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始まり、始まり、ここから始まり

「リョウにも遂に春が来たんだねえ」


 お昼休みに机を挟んで弁当をつついていた友人が気味の悪い笑顔を浮かべながら、そんな事をのたまった。


 回りくどい言い回しに、私はいらっとした。


「春って何よ」

「いやいや、修也君の事ですよ。最近いい感じじゃん?」

「そういうんじゃないから」


 そんな風に映っているのか。溜息を抑えて、私は頬杖をついた。


 確かに修也ことシュウとは最近良く一緒にいる。ただそれは、あくまで幼馴染に対する心配だとか、義務感だとかに促されてのものだろう。私が突然おかしな事を口走るようになり、母親を刺して落ち込んでいたのを気にしてだろう。恋愛とは全く無縁の感情だ。


「私は昔シュウに振られてるんだから、今更付き合うとかありえないでしょ」

「ああ、そういやそうだったねえ」「え、それ初耳」「何それ?」


 小学校の時にラブレターを出して、捨てられた事を思い出した。散々待ち合わせ場所で待った挙句、教室に戻ってみればゴミ箱に自分のラブレターが捨ててあったのだ。もう何度も思い返した光景なのに、未だに悔しさと悲しさが襲ってくる。


「つっても小学校の時の話でしょうに? 心が変わる事だってあるでしょ」

「最近のリョウと修也君付き合ってるようにしか見えないもんねえ」


 私は赤くなった顔を隠す為に俯いた。

 もしも本当にシュウの心が変わったのだとしたら、それは歓迎すべき事なのかな。

 世界が分からなくなっている私はそれを受け入れてもいいのかな。


 考えても詮の無い事だ。シュウの心は分からないし、また振られるのが怖いから好きかどうかなんて聞く事もできないし、私はいつ完全に狂ってしまうのか分からないのだから。


「違うってんならなんで良く一緒にいるんだよ」

「幼馴染だし、最近色々あったから心配してくれて」


 途端に友人達は押し黙った。流石に傷害事件に関係していては無闇に踏み込む事も出来ないのだろう。


 母親が刺された、と世間では思われている。でも実際は私が指した、とシュウだけは知っている。

 それでもシュウは私の事を受け入れて支えてくれた。


 確かに幼馴染とはいえ、おかしいかもしれない。

 でもそれに疑問を挟む気はない。私は嬉しかったから。ただ一緒にいられる事がたまらなく嬉しかったから。


 そういえばと、友人達を眺める。

 なぜ皆は私と普通に接してくれるのだろう。


 私は最近おかしいらしい。突然訳の分からない事を話すようになり、訳の分からない行動をとる様になったらしい。


 春休みを過ぎると、少し落ち着いたのだけれど、それでも時たま変な発言、変な行動が出てしまう。まるで誰かに乗り移られた様な奇妙な言動。


 私の事をあからさまに避けている人もいる。私の方を見ながらひそひそ話をする人もいる。

 けれど同じクラスの人達、とりわけ目の前にいる友人達は何も変わらない様子で接してくれた。


「お、噂をすれば」「リョウ? 修也君が来てるよ」


 教室の入り口を見ると、シュウが立っていた。私が目を向けると、シュウは私に手招きをした。


「さっさと行って来いよ。弁当は私が食べといてあげるから」「頑張ってね」


 友人達に励まされながら、私は立ちあがって、シュウの元へと向かった。

 何の用だろうと、期待と不安を抱きながら。


   ○ ○ ○


「で、何よ」


 私は単刀直入にそう言った。さっきの会話の所為で尖った口調になってしまったのは仕方の無い事だと思う。


「おばさん、元気になったんだって?」

「ああ、うん。結構前から元気だったけどね。検査入院を繰り返してたけど」


 お母さんは昨日、医者から完治を言い渡されたばかりだった。


「それを確認しに?」

「うん」

「あ、そう」


 とても重要な事だし、心配してくれているのはとてもありがたい事なのだけれど、思わず拍子抜けしてしまった。

 いや、勿論恋愛の話で無い事は分かっていたのだけれど。


「涼子も嬉しそうで。じゃ、昼飯邪魔して悪かったな」


 私が戸惑っている内に、シュウは自分の教室へと戻っていってしまった。

 告白とかでない事は分かっていたし、向こうは私の事を好きでも何でもないのだろうけど、なぜだろう、少しだけ怒りが湧いた。


 ふとシュウの言葉を思い出す。

 私はそんなに嬉しそうにしていたのだろうか。


   ○ ○ ○


 あれ? さっきまで家にいたはずなんだけど。


 すぐにここがいつもの島である事に気付く。


 自分の体を見回してみた。胸に大きな穴を開けた男の体があった。


 この前の戦いで巨人に潰された筈なのに、男の体は潰される前と同じ姿だった。


 ほんの少しだけ希望があった。この体に乗り移れなくなったら、全てが解決するんじゃないかと。


 それは幻想だったようだ。いつもの島がここにあり、いつもの体がここにある。


 殺された位で悪夢が終わるはずがないと分かっていた。だから落胆はしていない。僅かに残っている希望が少しだけ磨り潰されただけだ。


 苦しみや申し訳なさから解放される様な希望があった。それだけだ。

 平穏無事にこれからの新しい生活を送れる気がしていた。それだけだ。


 別に悲しくなんかない。この程度の気鬱は目の前の鼬で治してしまえるから。


   ○ ○ ○


 時計の針がリズムを刻んでいた。

 その聞きなれた音で自分の部屋に戻ってきたとすぐに分かった。窓の向こうは暗くなっていた。


 母親は出掛けていて、今日は帰ってこない。

 夕飯を作ろうと、私は台所へと向かった。


 階段を下りる途中でインターホンが鳴った。


 こんな夜に誰だろうかと訝しみながら、私は玄関へと向かった。

 玄関に着くまでの間に、何度もインターホンが鳴らされた。あまりまともな訪問客ではなさそうだ。


 鳴らされるづけるインターホンに辟易しながら覗き穴に目を当てると、インターホンが鳴りやんだ。月に照らされた誰もいない玄関先が映っていた。

 しばらく覘き込んでいたが、結局夜の闇に変化はなかった。


 誰かのいたずらだろう。そう判断しながらも、念の為にチェーンロックを掛けたままドアを開いて外を覗いてみた。すると玄関の足元にスティック状の記録媒体が落ちていた。誰かが誤って落としていったのだろうなどとは間違っても思えない。


 ぎりぎり手の届かない場所に落ちていて、チェーンを掛けたままでは取れそうにない。しかし傍に不審者がいると考えると、無闇にチェーンロックを外したくなかった。辺りを見ても、耳を澄ましても、誰かが居そうな気配はなかったが、とても安心はできない。


 あの記録媒体は何なのだろう。一体、中に何が入っているのだろう。


 確かにドアを開けるのは怖かったが、記録媒体を置いて行った犯人への恐怖と純粋な好奇心から、記録媒体の中身を確認したくもあった。


 しばらく考えてから、私はチェーンロックを外してドアを開き、記録媒体を拾い上げた。

 すぐさまドアを閉めて、チェーンロックを掛け、あっさりとした流れに安堵する。


 一体これは何なのだろうと、手の中の記録媒体を眺めた。玄関の泥がついていたが、それ以外は新品同様だ。


 一体これは何なんだろう。私は色々な想像をしながら、居間にあるノートパソコンへと向かった。


   ○ ○ ○


 私はパソコンから目を離して溜息を吐いた。


 世の中は分かっていない人が多すぎる。

 私は苛立ちを抑えながら、冷たい飲み物を求めて台所へと向かった。


 冷蔵庫を開けて迷った末に牛乳を選び、コップに注いだ。汚らしく白濁した液体を一気に飲み干して再びパソコンのある自室へと戻る。


 自室に入ると床に散らばった書類が目についた。自分でばら撒いたので、誰に文句を言う事も出来ない。


 私は書類を乗り越えて、砕け散った花瓶に注意しながら、パソコンへと向かった。


 倒れた椅子を起こして、座る。


 パソコンのディスプレイに向かうと、メールが届いていた。


 内容を検めると、今まで様々な所から届いたメールと一緒だった。誰も彼もが論文を認めようとしない。


 ディスプレイを破壊したくなる気持ちを抑えて、私はパソコンの電源を落とした。本当に分からず屋の人ばかりだ。


 どうして誰も教授の書いた論文達を認めようとしないのだろう。


 この論文達は未来を豊かにする素敵な論文のはずなのに。今まで誰もが考えていながら、誰もが否定してきた世界の真理を映し出すものなのに。


 論文を受け取った人々はこう言った。


「結論が酷すぎる」


 何故認められないのだろう。最近ようやく世の中に認められ始めた魔術を元にして、この世界が偽である事を示す素晴らしい論文達なのに。


「前半部分は考えさせられる所が多い。だが後半はまるで別人が書いたみたいに狂っている」


 どうして皆認めないのだろう。その後半部分こそが何よりも重要なのに。


「幾つも論文を送って来てくれたけど、全部最後は全く同じ気違いじみた結論じゃないか」


 当然だ。何故ならその結論の部分が一番大事なのだから。


 何故認めないのだろう。教授は正しいはずなのに。それなのに何故これは認めてくれないのだろう。


 私は沈み始めた気持ちを振り払う様に立ち上がった。


 気晴らしに散歩でもしようかな。


 論文の入ったメモリースティックを掴んで、私は外へ向かった。


 外は明るい月夜だった。頭上に上った月はいつも通りの無表情で私達を見つめていた。今私がどんな気でいるかも知らないで。


 通りに出ても歩いている人はいない。とても静かな夜だ。こういう夜は思索が似合う。何か考えてみるのが良いだろう。


 さてこれからどうしようかと、右へ進んだ。


 そうだ。あの少女の所へ行ってみよう。誰もこの論文を証明しようとしないなら、私が証明して皆に認めさせればいいんだ。


 早速素敵な考えが浮かんだ。やっぱり静かな夜には思索が進む。


 自分の思いつきに嬉しくなって、私は駆けだした。サンダルの底が軽快な音を出すので、私は更に嬉しくなって、空を見上げてくるりと回った。


 空に浮かんだ月はいつも通りの無表情で私を見つめていた。私の嬉しさを分けてあげられたらいいのに。

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