空が燃えた日
「ねぇねぇ見て見て!!」
帰り支度を済ませ、いざ帰らんとした時の事だ。コイツが私の方へ駆けて来て、何故か目をキラキラとさせ、窓の外を指さしてきた。
「何だ?脱走して迷子になった犬でも入ってきたのか?」
「違うよ~、まぁ其れもまた楽しそうだけど。ねぇ、空見て空!!」
「空がどうしたんだ?」
そう言って、私は空を見る。
空は赤く、夕焼け色に染まっていた。時刻は五時を少し過ぎた位で、八月であった頃はこの時間は未だ明るく、青一色の空であった。
それが現在、九月に入り季節も夏から秋へ移ってからは次第に日が暮れるのも早くなってきいる。この夕暮れの時間も私感ではあるが夏の頃よりも長く感じる。
もうこの時間では空の青さなど見る影も無く、空は僅かな青を残し、赤く彩られていた。
「ふむ、綺麗な夕焼けだな」
私は取り敢えず思った事を口にしてみる。
「うんうん。まるで空が燃えているみたいだよねっ」
えへへ、っとコイツは満面の笑みを浮かべ無邪気な子供の様に私に言ってくる。何か「ねぇ、褒めて褒めて」とでも言っているかの様なこの表情、無駄に自慢げな表情。
それはまるで――、
「はぁ……。お前、若しかしてそれが言いたいが為に態々私の事を呼び止めたのか?」
「うん、そうだよ?」
呆れた、何とも無駄な時間を過ごしてしまったのだろうか。この一分一秒が大切な時代において、この無駄な時間と言うもの大きな痛手となる事も有りうるのだ。まぁ、学生においてそうなるかどうかは分からないが。
「おい、私の先程お前によって潰された一分くらいを返してもらえないか?」
「なにその無茶振り!?時間を返すなんて無理だよ!?」
「何を諦めているんだ、諦めなければ何時かは――」
「無理だよ、努力でどうにかなるレベルを超えてるよ!?」
もう、ワンワンと吠える奴だなコイツは。
「はぁ、これだから若者は始める前から無理だ、出来ない、と勝手に決め付けたがる。何とも嘆かわしい事だ」
「分かってる!?自分で言ってるけど、自分もその若者のカテゴリーに入っているんだよ!?」
…………。
「……実は私、古代文明の遺産で、彼是数千年前に造られたロボットなんだ……」
まさか、こんな形で正体を明かす事に成ろうとは思わなかった。
「え、嘘……。嘘、だよね?」
コイツは信じられない様な、茫然とした顔でそう問いかけてくる。
「逃げないで、これが現実」
「え、でも、そんな……」
「……」
「え、何で……。ねぇ……、何時もみたいに「冗談だ」って言ってよ」
「良い方に逃げないで」
「ッ!?そ、そうなんだ……。うん、分かった。受け止めるよ、その事実」
コイツは覚悟を決めた顔で私を見つめる。
「そう、ありがとう。そう言ってもらえると、すごく嬉しい」
「うん……」
「…………」
「…………」
お互い会話が途切れる。
そして、私が先に口を開き、
「まぁ、嘘だけどね」
サラッとネタバレ。
「ですよね~」
今日も私の戯言は冴えているようで何よりだ。
「秋は夕暮れ。夕日のさして山の端いと近うなりたるに――」
私は窓から差し込む夕日を浴びながら、赤く染まる空を見上げそっと呟く。
「ん、何それ?」
「清少納言の著した枕草子の一節だよ。秋は夕暮れが一番風情がある、ってね。授業でやっただろ」
「うーん……、多分寝てたかも!!国語の時間って眠くなるんだよね!!」
「オイコラ」
「えへへ……」
外で体を動かしている方が活き活きしているコイツにとっては、机に座って長々と活字を追って、長々と呪文の様な言葉を淡々と話されては堪ったものでは無いだろう。
はぁ……、とコイツには聞こえないように静に溜息を吐く。まぁ、コイツに「寝るなよ」と言ったところで意味の無い事だ。言った次の日に、いや、言ったその次の授業には寝ている事だろう。
「ねぇ、その清少納言さんって凄く昔の人なんだよね?」
コイツが私に質問してくる。
「ああ。966年位の、平安時代に生まれた人だよ」
そして、これも授業でやった。
「へぇ、凄いね!!これって凄い事だよね!!」
コイツは何か一人で納得し、勝手に燥いでいる。
「何が凄いんだ?」
そう私が聞くと、
「だってね、凄いん事なんだよ!!昔の人も夕焼けを見て、綺麗だなって言って、今も私たちが夕焼けを見て綺麗だって言ってる。生まれた時代、生きている時代は違うのに、同じモノを見て、同じ気持ちを抱いている。それって凄い事だとだよねっ!!」
――そう思わない?
そう、コイツは聞いてくる。
私は改めて夕焼けを見る。
一体どれだけの人がこの夕焼けを見て、この様な心揺れ動くような感動を抱いてきたのだろうか。
「秋は夕暮れ……」
その言葉が私の胸に染み渡ってくる。
まだ秋も始まったばかり、この夕焼けは私たちに秋の訪れを教えてくれているのかもしれない。こんな綺麗な夕日を見せられては、誰だってふと足を止めて魅入ってしまう事だろう。
そしてこう思うはずだ、「ああ、秋だなぁ……」って。
スポーツの秋、文化の秋、食欲の秋。そして……、夕焼けの秋。秋にはいろいろな呼び方がある。
蝉も鳴りを潜め、新たに鈴虫が、蟋蟀が、螽斯が静寂な夜にその歌を重ね、合唱を始める。
夏には青く茂り、命の躍動を見せていた稲も、銀杏も、欅も、化粧をしたかのようにその様を変えてゆく。そして秋風が吹き、静に葉を、枝を揺らす。風に揺られた枝は紅葉した葉を落とし、その落ちた葉は地面を彩り、何時しか辺り一面を紅葉の世界へと変えてしまう。
そんな変わっていく季節。気が付くと色んなものが変わっていく季節。
しかし、彩っていた木々も枯れ、黄金に輝く稲も狩られ、命を散らしていく。
そんな終わっていく季節。哀愁を感じさせる季節。
「ねぇ、もう少し経ったら紅葉狩りに行こうか?」
私はコイツに提案する。
「あれ、行き成り黙って考え事を始めたと思ったら、如何してそんな考えに?それに私の質問の答えは……」
「そんなもの、忘れたよ」
「えっ、酷いよ!?何か私が勝手にいいこと言って、勝手に終わっちゃった感じじゃん!!」
「そうだよ。秋も勝手に始まって、勝手に周りを変えて、勝手に終えて行くんだ」
秋は待ってくれない。駆け足の様に通り過ぎていく癖に待ってくれない。だから私から追いついて行かなくちゃいけないんだ。
「む、なんだか特に上手い気もしないけど、良いように話を逸らされた気がする」
「良いじゃないか、秋らしくて。どこら辺が秋らしいのか言ってる私にも分からないけど。で、行くのか行かないのか?紅葉狩り」
「私としては芸術より食欲の秋なんだけど……」
「よし、ならその後に旬の幸でも食べに行こう」
「乗った!!」
ちょろいな。
「今、コイツちょろいな、とか思わなかった?」
コイツがジトッと睨んでくる。
「思ってないよ。呟いたんだ」
「変わらないよ!!」
「変わってるさ。字が」
「意味は!?」
「思う、はそうであると考える。呟く、は穏やかに話す」
「結構違ってる!?」
「だろ?」
ちょろい。
「うん。でも、言ってる雰囲気的に、あんまり言っている意味が変わらない様に思えるんだけど?」
「うん。私的には言ってること同じだし」
「あっ!!やっぱりそうだったんだ!?」
もうっ、そうやって何時も私を騙すんだから……。とコイツは頬を膨らませ、プイッとそっぽを向く。
私はその膨らんだ頬の片頬を人差し指で刺す。するとプスーッと空気の抜ける音がする。
「…………」
コイツがチラッとこちらを見るが直ぐに視線を向こうに戻す。如何やら無視する算段の様だ。
それなら此方にだって考えは有る。
私は鞄を持って「さて、帰りに〇〇通りのケーキ屋にでも寄って帰るとするかー。旬のモンブランとか美味しそうだなー」と言って教室を出た。
昇降口。
「フルーツタルトも一緒に……」
靴を履き、出ようとした時、コイツが後ろから話しかけてくる。
「分かった」
「ん……」
そして、コイツも履き替え。学校を出る。
空は、赤一色から少し変わり、仄かに紫色も混ざり始めていた。
「少し寒いね」
「まぁ秋だしな」
そう言いながら校門も後にする。
鈴虫のリーン、リーンという音が聴こえる。
「秋だね」
「秋だな」
私達はどちらからと言う訳でもなく、互いに微笑んだ。