サービスエリアでの死闘
それでも地球は回っている――――
遥かな昔、天文学者のガリレオ・ガリレイが異端審問会にかけられ、有罪となった際に呟いた言葉だとされる。
当時の人々は、地球の周囲をぐるぐると回り続ける太陽を見て、
「俺らのために毎日毎日、朝を告げるお役目、ご苦労さん」
なんて、思っていたことだろう。
ところが、そこへしゃしゃり出てきたガリレオが、事も無げにとんでもないことを言うのだ。
「回っているのは地球の方だ」と。
そんな世迷い言が通じるはずもなく、ガリレオは異端児の烙印を押されてしまう。
事実はもちろん、回っているのは地球であったが、当時の人々にそれを知る術など無かった。
今でこそ俺たちはその事実を知っているが、それは知識として識っているだけで、目の当たりにしたその現象を自ずと理解できるわけではない。
すれ違う新幹線が共に時速100キロで走っていたとする。
しかし、乗車している者が見る光景は、相手の新幹線が時速200キロですれ違っていく姿なのだ。
どちらが動いているか。どちらがどのぐらいの速度で動いているのか。対象が一つであった場合、それはやはり誰にも分からないことだ。
そして後年、その原理に一つの仮説が加わった。それは「光の速度だけは誰から見ても一定だ」というもの。
光の早さは秒速約30万キロ。光と光とがすれ違った場合、相手の光は秒速60万キロにみえるはずだが、しかし、そうは見えない。
なぜだかお互い、秒速30万キロで離れていくようにしか見えないというのだ。
逆に、同じ方向へ進む二つの光があったとして、お互いがお互いを見たとき、相手は止まって見えるはずだろう。同じ早さで並走しているのだから。
だのに。
やはり、相手の光は秒速30万キロで自分を追い抜いてゆく。
計算……合わなくね?
そう思った物理学者のアルベルト・アインシュタインは、匙を投げ出してしまった。
「ぶっちゃけ、もうさ。光の速さは誰がどんな状態から見ても変わらないってことに決めたらいいじゃん」
光の速度は変わらない。ならば、変わるのは光速度ではなく、時空間の側だということになる。時空間が伸びるとどうなるか。
自分自身の時間が伸びる。
絶対的な時間軸の中で、自分の時間だけが伸びたらどうなるか。
周りの時間が速くなり、自分の時間は遅くなる。
俺から見た世の中は高速で流れていく。
周りから見た俺は、スローモーションで動いているように見える。
光の速度に追い付ける物質など存在しないが、もし追い付いたとしたら――――その瞬間、時は止まる。
もし、追い越したとしたら、時は巻き戻るのかもしれない。
相対性理論。
高校生のとき、さわりぐらいは習ったっけな。
「――つまり、そういうことなのか?」
「可能性の話だよ」
与島パーキングエリアまで足を運んだ俺と龍平兄貴は、この、あまりにも不可思議な光景に、お互い交わす言葉もほどほどに、ただ、辺りをキョロキョロと見やりながら歩いていた。
与島の面積はおよそ1平方キロメートル。地元の町内ってぐらいの広さか。島内を徒歩で巡ることも十分に可能だ。
ダンジョンの入口は、島の北端、観光施設の跡地にあるが、ここ与島パーキングエリアは島の南西部である。
車で瀬戸大橋を渡るなら、つい立ち寄ってしまうだろう観光スポットなので、訪れたことがある人も多いはずだ。
さて、俺たちがなぜこんなところに来たかといえば、ここには人がいるはずだから。
「駐車場はほとんど満車だな。観光バスやらもそれなりにとまってるぜ」
もちろん、人もいる。
バスから降りようとしている添乗員。建物に向かって歩いていく団体。トイレに駆け込む子供たち。
建屋に入ると、売店コーナーは人でごった返しているし、奥のレストランも盛況だ。
しかし。
「すげーな。本当にみんな、時が止まってやがる」
「でも、BGMなんかはそのまま流れてますね。さっき、停車中の車からエンジン音も聞こえてましたし」
「時が止まってるのは、人だけってことか」
どこからかリードを引きずった仔犬が走ってきて、龍平兄貴の足元に顔をすり寄せ始めた。
「ご主人様は、時が止まっちまってるからな……お前も心細いよなァ」
龍平が、よしよしと頭を撫でると、甘えたような声で小さく鳴き、そして、どこかへ走り去った。
ゲームの制作者たちは、地球の文明を遥かに超越した技術力を持っている。
俺たちが空想できるような現象など、当たり前の物理法則として再現してしまうのだろう。
人だけを選別して時を止める――――表計算ソフトでフィルタを通し、データ抽出する程度のことなのかもしれない。
「さて、どうする? 事前情報通りの現状は確認できたわな。用は済んだんだろ」
「うん……。もしかしたら、ゲーム仕様の武器屋だとか、スキル屋があるかもしれないと思ったし、モンスターみたいなのが徘徊してる可能性も警戒したんだけど……まだ、そんな事態にはなってないみたいだね」
「じゃ、戻るか」
「そうだね。付き合わせて悪かったよ、龍平さん」
「別に構わねェよ。俺にだって関わる話なんだからな」
実のところ、俺が気になっているのは、1ヶ月と言う準備期間にある。
魔王がダンジョンを作るためだけに1ヶ月もの準備期間をくれるのかと。その気になれば、ダンジョンなんて1日で完成するのに、だ。
むしろ、この1ヶ月は、ゲーム開発者にとっての準備期間ではないだろうか。
ゲームというからには、敵が“魔王”だけでは成り立たないだろう。もっと弱い敵も必要だ。新規プレイヤーのレベルが1からスタートなのだとしたら、レベル21の魔王に太刀打ちできない道理。
レベル上げ用の雑魚モンスターが必要となるのではないか。それも大量に。
「なるほどなァ。まぁ、お前の考えはたぶん当たってるんだろうよ。だがな、お前が自分で言ったように、ゲームの準備に1ヶ月かかるとしたら……まだ、こんな離島を整備するタイミングじゃぁないってことかもしれねェ」
「そうだね。期間を開けてぼちぼち視察することにするよ」
事務所に戻るか…………おっと。
自分の本拠地を“事務所”とか言っちゃってる。慣れって怖いわ。まぁ、あそこは100パー現場事務所だし、間違ってはいないんだけれども。
その時、
「……隼人、止まれ。体を動かすんじゃねェぞ……」
パントマイムのように、その場でピタリと動きを止めた兄貴が、静かに言った。
すぐに理解した俺もまた動きを止め、口だけを小さく動かす。
「敵?」
「ああ、上空を旋回しているようだ。昨日、ドリエルらが言ってた奴かもしれねぇ。一戦交えるにしても今の俺らァ、丸腰だ。ひとまずやり過ごすか……」
偵察がいるって前情報があったのに、ちょっと不用意すぎたな。いきなり魔王がやられちゃったら、皆に申し訳がない。
ただ、ここでじっとしていれば、時が止まった一般人と区別が付かないはずだ。黒目だけを動かして上空を探ってみる。
……いた。
巨大な鳥――いや、そんなちゃちなモンじゃない。太陽の光でよく見えないが、翼を広げて悠々と空を滑空するそれは、空飛ぶ爬虫類――――翼竜だ。
こえぇよ! あんなのアリ?
「よく見ると、背中に人影が跨がっているな。間違いねェ。どっかの魔王連中だぜ」
「ウチへの偵察かな?」
「そりゃそうだ。この辺じゃ魔王はお前だけなんだろ」
偵察するならまずは近場の魔王をターゲットにするよな。
となると、ここから一番近い魔王は、兵庫県神戸市の“碓井業魔”だったはず。
初っぱなから随分と大胆なことをやってくれるもんだ。凶悪犯罪者ってやつらは考え方もぶっ飛んでるのか。
そんなことを考えながら、翼竜の姿が見えなくなるのをじっと待つ。
「……そろそろ行くか」
敵の影が完全に見えなくなったことを確認し、煙草をくわえる兄貴。
「あれはヤバイな……今の俺らじゃ苦戦するかも知れねぇ。背中に乗ってた奴は、魔物(使役)のスキル持ちってことだろ? レベルだっていくつか分かんねぇしなァ」
碓井業魔本人だろうか。まぁ、どの魔王かも定かではないが。
「警戒しながら帰ろう」
プラザ施設から駐車場を横切り帰路につく。駐車場の正面には巨大な瀬戸大橋が横切っている。見上げれば、そのスケールはやはり圧巻。
「…………ん?」
見上げた橋の主塔の先端で、なにかがうごめいているように見えた。それはおもむろに両翼を広げ、飛翔した。
「やばい! 捕捉されていた!?」
それが先ほどの翼竜だと気付いたとき、相手はすでに急降下の体勢に入っていた。俺と兄貴を目掛けてほとんど垂直に迫り来る。
「後ろへ飛べ!」煙草を投げ捨て、後方へ跳躍する兄貴。
「くっ……!」兄貴に習い、後ろへ退く。
波風と共に、甲高い風切り音が響く。
そのまま突っ込んでくるのかとも思ったが、アスファルトに直撃は翼竜も御免だろう。
頭上で翼をはためかせて勢いを殺し、ふっと、上昇する。
「ギャハハハハハ! てめぇら、バレバレなんだよっ!」
くるりと旋回してこちらへ戻ってくる翼竜。その背に跨がる男が下卑た笑いを上げながら言った。
「オイ、そこの角刈り! てめぇが葉山隼人か?」
見た目は若い日本人の男だ。ビジュアル系バンドから抜け出してきたような見た目。こてこての悪人面。
「とりあえず、お前は名乗るなよ」
兄貴は、小声で俺にそう言うと、
「さぁなァ。お前は誰だ? どっかの魔王か?」
「コラ。質問してんのは俺様だろうが! ダンジョンの入口はどこだ? それ教えたら、今日のところは帰ってやってもいいぜ」
男は俺たちを見下ろしながら言う。
くそ…………ダンジョンの場所なんて教えられるかよ。それに、俺たちがここで見つかった時点で、与島に入口があることはほぼバレてしまっている。それだけでも十分に痛手だ。
どうする……闘るか? 俺だって力を得たんだ。やってやれないこともないはず。しかし、俺も兄貴も武器を持っていない。
そもそも、俺は、人を殺せるのか――――。
「ダンジョンの入口なんて教えられっかよ。さっさと帰んな、ツンツン頭」
「ギャハハハ! そうかい。じゃあ死ねや!」
って! すでに交渉決裂しとるがな!
「殺るしかねぇだろ、隼人! こいつを生かしたまま帰せば入口がバレる。温泉郷やらの計画もパーだぜ!」
ツンツン頭は、翼竜を駆り、再び上空へ舞い上がった。肩に担いだ得物は長柄のハンマーのようだ。持ち上げたそれをぶんぶんと振り回している。
あいつは、今から、アレで、俺を、殺そうと、している。リアルに。
全身にぞわりと鳥肌が波打った。
「落ち着け隼人。いいか、まずはあの得物を奪う。ハンマーは俺の得意武器だ。サポートしてくれ」
身構える兄貴を最初のターゲットに決めた翼竜は、地面すれすれに降下し、そのまま突進してきた――――速い。
長い首を水平に伸ばし、口を大きく開ける。首筋に気流の筋が見える。両翼を広げた姿は、まるで小型セスナ機かという巨体だ。
兄貴はまだ動かない。
――――やられる!
そう思った間際、兄貴は後ろに体を倒し、すれ違う翼竜の腹を蹴り上げた。
ゴッと、鈍い音がしたが効いている様子がない。
そのまま倒れこんだ兄貴は、すかさず身を起こそうとするが、足を痛めたのか動きがぎこちない。
「ちっ! 硬ってェ」
翼竜の硬質な体躯を蹴ったときに、想像以上の反動を受けたようだ。
先で急旋回し、再び襲ってくる翼竜が、けたたましい咆哮を上げる。
このままではやばい。回避も防御も間に合わない。
どうする!?
俺にできることは…………あるだろ、アレだ、時間だ。操作(時間)のスキル。
スキルはすでに使える状態なのだから、後は実践するのみ。
時間を止める――――感覚的には「止まれ~止まれ~」と念じながら、息を止める感じか。それだ。やってやる。
止まれ~止まれ~…………、
って! なんにも起きないじゃねーかよっ!
その時、舞い戻った翼竜が、鉤爪を光らせた。倒れたままの兄貴の肩口を…………抉った。深い!
「ぐあぁ……っ!」
苦悶の表情を浮かべる兄貴。傷口から、ごぽりと血がこぼれ出す。
どうすればいい、なぜ、時間が操作できない!?
もしかして、レベルが低い……のか?
止めるまでには至らない。ならば遅めることはできる? 相対的に動きを速めたり、遅めたり。
考えてる暇はないだろ!
翼竜は地面に降り立ち、足をついている。鋭い爪がアスファルトを抉る。こちらに向き直り追撃の姿勢だ。
背中に跨がる男は、
「ギャハハハハハッ! ワイバーンに敵うわけねーだろ! 身のほどをしれ、てめぇーらァァ!」
ワイバーンっていうんだな、あのモンスター。
速く……速く……もっと、速く! 自分自身に向かって強く念じる。
「ギャハ、ハ、ハ、ハァァ…………次は…………お前…………だ、ァァ…………」
――――ツンツン頭の台詞が、スローモーションで聞こえてきた。周りの大気が急によどみ、張り詰める。
俺以外の時の進みが遅くなった……あるいは、俺の時が早まったのか。
とにかく、スキルの発動に成功したと考えていい。
俺は移動術のスキルを思い出し、足先に力を籠めた。思いきり地面を蹴り、兄貴の元へ一足跳びに移動し、小脇に抱えた兄貴と共に、さらに距離をとった。
兄貴を地面に寝かせ、時間操作を解く。
「……なんだぁ? てめーら、いったい何をしやがった?」
手綱を放し、地に降り立ったツンツン頭が吠える。
ここからどうすればいい……? 兄貴は重症だ。
「時間操作を……使ったのか。まだ使えるのか、それは?」
上半身を血に染めた兄貴が訊く。
特殊なスキルなのでMPを消費するはずだが、その仕組みは分からない。若干、精神疲労に似た感覚が蓄積したような気がするが、まだいける。そう兄貴に頷いた。
「そうか……なら、それを使って翼竜を相手しといてくれ。俺は先にアイツを仕留める」
翼竜から降りたツンツン頭は、満身創痍の兄貴に向かって、ゆっくりと近づいてきている。
「でも……龍平さん、怪我が……」
「ランダムスキルから入手した“自動回復”は、徐々に傷口を癒してるぜ。格闘術スキルもあるし、アイツくらいならなんとかなりそうだ」
そう言うなり、一気に起き上がった兄貴は、男に向かって駆け出した。
突然の行動に面食らった男であったが、すぐ我に返り、ハンマーを振り回す。
「おいおいおい、死に掛けが、はしゃいでんじゃねーよっ!」
接近した兄貴を目掛けてハンマーを降り下ろす。
右にステップを踏んで初撃をかわした兄貴は、男のサイドで止まり、後ろ回し蹴りを放った。顔面を狙った上段蹴り。
男は顔を後ろに引き、紙一重でそれをかわすと、下段からハンマーを振り上げる。
「オラァァ!」
とっさにしゃがみ込みそれをかわした兄貴は、渾身の拳撃を腹に叩き込んだ。
「ぐふっ……」
クリーンヒットだ!
兄貴の追撃は止まらない。よろめく男に全身で掴みかかり、馬乗りになって顔面にパンチを見舞う。何度も、何度も。
完全に喧嘩スタイルの戦闘だが、兄貴のレベルは20。一撃一撃が重い。そして速い。
俺らが知ってる人類の喧嘩ってやつとは次元が違いすぎる。
正直、えぐい。
兄貴は大丈夫そうだ。
俺はここで兄貴の観戦をしている場合ではないのだ。
顔を上げると、非現実な化け物が俺を捕捉し、のそりのそりと歩いてくる。足をつくごとに地面が鳴る。
はっきりいって恐怖だ。これと戦う? 無理だという思いがよぎるが、対人ではないだけマシかとも思った。
時間操作という反則技を持ってはいるが、肝心の武器が無いので切り札が思い付かない。
そうだ、魔法…………属性攻撃(風)を試してみるか。
スキルの行使はイメージだ。目に見えない風を操る。腕を振りかざし、手のひらで風を起こす感覚。
大気をかき回し、いくつものかまいたちを発生させ、それを対象にぶつける。
――――巻き起これ!
翼を広げたワイバーンの胸元あたりで、大気が弾けた。
波紋のように広がる気流がさらにいくつかの渦を作り、鋭利な刃物のごとく翼竜の体躯を切り裂いてゆく。
すごい! これが魔法。今の現象は俺が引き起こしたものなんだ。
しかし、相手は大して傷を負った様子がない。血が赤色なのだとしたら、そんな色彩はどこにも確認できない。
いやいやいや、こいつ、めちゃくちゃ硬てーんじゃねーの!?
考えてみれば、兄貴は格闘術のスキル持ちだ。その兄貴の蹴りを平然と受けてぴんぴんしてんだから、そりゃ硬いに決まってる。
ワイバーンが長い首をもたげ、それを鞭のように俺に打ち出す。大きく開かれた下顎から、よだれがしたたり落ちる。
なんとかかわし、再び、かまいたちを放つ。ダメージは期待できないが、その隙に移動術を発動する。高速で背後へ回り込み、背中へ飛び乗った。
「こうなったら、やけくそだ!」
両腕で首にしがみつき、右へ左へと締め上げてみる。しかし、効果はない。
翼をつかみ、思いっきりひねり上げる。が、こちらも効果なし。
分かってる。こんな恐竜みたいな相手に肉弾戦を挑むなんて、悪手もいいところだ。
ワイバーンは体を捩り、翼をバサバサと動かし始めた。もしかして俺を乗せたまま空へ飛び上がろうとしているのか?
ちょ、それはマズイだろ。
……そうだ、翼ならば攻撃が通るんじゃないのか? 胴体の硬い皮膚と鱗には歯が立たないが、飛膜の部分は筋肉の膜構造でしかない。
「切り裂けっ!」
片側の飛膜に狙いを定め、無数のかまいたちを発生させる。
ワイバーンの翼が、見えない刃によって縦横無尽に切り裂かれ、血飛沫が舞い散る。
「やった、成功だ!」
ズタボロとまではいかないが、だらんと垂れ下げた翼は無惨に引きちぎれている。
飛翔能力を奪ったとまではいかないか――――。
苦痛の咆哮を上げるワイバーンは、身を起こし、いよいよ俺を振り落とそうとする。まるで暴れ馬――――いや、そんな甘いもんじゃない。
さすがに投げ飛ばされた俺は、アスファルトに叩きつけられるが、そのまま回転受け身をとり、なんとか踏みとどまる。
こんな身体能力を持ち合わせていた覚えはないが、レベル21の恩恵ということだ。
ワイバーンは、痛々しく破かれた翼をはためかせ、上空へ一時退却しようとしている。
「隼人――――! そいつを逃がすんじゃねぇぞ!」
その時、ワイバーンに向かって走っていく兄貴が、ハンマーを振り上げ、叫んだ。
ワイバーンがふわりと宙へ浮かんだ瞬間――俺は、時間を操作し、時を遅めた。
途端にスローモーションになる動き。
彼にとっては自身がスローになったという感覚はない。ただ、周りが急加速していくという不思議な現象に困惑しているだけ。
「――――上出来だァ!」
巨躯を目前に、人間離れした大ジャンプをかます兄貴。両手でハンマーの柄を握りしめ、狙うはワイバーンの頂頭部。
避けようとして首を捩るが、その動きはあまりにもスローだ。
兄貴の狙いがブレることはない。狙いすました鉄槌を上段から一気に振り下ろす。
ぐしゃり。
頭蓋骨にめり込むハンマーの先端。ドン、と広がる衝撃波。そのまま地面に叩き付けられた巨体は、大地を震わせた。
一度、ぴくんと身じろいだワイバーンであったが、頭蓋骨と共に脳味噌もぐちゃぐちゃなのだ。
その巨体を横たえ、二度と起き上がることはなかった。
遅れて着地した兄貴が俺に振り向き、
「危機一髪だぜ……ったくよ」にやりと笑った。
「龍平さん、あいつは…………?」
ツンツン頭の男のことだ。男のハンマーを兄貴が持っているのだから、結果を訊ねるまでもないのに。
「始末した」
予想通りの答――――そうだよな。そうするべき状況だったんだから。だから、兄貴はあいつを、殺した。
いつまでも割りきれずに、うじうじうじうじしているのは俺だけだ。大義を謳うなら、いい加減、覚悟を決めろよ――――!
戦闘に勝利したにも関わらず、浮かない顔でうつむく俺。
隣にきた兄貴が、ぽんと俺の頭に手をのせた。
「お前は正常だよ。正常だからこそ特別なんだ。覚悟なんて、考え方次第でそんな簡単に固まるもんじゃねーや。その内、分岐点ってもんにぶち当たる。その時に考えりゃいいんだョ」
兄貴――――。
「ありが…………」
……とう。
……あれ? なんだ? 意識が朦朧としてきた。頭がぼやけて、視界が滲んでゆく。
ダメージはそんなに受けてないはずなんだけど…………。
「おい、隼人?」
死ぬ、のか?
「しっかりしろ…………隼人!」
なにも考えられない…………ヤバイ。せめて事務所に戻るまで…………。
突然にやって来たまどろみの中、俺の意識はそこでぷつりと途切れた。