第五話 宴の始まり
TF16.2 旗艦『ワシントン』
「――佐! ――てください! ――席参謀!」
艦橋に上がってきた士官に揺り起こされ、艦橋の床に延びていた主席参謀は、はっと我にかえるとばねで弾かれたように起き上がり、辺りを見回す。
「……なっ、……一体何が!?」
ほんの少し前とはうって代わって殺風景になった艦橋から何人もの幕僚達が運び出されてゆく。
「敵重爆の1500lb爆弾とおぼしきもの数発が命中、艦橋を爆風が吹き抜け、リー少将と艦長は意識不明、参謀長と通信参謀は……」
ちょうど、人間“だったもの”が二体分、外に通じるハッチから運び出される所だった。
「現在指揮を執れる中での最先任は貴方です。ご命令を」
「…………わかった」
寸刻目を閉じ、短く息を吐いて顔をあげると、その緑色の目には強い意思の光が宿っていた。
「まずは任務部隊の被害状況を聞かせて貰おうか」
「はっ。まず、殿艦の『インディアナ』が被雷二、速力8ktまで低下。復旧作業中です。
次に本艦ですが、第二砲塔天盖に命中した爆弾の衝撃で中央の二門射撃不能。艦橋中破、艦橋測距儀及びレーダー損傷。後部に命中した三発の爆弾により第三砲塔旋回不能。アンテナ塔倒壊。さらに後楼とカタパルト付近で火災発生、これは直ちにダメコン要員を向かわせました。他も復旧を試みております。出し得る速力12kt」
報告を聞き終わると、主席参謀はむぅ、と腕組みして忌々しげな口調で、しかし口元には笑みを浮かべて唄うように言った。
「大損害、大損害じゃないか。全く、何処の誰だ彼らを猿と言ったのは。日本海軍の航空隊は素晴らしい技量を持っているじゃないか。夜間雷爆同時攻撃とは」
「誉めてる場合ですか。それに喜んでいるように聞こえるのは気のせいですよね?」
頭でも打ったのか、という目付きで士官が問いかける。
「断じて気のせいだ。それに、正当な評価をしたまでだよ。
ときに、後部の第三主砲塔は射撃自体は可能か? また、両用砲群はどうだ?」
「は、えー、はい。射撃自体は可能です。両用砲群もまた戦闘可能です」
大変結構、と短く満足げに呟き、暫し考えを纏めたあと命令を発する。
「さて、では戦艦戦隊の指揮権は『ノースカロライナ』艦長に、艦隊の指揮権は第7巡洋艦戦隊のキンケイド提督に委譲。本艦と『インディアナ』はスミス提督の第2巡洋艦戦隊と共に撤退する。無線……はムリだから発光信号で伝えてくれ」
「はぁ!? 正気ですか? 戦意喪失と敵前逃亡で査問会逝きですよ?」
士官の言うことも最もで、現時点では付近に有力な脅威が無い以上、逃げ帰ったと見なされれば問題になっても仕方がないのだ。
「この速力では夜明け迄に離脱出来んだろう。……では、火災と被雷により速力の出ない我々にて敵を誘引、無傷の両艦の突入を容易足らしめんとす。とでも追加して」
「ですが……」
「ですがも糞もあるか。ノロノロついて行っても邪魔になるだけだ。
面舵一杯、変針90度!」
「了解、面舵一杯、変針90度」
発光信号により主席参謀の言が僚艦に伝えられ、生き残りの操舵員が舵輪を回して艦がゆったりと艦首を振る。
そして、
「十時方向に発砲炎多数! 戦艦を含む敵艦隊です!」
「なにぃ!?」
最早何度目かになるかわからない見張員の絶叫が艦橋に木霊し、数十秒後、戦艦隊の先頭に居た戦艦『ノースカロライナ』と、警戒の為前に出ていた巡洋艦『ミネアポリス』『ニューオーリンズ』『ヴィンセンス』周りに多数の水柱をたてた。
三川戦隊 旗艦『紀伊』主砲射撃指揮所
戦艦『紀伊』の、『比叡』改装時からより洗練された筒型艦橋のトップ。そこに据えられた巨大な15m測距儀と九八式射撃方位盤から送られてきた距離と角度等の情報を元に主砲を一括管制するのがここ、主砲射撃指揮所である。
「第一斉射、遠弾です!」
「修正、下げ3。次射より急斉射!」
「了解! 下げ3。次射より急斉射!」
第1斉射の弾着データを元に砲撃諸元を修正し、第2射からは撃ちながら修正する急斉射へと移行するよう戦隊各艦に命ずる砲術長。修正後の諸元が射撃指揮盤に入力され主砲へと伝わり砲身が僅かに下がる。
このような射法の他に、交互撃ち方で半数を遠くに、もう半数を近くに撃ち込んで修正していく初弾観測二段撃方もあるのだが、今回は数で劣位にあり一刻も早く命中させる必要があったことや比較的近距離で観測機の支援が受けられること、あと砲術長の好みで初弾観測急斉射を採っている。
「第二斉射、撃ぇ!」
「撃っ!」
腹の底に響く轟音と共に十二発の二式通常弾が打ち出される。
着弾までには40秒近くかかるが、それを待たずにランプが全て点灯し全砲が射撃可能となったことを示す。
「本艦射撃準備完了! 『美作』『尾張』も同様です!」
「よろしい。第三斉射、撃ぇ!」
「撃ぇ!」
砲術長の号令と共に三たび砲弾が撃ち出され、長十五サンチ砲それぞれ十五門を振りかざし米軽快艦艇に襲い掛かる七戦隊を飛び越し、照明弾に照らされた敵戦艦へと弧を描く。
第七戦隊 軽巡 『鈴谷』
『紀伊』を旗艦とする第三戦隊から見て右舷前方に約5000m。最上型四隻からなる第七戦隊は着弾観測機の支援を受けつつ艦同士の間隔を緊密にとりつつ敵巡洋艦二隻を相手に戦いを進めていた。
《……マ・メ・〇》
観測機からの『挟叉・命中弾・無し』を意味する符丁に砲術士官達が色めき立つ。
「遠近よし! 敵アストリア型に挟叉! 各砲急斉射に移行せよ!」
「よっしゃ捉えたぞ! 撃って撃って撃ちまくれぇい!」
今は栗田少将の座乗する『熊野』の直後に続き、共にニューオーリンズ級重巡『ヴィンセンス』に砲撃を集中させているところであり、艦橋は士官らの発する熱気と喧騒で満ちている。
そんな中、一人泰然として立っているのはカイゼル髭がトレードマークの木村昌福大佐。その立派なヒゲを扱きながら黙って状況を見守っている。今まで出した命令は「撃ち方始め」と「弾庫の連中に氷水持って行ってやれ」の二つのみであるが、指揮官がでんと構えているのは将兵にとって心強いものであった。
「あッ! アストリア級二番艦発砲、星弾です! 更にノースカロライナ級2番艦発砲!」
今まで撃たれっぱなしだった米重巡が星弾を発射、星弾は七戦隊の上空で炸裂すると辺りを照らしながらゆらゆらと落ちてくる。
そして、照らしだされた七戦隊めがけて敵戦艦の一隻がいきなり主砲をぶっぱなしたのだ。数十秒後、『熊野』の鼻先数百メートルに六本の水柱がそそりたつ。
騒然とする艦橋要員達。自然と目線は艦長に集まる。回避なさらないのですか、敵戦艦の目標にされたのでは、そう問いたげな目線を一旦受けきり、静かに、それでいてはっきりと命じた。
「未だ捕捉されてはおらん。……砲戦を続行する」
巡洋艦の6in砲や8in砲のそれとは比べ物にならない戦艦の14in砲の水柱にも全く動じる様子を見せないその姿に、幕僚達も落ち着きを取り戻す。
――この艦では。
────────────────
「『熊野』より発光信号! 右統制魚雷戦用意です!」
「……水雷長、右統制魚雷戦用意」
栗田少将の座乗する戦隊旗艦から無線と発光信号で魚雷を放つよう命令が届いた。司令官は迅速に勝負を決めることにしたようだ。悪く言えばビビったとも言える。
ちなみに、統制魚雷戦とは、統制艦――今回は『熊野』――の発射に合わせて一斉に魚雷を射つ戦法のことである。
「遠魚雷戦、第一射法!」
水雷長が僚艦と共同で九三式魚雷二四本を扇形に発射し敵艦隊の巡洋艦三と駆逐艦二をすっぽりと包み込むように調整するよう命じる。
「『熊野』魚雷発射!」
「発射はじめ!」
『熊野』の魚雷発射に合わせて『鈴谷』『三隈』『最上』も相次いで魚雷を発射。圧搾空気によって発射管から打ち出された九三式魚雷は、僅かな気泡と夜光虫の光を曳いて敵艦へと突き進んでいった。
「水雷長、魚雷の到達時間は?」
「七分三十秒です!」
「うむ。では砲術長、交互撃ち方」
「了解、交互撃ち方!」
内地ならどんぶり一杯掻っ込む程の時間が恐ろしく長く感じた。水雷長はこの時のことを後にそう語っている。
再び、TF16.2ワシントン』
「敵巡洋艦、針路変わらず!」
見張りが叫ぶのを聞いて首席参謀が腕組みしたまま舌打ちする。
「盲撃ちではビビってくれんかモガミクラス……」
実はかなりビビってるんではあるが、そんなことは知るよしもない。
「自分でダメで元々って言いながら撃たせたんでしょうに。ところで、あれは本当にモガミクラスなんですか?」
見張りの報告は、ミョーコーないしモガミ級四隻、とのことであった。人手が足りず、軍艦年鑑も行方不明で艦種が特定出来ていない。
「艦橋並盛り、煙突はヘンタイさんが1本、後ろがフラットじゃないからモガミクラスだね。『アシガラ』なら見たことあるが、煙突と艦橋が全然違う」
どうやら日本特有の集合湾曲煙突は欧米人には理解されないらしい。変態とはなんだ、変態とは。ちなみに、妙高型の煙突は二本である。
「……それよりも、だ。さっきチラッと見えたが、ユーバリらしき軽巡が居たぞ。あいつは確か嚮導艦だ。水雷戦隊の襲撃に警戒せよ!」
「Yes,sir!」
電話線も所々断絶している為配置されている伝令が敬礼して走り出て行く。
「しかし……『ノースカロライナ』は大丈夫ですかね? ……敵戦艦に釣瓶撃ちにされているようですが、相手は何クラスなんでしょう?」
「さあな、この距離ではわからん。キイクラスでなければどうとでもなるさ」
公式発表で14in砲十二門27ktのキイクラス以外なら逃げ切るか返り討ちにできる……筈だ。首席参謀がようやく敵戦艦に対して砲撃を開始した『ノースカロライナ』と『サウスダコタ』を眺めながらそう答える。
未だ無傷の二艦は、普段の1/3の速力しか出せない2艦を置いて砲戦の真っ最中だ。相変わらず集中砲火を浴びている『ノースカロライナ』から目を離さないまま首席参謀。
「コンゴウクラスの代艦が30kt出せない訳が無いとは思うがな……」
「何か?」
「いや、独り言だ」
排水量35000tも怪しいものだ。とはいえ主砲口径は誤魔化せまい。ならばそう撃ち負けることも無いか。と、彼が口の中でそう呟いた時、三川戦隊の放った第七斉射が遂に『ノースカロライナ』を捉えた。
「『ノースカロライナ』被弾! ……火災発生! 艦全体が炎にッ!」
着弾の瞬間、前部主砲から艦橋、二本の煙突に後部主砲と艦の全体が火焔に包まれた。
松明のように燃え盛る『ノースカロライナ』。急によたよたしだした同艦を呆気にとられて声も無く見つめる臨時の艦橋要員を他所に、首席参謀が漏らした一言。
「……Inferno」
その光景はまさに、見る者にダンテの『神曲』地獄篇を彷彿とさせる、灼熱地獄としか言い様の無いものであった。