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重なる歌声

 目が覚めた。

 残響する歌声は遠く彼方へ消え失せた。


「あれ?」

 気がつくと自転車の前で固まっていた。今自分が何をしようとしていたのかとっさに思い出せなくなっていた。空は夕焼けに染まっている。服は制服を着ていた。下校途中だろうか。辺りを見回すと、場所はスーパーの自転車置き場だった。通学路からはやや離れている。手には買い物袋を持っていて、中には醤油が入っていた。どうやら醤油が切れていたので買い出しを命じられたというところだろうか。

 そこまで考えが及んだ途端、はっきりと現状を思い出す事ができた。ああ、そうだった。母親に買い物を頼まれたのだ。早く帰らなければ夕飯に間に合わなくなってしまう。

 急いで自転車にまたがろうとした時、唐突に肩を叩かれた。振り向くと、幼馴染のシュウが立っていた。

「よう、涼子もおつかいか?」

「まあね。あんたも?」

 右手を見ると醤油の入った袋を提げている。あまり恰好のつく立ち姿ではない。お互い様ではあるが。

 お互いの庶民臭さに呆れていると、シュウがじっと黙ったままこちらを見つめている事に気付いた。まさか私の恰好を馬鹿にしているのか?

「何? アホらしい恰好はお互い様だからね」

「ん? あ、いや、大丈夫かなと思って」

「はぁ?」

「いや、最近よくぼーっとしてるから。この前も風邪ひいたみたいだし」

 やけに深刻な顔で聞いてくるので思わず噴き出した。

「何真剣になってんの? ちょっと疲れてるだけだから。風邪だって寝たら治ったしね」

「そ、そっか」

 そう言って、シュウは頭を掻きながら微笑した。その表情はどこかぎこちない。おかしいのはむしろシュウの方だろう。最近やけに絡んでくる割にどこかよそよそしい態度なのだ。最初は何か企んでいるのかと思ったが、その様子もない。まさか私に惚れたのかとも考えたが、かつて私はこいつに手ひどく振られたのでそんな事はありえない。他に可能性があるとすれば。

「まさかあんた病気?」

「は? いや違うけど」

 違ったらしい。こちらの健康をしょっちゅう気遣ってくるので、実は聞いてくる当人が病気なのかと思ったのだが。

「まあ、それならいいんだけど」

 自分の想像が外れた事に安堵する。憎らしいとはいえ、一応幼馴染だ。健康であってくれる事にこしたことはない。

 安堵すると同時に当初の目的を思い出した。私は自転車にまたがってシュウに尋ねる。

「私は夕飯までに醤油持って帰らなきゃいけないからもう行くけど、あんたはどうすんの?」

「あ、俺も帰るよ」

 シュウが慌てて自転車にまたがるのを見て、私は漕ぎだした。すぐに追い付いてくるだろう。

「待てよ」

 案の定すぐさま追い付いてきたシュウと、家を目指して並んで帰る。帰り道の途中では二人とも一言も話さなかった。最近では当たり前になった光景だ。向こうから声をかけられて一緒に帰るのだが、その途中で向こうは一切話さないのだ。こちらから話を向けても、短い返事が返ってくるだけで会話が続かない。

 シュウの顔を盗み見ると、いつも通り眉間に皺を寄せ、頬を赤らめている。険しい表情は悩んでいる様に、赤い頬は恥ずかしがっている様に見えるのだが、合わせてみると怒っている様に見える。私達の親が二人の中が悪い事を気にして、シュウに命じていやいや私と帰らせているのかもしれない。

 そんな事を思っていると、いつの間にか家の前まで来ていた。ブレーキをかけて家の前で止まる。なぜかシュウも同じ様にして私の家の前で止まった。シュウの家はもう一つ先なのだが。

 何だろうと横にいるシュウに目を向ける。夕焼けに染まって陰影のはっきりした顔がこちらを見つめていた。お互いの目が合うと、今まで黙っていたシュウが突然声をあげた。

「なあ、涼子」

 振り絞る様な声だった。ついに私と帰る事に我慢の限界が来たのだろうか。

「何?」

 振り返ると、真顔のシュウが立っていた。表情からは何を考えているのか読む事が出来ない。

 シュウの口が開く。まだ何か迷っている様子で、なかなか言葉に繋がらなかった。背中を押してやろうかとこちらも口を開いたとき、シュウの口から予想外の言葉が飛び出した。

「クリスマス、空いてるか?」

 思いもかけない言葉に開いた口がふさがらない状態が数秒続いた。

「空いてるけど」

 やっとの事でそれだけ言うと、それを聞いたシュウは嬉しそうにポケットの中から二枚の紙を取り出した。

「たまたま友達から二枚もらったんだけどいかないか? 涼子好きだったろ?」

 クリスマスライブのチケットだった。私も予約していたが抽選に外れて諦めていたものだ。相当な人気のはずだが、譲ってもらったというのはどういう事だろう。

 見るとそのチケットは、くしゃくしゃになっていた。まさかずっとポケットに入れていたのだろうか。よれ具合を見ると一日二日でつく様な皺ではない。

 どういった経緯で手に入れたのだろうか。しばらく考えていたが、やがてやめた。ちょうど行きたかったライブなのだ。今はこの幸運を噛みしめるべきだろう。

「いいけど」

 途端にシュウは輝く様な笑顔を私に向けてきた。そこまで喜ばれるとさすがに気恥しい。

「ありがとな! これ渡しとくから!」

 言うなり、私にチケットを渡し、驚く様な勢いで自分の家の中に駆け込んでいった。

 独り取り残され、手渡されたチケットを見た。なぜあんなにも喜んでいたのだろう。もしかして一人で行くのが恥ずかしかったのだろうか。それにしても他に行く相手がいると思うのだが。

 隣家の玄関を見ながら、思わず呟いた。

「あいつ彼女いないのか?」

 ドヴォルザークが定時の歌を唄っていた。


 悪魔がその黒い体を赤く着飾っていた。

「何? サンタクロース?」

「その通り! ところで知っているかな? この赤と白を基調にしたサンタのイメージは、飲料メーカーの宣伝によって出来上がった事を!」

「聞いたことあるよ。ただ、あんたの恰好がサンタクロースだって分かったのは、その服装じゃなくて後ろのクリスマスツリーが見えたからだから」

「…………」

 後ろを振り向いて肩を落とす悪魔の様子を無視して、私は尋ねた。

「今日はクリスマスなの?」

 日付の感覚は無くなっていた。

「いや、イブだよ」

「そっか」

 今日が何月何日か。そんなことすら分かっていないのか。薄々気づいてはいたが。

「私は記憶喪失なのかな?」

「以前の事を思い出せるかい?」

 過去を思い出そうとすると、あやふやなイメージが去来するだけで、何一つとしてはっきりとは思い出せなかった。

「思い出せない」

「そうだろうね」

 沈黙が降りた。

 悪魔は私を気遣う様に七面鳥を捧げ持った。

「そんな事よりパーティーを楽しもう。料理はしっかりと用意してある。残念ながら君と僕の二人だけだが、今日は精いっぱい楽しもうじゃないか」

 二人だけのクリスマスか。懐かしい思いが胸を満たした。忘れてしまった記憶が私に語りかけているのかもしれない。

 ふと気付く。

「そういえば、他の人達はどうしたの?」

 悪魔が黙った。

「どうしたの?」

「まるでここに昔誰かがいた様な口ぶりだね」

「ここには確かに沢山の人が……」

 いくら考えても確証が得られそうな記憶は思い出せなかった。

「無理して思い出す必要はないよ。いずれ時が解決するさ」

 ずきりと頭が痛んだ。

「慌てて先に進む必要はない。今ここに君を害する人はいないんだ」

 気がつくと目に涙が溢れていた。

「君は今、安らぎを感じているだろう」

 視界が段々と暗くなる。

「だから思い出さなくていいんだ」

 悪魔の歌声がゆっくりと私の中に滲み渡っていった。


 暗闇が囁きかけてくる中で、笑う地図を頼りに遺跡外の店を探していた。もう何度道を間違えたか分からない。その度に馬鹿笑いをする地図が私の苛立ちを助長する。

 五分でつくはずの道のりを一時間近く彷徨って、ようやく目的の店を見つけた。露店が並ぶ広場をイメージしていたが、そこには現代的なスーパーが胸を張っていた。

 入口にはスーツを着こなしたボーイと垢で粗末な服を着た山賊がにやにやと全く同じ表情で立っていた。あまり良い気分ではない。

 冷やかな目をした自動ドアを抜けると、赤色の絨毯が合唱していた。陳列された商品達は思い思いの言葉で冒険者達にすり寄っている。その媚びる様には、入り口で感じたよりも更に強い不快感を催した。

 この前会った冒険者から、買った方がよいと言われた商品を探す。皮肉気に口を吊った看板が目当ての商品を教えてくれた。

 商品の前に立つと、ざわめきが一層強まった。うるさいので適当に手に取ってレジに持っていった。

 レジに並ぶ他の冒険者は籠に商品を入れていた。確かに入口の脇に籠が積み重ねられていた。少しだけ損をした気分になったが、籠達が一様に陰気な話を囁いているのを見て考えが変わった。使わなくて良かったと心の底から思った。

 レジを済ませて外に出ると、入る時に立っていたにやけ面の二人がいなくなっていた。店員だと思っていたが、冒険者だったのかもしれない。

 店の外に広がる森の中で仄明かりが漂っていた。ふとクリスマスという単語が閃いた。そういえば明日はクリスマスイブだ。みんなその準備をしているのだろうか。

 私も二人でライブに出かけるんだ。そう考えると嬉しくなった。あの人と行けるからだろう。なぜだろう、さっきまで何とも思っていなかったのに。今では──の事が…………誰だ? 誰の事だ? おかしいな。何か辻褄が合わない。そもそも明日何に行くといった? 明日は遺跡に潜って……変だ。辻褄が合わない。

 頭が痛くなった。誰かに助けてほしい。

 助けを求めて周りに視線を走らせた。木々が笑っていた。土が笑っていた。石が笑っていた。雲が笑っていた。空が笑っていた。月が笑っていた。みんな私の事を笑っていた。

 私だけ除けものなのだろうか。そんな不安が心を満たした。そう思うと涙が込み上げてきた。涙も笑っていた。

 心が張り裂けそうになって走った。笑う森を抜けると湖が湛えられていた。湖も笑っていた。

 絶望的な孤独感が私を襲う。よろよろと湖に近づくと、みんなの笑い声が高まった。湖に顔が映った。その顔は笑っていなかった。


 見つけた。私以外の笑っていない人を見つけた。死人の様に青白い男性が湖に映っていた。

 嘲笑の歌声が響く中で、私と彼だけが笑う事無くそこにいた。

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