第六話 地獄の劫火
三川戦隊 旗艦『紀伊』第三艦橋
砲戦の最中、分厚い装甲に護られた前艦橋根元後方の司令部施設。そこに詰める幕僚達も司令官も皆、弾着の報告を固唾を呑んで待っていた。
「第七斉射用意……弾着!」
そして弾着、直後に待ちに待った報告が主砲指揮所から届いた。
《……命中! 敵一番艦に命中弾四を確認! 更に敵一番艦で火災発生!》
主砲指揮所からの喜色に溢れた声がスピーカーから流れると、司令部内が俄に騒がしくなった。
「喰ったか!? 沈みそうか?」
「お、落ち着け! 二式焼夷通常弾は敵艦を沈める為にあるんじゃにゃい!」
「まず貴様が落ち着かんか」
騒然とする室内で、やはり千早参謀もまた興奮した面持ちで指揮所に通じる受話器のマイクを握りしめる。
「よし、その調子だ! 全てを燃やし尽くし灰塵と為せ!」
普段の彼からは考えられない程ハイになって声を張り上げる砲術参謀。その肩を三川中将が軽く叩く。
慌てて恐縮しつつマイクを差し出す千早。
「うむ。……あー、此方司令官。砲術、只今の射撃見事なり。主砲は引き続き敵一番艦を目標とせよ。副砲は敵三番艦に目標変更」
《了解! 主砲目標そのまま、副砲三番艦へ変更! 『美作』『尾張』へ打電せよ!》
今まで巡洋艦『ミネアポリス』を射撃していた長十五サンチ砲計四十二門が、筒先を戦艦『サウスダコタ』に向ける。
しかし敵もさる者、今まで全く妨害を受けず、最も体勢を立て直す時間があった『サウスダコタ』が遂に有効な射撃を送りこんで来たのだ。
自艦の一斉射撃に匹敵する激震が艦を揺さぶる。
「右舷弾着! 近い!」
「左舷弾着至近!」
『紀伊』の両舷に水柱が立ち上り、見張員の報告が伝声管からほぼ同時に入る。
米戦艦の砲撃は日本戦艦に比べてばらつきはあるものの、それゆえに早いうちから命中する可能性を持つ。米戦艦のようにばらつきが大きい=散布界が広い ということは、狙いが未修整で甘いうちから命中する可能性があるが、反面狙いが正確になっても命中率はそう高くはならない。逆に、ばらつきが小さい=散布界が小さい日本戦艦の場合、きちんと捕捉するまではまるで当たらないが、一度捉えれば命中率は格段に高くなる。
「只今の敵射撃、本艦に対し挟叉。捉えられたようですが如何なさいますか」
艦橋で艦の指揮をとる艦長が平静な声で伝声管づたいに問い合わせて来た。
「うむ。……参謀長、本艦が重大な損傷を負うまでに二艦とも撃破することは可能かね?」
三川中将はそれに直ぐには答えず、若干影の薄い参謀長に水を向ける。
「は、……はい、十分可能です」
ちらりと砲術参謀を見る参謀長。無言で頷きが帰って来たのを確認して返答を返す。
その返答に三川中将は、そうか、とだけ返し、艦橋へ続く伝声管に口を当てる。
「針路そのまま。敵艦隊の撃滅を優先する」
「……了解」
艦長はそう短く答えて口を伝声管から離した。どうも艦橋要員に檄を飛ばしているらしく、気合いだとか腰を据え直せとか正念場だとかいう単語が途切れ途切れに聞こえてくる。
そうこうしているうちに次弾の着弾時刻となった。
「第八斉射用意……弾着!」
《命中! 一番艦に命中弾二、火災範囲艦全体に拡大! 良いぞぉ、燃やし祭りの始まりだぁ! 》
そんな奇祭があるのかはさておき、14in砲の砲撃を受けていることなど何処吹く風で射撃指揮をとる砲術長。おそらく少々目がイっている。
司令部のある第三艦橋から直接は見えないが、先頭の『ノースカロライナ』は艦全体を篝火のように燃え上がらせており、パッと見た所では消火復旧など不可能に思われる損害であったが、射撃速度を落としながらも未だに戦闘を続けていた。
第七戦隊 軽巡 『鈴谷』
第七戦隊の最上型四隻は、先程の魚雷発射から散発的な射撃に終始していた。
戦艦同士の殴り合いは我が方が敵の一隻を撃破しつつあったが、巡洋艦同士の戦いも今まさに佳境を迎えている。
帝国海軍の誇る九三式魚雷の威力は他と桁違いだ。最も、先の南方作戦の際には早爆も発生したらしく、戦訓に従い水雷長は信管を鋭敏にし過ぎないよう調整していたが、それでも何本か自爆していたようだ、と戦闘概報にはある。
艦橋の総員が右舷側に集まり魚雷の命中を今か今かと待ち望んでいる。ある分隊長などは、何べんも何べんも自分の腕時計と敵艦を代わる代わる見詰めている。見張員達ですらそのほとんどが仕事を放り出して右の敵艦に釘付けとなっている始末だ。
と、その時。巡洋艦の先頭、ニューオーリンズ級『ミネアポリス』のどてっぱらに魚雷が突き刺さり火柱が立ち上る。
「敵ニューオーリンズ型甲巡、轟沈!」
大火炎が崩れおちると、米国条約型巡洋艦の中でもずんぐりとした艦体は横倒しになっており、間もなく艦尾からずぶずぶと沈んでいった。
さらに、同じくニューオーリンズ級の『ヴィンセンス』が艦首に被雷しつんのめるように速度を落とし、駆逐艦の一隻など火柱が上がったかと思うと真ん中から真っ二つに折れて瞬く間に波間に消えた。
「撃沈、ニューオーリンズ型甲巡一、駆逐艦一。撃破、ニューオーリンズ型甲巡一!」
見張りの声と共に万歳、万歳と艦の各所から歓声が上がり、皆が我を忘れて喝采を叫ぶ。
それを見て、これではいかんと木村艦長が皆をたしなめる。
「何を浮かれておるか、未だ勝った訳ではないのだぞ!
見張り、両舷警戒厳となせ! 『左警戒、右見張れ』を忘れたか!」
『左警戒、右見張れ』とは、海軍にある警句の一つで、一方に気をとられている時でも反対側への注意を怠るな、というものだ。要するに、魚雷の命中に気をとられて左舷を空にしたりしてはいけない、ということである。
見事にそれを頭から飛ばしていた見張りが配置に戻ったかと思うと、すぐに紙片を持って戻ってきた。
「『熊野』より発光信号! 砲撃目標を本艦は損傷巡洋艦に変更せよとのこと! 『三隈』『最上』は目標そのまま、『熊野』は駆逐艦を目標とする、です! 終わり!」
栗田司令官からの命令に、すぐさま表情を平素のものに戻し、主砲指揮所へ命令を下す。
「主砲、目標を損傷巡洋艦へ」
「主砲射撃準備よし!」
意外に早く、準備よし、と返ってきたことに内心驚きつつも表情一つ変えずに号令を発する。
「撃ち方始め!」
艦橋から何も言ってこないことに痺れを切らした砲術科員が独断で照準していたニューオーリンズ型に『鈴谷』の長十五サンチ砲が火を吹いた。
第三戦隊 旗艦『紀伊』
「第十二斉射用意……弾着!」
《……命中、敵一番艦に命中弾……敵艦中央、副砲群付近にて爆発を確認!》
「艦橋より司令部、敵一番艦に副砲の誘爆と見られる爆発を確認! また、先程より敵一番艦の主砲沈黙!」
秘密兵器である二式通常弾による戦果に、司令部内にてどよめきが広がるも、歓声があがることは無い。誰もが既に敵艦に捕捉されているのを知っているからだ。
二式通常弾とは、別名を二式焼夷弾ということから明らかなように敵艦に火災を発生させることを主目的とした弾である。ある程度の薄い装甲なら貫徹できるように作られた弾殻には、トリニトロアニソール(TNA)、アルミニウム粉末と酸化鉄粉末──所謂テルミット──、チオコール(人造ゴム)、エレクトロン(マグネシウム合金)屑が充填されている。炸裂すると数千度で燃えるゴム状の物質が辺りに飛び散り、さらに消火しようと水をかけると爆発をおこすという愉快……もとい厄介な代物だ。
この砲弾は、対16in装甲を持つ戦艦を14in砲で無力化せよ、という命令により開発されたもので、開発主任曰く、装甲がぶち抜けないならぶち抜かなければ良いじゃない、という代物である。主目的は榴弾による非装甲目標──艦橋や測距器、アンテナ、機銃、艦載機──や弱装甲目標──副砲、煙突──を破壊し安全に接近して徹甲弾なり魚雷なりで止めをさすことで、副次的な目標として火災を発生させて人員の消耗や速度の低下、あわよくば弾薬庫への引火を狙うというものだった。
先程から沈黙している一番艦と、同じく有効な射撃を続ける三番艦を心中で秤にかけつつ参謀長が口を開く。
「……そろそろ三番艦へ目標を変更すべきではありませんか」
「しかし、手傷を負わせたとはいえ未だ速力は落ちていません。もう少し痛めつけた方が良いのでは? 手負いではありますが健脚な虎を野に放つのは──」
決断するのは司令官の仕事だ、と言わんばかりに取り敢えず反対意見も出しておく千早砲術参謀。しかし、その言葉を遮るように『サウスダコタ』からの砲撃が『紀伊』に襲いかかる。
至近弾とは比べるべくもない衝撃と異質な金属と金属が激しく衝突する音がして、金属の一方がその役目を果たせず虚しく散った。
「第二主砲塔天蓋に命中弾!」
《指揮所より艦橋、司令部。第二主砲塔異常なし! 負傷者若干名あるも戦闘に支障なし!》
幸いにも16in砲対応で張られた装甲が14in砲弾を弾きかえすことに成功したものの、この被弾をきっかけに司令部の空気は参謀長の意見へと傾いた。
「……砲術、全艦目標を敵三番戦艦へ変更」
暫し口の中で何か呟いたあと、三川軍一中将が命令を下す。
「……了解、全艦目標三番艦となせ」
《了解、目標三番艦! 『美作』『尾張』も同様となせ!》
命令が伝わってゆき、『紀伊』『美作』『尾張』の三戦艦の主砲が頭をもたげて新たな目標、三番艦『サウスダコタ』を指向する。
《本艦及び『美作』、『尾張』、射撃準備完了!
初弾用意……撃ぇ!》
三戦艦の放った主砲弾三六発が『サウスダコタ』へと弧を描く。しかし……
「敵三番戦艦回頭! 逃走に移ります! 残存する二艦も同様!」
なんと、一発当てて義理は果たした、とでも言わんばかりに残存艦艇は雁首揃えて踵をかえしたのだ。
誰も予想していなかったタイミングでの逃走に、一瞬虚脱状態になる一同。そのうち、いち早く我に帰った参謀の一人が見張りに問いかける。
「敵一番艦は!?」
しかし、それに答える声は一つではなかった。
「進路変わらず! 直進を続けています」
「艦橋より司令部、如何せられるや!?」
「敵アストリア型甲巡転覆! 七戦隊の魚雷によると思われ!」
「七戦隊栗田司令官より入電!
『我 損傷艦ヲ撃沈セリ 此ヨリ残存艦隊ヲ追撃セントス
如何セラレルヤ』
です!」
最初の見張員の報告に引き継いて、艦橋からの指令を請うとの悲鳴。さらには『ヴィンセンス』が沈没したとの報告に、栗田少将からの電信が相次いで舞い込む。
──如何セラレルヤ──皆の視線が三川中将に突き刺さった。
「……無傷の艦を野放しには出来ん。追撃する」
一度決断が下れば後は参謀達の仕事だ。各々が命令に添って各所へ必要な指示を下してゆく、それはさながら予定調和のような澱みない動きだった。
「艦橋了解! 面舵一杯っ!」
「通信! 現在位置と敵艦の進行方向を打電しろ! 特に潜水隊や航空隊に警報だ!」
「針路策定急げ!」
《左舷副砲、射界に入り次第射撃開始!》
伝声管から、或いは伝声管へ、またはスピーカー越しに指示が飛び、喧騒が巻き起こる。
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遂にトラック環礁砲撃を諦め撤退を開始した第16任務部隊第2群。
ほぼ無傷の『サウスダコタ』以下三隻と深手を負った『ワシントン』『インディアナ』を含む六隻の艦隊は朝日を拝むことができるのか。
つづく