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お正月に乾杯

 液体を注いだグラスが言った。

「今年もよろしくお願いします」


 乾杯を終えると、ちょうど年始に行われる恒例の長距離リレーがスタートしたところだった。私の父親や叔父達は大型テレビの前で酒を酌み交わしあっている。さっきまで眠そうな顔をしていた父親の顔が生き生きと輝いていた。海外から昨日の深夜に着いたばかりだから眠いだろうに、興味がある事だと眠気が吹き飛ぶようだ。ついさっき娘の私と久しぶりに会った時でも眠そうだったのに。

 といっても、私自身も海外を飛び回っている父親と久しぶりに会ったというのに、何も感じなかったのだからお互い様ではあるが。

「よぉ、久しぶり」

 綾という名のいとこがビールを片手にやってきた。

「どうも」

「元気ないなぁ。眠そうだぞ」

 快活に笑う顔はすでにアルコールで赤くなっている。普段は落ち着きのある大人びた女性なのだが、お酒が入ると人が変わった様に周囲と絡む。うっとうしい程ではないし、まして暴力を振るうわけでもないのだが、その豹変ぶりには普段自分を抑えているのだろうかといらぬ想像をしてしまう。

「実際眠いんです。日が変わるまで料理を手伝っていたので。誰かさん達がおせち料理を全部食べてしまいましたからね、綾さん」

「あはは。いやぁ、酔ってたから覚えてないなぁ」

「そうですか。残念です」

「私が覚えてるのは、クリスマスに男の子と歩いている涼ちゃんの嬉しそうな顔だけだなぁ」

「ぶっ」

 思わず口に含んでいたジュースを噴き出した。ちょうどグラスを口に当てていた事に感謝した。

「どうした?」

 噴き出した音を聞きつけて親戚達の目が私に集まっていた。

「いやー、涼ちゃんが焦ってるところなんて久しぶりに見たなぁ」

 にやにやと笑ういとこと周りに集まり始めた親戚達へ、私は必死に弁解した。すればするほど勘違いが深まる泥沼の中で、いつの間にか眠気は消え失せていた。


「今年はいい事あるかな」

「いい年にしようじゃないか」

 私は記憶を無くしていて去年の事を殆ど覚えていない。そして悪魔も生まれたばかりで去年の事は殆ど知らない。比べる年を知らぬのに、それでもこの年をより良くしようと思う。それはずれている事だと思うのに、消え失せた記憶が当たり前の事だと言っている。

 悪魔はグラスに入った透明な液体を飲みほした。悪魔の手元を見ると飲み干されたはずのグラスには、すでになみなみと液体が注がれていた。

 私も悪魔に倣って飲み干した。美味しかったが、今まで飲んだ事のない未知の味がした。甘さとも辛さとも塩辛さとも酸っぱさとも違う、気持ちに直接働きかけてくるような不思議な飲み物だった。手元を見るとすでにグラス一杯に注がれていた。こぼれそうになったので、グラスに口をつけて少しだけ啜る。さっき飲んだものとは違った味がした。火照った体を冷ます冷たい美味しさだった。

 そういえば冬だというのに、部屋の中はとても温かい。見回しても暖房器具は見当たらない。

「ここは冬なのに暖かいね。これも悪魔の力?」

「ん? そうだな。そういう事にしておこう」

「何それ」

「人の進歩を悪魔と呼ぶならそうなんじゃないかな」

 悪魔の指さす先には旧式の石油ストーブが赤く輝いていた。間違いなく先ほどまでそこにはなかったものだ。

「また物を増やしたね」

 始めはまっ白で埋め尽くされていた部屋が今は家具が林立していた。起きる度に家具が増えていく様は面白くもあった。なぜかテレビが二つある辺りに悪魔の適当さがうかがえる。

「君が次に起きた時には片づけておくよ」

 悪魔はそういったが、きっと私が次に起きた時は更に増えているのだろう。

 大きなタンスで隠れてしまった扉に目を向ける。この部屋でたった一つの出入り口がふさがっている。その事実はもう二度とここから出られない事を暗示している様な気がした。とはいっても、記憶がないからなのか、あるいは悪魔という話し相手がいるからなのか、この部屋に囲まれた閉塞感を不幸だとは思わない。外の様子は気になるが、中の暮らしも悪くはないと思っている。

 今は見る事ができないが、扉は周囲の壁と全く同じ色で、遠目には突き出たノブだけが微かに判別できた。近くで見ると扉と壁の境目がうっすらと見えたが、それでも気を抜くと分からなくなってしまう位、壁に溶け込んでいた。

 扉には鍵がかかっていたが、鍵を開閉するためのつまみも鍵穴は見当たらなかった。その時はそれが当たり前だと思っていたけど、よく考えればおかしな話だ。鍵穴が見当たらないのに鍵がかかっているという事は、鍵穴は向こう側についているのだろう。内側につまみも鍵穴もなくて、外側からだけ鍵をかけられるならそれはまるで牢屋の様ではないか。

 かつて、私がその疑問を悪魔にぶつけると、悪魔はここは牢屋ではないと言った。ここは君に悪意を持つ者が君を閉じ込める為に造った場所ではないと言った。悪魔は嘘をつかない。だからそれは本当の事なのだろう。だとしたら一体この部屋はなんなのだろう。一体だれが私を閉じ込めたのだろう。

 その時は眠気でそれ以上思考する事が出来なかったが、今ならできる。私は扉を指さして悪魔に言った。

「ねえ、悪魔ならさ、あの扉の鍵を開けてくれない?」

「そんな事はできないね」

 あっさりと断られてしまった。何故開けてくれないのだろう。もしかして悪魔が私の事を閉じ込めているのだろか。

「どうして? 悪魔なら簡単な事でしょう?」

 悪魔は嗤った。

「いやいや、確かに悪魔はなんでもできるけど、同時に何もできないのさ。僕は主人の願いに縛られている。主人の望みに反した事は逆立ちしたってできないのさ」

 ますます分からない。主人の願いを聞くのなら、今すぐ開けてくれたらいいのに。

「あなたの主人は私でしょ。私は今外に出たいって思ってるんだけど」

「本当にそうかな? まあ、なんにせよ、僕の主人は君じゃない。僕の主人は僕を生み出した存在なんだよ」

「あんた私の事を造物主だって」

「確かにそうさ。君は僕を生み出した。でもその時の心は記憶と一緒に無くした。その心がないと僕は君の願いを聞く事が出来ないのさ」

 悪魔は嗤った。とても悲しそうに嗤っていた。

「融通の利かない悪魔ね」

「しょうがない。そういうものなんだ」

 悪魔の姿がぶれた。

 分からない。分からない。

「ねぇ、扉の向こうには何があるの? 知ってるんでしょ?」

「何があると思う?」

「んー、洞窟?」

「はずれ」

「古いお城?」

「金属で囲まれたこの部屋を見てそんな事がいえる?」

「実は扉の向こうに全く同じ部屋があるとか?」

「映画の見すぎじゃないかな?」

「あんたみたいな人形見てたらそんな考えにもなるわよ」

 分からないから、意識が遠のく。

「ふぅ、もっと色々とヒントがあるだろうに。おっと、また寝てしまったか」

 ここは一体どこだろう。私は一体誰だろう。

「でも眠りに入る周期は安定してきた。もう少しで」

 分からないってなんだろう。


 乾杯を終えて私はカップに入った水をなめた。ほのかな甘みが口の中に広がった。カップに入っているのは、ただの水のはずなのに。喉が渇いていたからだろうか。おいしいを甘いと勘違いしたのかもしれない。あるいはこの島の水は本当に甘いのではないだろうか。ここの水は澄んでいるから。私の事を笑ったりしないのだし。

 対面の相手はまだ飲んでいない。カップには波一つ立っていない水で満たされている。お気に召さなかったのだろうか。

「水は御嫌ですか?」

 返事はなかった。キラキラとした玉は黙ったままキラキラと輝いている。

 他の飲み物があればよかったのだが、あいにくとここは文明の届かない森の中。近くに電灯の点いた店はないし、私に野生の植物から飲み物を採る技術はない。

 キラキラとした玉はキラキラと黙っている。思い返してみれば、会った時から喋っているところを見た事がない。無口な性格なのか。はたまた私に関心がないのだろうか。

 とはいえ、その静寂は私にとって心地よかった。他の物達の様に私の事を笑う事無く、静かにそこに在る。きっと前の持ち主がとても透明な人だったのだろう。どんな人なのかは分からない。名前すら分からない。けれど透明な人なのだから、きっと透明な名前なのだろう。

 カップの液体をあおる。懐かしい気持ちになった。確かこんな風に誰かと新年を祝ったはずだ。一体誰だったか。学習機能を持った人形だったか。豚の人形じみた悪魔だったか。医者を目指す幼馴染だったか。戦争で死んだ家族だったか。魔王にさらわれた姫だったか。魔術を極めんとして挫折した魔術師だったか。同じサークルの女の子だったか。娘を殺した妻だったか。実験で生まれたもう一人の私だったか。

 ああ、誰だったのだろう。沢山の人が思い浮かぶのに、誰一人として見覚えがない。私が一緒に新年を祝ったのは、確か俺があの時一緒にいたのは、あたしがあの時救えなかったのは。

 あれは誰だ。

 混乱が極みに達した時、突如右手が発光した。気がつくと大きな顎に挟まれていた。

 痛みは感じなかった。ただ噛まれたという事実に驚いて、ようやく思い出す事が出来た。

「お前……悪の怪人だな? そうだろう。そうに違いない!」

 右手に魔力を集中させて、目の前で見開かれた眼窩に突っ込んだ。

 そうだ、俺は社会を惑わす悪の怪人共を殺さなくちゃいけないんだ。

 何を迷っていたのだろう。いや、迷うのは仕方がない。それは子供の頃に憧れた戦士達が必ず通っていた宿命じゃないか。

 口が開いて体が地面に投げ出された。胸に大きな穴が開き、右腕が取れていたが、傷はふさがり始めている。左腕は動く。何も問題はない。

 顔をあげると巨大なトカゲがそこにいた。間違いなく悪の怪人だ。人の形をしていないので、もしかしたら変身しているのかもしれない。

 俺は即座に懐から有毒ガスの詰まった箱を取り出して、唸り声をあげている耳障りな口に投げ入れた。くぐもった爆音がトカゲの腹から響いた。

 すぐ横をトカゲの大きな尻尾が叩いた。その風圧によって横合いに吹き飛ばされる。

 立ち上がると、トカゲが口から煙を出しながら暴れまわっていた。

 このままトカゲは死ぬだろう。そう判断してトカゲと大きく距離をとった。

「嫌だ……嫌だ……嫌だ!」

 気がつくと足が震えていた。

 何を逃げているんだ。いや、何を迷っていたんだ。僕だけにしかできないんだ。僕がやらないといけないんだ。例えどんなやつが相手でも。

 そうだ、早く目の前の敵を殺さなくちゃ。そうしないと皆が。

 僕の体が軽やかに舞った。ただの高校生だとは思えない跳躍力でトカゲとの距離を詰めていた。

 不思議と体が勝手に動く。まるでずっと昔からそうしてきたかの様に。意識を集中して、突き出す両手で、僕は思いっきりトカゲの腹を突きあげた。

 ぶつりという音がして視界が暗転した。視神経が切れた音だと気付いたのは、次の番になってからだった。

 何を迷っていたんだ、私は……。

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