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(四)


 10/12 PM4:22

 放課後の図書室には、男子生徒と女子生徒が一人ずつ。睦まじく並んだ一組以外、生徒の姿はなかった。

 その訳は、気を利かせて退出した者と、白楼会幹部の圧力で追い払われた者との、二手に分けられていた。

「基礎ができていらっしゃるから飲み込みが早くて。私も嬉しいですわ」

「でも、従来の九星気学とはずいぶんと違いますから、つらいものがありますよ。この白楼講は」

 驚嘆ぎみの藤井とは対照的に、騎道はさすがに滅入っていた。最高権威者のレクチャーを受けることは適ったが、肝心な理解する側の頭脳は人並なのだ。一足飛びに藤井と肩を並べられるはずもなかった。

「焦らずじっくり覚えて下されば、よいのですわ」

「いえ、人命のかかわっていることですから、そうも……」

「おやさしいのですね、騎道様は」

 明朗な藤井の態度とは裏腹に、騎道は彼女の一挙手一挙動一発言に、一々混乱していた。告白された経緯が頭から離れずに、どうもある種のモーションのように受けとれるのだ。

 やっぱり判断を誤っただろうか、とややうろたえながら窓の外を眺めると……、人が居る。一人の男子生徒が、樫の大樹にしがみついて、高そうな望遠レンズのセットされたカメラをこちらに向けて、必死の形相でのぞいているのだ。

 たしかここは、鉄筋新校舎三階のはずだが……。

 視線が合った途端、彼は「失礼しましたっ」と叫んで、猿と見違えるほど素早く降りてゆく。

「あ……。なんなんでしょうね……。あんなに大袈裟な」

 騎道には、どういうつもりかよーく判っていた。

「記者会見でもいたしましょうか?」

 涼しい顔で、藤井は提案してくれた。

「私たちの間柄は、清らかで、唯一つなぐものといったら一冊の本だけと」

「更にあおることになるかと、推測できますが」

 熱っぽい声に、務めて冷静な言葉を返した。

「それに……、いざというとき、あなたのお心が変わるかもしれませんし」

「私の心? 変わってなどおりませんわ。ただ、騎道様が望むから、隠しているだけ。それでもまだ、ご不満が?」

 水銀柱が跳ね上がるように、彼女の言葉が熱い。

「……申し上げたはずですが……。僕には、他の誰が入る余地もないと」

「そんなこと、わかっております」

 ぷんと頬を強張らせる藤井。いつもの落ち着き払った姿とは別人に、幼女のような愛らしさがにじんだ。

 騎道は天を仰ぎたくなった。

 騎道が望まない状況に、わざわざ陥れた藤井は、やりとりを楽しんでいるはずである。何かにつけて、騎道に熱い言葉を吹き掛け、戸惑うさまを眺めているはずである。

 その上、時折こうして、まるで本心であるかのように拗ねてみせる。騎道はその度に困惑させられる。

「佐倉千秋への退会礼状を、撤回なさったそうですね」

 あえてむくれた藤井に取り繕うとせず尋ねた。静かな甲に、藤井の表情は緩く解けた。

「私の関知しない所で行われたことでした。私は誰の不幸も望みませんわ。幹部の西山には、二度とこのようなことのないよう、厳しく言い渡しておきました」

「そうでしたか」

「感謝するとも、言って下さらないのですね。

 お恨みですの?」

 悲しむように、彼女は自分の指先に視線を落とした。

「何を感謝すればいいんですか? 藤井さんの何を恨めと?

 僕はそんな立場にはありませんよ」

「……そうでしたわね」

「過ちを正したあなたには、感動を覚えますが」

 なんと冷たい男だろうか。浮かびかけた寂しさを隠して、褒め言葉に無邪気に写るはずの笑みを、藤井は見せた。

 小柄だが必死に意志を貫こうとしていた佐倉千秋を、藤井は思い起こしていた。



 10/14 PM3:52

 組んだ手に顎を乗せて、駿河はぽつりとつぶやいた。

「騎道は、何を考えてるんだ?」

「え? さあ……? 騎道さん本人に聞けば、すぐにはっきりすると思いますけど……。やっぱり捜査の為じゃないかと」

 駿河が肘を付く机には、黒いシステム手帳が広げられている。開いたページは、モデルとしてのスケジュールが書き込まれているだけで、騎道と結びつけるものは何もない。

 パソコンに向かう隠岐の背後で何を思案しているのか、そろそろ隠岐も気掛かりになりはじめていた頃だった。

「……形振り構わずだ。藤井香瑠に取り入ろうなんて」

 隠岐は、駿河の苛立ちは何か迷っているせいだと悟った。

 すでに結論は駿河の中で出ていても、彼の感情がそれを認められない、複雑な焦りなのだ。

「それだけ、真剣なんでしょうね……。

 騎道さんが言う通り、放火現場で殺されかけていたなら、もう他の誰かの問題じゃありませんし」

「狙われるのが怖いなら警察に行けばいいだけだ。それができない奴ってのは、たしか他にもいた覚えがあるな……」

 隠岐はこくりとうなずいた。

「そういえば、そんな所は賀嶋さんによく似てますよね」

 駿河は焦れるように眉を寄せる。

「……ばかげてるな。稜学で四神が復活するなんて。

 二度と彩子を、あんな目にあわせたくないのに……」

 思わず隠岐は椅子から腰を浮かせていた。気に早い隠岐に、駿河はわざと渋い顔をした。

「呼ぶのは騎道だけだ。彩子には気付かれるなよ」

 とうとうGOサインを出す。藤井に操られている。それは事実だが、そんなことは、もうどうでもよかった。



 駿河と隠岐、初めてこの席に加わる騎道を含めて三人は、部屋に一つしかない机に膝を寄せた。

 机上には一冊のファイルと、記しの付いたこの街の地図。三人が視線を落とす先には、コンピューターグラフィックスのカラーコピーが二枚置かれていた。

 このCGを初めて騎道が目にしたのは、育と別れた直後、隠岐に秋津数磨を引き合わされた後のことだった。

 育との別離以後、騎道が沈んで見えると、彩子は言った。それは、別れの寂しさの為だけではなかったのだ。数磨を見送ってから、隠岐がそっと差し出した二枚のカラーコピー。描かれた事実が、騎道の気持ちを暗く陰らせていた。

「僕は初め、この事件は単純な計画的犯行だと思っていました。でも隠岐君から、育君が描いたこのCGを見せられて、それが間違いだったことに気付きました」

 マウスを使って描かれただろう、単純な一次元にCGである。幼児の手による日常のお絵かきのように、拙い線と原色の色使い。紙面には遠近感もなく、ただ二人の人物が並べられているだけだった。一本の太いグリーンの線が二人の中央に引かれ、それが辛うじて建物の境界を意味するだろうことは、三人にも読み取れていた。

「育君は、事件当夜、光輝が何者かに呼び出されたのを知っていたんです。このCGがそれを物語っています。

 光輝の殺害推定時刻は、明け方の五時半だそうです。

 母親の話しでは、新聞配達の仕事に彼女が出た後、帰宅した光輝は、目を覚ました育君と部屋で過ごすことが多かったそうです。この日もそうだとは断定できませんが、その可能性を無視することはできないんです」

「隣の自分の部屋を叩く音に、光輝は顔を出し、連れ立って出てゆく二人を加納育は目撃した……、か?」

「ええ。ただ、彼がなぜ自分で光輝を呼び出しに来たのかが、非常に不可解なんですが」

 6月26日。夜明け前の不思議な訪問者が、強く光輝の部屋のドアを叩いた。その音に、光輝は外に顔を出した。

『何? 何か俺の用? なんだ、貴様か』

 この時、光輝はすんなり求めに応じた。

『育、俺が出たら鍵掛けとけよ? カ・ギ。いいか?』

 そのまま、久瀬光輝は、このアパートに生きて帰ることはなかった。

「早朝だからと、気でも緩んだとしか思えないな。

 相手は恐らく顔見知りだな。君の話しでは、その半月ほど前に、二人は派手な乱闘をした間柄だそうだな?」

 乱闘の現場は、高級クラブの『マジェラ』だ。

「ええ。光輝は殺害現場のあの道を、帰る為に通りかかったのではなく、わざわざあそこまで連れ出されたんです」

 騎道の指は黄色の頭部をもった一人を示した。こちらが久瀬光輝を描いたつもりなのだ。

「どうして、あの場所なんですか?」

 隠岐は、疑問をはさんだ。答えたのは、駿河だった。

「この東の方位が、犯人には意味があるからさ」

 第一に南、第二は北。第三の久瀬光輝の死をもって東に、血の布陣を何者かが刻印したのだ。

「ええ。そして彼は、目撃者の口封じに乗り出した」

「それも三ヶ月も経ってから、ですよね」

 隠岐の疑問は、同時に駿河のものでもあった。

「それは、育君の周囲に居る人間が変化したから。僕が現れたから、彼は新しい手段に出たんです。

 それだけ、僕は見込まれたって事でしょうね」

 鍵を握る本人は、薄く苦笑している。

「育君は大丈夫なんですか? また狙われるかもしれないでしょう?」

「その点は問題ないよ。FISのラボの中でも、育君が入ったのは最も重要な部署だから、大丈夫」

 FISの言葉に、駿河は驚いた。FISはセキュリティシステムを核とした総合企業だが、内部は厳重に隠蔽されている。その研究所に騎道は関わりをもつという。奇妙に思うのは、駿河だけではないはずだ。

「とんでもない所にコネがあるんだな。FISといえばセキュリティシステムの大家だ」

「光輝が、一時期そこに所属していたんです。

 育君は半年もしないうちに正常な状態になって、見た通りのことを話せるようになりますよ」

「その前に、事件は解決できるんだろう?」

 意味を持たせて駿河は言った。

 駿河の中には、まだ消せない騎道への不信があった。

「そのつもりです」

 その思惑を察しているのか、端的に強い意志を示した。

「真犯人は、育君が帰ってくるという事実を知れば、ある程度の動きを見せるはずです」

「もう一人、真実を握っている人間に?」

「ええ。もう手は打ってあります」

 隠岐は、ただ黙って二人を交互に見つめた。

 駿河はからかうように。騎道は、野球の試合の打ち合わせでもしているかのように、小さく小首を傾けている。

「周到だな。君には生き延びられる公算はあるのか?」

「もちろん。なければこんな危険な真似はしません」

 口元に笑みまで浮かぶ。隠岐と駿河は沈黙した。

 話しの内容は極めて危険な企みだ。囮になろうとは。

 この余裕がどこから来るのか、いずれ突き止めたい。駿河の胸に起きたのは、そんな衝動だった。

「お二人にお願いしたいのは、彼の身辺調査です。僕では地理に暗くて不利でしょうから」

『彼』と、騎道は光輝と相対する人物に指を置いた。

 一枚が建物の中と外を描いたものであるなら、何の境界もない、ただ夜の暗い闇だけが広がるもう一枚は、戸外と見ていいだろう。

 会い向かう二人を、紅い線が数本となくつないでいた。夜の黒い背景を引き裂いて、紅い光は金色の頭部を持つ久瀬光輝の背中まで貫いている。

 騎道は、これか育が直接目撃した光景ではないだろうと語った。加納育のもつ異能者としての力が、最大の理解者として慕ってきた光輝の、断末の一瞬を視たのだ。

「はっきり言ったらどうだ? こちらには、それしかできそうな仕事がないと」

「あとのは、危険すぎますからね」

「……考えておくよ」

 拗ねる駿河に、隠岐は慌てた。ここまで来て仲違いなどごめんだった。

「でも、どうしてこれが彼だと、断定できるんです?」

 隠岐は、素朴な疑問に話しを引き戻した。

「勿論このCGだけじゃ、これが誰かわかるはずがない。育の口封じに出た人間と、同一人物だからわかるんだよ」

 答える駿河自身、騎道からの私見がなければ、育のCGに描かれた真の意味を読み取ることはできなかった。

 藤井香瑠の言葉は正しかった。騎道と手を結ばなかったなら、駿河たちの捜査は結果的に行き詰まっている。

「じゃ、なぜ放火を指示したのが彼だとわかるんです?」

 隠岐の疑問に、今度は騎道が答えた。

「火事の直後に、育君が完全に心を閉ざした理由を考えると、何らかの強いショックを受けたとしか思えなかった。

 光輝が亡くなった直後も、同じ状態だったそうです。

 育君には顔見知りの誰かに関して、衝撃を受けたり、信頼が崩れた時に、あんな状態に陥りやすいんでしょう。

 あの頃、育君と知り合っている人間は、彼と僕ぐらいのものだから、消去法で秋津統磨しか残らないんです」

「加納育は、あいつを信頼していたっていうわけか?

 殺害の瞬間を、超能力で、感じ取っているのに?」

 鋭い駿河の問いに、騎道は首を横に振った。

「育君は、見たもの感じたものと、実際的な事象を、頭の中で結び付ける能力が劣っているんです。

 その上、殺人事件の直後、原因不明の忘我状態に陥って、精神を閉ざしてしまった。これは一時的な記憶喪失のようなもので、一種の拒絶反応なんです。

 光輝の死の衝撃を、受け入れたくないという……」

「とんでもない目撃者だな……」

「妙な符号ですが、育君と統磨さんが出会ったのはこの頃だそうです。事件の数日後、アパートの前で遊んでいた育君は、通りすがりの彼に反応し、声を掛ける素振りまでしたそうです。母親の幸江さんは、育君が少しでも回復するようにと、彼に折りを見て会ってくれるよう頼んだという話しです。そのせいかどうかわかりませんが、育君は以前のように、心を開くようになったんです」

「目撃者である子供の様子を見にきて、証言能力のないことに安心したが、いつ漏らされるか不安で、喜んで見張り役を買って出て、あげく取り入った、というところか」

 痛烈な、統磨に対する皮肉だ。

「火事の恐怖感だけでは、ああならないんです。心因性の恐怖や絶望、落胆がそうさせるんです」

 騎道は、迷う色を瞳に見せた。

「考えにくいことですが、彼もある種、育君の能力を認めることで、他人から見放されていた育君を、受け入れた人間の一人だった、ということなんでしょう。

 過剰なESP訓練を強いたりと、最後には怯えさせてしまっていたけれど、育君の感性は、注目してくれる相手を、素直に受け入れたのかもしれません」

 腰の辺りから紅い光線を放つCGの中の人物。彼は、育の信頼する人物と、寄せていた信頼の二つを砕いたのだ。

「ここまで落ちぶれていたとは思ってもいなかったな……。

 猫狩事件も、あいつの『オカルティックな探究心』の産物だったから、今度のこんな事件を起す可能性もなくはなかったわけだが。

 あの家系も藤井の家と同様に、陰陽道に関わりが深いらしい。元は武家だからな、即戦略的な方向にしか扱われなかっただろうが」

「直情的な力を手に入れる為に、犯罪を肯定する心理というのは、一番手に負えませんね。罪の意識がまるでないんだから。

 でも本当に、六角白楼陣や白楼陣とか、どっちが狙いなのかまだ特定できないけど、これって、そんなに重要な影響力をもっているんですか?

 ちょっと飛躍し過ぎて、僕にはわからないな……」

 整合性のある論理が全てという隠岐の数学的頭脳には、方位学など説明されてもピンとこないのだ。

「それなりに影響力はあるんだろうと思うよ。今まで厳重に隠されてきた技だ。

 でも、たとえ成功した暁に、首謀者が何らかの恩恵を受けたとしても、その価値はまるでないはずだよ」

「……四人もの人間の命と引き換えにできるものは、この世の中にはありえない、というわけだ」

 意見の一致を見た騎道と駿河。二人は視線を合わせた。

「いい結果を期待します」

「それはこちらの台詞だ。彩子を悲しませない程度にやってくれよ」

 隠岐は牽制のやりとりを無視して、壁ぎわのロッカーを開けた。

「ひとまず、乾杯しましょーよ」

「隠岐? 何を祝えって? 何を……」

 さっさと缶コーヒーを手に、迎合する隠岐と騎道。

 のほほん、が本性の似た者同士である。ついてゆけない駿河は、孤独を噛み締めながら、頭痛を覚えていた。


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