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唐突に始まる終焉の秋

 お願い。助けて、シュウ。

 お願いだから。


 桜が舞い、燦々とした熱気がこもり、赤い葉に囲まれる、雪の敷かれた校庭に、私はいた。

 赤く暗く世界は闇に閉ざされようとしている。


 だだっ広い校庭に座って、無人の校舎を仰ぎ見ていると、不思議な気分になってくる。

 世界にいるのは二人だけ。そう勘違いしてしまいそうになる偉容。

 窓越しに見える廊下には誰も歩いていない。いつもなら沢山の人が歩いているのに。

 誰もいない校舎は何か見えない氷で閉ざされてしまった様な拒絶感を放っている。

 私のいる校庭も同じだ。

 しんと静まる冷たい空気が私の事を閉ざしている。


 私を取り巻くように、地面に描かれた二重同心円。円と円の間には蛇の様な模様がのたうっている。

 円も蛇も陽炎の様に揺らめいていた。


 手を伸ばせば触れられるかも。

 そう思って、地面に描かれた線に触れようとするのだが、何故だか触れる事が出来ない。

 すり抜けるのでも、届かないのでもない。

 触れているのに、触れていない。私とは別世界の存在の様に、触れても触れても、どうしても触れているという気がしない。

 感触が無いのでも、見えない訳でもない。

 私はそれに触れられない。


 夕暮れが終わる。

 校舎の窓という窓に照らされた空は、その赤焼けを黒く塗って隠そうとしている。


 月が見えていた。

 十五個の月が校舎の三階のガラスに一つずつ映っていた。


「さて、準備は整った」


 女が言った。

 薄く笑って私の顔を覗き込みながら、嬉しそうに私を撫でている。


「これから世界に証明する。そして私は世界を救う。安心なさい。あなたの病気も治してあげる」


 女の瞳が私の視界一杯に映っている。

 女の眼には私の顔。私の顔は女の眼を見つめている。


「夜が来る。月が満ちる」


 女が歌う様に言った。

 私は女の言葉に続けて、口を開いた。


 世界は戻る。始まりの世界へ。

 未だ光の無い混沌の世界へ。

 月の光は夜を薄め、世界の秩序が淡く輝く。

 月の夜に境界は消えて、原初と今が交差する。


 なんと言っているかは分からない。

 空気の震えだけが真実を物語っている。


 足が土を踏み染む音。

 土の中から私の足へ。

 空を伝わり私の耳へ。


「不思議」

「理由は分かっているはずです」


 その声が全てを呼び覚ました。

 全てが破れ、夜気に包まれた世界が、冷たく私の肌を突き刺していた。


 私は思わず振り返った。

 パジャマ姿のシュウがこちらへと歩いてきていた。

 病院から抜け出してきたのだろう。

 何より傷の具合が気になった。


 私の視線を受けて、シュウは笑った。


「傷なら大丈夫。そんなに深くなかったし」

「大丈夫なの?」

「大丈夫。涼子のおかげで助かった」


 良く分からない。

 心に淡く湧いた照れた気分が、なんとなく居心地を悪くさせた。


「失敗したわ」

「むしろ好都合なんじゃありませんか? 勿論、それも含めて阻止するつもりですけど」


 私の頭上を会話が飛んだ。

 意味は分からないが、どちらからも敵意が漏れ出ている。


「幾らなんでも鋭すぎるわ、シュウ君。これが終わったら研究させてちょうだい」

「あなたが涼子から手を退くのなら」

「邪魔はしないでね? 涼子ちゃんの病気を治せるのは私しかいないわよ」

「あなたがやろうとしている事は見過ごせないでしょう。涼子の病気よりも大事な物がある」

「あら、王子様の言葉とは思えないわね。お姫様が泣いちゃうわよ」

「なっ」


 シュウの顔が驚きに凍りついた。

 気が付くと、私の首にはナイフが当てられていた。

 尖った熱が、首に走った。


「邪魔はしないでね、王子様」


 首から流れる血が女の指先で拭い取られた。

 続いて、私の頭の後ろで、何かをしゃぶる音がした。


 私の血を舐めている?

 気味の悪さが頭の後ろから首筋へと電流の様に走った。


「別にいいじゃない。死ぬわけじゃないんだから。あなたが邪魔をするなら、死んじゃうのよ。邪魔をする、しない。どちらを選択すればいいかは、分かるわよね?」


 シュウは固まっている。

 凍りついた様に。

 夜気は寒いのだ。


「ねえ、涼子ちゃん」


 私の耳朶を女の吐息が撫でつけてきた。

 肌が泡立ち、顔が逃げる。

 逃げる私の顔を抱きとめて、女の口が私の耳に寄った。


 シュウを見ると、何か懇願する様な目をこちらに向けていた。


「今の話、分かったかしら?」


 低く、低く、辛うじて聞き取れるささやきが私の耳へと入ってきた。

 嫌いだ。この女が嫌いだ。

 私の心が反抗の念に満たされた。

 分かる訳がない。


「全く」

「そう、ならいいわ。説明してあげましょう」


 聞いてやるものか。女の全てを私は否定してやる。


「シュウ君の事だからちゃんと聞かなきゃ駄目よ?」


 私の思考が一瞬空白になり。


「どういう事です」

「簡単に言うとね。シュウ君はあなたの病気を治したくないのよ」

「そんな訳無い」

「いい? あなたはシュウ君に頼り過ぎよ。今起こっている事は特に大変な事。あなたも苦しいでしょうけど、支える人にとっても重荷になる。さっきだって、シュウ君あなたの病気を治す事なんかよりももっと大事な事があるって言ってたでしょ」


 確かにそんな事を言っていた気も……する。

 言って、いた、はずだ。

 私は見捨てられた?


「あなたがシュウ君を頼れば頼る程、あなたはシュウ君の重荷になっていく。あなたはどんどん嫌われていく。そんなの嫌よね?」

「嫌だ、嫌」


 嫌だ。そんなの嫌だ。


「あなたはそこを動いちゃ駄目」


 突然、女が大きな声を出した。

 私の首筋に再び冷たいナイフの感触が当たった。

 それが何故だかシュウの気持ちの様な気がした。


 嫌だ。


 再びささやきが私の中へ。


「あなたがシュウ君に頼ってしまうのは病気だから。そうでしょ? ね、だから私に協力して。うまくいけば、今夜で病気が治る。そうすれば、あなたがシュウ君に嫌われる事も無くなるわよ」


 嫌われたくない。

 私が頷くと、女が笑った。


「涼子!」


 シュウの叫び声が聞こえる。

 嫌だ。嫌わないで。


「良かったわ。あなたの病気を治すにはどうしてもあなたの同意が必要だったの」


 私の腕の中に古びた人形が落ちた。

 前に古びた人形店で見た、古びた西洋人形。


「こんにちは」


 人形は掠れた声でそう言った。


「それをしっかり持っていて」


 女は私から離れると、波打つ円の縁にノートパソコンを置いて、キーを叩いた。


「さて、術式スタートっと」

「やめろ!」


 女がシュウの声に合わせて回った。

 体の回転に遅れて振り上げた足も回る。

 足はシュウへと吸い込まれ、鈍い音がして、女に飛びかかろうとしていたシュウの体が折れ曲がって、そのまま地面へと叩きつけられた。


「男の子は強くないと。女の事を守れないわよ」


 女は笑って、シュウの口を開いて、右手の親指でシュウの口内を押し込んだ。

 力が抜けて、倒れ伏したシュウを尻目に、女はゆっくりとこちらを観察し始めた。


 女とシュウのやり取りに気を取られている間に、地面に描かれた模様の脈動が一層速く激しくなっていた。

 蛇の様にも、縄の様にも見える、のたうつ何かを、挟み込む様にして円が大きく小さく、不規則にその大きさを変えている。


 突然、空気が耳の奥を揺さぶった。

 頭がふらついて、視界が揺れる。

 ぼんやりと頭上に十五の月。けれど、月はただ一つ。満月が夜空を穿つ様に一つだけ浮かんでいる。


 空気が揺らいで、少しずつ周りが見えなくなっていった。

 円を境に世界は隔絶して、私はただ一人の世界で、揺れている。


 病気を治したいわよね?

 これが病気と何の関係があるのか。

 全く分からないが、とにかく私は病気を治したい。


 決意と共に世界は更に激しく揺さぶられていく。

 私の中に人が見えた。

 沢山の人が私の中に居る。

 年齢も性別もその姿も違う。沢山の人々の中に私が居る。


 私の中に沢山の人の中に私の中に沢山の人の中に──


 その先に世界があった。混沌とした世界が私達の事を見つめていた。

 彼等は私達に特別何かをしてこない。ほんの時たま、その気まぐれが私達の世界を変えていくだけだ。


 彼等の指から伸びる糸が私達の体に絡みついている?

 決してそんな事は無い。

 あなたは間違っている。

 彼等はこちらに来る事は無いし、彼等に期待をしてもしょうがない。


 溢れ出る思考が私をひたしていた。

 一先ず私はここに居よう。

 後はあの人に任せよう。



 光が収束していった。

 その収束が最愛の者を消してしまう。そんな気がして、少年の焦りが増していった。


 けれど体が動かない。

 女に歯を押された瞬間から体が思う様に動かなくなっていた。

 きっと流れが堰き止められたのだ。

 逸る心とは反対に体は遅々としか動かない。


 光が完全に消え去ると、そこには少女が立っていた。涼子だ。無事だったのか。

 加えて、豚の様な生き物がその傍らに浮いていた。


「これが神?」


 珍しく困惑した女の声が聞こえた。


 予定外の事なのだろうか?

 少年には今の状況が良い状況なのか、悪い状況なのかも分からない。

 戸惑う二人ん前で、涼子の体と豚の様な生き物が会話し始める。


「ここが外? これが覚悟のいる世界?」

「僕にもなんだか分からないよ。予想してたのと大きく違うな」

「見た事はある気がするんだけど……ふふ」

「なんだい急に笑ったりして」

「ううん、なんだか外に来たなって。ほら月が出てるよ」

「なんだい月が見たかったなら言ってくれれば、出したのに」

「あのねぇ、そういう事じゃないんだけど」


 全員が頭上に浮かぶ月を見た。

 黄色く輝く満月が泰然と青い光を地上へと降り注いでいる。

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