第八話 追撃の一手
TF16.2 戦艦『ワシントン』
「撃て撃て! 一刻も早く通信不能に追い込むんだ!」
『ワシントン』の両用砲群が断続的に砲弾を吐き出す。その砲撃で敵艦の存在に気付いたスミス提督の『アストリア』『ポートランド』も射撃を開始し、この憐れな駆逐艦をさんざんに打ち据える。
この駆逐艦は、第六駆逐隊から機関故障により落伍した『暁』。機関が復旧したところで艦の隊列を発見し、味方と思い込んで接近したところに突如砲撃を受けた格好だ。
「巡洋艦戦隊、射撃開始します!」
「よし命中! 艦橋がブッ飛んだぜ!」
「主砲、俯角よし! 撃て!」
『ワシントン』の射撃可能な主砲六門まで加わって榴弾を叩きこみ続ける。さすがにこのような鉄の暴風に耐えられる筈もなく、駆逐艦『暁』はボロ雑巾のようになって沈められてしまった。
「敵駆逐艦撃沈!」
「よくやった! 引き続き周辺を警戒せよ」
撃沈の報に対しほっとしたように指示をだす士官。しかし、横に立つ首席参謀は苦虫を噛み潰したような表情をしている。
「何が、よくやった、だ。あれだけの時間が有れば電文の一つや二つ打てる。確実に追撃がくるぞ」
乗員の士気を慮り声を落としてはいるが、その声音には苦々しげな響が含まれている。
「何故です? ……このような言い方はしたくありませんが、突入した『ノースカロライナ』『サウスダコタ』それにニューオーリンズ級の三隻が敵の目を引き付けてくれるのでは?」
その問いかけに嘆息し、黙って南の水平線に目を向ける首席参謀。士官がつられて振り返ると、目を疑う光景が飛び込んで来た。
「……あれは、あの煙の柱は一体? 積乱雲のように浮かび上がって……」
「恐らく、戦艦の断末魔……それも弾薬庫が爆発したような派手な沈み方をしたものだろう。それが別の艦の火災で照らし出されてああ見えるのか……何にせよ不気味なことだ」
真っ黒な煙柱が入道雲のようにもくもくと立ちのぼり、その下部は炎のような赤い光で彩られている。
その根元の惨状を思い描きそうになって、あわててそれをやめた士官が深く考えずに口を開く。
「し、しかし、あれが合衆国艦艇だとは──」
「今までに確認された敵艦は?」
「……14in級戦艦三ないし四、モガミクラス巡洋艦四、ユーバリが一隻です」
「では、どちらの可能性が高いかは自明だろう」
ランチェスターの第二法則を当てはめれば数の差は二乗で効いてくるからな、と続ける首席参謀。
「それに、あれが全力とは限らない。ユーバリがいるなら、奴は駆逐艦部隊の旗艦だから駆逐艦がダース単位でいるだろうし、最悪の場合──」
「最悪の場合?」
「──全てが罠で連合艦隊の全力が待ち構えている、とかな。……とにかく、有力な敵艦隊と遭遇する公算が大きい。警戒を厳重にするように」
「了解」
若干疑心暗鬼にかられつつも乗員達を戦闘配置につかせる首席参謀。この時既に、彼は肚の中である重要な決定を下していた。
そして、彼の予想通り『暁』の最期の電波に導かれた日本艦隊がひたひたと第2群残存艦隊へと迫っていた。
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最初に第二群残存艦隊と接触したのは重巡『摩耶』と第七・第二〇駆逐隊の特型駆逐艦八隻であった。この九隻の部隊は、本隊から離れて索敵中に『暁』からの緊急電を受けてその海域に急行したのだ。
夜間ということもあり、先に相手を視認したのは『摩耶』であったが、首席参謀の命令で警戒を厳重にしていた『ワシントン』も時を置かずして敵艦隊を認め、まもなく全艦が『摩耶』を含む九隻の艦隊を確認した。
TF16.2 戦艦『ワシントン』
「『アストリア』反転し迎撃に向かいます!」
「スミス提督より入電。我々はこれより敵艦隊の迎撃に向かう、我々に構わず退避せよ」
そう打電すると、『インディアナ』に合わせ10kt足らずで航行している隊列を抜け出してスミス提督指揮下の『アストリア』『ポートランド』 と駆逐艦二隻が踵を返した。
「『ポートランド』星弾発射!」
『ポートランド』の高角砲から星弾が撃ち出され敵艦隊を照らしだす。星弾とは、艦砲から発射される照明弾のことで、スターシェルとも呼ばれる。
この類いの弾を装備していなかった日本艦隊は、打ち上げ花火のような星弾に照らしだされながら接近を続けていた。
「敵艦はタカオクラス巡洋艦及びフブキクラス駆逐艦!」
「第2巡洋艦戦隊射撃開始! あっ、敵艦発砲!」
矢継ぎ早に報告が届き、互いの巡洋艦が8in砲を振りかざして組み合う。砲力に勝るスミス提督の隊は魚雷の間合いに踏み込むのを嫌い、駆逐艦数に勝る日本艦隊は逆に距離を詰めようと運動したため、両部隊は『ワシントン』『インディアナ』の両艦から急速に離れていこうとしていた。
「主砲発射準備よし! ご命令を!」
この艦に残された六門の14in主砲が射撃可能であることが艦橋に伝わって来た。
しかし、それに対する首席参謀の命令は少々意外なものだった。
「主砲射撃待て。『インディアナ』へ発光信号を……」
「何と?」
「我々はスミス提督を支援する、必ず追い付くので先に退避されたし。貴下に神の恩寵あらんことを」
「……了解」
その文面に不吉なものを感じたのか顔を曇らせる一同。それを見た首席参謀が安心させるように言う。
「大丈夫だ。私はまだまだ死ぬつもりは無いよ」
皆に柔らかい笑顔を見せ、すぐに表情を引き締めて軍帽を被り直す。
「取舵一杯、左砲撃戦用意、目標タカオクラス。戦闘巡航!」
「Yes,sir!」
『ワシントン』が増速しつつ左へ回頭し、その主砲が『摩耶』へと狙いを定める。
「舵戻せ!」
「主砲射撃準備完了!」
「最初から斉射で行け! 此方が損傷していることを悟らせるな!」
「了解!」
第一砲塔の四門と第二砲塔の二門が14in砲弾を撃ち出す。その際の閃光で傷ついた『ワシントン』の艦橋がくっきりと闇に浮かびあがる。その六つの発砲炎は、スミス隊の将兵には心強く、『摩耶』及び第七・第二〇駆逐隊の将兵には大きな脅威に映った。
そして、その閃光を見た者はそれだけではなかった。
WE部隊 第三戦隊付属 駆逐艦『秋月』
そう、何故か同型艦と隊を組まず一隻だけで三戦隊に編入されていた乙型駆逐艦の一番艦『秋月』である。よもや忘れていたなどということはあるまい。
この艦は、就役して日が浅いにも関わらず必要最低限以下の戦隊行動訓練で海戦に参加する羽目になった。そのため、いざ戦闘が始まるとうまく艦隊行動に追従出来ずはぐれてしまったのだ。
そして、無線封止を破る訳にもゆかずうろうろしていたところに先の電文を受信し、勇んで馳せ参じたのである。
「あれが『暁』からの電文にあった戦艦か!? 『暁』は確認できるか?」
「間違いありません。しかし『暁』は……あの様子では既に……」
主砲の残光をじっと見つめながら問う駆逐艦長に、航海長が無念そうに答える。彼は、『暁』からの電文が繰り返し一回目の途中で途切れていたことから、もはや絶望的と判断していた。
「艦長! 仇を、『暁』の仇を討ちましょう!」
「そうです艦長! 我が四連管はこの時の為ぞあるのです!」
砲術長と水雷長が口々に言う。今まで戦局の蚊帳の外に置かれていた鬱憤を『暁』の仇に叩きつけようというのだ。
「……よし、右魚雷戦用意。この位置からだと反航だ。時間がないぞ! 発射諸元算出急げ!」
おそらく間もなくやって来るであろう本隊の到着を待つか否か、僅かな間逡巡した後右魚雷戦を発令する艦長。
「雷速最大に調定! 散角は僅かで良い! お前ら絶対トチるんじゃねぇぞ!!」
水雷長の怒声と共に『秋月』の装備する唯一の四連装魚雷発射管が旋回し、命令を待つ。彼我の相対速度は40kt強、両艦の間はみるみる縮まってゆく。
「的速16ktと認む……あッ! 敵両用砲群こちらを指向ッ!」
「敵艦発砲! 気付かれた! 照明弾による照射を受けています!」
見張りの叫ぶ声とほぼ同時に両用砲群が発砲し、星弾の光が『秋月』を照らし、ヒュンヒュンという残響を残して航跡のそばに水柱がたつ。
「うろたえるな! 音が聞こえてるうちは当たりゃせん」
「魚雷発射と同時に撃ち方始めだ! 長十サンチの御披露目だ、今からしっかり狙っとけ!」
思わず首を竦める水兵を先任がどやしつけ、砲術長が拳を握りしめ指示を飛ばす。
次の着弾は艦の前方に夜目にも鮮やかな白銀の水壁を作り上げ、艦がそこに突っ込み硝煙臭い海水で艦橋を水浸しにする。
そして、水柱の並木通りを抜けた『秋月』の眼前に『摩耶』へと主砲射撃を続ける『ワシントン』の姿が浮かびあがる。
魚雷を撃つまで砲撃を行わないのは、駆逐艦程度の排水量では砲撃を行うと衝撃で照準がぶれるため、砲撃は雷撃の後とされているからである。そのため砲術長は少々手持ち無沙汰な感がある。
その横で『ワシントン』を睨み仁王立ちしていた艦長が遂に動いた。
「発射始め」
「撃ェー!」
絶好の射点から、絶好のタイミングで発射された四本の九三式魚雷が頭を揃えて『ワシントン』に向かう。
「よし、取舵10。射撃開始! ずらかるぞ!」
着水後、僅かな間だけ曳く空気の泡の消えた先、数分後には巨大な火柱に包まれ轟沈するであろう『ワシントン』を見詰めつつ艦長が退避を命じ、四基の連装新型高角砲が唸りをあげる。
そして──
戦艦『ワシントン』
「糞っ! なぜ接近に気付かなかった!? 早く撃沈しろ!」
そう喚く士官を尻目に首席参謀が腰に手をやりつつ冷静に指示を飛ばす。
「見張、距離読み上げろ。魚雷発射の兆候を見逃すな」
「はッ! ユーバリクラスまで一万二〇〇〇ヤード(約11000m)を切りました!」
大型双眼鏡を覗きこんだまま見張員が叫ぶ。それに対し、記憶を探るように首席参謀が呟く。
「ふむ、確か日本のType93魚雷の最大射程はそんなもんだったかな」
「嘘でしょう? ウチのMk.15魚雷の倍以上あるじゃないですか!?」
「そんないくらでも誤魔化し利くものを馬鹿正直に公開しないだろう。ただ公式発表では42ktで12000ydだというだけだ」
ちなみにこの公式発表、射程で11000m、速度で10ktばかりさばを読んでいる。
それはさておき、魚雷談義に盛り上がっている二人に見張からの奇妙な報告が届いた。
「敵艦魚雷発射しました。……しかし──」
「しかし?」
「……雷跡が消失しました。最初は曳いていたのに見当たりません。間違いなく」
その報告に、得心したように士官が嘲笑する。
「……ハハッ、故障か怖じ気づいたか……所詮猿どもと──」
「口を慎みたまえ」
主砲斉射の盛大なマズルフラッシュを背景に、珍しく怒気を含んだ口調で首席参謀が士官の言を遮る。
「……徒に敵を貶める言は、相対する味方をも貶めることになるばかりでなく無用な流血を招く」
首席参謀の言葉に、はっ、とした表情を浮かべる士官。それを見て僅かに語気を緩めて続ける。
「つまり、劇場のイドラに捕われるべきではないということだ。正しい認識を妨げる偶像は打ち破らねば……」
そこまで言った所で、首席参謀はふと思い直したように見張に尋ねかける。
「ときに見張員?」
「は、なんでしょう」
「敵艦の様子は?」
「先程の艦は逃走しました。スミス隊はタカオクラスに多数の命中弾を与えている模様」
見張の返答に、あれ、と呟く首席参謀。
「てっきり何か仕掛けてくるかと思ったんだが……」
「何か、とは?」
「アレを陽動に別動隊が……とか。右手でハンカチを振ってる間に左手で鳩を取り出すのは手品の常套手段だから──」
彼が疑念を表明し終わる前に、手品の種は明らかとなった。
「右舷前方より魚雷! 無航跡です!?」
「な!? Hard to starboard!!」
咄嗟に取舵一杯と命ずる首席参謀。しかし、帝国海軍の秘密兵器たる酸素魚雷を至近距離でかわせる筈もなく、3本の魚雷はその弾頭炸薬480kgのエネルギーを解放し、艦橋より遥かに高い水柱で彼らの視界を覆い尽くした。
つづく