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第四話 黎明の遭遇戦

 一九四二年三月二十九日 未明

 マーシャル諸島北西海域

 遊撃部隊 第七航空戦隊 空母『千早』



「只今合成風力十五メートル、方位七五度に定針宜候」

「発艦準備ヨシ!」


 夜明け前の薄暗がりの中、甲板上にはプロペラを回した直掩の零戦隊と偵察隊の九七式艦攻がずらりと並んで発艦開始の合図を待っていた。

 七航戦の三隻の母艦はディーゼル機関と蒸気タービンを唸らせて二十五ノットの速力で風上に舳を立てて突き進んでいる。八隻の直衛艦を伴い高速で航行中の空母の前方では一水戦が警戒に当たり、十八ノットで航行している戦艦や巡洋艦の戦隊は置き去りになっている格好だ。


「発艦始め!」


 発艦指揮官の振り下ろす白旗を合図に先頭の零戦が栄発動機を咆哮させて飛行甲板をの端を蹴った。各空母から発艦するのは『千歳』『千代田』が六機づつ、少々大型の『千早』が十一機の計二十三機。最初の零戦が空に舞い上がると、身軽な艦戦は甲板の半ばで次々と甲板を蹴って空へ舞い上がってゆく。

 甲板の前半分が空くと、次は九七艦攻の番だ。爆弾の代わりにガソリンを詰めた増槽を抱られるよう改造を施された艦攻が、滑るように甲板の端から飛び出してゆく。雷装の時ほどではないが、三座の艦攻は馬力と重量の関係からどうしてもゆったりとした発艦とならざるを得ない。それでも、よく訓練された搭乗員は一機も事故を起こさず発艦を終えた。

 発艦を無事終えた航空戦隊は、十海里ばかり離れてしまった本隊と再び艦隊を組むべく回頭を始めた。



 空母『千早』艦橋



 飛行甲板の右舷側にある斜め煙突と一体化した島型艦橋では、飛行長が一人胸を撫で下ろしていた。部下に信頼を置いていないという訳ではないが、この重要な局面で何か事故でもあっては方々に申し訳がたたないのだ。汗ばんで湿っていた掌を裾でぬぐうと、視線を空に向ける。艦橋のガラスを抜いた窓からは、発艦した艦攻が視界の外へ消えてゆく所だった。


「あとは索敵線に敵艦隊が引っ掛かるのを待つだけだ」


 ほぼ艦隊の全周へと散っていった索敵機を見送った横井艦長が、艦橋後方の飛行指揮所に詰める飛行科幹部を前にして言った。飛行科出身である艦長は航空への造詣も深い。当然、偵察の重要性も熟知している。


「この一手が本時海戦の結果を、ひいては皇国の興廃をも左右するといって過言ではない」


 艦長の元気な声が艦橋中に響く。普段から、航空戦は先に発見した方が勝つ、が口癖なだけあって、手厚い索敵計画に機嫌がすこぶる良いらしい。現に飛行甲板の下にある格納甲板では、今発進した第一段の索敵隊に引き続き、第二段の索敵隊が準備されている最中なのだ。

 夜明け後すぐに放たれる第二段索敵隊は第一段のそれより幾分数が少ないものの、第一段の索敵線と互い違いになるように飛行して敵を捜索する。

 この方法の利点は、なんといっても戦場の霧(未索敵で何が居るか居ないか判明していない領域)を素早く払えることだ。通常の一段索敵では、夜明けを待ってから偵察機を発艦させる。艦攻が索敵線の端まで飛ぶのに二時間はかかるから、艦隊の周辺二八〇カイリの状況が判明するのは二時間後のことになる。その点、二段索敵ならば夜明けの頃には一段目の機は既に行程を消化している。つまり半分の時間で索敵が完了するということで、一分一秒を争う戦場で一時間の節約は大きい。さらに副次的な利点として、索敵密度があがることにより取りこぼしが減る、敵機の迎撃を受けて数が減ってもカバーできるなどがある。 その一方で、小型空母の常用搭載機数に匹敵する艦攻を索敵に割くため、攻撃力が大幅に低下してしまうという欠点もある。巡洋艦や戦艦の水上偵察機を使えば攻撃力は低下しないが、一度に十何機の水偵を収容するのは困難であるし、高速艦揃いの遊撃部隊が敵の間近で悠長に停止して水偵を吊り上げる訳にはいかない以上は乗員のみ掬い上げて機体は棄てるか近くの基地に向かわせるかの二択となる。それでは機体と時間がもったいない。


「チハキ二(空母『千早』嚮導二番機)より入電! 『ワレ直掩高度ニ到達セリ』!」


 空母『千歳』『千代田』から発進した直掩の零戦隊が高度四〇〇〇メートルに到達し戦闘哨戒に入ったことを引率役の艦攻が知らせてきた。

 艦隊の上空にいるにもかかわらず、零戦に艦攻がついているのには訳がある。昨年、一九四一年に行われた艦隊演習において、海上を進む艦隊に対して空母艦上機隊が雷爆連合による空襲を仕掛けるという状況で、上空にいた戦闘機がまったく気付かないうちに航空機側が攻撃に成功、艦隊側が大損害を被るという判定を受けたのだ。その演習で最も問題とされたのは、やはり下の艦隊が攻撃を受ける遥か前から艦の見張りは飛行機の接近に気づいていたのに上から見ていたはずの零戦隊が敵機を発見できなかったことだ。この対策として、直掩隊に艦攻を随伴させ艦隊との連絡や直掩空域への誘導にあたらせることとしたのだ。現場からは足手纏いだという声もあったが、不慣れな電鍵や面倒な航法の負担が軽くなることからおおむね好評であった。


 その時、空母の狭い艦橋に一人の通信兵が飛び込んできた。


「チハキ一より入電! 『敵空母見ユ、エニウェトク環礁より方位三一〇度、距離一二二海里、速力三十ノット。針路は方位七五度』です!」


 通信兵から紙片を受け取った通信参謀がその内容を読み上げる。航海長は、それを聞いてすぐさま海図台に向かいチャートに線を書き入れていく。位置座標の基点を移動する母艦ではなく移動しない島嶼に置いたために、いちいち海図にひき写さないとそれが何処だかよくわからないのだ。艦側からすれば面倒で煩雑だが、発信する偵察機や傍受する他の部隊からすれば母艦の位置を推定する手間が省ける上に誤差も減るといいことづくめなのだ。


「敵空母、本艦より方位二一〇度、距離二十八海里にあり!」


 航海長が筆記具を握りしめたまま声をあげた。約三十海里といったら雷装の艦攻でも十分かかるかどうかという至近距離だ。


「近いではないか! 直ぐそこだぞ!」

「敵は発艦準備中だ! 直掩隊の追加発進を急げ!艦戦が先だ!」

「変針、方位〇七五、戦隊速力二十八ノットへ。発動準備急げ!」


 艦長が目を剥いて叫び、飛行長が格納甲板へ繋がる電話機に怒鳴りつけ、司令官が潮にやけた声で命令を下す。艦橋内部が蜂の巣を突いたような喧騒に包まれる。

 無理もない。夜が明けたらすぐそこに敵空母、なんて本気で洒落にならない。


「チハキ一より続報! 『レキシントン級空母一、戦艦又ハ巡洋艦二、駆逐艦五。上空ニ機影ヲ認メズ。空母甲板上ニテ灯火ヲ認ム』」

「遊撃部隊旗艦より発光信号! 『合流中止、七航戦及ビ十一戦隊ハ直チニ退避セヨ』です!」

「本隊、反転! 陣形を単縦陣に組み換える模様」


 艦橋には次々と情報が上がってくる。敵はほぼ間違いなく発艦準備中の機動部隊であり、戦艦と巡洋艦からなる遊撃部隊本隊が陣形を組み換えている以上、三川長官が水上砲雷撃戦を決意したのは明白である。それを悟った艦長は着弾観測機を護衛する艦戦を最優先で上げるよう飛行長に命じた。



 同日 マーシャル諸島北西海域

 第17任務部隊 旗艦『レキシントン』 艦橋



 この、巡洋戦艦から改装された長大な空母の甲板上は、まさに喧騒に包まれていた。偵察爆撃隊に属するドーントレス艦爆が500lb爆弾を抱えてずらりと並び、その後方では翼を折り畳めない初期型のワイルドキャット艦戦がエレベーターで次々と飛行甲板へと上げられている所だ。

 その光景を、レキシントン級特有の大型ファンネルの前にある島型艦橋から眺めている人物がいた。この任務部隊の指揮官であるフィッチ提督その人である。


「航空隊の首尾はどうかね、エアボス?」

「は、上々です。我が航空隊は必ずや戦果をあげるでしょう」


 しかし、そのチャンスは永遠に失われることとなる。


「前方に艦影複数!」

「フレッチャーの任務部隊か。道草は食わなかったようだな」


 慎重派として知られるフレッチャー提督は、その慎重さゆえに時折臆病者の謗りを受けることもあった。その中には、道草癖がある、というものも含まれる。常に艦の燃料残高を十分に保とうとするために、少々行動が遅くなりがちだというのがその由来だ。頻繁に給油を命ずるためどうしても移動速度が犠牲になるのだ。

 だが、双眼鏡を覗き込んで“味方任務部隊”を眺めていた士官が声を上げた。


「提督、どうも様子が変です」

「どういうことだ?」


 怪訝な表情を見せるフィッチ提督の問いに答えるように、水平線上に砲火が煌めいた。


 戦闘は、輪形陣を組んで疾駆する米艦隊の頭を日本艦隊が単縦陣で斜めに抑える形で始まった。

 戦艦『紀伊』『美作』『尾張』の主砲が次々と火を吹き、米艦隊の中でも大型なもの三隻の周りに水柱をたてた。砲撃の目標となったのは空母『レキシントン』と二隻の巡洋艦であったが、三川長官以下遊撃部隊首脳はこれを戦艦と誤認していた。

 この時、『レキシントン』は艦上機の発進準備中で飛行甲板には多数の艦上機が燃料満載のままずらりと並んでいた。そこへ戦艦の主砲弾が降り注いだのだからたまらない。


「退避! 退避しろ! 一刻も早く距離をとれ!」

「右緊急回頭! 発艦!? 中止だ中止!」


 あわてて回避を命ずるが時既に遅し。『レキシントン』の艦体が針路を変えるよりも早く、日本側にとっては幸運にも『紀伊』の放った三射目の二式通常弾一発が甲板中央部に命中し、密閉式格納庫に半ば喰い込んでそのエネルギーを解き放った。

 命中の瞬間に吹き荒れた火炎の嵐は甲板上のあらゆるものを呑み込んだ。そして、焼夷榴弾の発する高温に炙られた爆弾や燃料はあっという間に発火点に達して火災を拡大再生産していく。考えられる限り高温を発するように開発された悪魔の砲弾がその真価を発揮したのだ。

 今や『レキシントン』は航空機とその運用能力を同時に失い、全身火だるまになりながらよろめくように一ところを旋回し続けるだけの存在に成り下がってしまったのだ。当然、艦上層部が火達磨になったからといって『レキシントン』が船として死んだわけではない。だが、機関や船体が無事だといっても、艦の中枢である艦橋が火葬されては軍艦としては死んだも同然であり、航空機運用能力を失った航空母艦などただの鉄くずに過ぎない。


 残る巡洋艦と駆逐艦は『レキシントン』ほど不運ではなかった。しかし、戦艦隊に続いて栗田少将揮下の最上型巡洋艦四隻が戦闘に加わると形勢はいよいよ不利となり、最終的に空母『レキシントン』、巡洋艦『シカゴ』と駆逐艦三隻を失い逃げ出すに至る。日本側の損害は戦艦『尾張』と巡洋艦『鈴谷』が軽微な損傷を負ったのみ。文字通り鎧袖一触である。

 遊撃部隊が圧倒的に有利な状況にも関わらず第17任務部隊の残存艦艇が脱出に成功したのは、ひとえに狩人が新たな獲物に目移りしたからに他ならない。

 その獲物とは第14任務部隊。フレッチャー提督の座乗する空母『サラトガ』を中核とする任務部隊だ。当然彼らも一撃の元に葬り去られると思われた。ただ、確かに戦力こそ隔絶していたが、先手を打ったのは意外にも第14任務部隊のほうだった。

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