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求める神は今いずこ

 支配の利かない体を捨てて意識だけで少女は身構えた。女は動けない少女へゆっくりと近づいて、傍を漂っていた悪魔を掴み取った。

 掴まれた悪魔は指で圧されて形を変えながら、自分の主人である少女の傍を離れていった。


 女は掴んだ悪魔と顔を突き合わせて、その眼をじっと覗き込んだ。

 唾を呑む音が悪魔の耳に届いた。自分の主人が鳴らしたのだろう。

 自分に注がれる主人の視線、主人が浮かべる緊張を思うと愉快な気分になった。

 離れがたいものは誰にでもあるものだ。


 己を顧みない悪魔を一頻り覗き込んだ女は、悪魔を大きく放り投げた。

 投げられた悪魔は手を離れた瞬間からふよふよと漂い、少女の元へと帰っていった。


「お帰り、悪魔」

「只今、御主人」


 ほんの僅かなやり取りに幾億の感情が込められている。

 夢想家はそんな風に思うかもしれない。真実のところは本人達にも分からない。

 それ以上の言葉を接がずに、二人の視線は互いを離れて女へと向いた。


 女は相も変わらず作り物じみた笑みを浮かべていたが、疑問を持っている様だった。

 と言うのも、頭を肩へと傾け、微かな唸り声を発している。かなり露骨な疑問の仕種だ。

 この記号は演じ手が疑念を周囲に示す為に使われる。だから誰もがそれを疑問符と受け取るが、その仕種は概ね疑問に因らない。


「あなたは悪魔さんなのね?」

「その通りですよ。外郭のみを語るなら私は悪魔と言っていい」

「つまり月とは関係ない訳ね?」

「おや、月から来る悪魔もいるはずでは?」

「でも、あなたはその悪魔ではないのよね?」


 それでは望みの結果ではない。

 実験の失敗を確信した女は笑っている。


「なら、良いわ」


 女が少女へ指を差し伸べ、下にずらした。

 破裂音がして、少女の持つ人形が一回り小さくなった。肌もプラスチックから布に変わっていた。


「ん?」


 人形が顔に手を当てた。

 それから一本の糸で作られた眉を捻じ曲げた。


「私、何か変になっていない?」


 悪魔はふよふよと少女の周りを漂っている。


「いや、別に」

「あ、そう? 何か背が低いんだけど」

「まあ、背と言うか何と言うかだけど。とにかく普通の人形だよ」

「あ、そう。なら良いんだけど」


 月夜の校庭に白い光が生まれた。

 女の取り出した端末が白く月光を塗りつぶしていた。


「それで、涼子ちゃん、どうだったかしら?」


 端末を操作し終えた女が涼子に問いかけた。

 その言葉を合図に涼子が崩れ落ちた。


「ふぎゅん」


 潰された人形から声が上がった。


「ああ、御免なさい。言ってなかったわね。これから毒を抜くから気を付けてって」


「涼子!」


 起き上がろうとした涼子にようやく動ける様になった修也が駆け寄って手を差し伸べた。


「ああ、シュウ。どうなってるの?」

「あまり状況は変化してない。とにかく逃げた方が良い」


 涼子が起き上がると、人形も解放されて浮き上がった。


「まさか人形になるとは」

「まあまあ、他人の体よりは良いだろう」

「この体になったのにほとんど衝撃を受けてない自分が怖い」

「まあまあ、これも教育の賜物という事で」

「洗脳じゃなくて?」

「じゃなくて」


 空気が震えた。

 女が指を鳴らした音だった。

 立ち去ろうとする二人と話し合う二つ、四筋の視線が女へと注がれる。


「それで、涼子ちゃん、あちらの世界はどうだった? 何か見た?」


 涼子の顔が不快に染まった。

 ほとんど覚えていない。だが、何か嫌な世界だった気がする。

 それに一つだけ憶えている事がある。


「あなたが望んでいる様なものじゃありません。あれは私達の事なんか見てないし、私達の言葉を聞く気も無い。そもそもあなたが考えてる様な存在じゃない」


 何の事を言っているのか。喋っている涼子にすら分からない。

 意識の中で繰り返し思っていた言葉。それだけだ。


 女は笑っている。


「どんなものだったのか憶えていません。どんな世界だったかも覚えていません。何を見たのかも、何を感じたのかも。あなたが何を考えているのかも、何をしようとしているのかも。でも、なんとなくだけど分かります。あれはあなたが求めているものじゃない」


「そう。分かったわ。ありがとう」


 女は尚も笑っていた。

 涼子の言葉を信じたのか、切り捨てたのかも分からない。

 ただ、月の光に照らされて笑っていた。


「何でもいいんだけどさ、結局あの人は何がしたいわけ? 魔法陣があったし、魔術の実験? それの生贄にあの女の子を使おうとしたの?」


 人形が悪魔を叩く手を止めて訊ねた。

 修也が女を睨みながら答えた。


「あの人は別の世界の存在を呼ぼうとしたんです」

「ああ、そういう系」

「違うわ。神を呼び出して世界を救おうとしているのよ」

「うん、分かった。お腹一杯」

「何も分かってない! 誰も、誰一人、分かろうとしない!」


 突然語気を荒げた女に慄いて、人形は悪魔の後ろに回り込み、その背を思いっきり押し飛ばした。


「そういうのは悪魔とやって下さい。悪魔好きでしょ? そういうの」


 女の怒気で場が熱せられていく。

 このままでは過熱していき、女は爆発するだろう。


 悪魔は人形を見た。

 自分が招いた未知を恐れて不安げに漂っている。


 しばし思案してから悪魔は流れを止める為に口を開いた。


「世界を救う。それは構わないが、その為にあの女の子を犠牲にするのかい? 世界を救う為に別の世界を」

「体に別の意識を宿らせるだけ。今と何も変わらないでしょう? 終われば帰って来られる様にするわ」


 シュウは涼子を見た。

 見てきた世界に当てられたのか、震えている。


 一切の思案無く、シュウもまた糸口を見つける為に口を開いた。


「でもそれは間違っていた。実験は失敗だった。そうでしょう?」

「ええ、どうやらこの方法じゃいけないみたいね。でも別の方法はまだあるわ」


「それもまた人を犠牲にするものかい?」

「ええ、次のは完全にその通りよ。一つを犠牲にして無数を救う。数の多寡で自分を正当化する気は無いわ。ただ私はその為に生きてきた。それだけよ」


「何故こんな事を? あなたの考える救われた世界って何なんだ」

「こんな病気の無い世界。そこで震える涼子ちゃんや、人形になってしまったカーヤちゃん、そんな治す手立ても無く、朽ち果てるまで好奇に弄ばれ続ける月齢病患者達。世界の誰にも解決出来ない難題に苦しめられる。解けもしないのに難題を捏ね繰り回す愚か者達に弄られ続ける。そんなのって悲しいでしょう。だからその根本原因を、世界の向こう側で嘲笑う神を呼べばその解決策が見つかるはず」


「うーん、いまいち納得し辛いね。その原因を打ち倒せば病気が治るって事かい?」

「違う。その原因である神を顕在化すれば世界はその存在に気付く。この世界とは別の世界がある事に、この世界の操り主が居る事に。そうすれば研究は一気に進むわ。今のまま漫然と見える物だけを考察する世界は一変する。だから向こうがどんな世界でどんな存在だろうと関係ない。ただこちらに引き寄せられればそれで良い」


「別の世界を認識する新しい世界。原始があり、科学を加え、魔術を知った世界に続く第四の世界を望む。あなたの論文通りな訳ですね」

「私でなく、教授のよ」


「だったらその論文とやらを大々的に発表すればいいだろう。何、初速はとてもゆっくりに見えるだろうが、その実、凄まじい速度で動くものだよ、世の中というのは」

「変わらなかったわ! 誰一人まともに扱おうとしなかった! みんな馬鹿にするばかり!」


「それでも分かりません。何故あなたは論文を実行しようとしたんですか?」

「世界を救いたいのよ。おかしいかしら?」


「世界を救うねぇ。本気でそう思っているかは疑問だね」

「……そう、かもしれないわね。でも、私はそう思っていたい」


「そうしなければ、あなたに申し訳が立たないと?」

「…………」

「それが死んでしまったあなたへの手向けだと?」


「ああ、なるほど」

「え、ごめん、私分かってない。どういう事?」

「私も良く呑み込めてないんだけど。シュウ、どういう事?」


「あの人の体は既に死んでるんだよ。涼子と同じ病気でかろうじて意識が宿っているけど」

「私と同じ?」

「そう、別の意識が入れ替わりながら体を操ってる。死体だって動けるのは、涼子がいつも見ている夢で知ってるだろ? きっと入れ替わっている事が気付かれない様に徹底的に演技しているんだ」


「意識が入れ替わる? ほう、そんな現象があるとは面白い。だから主人はあの女の子の体に乗り移れたんだね」

「じゃあ、私の体が人形に乗り移ったのも」

「いや、それは君の力だと思う」


 女は俯いていた。顔は隠れて窺えない。

 月が照らすのは彼女の口だけ。

 それはどこかで見た光景。

 女の口は笑っている。

 泣いている様にも見える。


 青く澄んだ校庭は確かに静止していた。

 動く事を忘れ、息をする事すら憚っていた。

 静止した校庭いるのは月に照らされた黒だけだ。


 やがて女の口から風が漏れた。

 風に押されて時間が回る。

 再び言葉が躍り出す。


「……そうね。私の体には五つの意識が入れ替わっているわ。これはヨーロッパの文献に散在する月齢病という病気。昔は、今人形の中にいるカーヤちゃんが発症していたわ」


「へー、そうなんだー」

「いや、君は本人なんだからさ」

「そうは言われてもねぇ。私も意識が入れ替わってたの?」


「いいえ、月齢病はただ月に関係している以外に表面上の関係は無いの。あなたの周りにいる研究員達も全く着目していなかったわ。私と教授以外は」


「じゃあじゃあ、私はどんな病気だったの?」

「あなたの症状は物体に概念を付与出来た。あらゆる物質を変質させる病気だったわ」


 絵本の狂気がそこにあった。

 吐き気を催す宴がそこにあった。

 それを彼等は笑って見ていた。

 嬉しそうに眺めていた。

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