大な魔力反応を示す。だが、目の前の機体からはそれが一切感じられない。
関節部の外観などからも、この機体が魔動機のセオリーから外れたものであることは容易く理解できた。
パトラネリゼにとって正真正銘の未知の塊がそこにある。
己に予感の答えをくれる者が来たのだと、パトラネリゼはそんな確信に取りつかれるように駆け出した。
「あ、おいパティ!」
足元までやってくる。近くで見る白の機体は神々しくさえ映った。
頭がこちらを向き、翡翠のような輝きをした双眸がパトラネリゼを見つめた。
「――っ」
心奪われたかのように目を離そうとしないパトラネリゼ。
その目の前に、ソレが落ちてきた。機体から飛び降りた赤い髪のなにか。
どさり、という音に我に返ったパトラネリゼは、足元にいるそれを見た。
四つん這いの体制からこちらを見上げる金の目。それは蛇か蜥蜴を思い浮かばせた。
「ひっ、きゃああああああ!?」
驚いて後ずさる。同時にガンベルが槍を掲げて白の機体に突きつける。
『あー、こっちは抵抗する気はない。
セルシア、どーしておとなしくしてないんだよ』
「降りてこいって言ったのこいつらじゃん。
ん? どったのお嬢ちゃん」
「な、な、何なんですかあなたは!?」
後ずさって尻もちをついたまま、涙目で後のくパトラネリゼ。
四つん這いの体勢から膝の力だけで立ち上がった異形の生物は髪をかき乱しながら笑いを浮かべる。
「なにって、旅人?」
「旅人ってあなた……って、臭っ、臭いですよあなた!?
一体何してたらそんな臭いが……というかその服いったいいつから着てるんですか!?」
獣の臭いを何倍にも濃縮したような臭いが眼前の生物から漂ってくる。野獣のはらわただってここまで臭うまいと思う。
服こそ着ているがいたるところに汚れが染みつきドロドロだ。あれならただの布を巻きつけているほうがまだマシというものだろう。
「えーと、ひの、ふの、みの……大体半月くらい?」
「あなたそれでも女の子ですか!?
……ええと、女、でいいんですよ、ね?
というか人間でいいんですよね? 魔物とかでなく」
「他の何に見えるっていうのよ、まったく」
「おいパティ、大丈夫か?
もう一人、乗っている奴もさっさと降りてこい!」
追いついてきた髭面の警備隊長が、パトラネリゼを助け起こし、赤い髪の少女と、機体を伝って降りてきた茶髪の少年を睨み付ける。
ふたりともみずぼらしい恰好、一言で言えば浮浪児である。そんな者がなぜこのような魔動機に乗ってこんなところにいるのか。
「お前たちはなんだ? どこからやってきた?」
「オレらはここから南の、山の麓にある村に住んでたんだ。
そしたらドラゴンが攻めてきたんだ。
そこにこの機体が突然現れて、それでなんとかドラゴンは撃退できたんだけど」
「けど?」
「オレたちは疫病神扱いされて村から追い出されちまったんだ。
それでどうにか森の中を歩いてここまで来たんだ」
憔悴した様子で少年のほうが説明する。
「ここから南に村なんてありましたっけ?」
「あれだ。落人村があっただろ」
「あー、そういえば」
ミグノンでもめ事を起こしたものが追い出されて作った村がある、という話はパトラネリゼも聞いていた。確か行商人を介して細々とした付き合いがあるだけのはずだ。
元々この辺りまで流れてくるようなものは北で脛に傷を抱えた者が少なくない。そしてここでも馴染めないとなると、もう南へと落ちていくしかなくなるのだ。
「その、金ならある。そんなに長居はしないから、町に寄らせてくれないか」
金が入っていると思しき袋を掲げ、少年が懇願する。その様子にどうしたものかと警備隊長は顎を撫で、
「賢者様はどう思う」
横にいる自分の半分の背丈もない少女に意見を求めた。
「ええと、そうですね……見たところ嘘を言っている様子はないですし、断って暴れられても事です。
話の通りならこの魔動機は子供が乗ってドラゴンを撃退できるような力があるわけですし。
それに目と鼻の先でドラゴンが出たのなら話を聞かないわけにも行きません」
「ふむ、そうか。この機体については?」
「普通に防壁の外に留めておけばいいんじゃないかと。無人で動いたりはしないでしょうし」
「分かった。おい、そこの二人。機体は防壁の外に置いておけ、町の中には入れてやる。
ただし、騒ぎは起こすなよ。こいつを監視につけるからな。わからないことがあったらこいつに聞け」
と、少女の頭に手を乗せる警備隊長。え、という顔で隊長を見上げるが、
「お前旅人の案内もたまにやってるだろ。なに、町のためと思って頼むわ賢者様」
「うぐぐ……そう呼ばれると断れない。いいでしょう、請け負いましょうとも!
じゃあお二人とも、機体を停めたらついてきてください!」
「分かった」
「へーい。ところでどこ行くのよ」
「決まってるでしょう」
渋面に鼻をつまみながら、パトラネリゼは浮浪児二人に言い放った。
「風呂場ですよ風呂場! それと服屋!」