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(一)

 9/14 PM1:13

 無用心な奴だ。生徒玄関で立ち話なんて、誰が耳をそばだてているかもしれないというのに。

「……上坂(こうさか)さんと親しかった人なんかは、かなりショックを受けたんでしょうね」

「ああ……。一番ひどかったのは、上坂と付き合ってた連城だろうな」

 昼食を終えた生徒たちが、バタバタと玄関に駆け込んでくる。靴を履き替え飛び出してゆく音があちこちで響いた。

 向かう先は、試合中のグラウンドである。

 昨日の同じ時間に、現れて二週間たらずの転入生が、初打席初ヒット、それも特大ホームランで……結果的にはランニングホーマーという記録ではあるが……学園中の注目を集めたのだ。稜明学園を席巻する草野球熱は、当分冷めそうになかった。

「恋人が居たんですか」

「恋人っていうか。生徒会の役員同士で一緒の機会が多かったから、なんとなくって感じだったな」

「連城、何ていう人ですか?」

「連城真梨だよ。F組の。上坂は生徒副会長で、連城は会計補佐なんだ。

 秋津とも中学からの付き合いで、仲は良かったな」

「秋津会長のこと、ですか?」

「上坂の事故を聞いて駆けつけた時には、真っ青な顔してたっていう話しだぜ」

「……あの冷静そうな人が……」

 さり気ない調子なので、誰も気には止めていないはずだ。尋ねられている三年生も、悪い気はしていないらしい。

 それも当然か。相手は、現在高感度急上昇中のヒーロー、昨日のホームランナーだ。

「執行部じゃ上坂は秋津の片腕だったしな。気落ちするだろうさ」

 三年F組の上坂智規(とものり)が死亡したのは、8月20日のことだった。彼は学園の北門で、不遇な交通事故にあったのだ。

 偶然『上坂』の名前を耳にしなかったなら、駿河(するが)秀一(しゅういち)はそのまま通り過ぎていた。下駄箱にもたれ、人待ち顔で耳を澄ますこともないはずだった。

 上坂の周辺を探る生徒自信も、駿河の興味を引いた。

「どうも、お引止めして……」

 二手に別れる靴音。一方は外へ向かわずに、教室へと引き返すつもりか。

駿河は、横の通路を通り過ぎる生徒を見送った。

 騎道若伴。彼は黒縁眼鏡の奥の瞳を、思案するように伏せていた。追い掛ける視線を気付きもせずに。

 手馴れたやり方だと、駿河は感心していた。

 今の駿河では、ああもうまくはいかないのだ。

 名前が売れ過ぎているというのも弊害がある。耶崎中の四神王の一人が「話しを聞きたい」と水を向けたら、誰だって事件かと身構える。元四神王は危ない事件が大好きと、知れ渡っているものだから、やりずらい話だ。

 どうしたものかと考えあぐねていたところに、騎道が目の前で思う通りのことをしてくれた。勿論、後を追う。

 騎道は北校舎に向かうつもりのようだ。三年F組は北校舎の三階にある。階段を駆け上がる騎道。

 だが、駿河の方は背後から呼び止められ、振り返った。

「飛鷹君は、もう例の事件の後遺症はいいのかい?

 先週の金曜日、関山荘の火事現場で、彼女らしい生徒をみかけたんだが」

 駿河は、驚いて秋津静磨を見返した。そんなはずはないのだ。飛鷹彩子は炎に近付いてはいけない。それは彩子本人が一番よくわかっていることだった。

「彩子が、ですか? 一人で?」

 生徒会長自身も、駿河同様不審な思いであったらしい。

「いや、騎道君も一緒だったな。火事にあったのは、彼のいたアパートだったからね。それで僕は駆けつけたんだ」

「関山荘というと、たしか無差別殺人事件の被害者の……」

「ああ。騎道君は被害者とは、旧知の仲という話しだ」

 ここでまた、騎道若伴の名が聞けるとは思ってもいなかった。駿河は秋津に礼を言いたいくらいだった。

「後遺症はまだ残っているはずです。何もなかったのなら、運が良かったんでしょう。

 会長は生徒思いですね。騎道といい、彩子といい」

『二年B組の騎道若伴さん。至急、グラウンド西南ベンチまでおいで下さい』

 校内アナウンスに、二人は沈黙した。

「少し気になってね。現場が現場だから。

 僕の考え過ぎだったな」

「彩子は同じ間違いをするような人間じゃありません。例えそんな気になっても、僕らは許さない」

 秋津は満足そうにうなずいた。

「飛鷹君を危険な目にあわせたくないと思っているのは、今この学園の中では君が一番だろうからね。耳に入れておきたかったんだ。

 こちらとしても、去年の春のような事件を再現してほしくない。頼むよ」

 階段を駆け降りてきた騎道に、二人は目を向けた。そのまま玄関を出て、グラウンド方向へと走り出す。

 揺れる背中を眺めながら、駿河は、澱のように沈んでゆく騎道への疑惑を、胸に感じていた。



 10/6 PM3:25

「お前、この間、佐田高のやつらに絡まれたんだって?」

「! ……どうして、そんなこと……?」

「昨日、俺のところに丁重な礼がきた」

「……怪我は無いみたいだから、よかったですね」

「騎道に、助けられたんだって?」

「……いきがかり上」

「なんで言わないんだ?」

「……いきがかり上、つい忘れちゃって」

「ああ、そう……」

 気のない納得の気配に、隠岐克馬は「来るぞっ!」と身構えた。キーボードを叩くリズムがどうしても乱れまくってくれる。何んて素直な僕……、と内心観念していた。

 パソコンに向かう隠岐の背後では、優雅に駿河(するが)秀一(しゅういち)がファッション雑誌などをめくっている。

 秀でた額、優しい目をしているが目尻は鋭く、知的な顔の輪郭とともに、強固な意志が整った容姿をさらに際立たせている。一瞬で視線を引く存在だ。学園内では秋津ほどの人気の実績はないが、彼は現役のグラビアモデルである。

 とはいえ、隠岐はこの美形の真実を知っている。

「便利なもんだな、いきがかりってやつも。

 俺なんか、いきがかりで無鉄砲な後輩になつかれてまとわりつかれて、しょっちゅう喧嘩の後始末はさせられて」

 左角度30度というフォトセッションではお定まりのポーズで、視線を隠岐の後頭部に突き立てた。

 鈍感というかバカ素直というか、隠岐は疑問を投げる。

「喧嘩は先輩の趣味、じゃないですかぁ……」

 抑え役の冷静沈着な駿河。の触れ込みは、四神四人が揃っていてのことだった。何しろ『四神王の理性』という肩書きも、駿河が押さえに回らなければ、どこまでも突っ走りかねない他の三人あってのことだったのだ。

 四神が崩壊した現状では、なんら固持する必要のない役柄である。よってこの一年、方々で気の向くままに売られた喧嘩を買ってきた。

「あん? 趣味がなんだって?」

 無鉄砲と抑え役という、二人の立場の歴然と逆転していた。隠岐克馬(かつま)16歳は、おかげで人格を随分と鍛えられ、とぼけ通すという術も身に着けていた。

「! やーっと、つながった」

 今朝からの苦闘に勝利のきざしが見えて、隠岐は棘まみれの会話を忘却した。愛機を愛でてやりたい心境なのだ。

「よくやるな、地道にハッキングなんか。今度は何なんだ?」

 学校に個人でパソコンツールを全て持ち込んで、使われていないからと押し切り、部室を勝手に占領する一年生というのも、かなり『よくやる』奴だったと思うのだが。彼らは居座って、すでに一年半の既成事実を作っていた。

「日本陸連のメインデータバンクです。今呼び出したのは、超高校クラスのデータで。やっぱり、すごいや……」

 駿河も画面をのぞきこんだ。

「ここ、見て下さい。こっちは僕が騎道さんのランニングホーマーを分析した数字です。計測したわけじゃないから、大雑把で多少は甘めです。なのに、これなんだよな」

「超高校クラスってことは、トップアスリート。オリンピック強化候補か」

「ええ。彼らの数値と比べても全然遜色がないんですよ。

 ランニングスピード、瞬発力。ホームランを打った瞬間の握力腕力なんかも、飛距離から逆算すればとんでもない数値になりますよ。……信じられないや」

 駿河は、感動している隠岐の頭をポンポンと押さえた。

「ただ者じゃないのはわかってるよ。考えなきゃならないのは、そいつをどう扱うかだ」

「でも、おかしいと思いません? これだけの能力をもっているのに、陸連の個人データ、大会記録全てに彼の名前はないんですよ。小学校からの記録や地方大会までブチこんであるのに、まるでない。

 いくら病気で今は何もできないとしても、それ以前にこれだけの力があるなら、なんらかの形で出ているはずです」

「騎道の過去なんかどうでもいい。今が重要なんだ。

 理由を聞かせてもらおうか? なぜ、あいつと接触したのか、騎道のあのコピーを見せたのか」

「…………」

「こっちから手招きしたようなものじゃないか、お前のやったことは。違うのか?」

 諭す内容は得心がいくことだった。隠岐は認めなければならないのだが。

「でも、彼は育くんが一番信頼していた人ですから……」

「あいつには関わるなと、言ったはずだぞ」

 第二の釘を刺される。隠岐の手が完全に止まった。

「彩子にも騎道にも、絶対に関わるな。警告はこれで最後だぞ」

 本気の声音。駿河を少し怒らせているのは確かだ。

 隠岐はぐっと顎を引いた。

「僕……、そんなの嫌だ。

 いつの間にかみんながバラバラになっていて、こんなに近くに居るのに、彩子さんと話しもできないなんて。

 僕らが一番そばに居てあげなきゃいけないんじゃないんですか?

 僕ら仲間なのに、どうしてほっとかなきゃならないのか……。先輩の言ってること、僕絶対理解できない」

 隠岐に、忘れようとしていた悔しさが込み上げてきた。

 一つは、去年の春、彩子が傷付いた日に、隠岐自身が日本に、この街に居なかったこと。もう一つは、帰国した時には、四神王と名指された仲間が消滅していたこと。分裂した本当のきっかけさえ、駿河に聞くこともできなかった。

 表面は冷静さを保っていても、駿河も傷付いているのは明白だった。一方的に関わるなと言われたら、駿河を信頼する隠岐は、その通りにしてきた。

「僕はみんなと仲良くしたいのに……」

「……楽観主義者」

 低い呟きに、隠岐は立ち上がった。

「どうとでも言って下さい。僕、全然冷静なんかなれない。現実だって見れない理想主義者で、先輩のお荷物だけど、けど……、誰が一番弱くて助けを必要としてるかくらいはわかります! これじゃ、彩子さんが可哀相だ……!」

「ご立派な理想主義者だな」

 駿河に引き止める気はなかった。最後の言葉を背に、隠岐は部屋を飛び出していった。

 一人残されて、駿河は考えにふけった。

 こんなパターンは隠岐との間では初めてだった。

 本気の喧嘩や言い合いなんて、ほとんどなかったのだ。拍子抜けするほど、隠岐は駿河に張り合おうとはしなかった。勿論、意見の食い違う議論はしたが、最後の結論は常に駿河のものだった。それは服従ではなく、優れた分析力を持つ駿河への信頼が、隠岐の根底にあったからだ。

 バカ素直で一直線で感情主義型。その上、パソコンにかじりついてばかりいるのに、人間が大好きで好奇心が人一倍な、誰に対してもこだわりなく付き合えるガキ。ガマンも大好き。隠岐は、駿河の手前だから、自分を押さえてきた。

 よくいままで我慢してきたと、ほめてやりたい気がする。

「彼、どうかしたんですか?」

 案じる声に、駿河は開いたままの戸口に目を向けた。

「別に、なんでもないよ」

 隠岐が反旗を翻した原因は、この男にある。駿河に向いていた信頼は、彼の存在によって崩壊したのだ。

 やっぱり引き止めておけばよかったと、駿河は内心焦っていた。騎道の真っ直ぐな視線に、引け目を感じてしまうのだ。



 10/6 PM3:41

「君の期待にはそえないな。残念だが」

「どうしても?」

「まず第一に、君に協力しなければならない理由がない。第二に、俺たちは協力したくない、常識で考えても、警察の真似をするようなことはしない方がいい」

 騎道の頬がほころんだ。信じ難いといった目をする。

 そう言い切る本人の方が、警察の真似をしているはずだ。

「君への忠告だよ。それ以上の意味はない」

「ああ。僕だけですか。なんだ、驚いて損をしたな」

 納得してニコリと微笑んだ。

 駿河はこの微笑に騙されるつもりはなかった。隠岐と違って、臆面通り『いい人間』などと思うわけがない。

 騎道の考え通り、駿河たちは無差別殺人事件を独自に調査した資料を確保していた。これには警察も掴んでいない事実も含まれているのだ。

 単刀直入に、騎道は資料を見せてほしいと要求してきた。

 まるでその理由を、駿河は承知であろうと読んだように、それ以上は語らなかった。

 いずれは来ると予期していた。上坂の聞き込みをしていたのが9月14日。10月に入って出向いてくるとは駿河には予想外だ。悠長なことだと、駿河は呆れていた。

「先月10日に起きた、関山荘の火事は放火でした」

「それと今度の無差別殺人事件と、どう関係があるんだ?」

 駿河は軽く受け流した。

「話しを戻します。始まりは、2月18日。尼園町で、老婦人が工事中のビルのクレーンから落下した鉄骨に触れて、重傷を負い、まもなく死亡するという事故がありました。もう一つ、8月20日。この学園の北門で、生徒会副会長上坂智規が、無人のトラックに撥ねられて事故死しました」

「だからどう関係する? その四件が」

「四件? 僕は四件も上げていませんよ。

 それとも、4月と2月の殺人事件を含めた四件。それぞれをつなぐ何かがあるんですか?」

 視線を逸らしたままの駿河。

 騎道は沈黙を破るように、隠岐の使っていた椅子を引き寄せる。長期戦か。駿河は気を取り直した。

「放火である根拠は?」

「現実に、放火犯に僕が殺されかけました。彼らの狙いは、関山荘の誰かを消すこと。だが、僕ではなかった」

「彩子はなぜ現場にいた?」

 騎道は、駿河の真剣な瞳を見返した。

「よく知ってますね、そんなこと。彼女はあの日、学園祭の実行委員会で帰宅時間が送れたんです。それで通りかかって、危ないところの僕を助けてくれたんです。

 ただの偶然でした」

 一度だけ駿河はうなずいた。ほっとしていた。

「2月から二ヶ月おきに発生した四件の事故と事件は、完全に関連があります。駿河さんの読み通りに。

 でも、偶発的な事故は何十件と、これだけの都市だから起きています。それが最大のカモフラージュになりました。

 僕でさえ、初めは見当もつきませんでした」

「何が、言いたいんだ?」

 騎道は首を振った。

「核心に入るのはもう少し後にしますよ」

 今度は騎道がはぐらかす番だった。

「『四神相応』という言葉を知っていますか? 平安京も平城京も四神相応にのっとって都造りが行われました。

『四神相応』の根底に流れているのは、五行思想です。

 この街は平安京とは規模は違いますが、理想的な『四神相応』になっています。三方を山、天雅岳の北端に竜頭川。

 四方の中心は、ほぼこの学園一帯に当たります。

 それに、四神王という言葉を簡単に使うような土地柄も興味深いですね。

 普通は、四人の守護者は四天王と呼ばれていいはずです。

 四神とは、朱雀、玄武、白虎、青龍。東西南北を守護する、『四神相応』の守護の具現です。これは五行思想がこの街に根付いている証拠になります」

 飛躍した話題を、騎道はゆっくりと核心に戻す。

「細かい例を出すと、駿河さんの玄武は水の気です。隠岐くんは土気。賀嶋さんは木気。

 五行思想では、四神四方はそれぞれ火水木土金の気をもつんです。彩子さんは南方朱雀。気は火です」

「四方なら、一つ余るな」

「金気は中央です。これには白楼講においては陽気、陰気の二つが存在すると、考えられるらしいんです。

 四方の四点を結んだ一面を平面、現世とすると、対照に陰陽金気がとられる。これが白楼講の宇宙観で、この陰陽の気の作用によって事象がおきるとされているんです」

「それで? 事件との関わりは?」

「同じ説明は、二度もいらないんじゃありませんか?」

 二人は黙してお互いを探った。どちらかが先に口をひらかなければ、この会話は成り立たない。

「四方の四点を結んだ一面の平面を『白楼陣』。これに陰陽の二点を含めた宇宙観を、白楼講では『六角白楼陣』と呼んでいる。六角白楼陣を駆使できるなら、最強の力を手に入れることが出来るとも、白楼講の極意にはあるらしい。

 どういうことを駆使したというのかは想像もつかないが」

 巨大な天空の布陣が、この街には連綿と伝えられてきた。平面と立体を組み合わせ、三次元の現実の世界を模した、精巧でメガコスミックな領域まで網羅できる力場。単純な六点ではあるが、ここでは最強と冠される。

 駿河は続けた。

「白楼講は、この街でしか伝えられていない特殊な思想らしい。奥義は藤井家にのみ伝授されているが、実際のところは、明治以降の改革で消滅しかけていたものを、藤井の当主が救済し保護し、秘儀としたにすぎない。

 といっても、もともと藤井家は公家で、そういった陰陽道には精通していたから、藤井独自の思想という可能性もなくはない。ともかく、はっきりしているのは、藤井香瑠の祖父一宗朗が奥義を統一し、現在完全に受け継いだ人間は、藤井香瑠一人であるということだ。

 他にも研究者はいるが、それほど完成されてはいない」

 読み上げるように駿河は語った。

 騎道は、駿河の背後にいる人間を察知していた。これには駿河も驚いた。だが、駿河に白楼講の全体像を告げた人物は、確信していた。騎道は底知れない存在であると。

「それを教えた人の核心はこれですね」

 騎道はポケットからコピーされた地図を取り出した。

 この街の縮図である。くっきりと二本の朱線が引かれている。一本は南北に、もう一本は短いが東西に。交差した部分に、稜明学園が存在した。

「四件の事故と事件は、四方に分布しています。

 第一の事故は南、第二の事件は北、第三の事件は東。

 第四の事故は北門で起きました。でも僕の調査では、以前はこの旧校舎である北校舎と旧講堂が南端にあたり、そこから北方面に学園の敷地が広がっていたそうですね」

 騎道は青いペンをとりあげ、地図に四角を記した。

「新校舎の建築時に、南へ造った方が工事中に生徒が他へ移動する必要がないから、という理由で今の形になったんだ。だから今の北門は昔の位置から見れば、西にあたるともいえる。君の推測通りだ」

 お互い口にする必要もないので触れはしないが、起点は学園に置かれている。

「誰かが白楼陣を形成しようとしていると、こじつけることが出来ますね」

「白楼陣がどういうものであるか、知っていればの話しだ。

 特定の四ヶ所を選ぶことは誰にだってできる」

 騎道は顔をしかめ、眼鏡に指先を当てた。

「そこなんです、問題は。白楼講は難しいらしくて。

 ここには藤井師の本は無いんですか?」

「図書室にならあるが。しかし、開いてみたが、とても頭に入れられるものじゃない」

 この点に関しては、二人の意見が一致する。

「難しいと言うわりには、独力でそこまで読むんだから大した人間だな。それとも、別の線から五行思想に辿り着いたのか?」

「駿河さんこそ、『新説九星気学 白楼講』を途中で投げ出したにしては、よくご存知ですね。講師は、あざみ姫ですか?」

 騎道はさりげなく一人の名前を口にすると、パソコンの画面をしげしげと眺めた。

「買い被りすぎですよ、このデータは。まいるな」

 ぽつぽつと騎道はキーボードを叩き始めた。

「……あんまり触らないでくれ。それに関しては、隠岐はうるさいんだ」

「駿河さん、苦手なんですか? こういうの」

 図星だ。隠岐に触るなと厳命されているのは、駿河だけなのだ。文科系頭脳の弱みだった。

「返事は、もらえないんでしょうか」

 流れる指先を、駿河はうらやみながら眺めていた。隠岐が手放しで肩を持つのも無理はないと、認めざるを得ない。

「さすがはあざみ姫が見込んだ男だな。

 さっぱり、本性が見えないのがひっかかるが」

「本性をみせなければ、ダメですか」

 騎道は駿河へ椅子を回した。

 静かな目をしている。

「君と手を組めば、捜査は早まるだろうと言われたよ」

 あざみ姫と尊称で呼ばれる女生徒は、この騎道と同じ椅子に掛けて、同じ静かな瞳で駿河に切り出した。二週間以上も前のことになる。

「藤井香瑠から、四件の事故と事件の調査を依頼された。

 君が言う白楼陣の布陣を、悪用しようとする人間がいる可能性がなくはないと。彼女なりに心配しているようだ」

 生身の人間の命と血で、巨大に印そうという布陣である。布陣者の狙いがどれほど陰惨な望みであるか、白楼講にうとい二人であっても、察することは簡単だった。

 騎道の瞳は影を帯びた。

「それ以外にも、心配はあります。この一連の事件が、白楼講の布陣と関連があると警察が行き当たれば、まず疑われるのは藤井さんとその一門になるんです。

 彼女は伝承者として、そんな危険を避ける義務があるのでしょうね」

 駿河の前に居た藤井は、そんな憂慮を微塵もうかがわせずに、物静かに語った。顔を上げ、駿河に全幅の信頼を寄せていた。その依頼は、彼女の命運もかけていたのだ。

「あざみ姫の気持ちはわかるが、君と手を組んでまでして、調査を進めたいとは思わない。君無しでも、十分にやってきたつもりだ」

「駿河さん……」

「別れる前に、一つだけ言っておきたい」

 丁寧に、駿河はおいすがるつもりの騎道を突き放す。

「彩子には関わるな。彩子をこの事件に近付けさせたら、君を許さない」

「そのつもりです。彼女をこれ以上傷付けるつもりはありません」

 きっぱりとした騎道に、駿河は肩透かしを食らった。

 騎道はやむなくと、立ち上がる。

「出直してきます。でも、この性格は直せませんので、それだけは承知して下さい」

 さばさばとした表情で言い切ると、騎道は部屋を出ていった。駿河は背中まで向けて、騎道の存在を拒絶した。

 考えるとこいつは誰かに似ていた。その誰かよりは、ずっと利口でしたたかで、極めて扱いにくい騎道。

 バカ素直な外面が、ときどき駿河でさえ本心と錯覚してしまうほどで……。思い当たった。隠岐の未来形だ……。



 部屋を出た騎道は、隠岐の目の前に立ち止まった。

 隣の部屋の壁にもたれていた隠岐は、弾かれたように体を起し、バツの悪い顔をした。

「悪かったね。僕のせいで喧嘩までさせて」

 隠岐は強く首を振った。

「黙って持ち出したのは僕です。騎道さんが気にすることありません。逆に駿河先輩に悪い印象をもたせたし……」

「おかげで役に立ったよ。いろんなことがはっきりした」

 褒め言葉に隠岐は顔を上げた。

「なんだったら、僕……」

「それは遠慮するよ。今は少し時間をおいてみる。この件は正面から駿河君と話しをつけたいんだ。これ以上、君達に亀裂を造りたくないし」

 隠岐は瞳をくるりと大きくした。

「平気です。僕がおしかけで先輩にくっついているだけですから。先輩なんて僕のこと、ただのお荷物としか思ってないし。でも僕、先輩のことやっぱり尊敬してるんです」

 騎道は隠岐の肩に手を置いた。

「お荷物は、違うと思うな」

 時計を確認する。すると、けたたましく室内からパソコンのエラー音が響き出した。騎道は肩を叩いて歩き出した。

「君の出番だろ?」

 隠岐は、顔色を変えてすぐに冷や汗をかきながら知らない顔を決め込んでいるだろう、駿河センパイの姿を想像した。

「うーん。少しほっといても、いいかなぁ?」

 にーっと、笑った。



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