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夕闇の怪人

 闇をまとった狐が駆け寄ってくる。


 体から黒い湯気を立たせながら私の元に走ってくる。


 私が抱きとめる為に腰をかがめようとした。


 すると震える様な旋律が流れだして、辺りに狐を打ち倒す意志が具現化していった。



 うっすらと目を開けると、なじみの顔が私を覗き込んでいた。


 狐はどこだろう。


 頭の中に靄が立ち込めていたけれど、習慣化した言葉が喉の奥からこぼれだした。


「おはよ、シュウ」


「ん、おはよー」


 私が起きた事に気付いたシュウは間延びした挨拶を返しながら、やんわりと笑顔を作った。しかし、その顔には隠しようの無い疲労が滲み出ている。


 その表情を見て、狐が夢の中のものだと察した。そして現実では私がシュウを振り回していたのだろう事も。


 後悔の念が胸に広がった。


「あー、またやっちゃったか。ごめん」


「別にいいよ。来た事の無い場所に来れたしね」


 シュウは手を横に振った。その手にはスポーツドリンクのペットボトルが握られていた。


 思わずそれを見つめていると、シュウはその視線に気付いて、手に握ったペットボトルを突き出した。


「はい、これ。お互い散々走りまわってたからな。喉渇いただろ?」


 受け取ろうとして起き上がると、背中の服がべったりと張りつく感触があった。今まで横になっていた場所に目をやると、木製のベンチが汗で黒く染まっていた。


 走りまわった挙句にこのベンチに疲れて横になったのか。


「汗だくで寝てたから、もしかしたら風邪ひくかも。俺のパーカー貸そうか?」


 自分の服を見てみると、これもぐっしょりと濡れていた。スカートではなかった事と、紺のブラウスだった事が、汗でぬれた今の自分には幸いと言えば幸いだ。


 とはいえ、汗まみれの自分が見られていた事実はそれなりに恥ずかしい。


 それに加え、横に立ってペットボトルを渡そうとしているシュウが、私という女性に対して、恐らく何らの魅力も嫌悪も感じずに、私の元をあっさりと離れて飲み物を買いに行って、何の邪気も混ぜずに寝ていた私を覗き込んだのだろうと考えると、無性に腹が立った。


 だがそれに対してどういう形で怒ればいいのか、そもそも怒って良いのかも分からず、ぐっと堪える事しかできない。


「どうした? 日射病になるぞ?」


 私の事を心配してくれている純真な眼差しに言い知れぬ悔しさを感じつつ、私はペットボトルに手を伸ばした。


 指が触れた瞬間、驚いて取り落としそうになった。受け取ったペットボトルは、一体どれほど私が起きるまで待っていてくれたのだろう、すっかり生ぬるくなっていた。


 シュウを見ると、衣服は尋常じゃない程汗がしみついているものの、体は乾ききっている。


 私がかけた苦労と、彼の優しさがはっきりと感じられた。


「ありがとう」


 再び「ごめん」と言いたくなるのを堪えて、「ありがとう」と無理矢理答えた。


 シュウは笑顔で答えを返して、口では何も言わない。


 居た堪れなくなって辺りを見回すと、ここは何処かの公園だった。


 見知らぬ公園だ。


 狭い敷地の中に、滑り台やジャングルジムなどのお情け程度の遊具がぽつりぽつりと寂しく置かれていて、それが夕日によって朱一色の闇に染め上げられて、懐かしい様な不安を呼ぶ様な、寂しげな場所だった。


 それを取り囲むように敷地の外周に木が立ち並び、さわさわと葉を鳴らしている。


 その木々も夕日で朱に照らし出されて、普段のすがすがしい緑色は見る影もなかった。


 どこまでも人を不安に陥れる寂しい公園に、私とシュウは囲まれていた。


「ここは……」


 何処だと聞こうとした言葉を途中で区切り、シュウの後方に立つジャングルジムの一角に目を奪われた。


 初めはジャングルジムを見た瞬間に気付いたふとした違和感だった。だが、目を凝らしていく内に段々と空間から染み出してきた様に人の輪郭が滲みだしてきた。


 鉄で組み上げられた子供達の遊び場の横に地面に引きずるほど大きな蓑と顔全体をそっくり覆う深い笠を纏った古風な人影が立っていた。


 その人影は昼間であれば、光景にまるでそぐわない墨汁の染みだったかもしれない。けれどそれが夕暮れの闇に滲んだ世界には、なんと完璧な調和を見せるのか。


 巷間に広がる子供を連れ去るという夕闇の怪人の噂が頭に浮かんだ。蓑と笠という格好が、西洋風なマントと仮面を身に付けた噂の怪人である事を否定するが、蓑と笠という時代錯誤した格好は神隠しを行う山の神を思わせて、人攫いの印象を強くしていた。


「ここ? どこかの公園だろうけど、分からないなぁ。大分遠くに来たから」


 シュウののんびりとした言葉を頭のどこかで聞き流して、私は怪人に視線を注ぎ続けた。


 怪人がゆっくりと後ろを向いて、公園の出口へと向かって歩いて行った。その動きは霞を思わせる様な、どこかおぼろげな印象を与え、見ていると吸い込まれていきそうな錯覚を感じてしまう。


「シュウ! あれは?」


 人影は次第に闇に滲みながら出口へと向けて消えかけていた。


「ん?」


「あれはいつからいたの?」


 シュウは私の指した方向に振り返ってから、困惑した表情で言った。


「あれってどれ?」


「あの蓑と笠を着た変な奴!」


 その問答の間にも段々と怪人の影は薄くなっていく。


 シュウはもう一度振り返ってから、気まずそうに口を開いた。


「そんなのいないよ。……言い難いけど、いつもの幻覚じゃない?」


 幻覚?


 公園の出口に目を向けると、すでに怪人は闇に溶けて消えていた。


 確かにとても不思議な現実感の無い光景だった。


 それでも、あれが本当に幻覚のか。


「分からない」


 私の小さな呟きに、シュウが心配そうな顔をしてこちらを見つめている。


 夕暮れに侵されて、お互いの顔がぼんやりと滲んでいる。

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