独りで立てないお姫様
「あら、お早う。涼子ちゃん」
いつものカフェに駆ける道中で後ろから突然声をかけられた。
振り返らずとも分かる。病気の解明をする為に一刻も早く会いたかった相手だ。
逸る心に駆り立てられて、息せききって駆けていた途中だった。どうしてここに居るのかは分からないが、とにかく会えた事は幸運としか言いようがない。
感謝してもしきれない。
しかしそれでも、この女だけは好きになれない。何だろう。細かい点を見れば、腹の立つ点は挙げられる。けれど、ここまで嫌う由来は無い様に思う。
病気に関わっていそうな気配や私を破滅させる悪寒も感じるが、それだって特に根拠がある訳ではない。
何故だか全く分からない。けれど、とにかく私はこの女が大嫌いだ。
殺意を覚えながら振り返ると、年を考えずに手をひらひらと振る女がいた。
淡いブラウンのショールにうっすらと色のついたロングスカート。全身をふわりと浮きあがる様な布地に身を包んだ姿は、どこかお嬢様然としていて、いつもと様子が違う。
服装以外に女の外見はいつもと変わる所がないのに、何故だが女が別人になった様な気がした。
徹底的に変わった雰囲気は決して好ましい方向へではなく、それはいつもの退廃的な雰囲気よりもよほど、不吉な何かを予感させるたたずまいだった。
「あらあら、どうしたの、黙っちゃって。ま、いいわ。そんな事より、何処かに行きましょう。ここは寒いものね」
女が急に私の手を取って来た。
思わず振り払うと、女は微笑みを深くした。
「ふふ、さ、行きましょう」
女が背を向けて、何処かへ歩きだした。
私は操られる様に、その背を追って歩き出した。
てっきり駅前のカフェに行くのかと思っていたが、着いたのはいつもとは違う店だった。
コンクリートをどこからかくり抜いてきたような、灰色の立方体だ。看板も何も無く、入り口だけがぽっかりと四角く切り取られ、ガラス戸が嵌め込まれている。
どこまでも無機質で何か人を寄せ付けないような外観だ。住宅街にぽつんと立つ様は周囲から忘れ去られてしまった様な寂しさがあった。
ガラスの向こうを覗き込むと輝くオレンジの照明が灯っていた。辛うじて人を呼び寄せようとしている。そんな健気さを感じた。
周りとの協調はなく、この建物自体もちぐはぐで、白昼夢でも見ている様な気分だった。
いや、そうであって欲しいと私が思っているだけかもしれない。全てが夢であってほしいと。
「どうしたの? 立ち止まって」
女について中に入ると、外観に反して中は砂利が敷かれ、木塀に仕切られた日本風のレストランだった。意外にも先客が多かった。
女は勝手に開いていた席に座り、私もそれに倣って座った。
私服の中年男が水を持ってきた。メニューも何も渡さずに、そのまま去っていった。
「この店は注文を取らないの。勝手にメニューが運ばれてきて、値段はお客が決める。面白いでしょ」
私は適当に頷いておいたが、内心どうでも良かった。
とにかく病気の事を女から引き出さねばならない。それだけを考えていた。
シュウが入院した事を知られるのは避けたかった。そこから導かれる結論を恐れていた。
とにかくこの病気を治してしまえばいいんだ。その為にこの女からどうにかして病気の事を引き出して自分で解決する様にしないと。
大丈夫。シュウに相談する事は出来なくなってしまったけど、まだあの島には沢山の相談相手がいる。ここでの情報を持っていけば、きっと答えが出るはず。原因もきっとあの島にあるんだから。