狂いに気づかぬ狂い者
「ウーム、馬と鹿……馬と鹿」
青天、炊事に勤しむ広場を高台に登って見下ろす死体があった。
瘋癲の様に唸りながら、揺れささめく敷き草を足先で掘り起こしていた。
あくせくと働く下界の人々は誰一人として死体に見つめられている事に気を向けない。
高台に立つ死体など瑣末として切り捨て、勢いの増した炎や今まさに切り刻まれんとする野草に掛かりきっていた。
「ねぇ、さっきからウマシカウマシカ悩んでるけど何を悩んでるの?」
今の今まで悩んでいた死体がそんな事を言った。
まさに狂癲している。見た者がいれば間違いなくそう思ったであろう。
死体にとっては幸いな事に、その場は死体ただ一人。聞いていた者はその中に宿る意識、僅か数十の意識だけだった。
「何故ウマシカなのだろう?
は?
さっき倒した敵は私の世界に居る馬と鹿の混合物であった。自然とその様な生命が生まれるには偶然に過ぎる。つまり何者かが恣意的に作ったのであろう。
まあ、そうかもしれねえな」
定まらない眼球、血の気の無い肌、半開きの口から空気が吹き出される事は無く、鼻の下に生えた髭は微動だにしない。
けれどどこからか声が聞こえてくる。自分自身と話し続けている。
「ならば何故馬と鹿なのだろう。馬と鹿、組み合わせる益が思いつかない。農業、狩猟、牧畜、工業、芸術、神話、戦争、政治、観賞、易経、科学、文学、哲学、冗談、どんな側面から眺めても、馬と鹿である必要性がまるで感じられない。
んな難しく考えなくても、ただ馬鹿と掛けただけだろう。
知能の程を笑う事と一体何の関係がある。
いや、そうじゃなくて馬鹿って言葉が馬と鹿で出来てるからだろ」
表情一つ変えず、口先一つ動かさず、自分と向き合い、自分と語り続けている。
ただ人が立っているだけなのに、ただただ不気味で不快なオブジェに成り果てている。
それが演劇ならば良くある一人語り、何もおかしい事はない。
それが絵画であれば、枠組みにはまり静止していれば、枠の外に人がいるかもしれない、誰かと話しているだけかもしれない、一目見ただけでその異常さに気付かない。
ただ動かない肉人形が涼やかな自然の中心に立ち、その周りから声が聞こえてくるだけなのに、何故そこからは不気味さだけが滲み出ているのか。
あるいは自然の中で笑っていたのなら、あるいは人ごみで虚空をにらみつけていたのなら、それは不気味であっても、何処か滑稽さを纏っているのに。
「待て待て、もしかしたら馬鹿という言葉が無い世界なのかもしれない。
ふうん、言っている事が分からない。きっと私の世界には無い概念なのだな。
馬鹿っていうのは、昔冬路国という国の悪い王様が鹿を連れてきて、家来に向かって、これは馬だ、お前達は何に見えるって言ったのね。それで王様に従う家来は馬ですって言うんだけど、正直に、鹿だって答えた家来もいたわけ。鹿って答えた人は王様に従わない人として殺されちゃうの。そこから権力を恐れて嘘を言う人の事を馬鹿って言う様になって、今は意味が変わって、頭の悪い人を馬鹿って言う様になったの。
そういう事だったのか。そんな歴史は私の世界に無いな。つまり、あのウマシカを作った者は君の世界の者なのだろうな。
おい、国の名前が違うし、王様じゃないぞ。
そもそも馬鹿の成り立ちはそんなんじゃないでしょ。
その話は聞いた事無いけど、馬鹿って言う言葉はこっちの世界にもあるよ」
不快感だけが死体の中から染み出している。普段と全く変わらない光景が、死体と共に映っているだけで、薄気味悪く変質していた。
死体から発せられる気味の悪さの出所を探るなら、それはどの経路を辿るにしても、ゆくゆくは違和という焦点で一つにまとまるはずだ。
思い描く光景と違う。その違和感が不気味さを手招いている。
「意外と同じ様な世界なんだよね、ウチら。
でも少しずつ違っているんだね。
話が通じてるし、根幹は同じだけど、どこか細部が違うんだろうな。
実は元々一つの世界で、それが枝分かれしたとか。
ああ、あるかもね」
世界に同じ物事など何一つとして存在しない。同じに見えても何かが違っている。けれど人はその違いに鈍感であろうとする。おかしくともその違いを見逃して、おかしくともその一つ一つを全く別の存在として、そしておかしくとも多少の違いに耐えながら、世界の正気を保っている。
けれどほんの僅かな違和感、全く別の物とは言えないけれど、普段であれば見逃す程度、いつもなら耐え忍んでいる、そんな些細な違和感が積もりに積もって崩れた時、始めて人はそれに恐怖する。始めて狂っていると気がつける。
その狂気を解体しても何に恐怖しているのかは分からない。一つ一つはありふれた違いに過ぎないから。
だから狂気と向き合えば人は狂っていく。些細な違和を見過ごせなくなり、世界の全てが狂っている事に気が付いて、自身が狂っている事を自覚して、自分は正常であろうと努力してしまうから。
世界に真の意味でまともなものなんて何一つないのに、理想を追い求めて当てども無く彷徨い、世界を憂い、自身に恐怖し、精根尽き果てて倒れた時には、格子に囲まれて隔離されているだろう。あるいは何かの間違いで英雄になっているかもしれない。
「もしかして全く違う連中ははじかれてるだけじゃねえか?
似た者同士が集まっているって事?
ああ。もしかしたら俺達と全う意識の集まりが、何処かにうろついているかもしれないぜ。
無くはないな。
在り得るね。
友達になれるかな?
いや、だから私達とは全く違う意識何だって。
言葉が通じるかも怪しいな」
繰り返すが狂気は解体すればほんの僅かな狂いの集まりである。つまりその狂気の一部だけを見れば、なんら変わった事のない、ありふれていて、当たり前の事かもしれない。
ただある一面を見れば、それだけで吐き気を催す位、何処かずれていて、何処か狂っていて、何処か壊れている存在なのだ。
人が狂気を恐れる一端はそこにある。
自分の隣に座る人間が根本的にずれているかもしれない。
誰一人として同じ人などいないのにそう錯覚している常識が、どれ一つとして正確には共有し得ないあやふやな概念を持ち出して仲間意識を持たんとする曖昧な規範が、そんな当たり前の事が、間違っていると気付かされる異常事態こそ、人の狂気に対する恐怖の源となる。
「ま、どうせ俺らだってまともに人と話せないし、共同で事態解決なんて夢のまた夢。この島に居ても、あまり関係ないだろ。
それもそうね。
友達になれたらなぁ。
ま、強いて言えば、元の世界の自分の近くにそんな奴がいない事を祈るくらいね。
なんで? 居た方が面白そうじゃない?
私達が近くに居る様なもんよ? 年中ギャーギャー騒いで、時々体が別々に動くし、そもそも死体だし。良く考えてみなさい。
ああ、そりゃあ嫌だのう。
改めて今の自分を見つめると死にたくなるな。
ま、そんな私達が近くに居ない事を祈りましょう」
勿論人は全てを知りえない。生涯傍らに居ると誓った伴侶でさえ、それどころか自分の事でさえ、知れる事は僅かばかり。
だからこそ、人は誰かの狂いを知らずに生きている。
だからこそ、人は誰かの狂いを突然知る事になる。