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錯覚世界

「ごめんなさい。お母さん、ごめんなさい」

「いいのよ。涼子のせいじゃないわ。お母さんは大丈夫だから」

 母親の優しい言葉が少女の胸に突き刺さる。決して許されることではないのだ。それなのに暖かく包んでくれる母の愛が、少女には我慢できない位に痛かった。

 外から突き刺さる怜悧な光が暖房によって温まり、病室を柔らかく包んでいた。だが、うなだれる少女とその母親が横たわるベッドの周りは静かで暗い。それが伝染する様に、病室の中は重苦しい空気で満たされていた。

「ごめんなさい、ごめんなさい」

 謝罪の言葉が病室の中に響く。同じ病室で暮らす別の患者達は、落ち着かない様子で、意識的に親子から視線をそらしていた。病室から向けられる意識に気がつくことなく、少女は謝罪の言葉を吐き続けた。

「お母さん、ごめんなさい」

 少女が見つめる母親の体は起き上がる事ができない位にボロボロだった。それは全て少女のやった事だ。母親を傷つけようなどとは思っていなかった。

 夢から覚めると、荒れ果てた部屋の中で母親が血まみれになって倒れていた。混乱に陥りながらも記憶を手繰ると、確かに母親を傷つけた記憶があった。だが何故そんな事をしたのか分からなかった。ただ夢から覚めたら、母親が倒れていて、全て自分の手によるものだと気がついたのだ。あまりの出来事に耐え切れず少女はその場で気絶した。

「お母さん、お母さん」

「いいのよ、涼子。お母さん、大丈夫だから」

 少女の目から涙があふれた。母親を壊した自分があまりにも醜い存在に思えた。言葉を交わす事ですら母親に悪い影響を与える気がして、謝罪の言葉すら口に出せなくなった。

 お母さんの為に何かできないだろうか。少女は頭の中をぐるぐると回って、贖罪を探し求めた。頭の中をぐるぐると回り続けていくうちに、だんだんと頭が鈍くなる。

 母親、贖罪、島、自分、病室、絵本、悪魔、闘争。

 イメージが頭の中でぐるぐると回っていた。

 せめて目の前に横たわる鳩を料理してお母さんが元気になる料理を作ろう。ぐるぐると回り続けて鉛の様に重たくなった頭が、わずかなりとも贖罪になりそうな事を思い浮べた。

 ついさっき倒したばかりの鳩。なぜか草原で倒した気がするのに、今は病室のベッドの上に寝転んでいる。不思議な気がした。だが考えてみれば当たり前の事だ。怪我をしたら病院で寝ているものなのだ。

 早く料理をつくらなくちゃ。何処かに刃物はないだろうか。

 少女は辺りを見回したが、それらしいものはどこにもなかった。

「あら広瀬さん。良かったですね、娘さんがお見舞いに来てくれて」

 少女が振り向くと、笑顔を振りまく看護士が立っていた。看護士は少女が母親を傷つけた事を知らない。

 母親の怪我は表向き強盗に入られて傷つけられた事になっているからだ。少女が気絶から目を覚ますと、家の中を警察がうろつきまわっていた。警察から母親が病院で目を覚ましたと聞いて、少女は安堵するとともに、自分のしでかした罪の大きさに恐れ慄いた。周りにいる警察は自分を捕まえに来たのだと直感したのだ。

 しかし現実は違っていた。家は強盗に入られた事になっていて、少女と母親は悲劇の主人公となっていた。気丈な母親が少女を隠し、強盗から少女を守った。そんな筋書きが出来上がっていた。

 確かに部屋の中は荒れていた。母親を引きずり倒し、辺りにあるもので無茶苦茶に殴り続けたのだから荒れて当然だ。強盗が押し入ったなどと判断されたその部屋などよりもずっと、気絶する前のその部屋は確かに荒れていたはずなのだ。

 それなのに、母親の腕と共に折れ曲がった椅子の足は完全な形に戻っていた。母親めがけて引き倒した食器棚は、中の食器も割れたガラスもほぼ完全な形で元の位置に戻されていた。何よりもあれだけ完全に破壊した母親の体が、たかが数回刺されただけの、平凡な大怪我に成り下がっていた。

 少女は恐ろしかった。分からないうちに母親を傷つけた自分が理解できなかった。いつのまにか捻曲がった虚構が真実とすり替わっていた現実も理解できなかった。元々いた世界から全く知らない別の世界に放り出された様な気がした。

 看護士が鳩のいるベッドに近づいた。いつのまにか鳩のいた場所に母親が横たわっていた。

 どこからともなく、ブーンという蜂の唸り声が聞こえてきた。

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