003
「うう……ああ……」
後部座席のアウェルがうめき声を上げている。
一口齧った直後に顔が赤くなって青くなって泡を吹いて失神したためだ。それと同時に火器管制が落ちた。
どうやら、搭乗者が乗っているだけでなく、意識を保っていないと武装関係は使えないらしい。
この森の中である。樹高はゼフィルカイザーよりも高い物が少なくなく、鬱蒼とした中に時折得体のしれない鳴き声が混じる。
ファンタジー世界なのだ、魔物、モンスターの類が襲ってこないとも限らない。
なので、ひとまずアウェルをどけてセルシアを操縦席に座らせている。
だが操縦席に座る当人はやたらと不機嫌だった。
「いくらなんでもあの味はないわ。
てか、なに? あんた毒でも盛ったわけ?」
『そのようなつもりはない。味については考慮していなかっただけだ』
淡々と説明するが、セルシアから伝わってくる怒気は並ならないものがある。
これで都合四日の付き合いになるが、この娘は竹を割った、などという比喩では追いつかないくらい割り切りがいい。良すぎる。
それが自分にとって必要かどうかが判断基準になっていて、無駄なものが一つを除いてまるでない。
父親の形見という剣にしても扱いはぞんざいなもので、一度その点を尋ねると「うちの刃物じゃ一番よく切れたし」などとブランド物の包丁のような感覚である。
その様は腹が減れば餌を求める肉食獣を思わせる。或いはそれ以上かもしれない。頭がすっぽ抜けて脊髄反射で動いているのでは、とすら思えてくる。
一方で、無駄な一つが関わると途端に人間味が出てくる。
この二人との関係を続けていくのなら、この辺りは気をつけなければならない、とゼフィルカイザーは考えた。
『というか毒見させたのはお前だろうに』
「――まあ、うん、こういうこともあるわよね」
こういうセコいダブスタを見せてくると先ほどの推察に自信が持てなくなるゼフィルカイザーである。
「てえか、進むの遅くなってない?」
『森の中を進むなどという経験はないのでな。アウェルのようにはいかん』
「あたしがやろうか?
あたし、魔力ならアウェルより断然あるし」
『私を動かすのに魔力は要らないが……どうするか』
村を出たその日の時点でアウェルがセルシアにきつく申し付けていたのだ。
「間違ってもゼフィルカイザーを動かそうとするなよ!
いいな、絶対、絶対にだぞ!」
と。嫌な予感がするが、登山経験すら皆無の自分では遅々としてすすまないのも確か。
『では、頼もうか。少し待て』
視界に出ていた【インプリンティングを行いますか】にイエスを出す。セルシアが乗り換えた当初、アウェルが初搭乗したときと同様のメッセージが出たが、【アームドジェネレーターの認証】にのみ許可を出し、残りは保留しておいたのだ。
(俺以外に動かせないってのはどうなったんだろうか。
あれか、俺が許可しないと操作できないって意味か)
アウェルの時と同様、バイザーが被せられ、操縦方法の学習が行われる。
「ほうほう。こーやって動かすのか」
『まだ待て。操作をそちらに移す』
【操作権限を委譲しますか】に許可を出し、コックピットのモニターに【You have control】のメッセージが出る。
『これでオーケーだ。では頼む』
「よっしゃ、まっかせなさい」
セルシアは意気揚々と二つの球状の操縦桿に手を置き、足元のペダルを踏み込んだ。
ところでこの後の話になるが。
操縦方法の学習機能というものがこの機体には搭載されてはいるが、ゼフィルカイザーはこの機能を過信しなくなった。
ゼフィルカイザーの好きなゲームで言えば、どのボタンを押せばゲーム内のロボットがどういう挙動をするか、それを即座に頭の中に叩き込むというだけのものである。
無論、ゲームと違い人型ロボット操縦方法などはるかに煩雑なものなのだから、マニュアルを熟読する手間を省けるというのは非常に重要だ。
だが。
マニュアル全部覚えたからといってそれでゲームがクリアできるわけではないなのだ。それはなぜか。
それをゼフィルカイザーは身を持って知ることになった。
セルシアがペダルを踏み込むと同時。嫌な音とともにゼフィルカイザーの体が地面に沈んだ。え、と見下ろした先では、自分の両足が前後に180度開脚している。
【両股関節破損】【両大腿部アクチュエーター破損】【歩行不可】とメッセージが流れ、遅れて痛みがやってきた。
『ぱぎゃあああああああああ!!!???』
合成音エフェクトのかかった声が、森の中に木霊した。
あれはいつのことだっただろうか。
二体のロボットが変形して右半身と左半身になるロボットというのがあったのだ。それのノリで他のロボットの両足を掴んで股裂きにしたらえらいことになった。
ああ、これはその罰なのだな、と。そんな益体もない、本当に益体もないことが頭に浮かび、
『……はっ』
目が覚めた。感覚としてはそういうものがある。
思い返せばこの世界に来てから意識を失ったのはこれが初めてだ。これまでは夜間も危険を考えてずっと起きていた。だが、ひょっとするとこの体でも眠気はあったのかもしれない。
今朝あたりから、人間の感覚で言うと頭に重さのようなものが感じられていた。
そう思ったあたり、股から痛みが伝わってきた。
『ぐががががが』
視界を巡らすと、【両股関節破損】【大腿部アクチュエーター破損】【歩行不可】【現在修復中】とメッセージが流れている。実質的に脚部全損である。
「起きたか?」
声のするほうへ頭を向けると、たき火の前にアウェルが座り込んでいた。
手元では木のかたまりをナイフが削っている。なにか彫り物でもしているのか。
自分がどういう状態なのかといえば、地面にうつぶせになって倒れている。
セルシアの謎操作の後、痛みの余り地面を転がりまわったあたりまでは覚えがある。あたりの木々がなぎ倒されて空き地ができているのはそのせいだろう。
「っとに、お前にも言っとくべきだったな。セルシアに絶対操縦させんなって」
『あれか。下手なのか』
「うちのディアハンター3号がその場でねじ切れたぞ。どうにか直せる範囲だったけど」
何がどうねじ切れたのかを聞く勇気はゼフィルカイザーにはなかった。
『まあ私も変なものを食べさせて悪かった』
「あー、いいわいいわ。マズくはあったけどまったく食えないもんでもなかったし。あーいう味のもんだと思えば次からは大丈夫だろ」
『そうなのか。では増産して』
「いらねーから! 積極的に食いたいもんでもねーから!」
『参考までに、どのような味だったのだ』
「苦くて酸っぱくて渋くて粉っぽくて脂っぽかったな」
『本当に済まなかった……!』
うつぶせの状態ながら頭をさらに下げて謝罪しつつ、この場に見当たらない人物のことを聞く。
『ところでその張本人はどうしたのだ。あと、お前は何をしているのだ』
「食うものがなくなったんで探しに行ったよ。
オレはまあ、ちょっと暇つぶしにな」
木のかたまりと言ってもアウェルの手に収まる程度のものだ。
慣れた手つきで木を削っていく。
『そう言えば木の模型を作っていたのだったな。得意なのか?』
「オレの趣味だよ。
うち、魔動機使って木こりやっててさ。余った木くずなんかをもらっていろいろ作ったりしてたんだ」
(まあ、あんな村じゃあ他に娯楽もなかろうしな)
ちらりと見えただけだが、アウェルの腕は相当だ。
プラモはしょっちゅう作っており、合わせ目消して塗装は日常であるゼフィルカイザーであるが、フルスクラッチはそうそうやったことがない。
まして一から模型を作るという所業は最早原型師のそれである。
『して、何を彫っているのだ。ガンベルか?』
「お前だよ、お前」
『……む?』
「いや、だからお前のことを彫ってみようかなと。
オレもまだお前のことよくわかってないけどさ、こうやって彫ったりすると少しはわかるかなって思ってさ」
『アウェル……かっこよく仕上げてくれ』
「まかせとけ」
ぐっと親指を立てるアウェル。今、ゼフィルカイザーにとってこの少年は神のごとき存在となった。即ち神職人である。
その仕事を邪魔してはいけないと思いつつも、大人としてはより気にせねばならないことがある。
『セルシアは一人で大丈夫なのか?
獣というか、その、魔物などはいないのか?』
ゼフィルカイザーはかねてから気にしていたことを口にした。
この三日間、森の中を闊歩していたが、ごく小さい動物を除けば大型の獣などは全く見ていない。ましてやファンタジー世界にありがちな魔物、モンスターといったものは気配すらない。
そもそもあのドラゴン以外にどういった魔物がいるのかすら知らないのだ。
だが、アウェルはあっけらかんとしたもので、
「まあセルシアなら大丈夫だろ。強いし」
そこには信頼というより、「あれはそういうものだから」、という認識が垣間見える。
さらに言えば、その言葉に籠っている感情はあまり前向きなものでないように思えた。
村を出て以降、常に二人と一機で行動していたためどうにも聞けなかったことを聞いてみる。
『悔しいのか』
「っ……」
アウェルの手が止まる。二人の年齢はアウェルが14、セルシアが16と言っていた。それくらいの歳で村でのあの扱いを思えば当然である。
「昔からさ。姉ちゃんに、いや、セルシアに守ってもらってばっかりでさ。
父ちゃんや母ちゃんが死んでからは余計にそうで、おっちゃんも死んじまってさ。
だからオレもしっかりしないとって思ってたのに、足かせにしかなってなくって」
『セルシアを見返したいのか』
「それもあるけど。だけどさ、なんていうかこう、もっと、同じ立場っていうのかさ。
一人前に扱ってほしいって思ってたんだ。だけど、オレにはなんの力もなくって」
半泣きになりながらの独白に、ゼフィルカイザーは一つ合点がいった。
『だから、私の頼みを聞いてくれたのか』
返された首肯に、ゼフィルカイザーは何とも言えない気持ちになる。
いくらロボット狂いとはいえ、ゼフィルカイザーは現実と空想の区別がつかない性質ではない。目の前の少年がただのキャラクターだ、などと思ったことはない。
それだけに、この状況でかけるべき言葉は慎重に選ぶべきだ、と判断した。多感な年齢である。
こういう頃に受けた経験はその後の人生を左右しがちだと、ゼフィルカイザーは諸作品から心得ていた。
(数多の意思のあるロボットたちも、こうやって悩んだりしながら友情を築いていったんだろうなあ)
こう思うあたり逆の意味で現実と空想の区別がついていないようにも思われる。
「お前に一緒に戦ってくれって言われて、それでようやくオレにしかできないことができたって思ったんだ」
(あ痛たたたたた)
アウェルの言葉がゼフィルカイザーの良心回路にクリティカルヒットした。
正直なところ、口車にのせて利用したような罪悪感があったのだ。
ロボットアニメで少年が主人公なのは定番だが、だからといってリアルでほいほいと少年を連れまわしていいのかと。
(というか、状況だけ見たら完全に未成年略取事案だよなあ……)
「セルシアはいい顔してないみたいだけどさ」
涙を拭いながらそう笑う少年に、ゼフィルカイザーも応じた。
『だな。というか、お前も少しは体を鍛えてはどうだ?
すぐとはいかなくとも、幾分かセルシアに近づけるやも――』
「あたしがどうしたって?」
いつの間にか、セルシアが戻ってきていた。その様にゼフィルカイザーはカメラアイの焦点をぶらす。何故か。両肩に巨大な鹿っぽい生き物を抱えていたのだ。
ぽい、とは言うが、脚が六本あり頭には鹿のような角、皮も足は毛が生えているが背中は甲殻で覆われ、エナメル質の光沢を放っている、と明らかに見たことがない生物である。
有体に言って虫っぽい。
だが、重要なのはそこではない。サイズがセルシア4人分はあろうかということ、そして首が途中で150度ほどねじ曲がっていること、そしてそれを軽々と抱えている少女の姿をしたなんかである。
「いやー、手ごろなコガネジカがいたもんでさ。ちょっと忍び寄って首をゴキっとね。
血が出ると犬やら狼やら集まってくるかもしんないし」
言いながら、親の形見の名剣で手際よくシカっぽい生物をバラしていく。その様を見つつ、
「アレに近づけると思うか?
いや、アレが近づけるようなもんだと思うか?」
『ああうん、済まなかった』
前言を撤回するゼフィルカイザーであった。