表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
2/36

何て事の無い寒い朝

 ──私はもう駄目だから、みんなの願いを叶えたい。この白塗りの世界から抜け出して。


「わっ」

 頬に嫌な感触を得て毛布を払いながら飛び起きた。慌てて頭のあった場所を確認すると九本足の蜘蛛がいた。本来の八本足とは別に顔からもう一本余分に足が生えているのだ。あまりの気味悪さに絶句しているうちに、蜘蛛は奇妙な軌跡を描きながら、ちょこまかと砂を蹴り捨てて草むらの陰に隠れてしまった。呆然としていると冷たい風が吹いた。思わず体からはがれた毛布を体に纏わりつかせた。

「寒い」

 足元の草にうっすらと霜が降りている。どうやらひどく冷え込んでいるらしい。毛布の間から吹き入ってくる風が冷たかった。とにかく火でも起こしてみるかと、手ごろな草葉を集めようとして、はたと気づいた。

「ここ、どこ?」

 今いる場所にまったく見覚えがなかった。辺りは森に囲まれていたが、その一帯だけ木が生えておらず広場の様になっていた。薄暗い中でちらほらと人影が見えた。テントが張ってあるので、キャンプ地なのかもしれない。観光地だろうか?

 どちらにせよ、この場所はまるで見た事のない場所だった。よくよく見てみると自分の服装も今まで一度も見た事のない、どこか異国を思わせる服装をしていた。何かがおかしい気がした。ただ心のどこかで当たり前だという思いがあった。頭の中が引っかき回された様に、ごちゃごちゃとまとまりがなくなっているようだった。

「私の名前は広瀬涼子」

 自分の記憶が正常かどうか確かめるために、自分の名前をつぶやいてみた。はっきりとした親しみを持って、自分の名前だという事が確認できた。続いて両親の名前を挙げようとして、思い出せず口ごもってしまった。その後も自分の記憶を確認してみたが、自分の名前や好みなど自分自身については思い出せるのに、両親の名前、友達の名前、自分の住んでいる場所などの自分以外の事については思い出せなかった。ぼんやりとした映像がかすれて残っているだけだった。

 昨日はどんな一日だったか思い出そうとしてみた。しかしどれだけ頑張っても、ぼんやりと白い壁が見えるだけだった。今の状況に繋がりそうな記憶は欠片も出てこなかった。考え込んでいる内に、ぐるぐると視界が回っている様な錯覚を持った。視界の揺れに合わせてだんだんと意識があやふやになっていく様な気がした。

 近くの樹に体をもたれかけてゆっくりと深呼吸をすると、少しずつ意識がはっきりとしていった。気持ちが落ち着いてから、もう一度さっきの考えに立ち戻った。

 確か起きたらひどく寒かった事についてだったろうか? よくよく考えてみるとおかしい事だとは思えない。そう何もおかしい事などないのだ。これだけ考えて、何がおかしいのか分からないのであれば、それはおかしくないのだろう。思い悩む必要はない。簡潔に言えば、目を覚ましたら寒い場所にいただけなのだ。誰かが死んでしまったとか、ものすごい災害が起きたわけではない。ただ起きたら寒かっただけなのだ。それは冬に入ってしまえば当たり前の事だ。今は冬なのだから寒いのは当然だ。明確な答えが頭の中に構築されていった。自分の中ではっきりとした答えができると、妙にすがすがしい気持ちになった。

 問題があるとすれば、今着ている服が防寒に適しているとは思えない事だ。その時、体が導かれるようにして足元の荷物から暖かそうなコートを引っ張り出した。何の疑問も抱かずに、コートへ袖を通す。

 暖かかった。これで寒空の下で冷たく凍りつく事はなさそうだ。

 心地よい安堵感が体を包んだ。目を閉じて大きく伸びをした。目を開けると、膨れ上がった人間の顔と目があった。

「っ!」

 驚いて声すら出せずに後ずさった。眼のあった何かは消えていた。気のせいだったのだろうか。一つ息を吐いて気持ちを落ち着けた。何にもおかしくはない。幻覚を見る事くらい誰だってあるのだ。

 気がつくと足が何処かへ向かっていた。どうやら遺跡へと歩んでいるらしい。ゆっくりと視界が霞がかっていった。

 視界が晴れると辺りから樹木が消え去り、草原に囲まれていた。草原の向こうに人影があった。その人影が段々と近づいてくる。それは緑色をしていた。

「人じゃ……ない?」

 口が勝手に開いた。

 緑色をしたそれが何なのかよく分からなかった。なぜそれを人でないと思えてしまうのか分からなかった。どこが人と違うのか。人とはなんだ? 分からない。これだけ考えて分からないのであれば、きっとあれはヒトなんだろう。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ